マスタードしょんべん / ヨシケイ / 逃げ

 マスタードしょんべんをしていたのだけれど、僕は抑圧をしているせいか半部以上の日数液体が出ない。調子のよい時だけ出てくる。
 今日は深く満足し、出なかったけれど自己肯定感があった。それで思った。女と寝る存在が男なのではないのかと。
 
 僕は自分が男だと認識していない。しかし今日は、女と寝る存在と言う動物としての自分、それが男だというらしいと、薄々感じた。抑圧しているので今日はこれ以上は進展がない。この路線が続くのなら、僕はだいぶ前進したことになる。






ヨシケイのお試しが届いた。プチママ。

味噌汁が、大根人参ブナシメジ厚揚げが入り、小ネギを散らす。ご飯の上にキャベツを敷いてその上に冷凍ヒレカツをのせ、マヨネーズ・ソース・鰹節をかける。

 豪華でした。僕の作る料理より食材の種類が多いし、きちんと組み立ててある料理はこういうものだ、と言う感じを受けた。冷凍ヒレカツも硬いのだろうと想像したけれど、柔らかくおいしかった。すごいなあと感じた。

 食彩を1週頼んだけれど高いので、プチママも良いなあと感じた。ずっとは高くて頼めないので、1週おきに、自分で買い出しに行くのと交互にやってもいいなあと感じた。ノックダウンだった。よかった。

 女性だと感想は違ってくるだろうけれど、まともな料理だと感じた。

 作り方は、メニュー表に出ていた。



 昨日の夜、僕は何もしないで後ろ向きで先送りばかりだと、やり残しに潰される感じがした。図書館、織り教室、ボランティア、何もしていない。

 今朝起きて、抑圧がお腹にあって、自分とずれているのを感じた。僕は向き合えきれていず、逃げの状態だと。最初から、基礎から一つずつやっていかないと向き合えないと思う。男か何かかもしれない。違うかもしれない。一番低いところから、ひとつずつ向き合えるように徐々に詰めていくような、時間のかかるゆっくりとした歩みの一番手前の落っこちているところが僕の場所だと思う。

 今の僕は逃げている。最初の段階は逃げを認めてその道を探ろうとするところから。

満足について:

歌いに行った。森進一をうたった。
女のためいき、命かれても、花と蝶、おふくろさん、襟裳岬 と進んだ。

できは40%。もともと得意分野だった。これを50%にするには、歌詞をよく読み、自分の解釈を作って、逃げ道をなくし覚悟をもって本気で向き合い、歌詞の世界に没入すればなるかもしれない。60%にするには、歌唱力が必要だと思う。僕はでたらめです。

 のど自慢、今日の放送を見て、うまい人がたくさんいるのだなと思った。僕は真ん中くらいだと思う。トップレベルの歌唱力はないし、ど素人でもない。良いところもあるけれど素人というレベルだと思う。

・20歳からの<現代文>入門 ノートをつけながら深く読む

というのを8年越しで買った。出た当時2010は、難しそうと思って買わなかった。今アマゾンレビューを読むと、よいだろうけれど時間がないという人がいた。手間がかかりすぎると。僕は読む本が少ないし時間がかかっている。そんなに冊数読まない。だから、少ない本の深い理解が必要だ。

 最初の はじめに の文章は名文だと感じた。引き込まれた。この本読み切れるのではないかと感じた。投げ出さないことを自分に祈るけれど。





・弱虫でいいんだよ

 この本、僕の核になる本だと思うけれど、この本の深い理解が欲しい。是非欲しい。だから時間がかかっても詳しく理解したい。


20歳からの<現代文>入門 は、メルカリで300円で2冊ある。僕は一冊買った。


 からだの自然が目を覚ます 気功入門
 一日の簡単気功レシピ

と言うのも買ってしまった。読み切れるかわからないけれど、働いたら日常でやりたい。通勤時間内で。








平成30年2月4日 日曜日



 しつこいけれど満足について。満足はすごいことをしたから満足ではなくて、顔を洗った、歯を磨いた、食事を作った、食べた、マスターベーションしたなど、なんでも日常の一つ一つの動作に対しての満足。


 ちょっと思ったけれど、洗面台を洗っていて、溝にごみがたまっていて歯ブラシでこすって水で流したらゴミが流れた、少しきれいになった。その時のちょっときれいになったということに対して満足する。言い方を変えると、フィードバックを受け取るということ。

 洗面台を洗って、洗いっぱなしで次の歯磨きに移ったら、洗面台を洗ったことは未消化になってしまう。洗面台を洗うという行為をして、ゴミが取れた、少しきれいになった、よかったという、自分の行為、そして対象の変化を受け取る、自分の変化を受け取るフィードバックが不可欠だと思う。そうでないと、僕みたいに次々動作は変わってもやることに追われて何も満足がなくなってしまう。

 歯を磨いたら、すっきりした、一動作終わったという満足を受け取り、変化を認めるべきだと思う。そのちょっとした5秒位のことが生死を分ける、大袈裟か・・・。


 5秒間、その直前の行為を振り返り、味わい、変化をよく受け取る、フィードバックの時間を持つというそのことが満足となり、次の動作に移る原動力になると思う。満足がないと次の動作、次の動作と追われて何が何だか分からなく休み暇がなくなる。一呼吸置くためにも、5秒間の振り返りは不可欠かもしれない。このブログも書きっ放しで次の動作に移ってきていたので、僕の中では追われるという気持ちがずっと続いている。


 今日は満足について書いた、ちょっと前進した、僕の日常の根幹にかかわることについて深められた、いろいろな動作にフィードバックを入れて振り返り満足する5秒間を持つことにしよう、と終えられたら、僕にとって僕のためにとって偉大な一歩になると思う。僕にとっての核となる「満足する5秒間」というテーマだから。満足が続けば日常はまわせると思う。休憩を入れながら。そう、休憩を効果的に使うのも大事そうだ。僕は休憩をしないことがほとんど。休憩も上手に効果的に入れる技術があると思う。

追記 / 逃げ← どうすればできるだろうか!!(後ろ向きに送る言葉)

追記追記:

林へ歌いに行った。スマッシング パンプキンズ は、調子のよい時しかできそうもないので、いつでもできそうな坂本にしてみた。図書館へは時間切れで行かなかった。(そういう言い訳をした)逃げを打った。

thatness and thereness, gonana be a soldier(曲目わからず), perspective, ongaku と坂本をうたった。ノリノリもあれば、高くて声が出しづらく細い声もあった。まあまあだった。これらは得意なほう。

radiohead optimistic, pyramid song, knives out は、声が高かったりどう歌っていいかわからなかったけれど、歌詞が歌詞なので、よくわかっていないが、突き放して歌ってみたところもあった。声も声の裏にメッセージを込めて裏面交流した。言葉の額面通りではなく、孤独・寂しさ・怒りみたいなメッセージを塗り込んだ。まあ、高い声が出なかったので、健闘してみましたと言う感覚だった。

hundred reasons storied with unhappy endings, what you get と歌った。全く飾りなしで等身大、素(す)で歌った。面白くもおかしくもないけれどありのままの自分で歌ったのでよかった。自分のためとして。

いつもは歌は仕事と言う感覚なのだけれど、今日は遊びで歌っている感覚だった。楽しかった。この方向もいいかもしれない。自分の楽しみのための歌。あまり力(りき)んでいなかった。 



太極拳をはじめませんか

第2部 天人起動 2.万流帰一 まで進めてしまった。よく理解していない。

どうすればできるだろうか?で、逃げをなるべく打たないようにしたいと思った。それで太極拳、うた とやってみた。この本の最後:東洋医学のこころとからだ も読んでいるところ。おもしろい。僕は西洋医学よりすきだなあ。2番目の作業所の元祖・唯一無二は針灸のできる人だった。なぜマイナーな東洋医学なのだろうと思ったけれど、僕も惹かれだした。僕も齧ってみたい。




追記:

ヨシケイ(食材配達・レシピ付き)にお試し+1週間頼んでみたが、プラスの部分の料金がバカ高い。僕が頼みたいのは、一人一食700円もする。これでは続かない。僕の希望としては、一人一食300円くらいだ。そうでないと、食費ばかり金を食う。
 それで、1週間 レシピ + (定番) で検索して出てきた本を買った。買ったことのない食材が入ってしまっているし、使わないだろう食材もリストに並んでいるが、適当に付き合いながら、適当にまともに時短で作りたい。休みの日に買い出しに行き、帰りはバスで帰ってくるという(行きもバスでいいが)、自分とゆるく料理をつきあいたい。






「逃げの自分」


平成30年2月3日 土曜日

7つの習慣」クイックマスター・シリーズ 第一の習慣:主体性を発揮する 選択する力 (※安くて、小分け販売)(取組中)

 をkindleダウンロードで読んでいます。


 今回読んでいて、今までの所での最大の山場に来ました。



自己達成予言:反応的な言葉(68% No.695)

引用(kurage0147130の勝手気ままな取捨選択):


・「それはできない。時間がない」
(時間と言う制限が自分をコントロールしている)


・「仕方ない。やらなくてはならない」
(状況や他の人によって自分の行動が強要されている。自分で行動を選択する自由がない)
 このように、反応的な人は「責任は自分にはない」「自分では選ぶことができない」という気持ちを、さまざまなバリエーションの言葉で吐き出します。~
 なぜこういう言葉が問題なのでしょうか? それは、心理学でいう「自己達成予言」になるからです。
こういった言葉~ますます「自分にはできない」というパラダイムを強く抱えることになり、「でき

(70% No.708)
ない」証拠を自分自身に定着させてしまうのです。


 ぜひ、「すぐに『できない』と決め付けないこと」を約束してください。そんなときには、「どうすればできるだろうか」と考えるようにしてください。主体的な人間への第一歩です。




(kurage0147130):次の、小見出しで(自己達成予言:主体的な言葉)良い例の言葉が書かれている。短いですが。それは割愛。でも、どうすればできるだろうか、と言う引用は、強力な言葉だ。全く後ろ向きでなく、責任もあるし、コミットできるし、変更可能だ。電子ブックでは、アリの行進に例えて、どんなものでもひるまず先へと進むイメージを与えてくれているが、僕は矢が折れ曲がるように、いつも挫(くじ)けてイジケテうな垂れてきた。

 それを払拭(ふっしょく)する言葉が「どうすればできるだろうか」というもの。

 作業所では、皿洗いとゴミだし、掃除機かけが僕がやった「どうすればできるだろうか」の行動にあたったと思うけれど、日常の生活での全般で続く諦めムードを吹き払うのに「どうすればできるだろうか」ほど建設的で前向きな言葉はない。使ってこなかった言葉だ。

 うたも、英語で書かれたレッスンブックを持っているけれど、訳すのにひるんでできていない。これなんかも格好のターゲットにできそう。今の自分はまだひるんでうな垂れて、下を向いているが。

 僕が僕のためのチャレンジとして「どうすればできるだろうか」をキーワードにできたらと夢想する。ここで腰が引けるのは、僕は散々逃げてきたから。逃げ人生だった。ここに言葉をはさむ余地はない。逃げを打ってばかりいた。今も逃げようとしている。

追記 / 周回遅れ

追記:

7つの習慣」クイックマスター・シリーズ 第一の習慣:主体性を発揮する 選択する力 (※安くて、小分け販売)(取組中)

 をkindleダウンロードで読んでいます。半分を過ぎたところに来ています。やっと学びたいところの場所までたどり着いたというところです。始まりの勉強が長かった。ここまでは何も知らない僕みたいな人向けの内容で、ここからが本題みたいだと思っている。
 悪い7つの習慣とか出ていたけれど、僕はほとんど該当してしまっていた。

7つの習慣 完訳 (未読)
7つの習慣に学ぶ手帳術 (未読)

を買いました。この完訳の本だけれど、CDが付いてきて、届いて、8ページくらいをエイヤッと開けたら、ビリッとページ下部が裂けた。壊れてしまった。取り替えてもらうのも面倒なので、紙用ボンドを流し込んで、補修したらきちんと直った。
 壊れた時はとても残念だった。読んでもいないのに壊れて、ちょっとショックを受けた。CD付きの本は、この本の糊付けも悪かったのかも、気を付けて開かないといけないという変な学習を受けた。ハードカヴァーの本だから、長く愛用する気持ちでいた。レビューでも何回も読んでいるとか書いている人もいたし。

 最近、本は難しくて詳しいのがいいというのを変更しようと思っている。簡単で薄くて、誰でもとっかかりがいいのをやるというのも素敵で間口が広く僕向きだなあと感じている。
 簡単で使える本のほうがいいやと思う。漫画でもいいし。「君たちはどう生きるか」、漫画で読んで漫画で終わってもいいかもしれないと狙っている。

 すぐ使えて、心に残り、影響が多きければ、薄い本・簡単なの大歓迎と感じる。そういう方向にしたい。

7つの習慣 実践ストーリー 家族/ビジネス 

も買ってみた。他の人はどんな影響を受けどう活用しているか、わかりやすいだろうと思い、ヒントをもらおうと注文した。古い本。最初に書いた、ダウンロードした本に紹介されてあったもの。

この7つの習慣は、金儲けのためか、いろいろヴァリエーションがあって、いろいろ読まないと理解できないみたい、というか、頭のよくない僕は実践にすぐ繋がらないから、簡単な専用書籍を買い足さないとダメだろうと思う。商売のエサにひっかかっている。すっかり買い食いしている。思う壺にはまっている一人です。

 最近は高尚なのがいいとも思わない。すぐ実践できるの、やさしく書いてあるのを希望する。


 太極拳
太極拳をはじめませんか

もボチボチやっている。DVDに合わせ、運動名を紙に書いて、一つ一つの動作を真似ている。身に付けよとしている。
まだ、準備運動の2までしか進んでいない。でも、気を感じながらやっているので楽しい。気と言う、変なものを扱えるようになりたいと思う。一番最初の突っ立つやつは、ただ立っているのは、宇宙の動きを感じたいと空の世界、身体の上の星たちの運航を感じられたらと想像して立ったりしている。ちょっと、思い込みが激しいかなと思うけれど、想像力、遊び、思い込みでもいいかなと。
 
・ 今日は図書館へ行った。作業所を辞めてからはじめて集団の中で読書した。復帰のめどが立ってきた。7日水曜日に、デイサーヴィスの人たちがお見えになる。契約することになる。そしたら働ける。
 今まで集団から落っこちて、集団に所属したいという気力も失(う)せていた。やっと集団に復帰できそうになってきた。父の面倒を見るというのから少し脱すことができそう。うれしい。
 集団から離れて、悲惨な気持ちもあった。いつ復帰できるのだと。契約したら、ケアマネージャーに菓子折りをもっていこう。ありがたい。いろいろ動いて頂いている。復帰の段取りをつけて頂いた。
 家にずっといるというのも、身体と精神によくないなあ。不健康だ。外部とのつながりは重要だ。いろいろ助けて頂いて、社会と繋がれそうになってきた。

 ここ3週間くらいで、2回風邪を引きました。その低調さも引きずった。愚痴をたくさん書きました。




平成30年2月2日 金曜日

「周回遅れ」

 父と僕の古い見方は、例えばニュースだと、大学が入試問題を間違えて不合格になっていた、その問題で正解ではないと判定された受験者のことをどう見るかで現れる。
 かわいそうにと言う同情なのだけれど、その人に自分を投影させてみている。自分だったらそんなひどい目にあったら大変だったろうなと。
 新しい見方に気づいた感じ方は、そういう人もいるのだな、世の中も厳しいな。同じじゃないかと思われるでしょうが少し違う。全くその人に自分を投影させず、その人が世界で受けた取り扱いをその人に還元し、その人を自分と切り離し、その人の経験として見る。分離してその人に背負わせて、集団の中でのその人の経験としていみる。



 何を言いたいかと言うと、世界は他者が動かしている、ジョージアの缶コーヒーと一緒です。世界を動かすのは他者の圧倒的な力。僕が動かしているのはほんのわずかで微力。自分以外の他者がどう感じ、どう動かし、どう判断するか、その大勢の人の圧倒的な動きを観察し、注視し、自分で判断してみる。僕は集団についていかなければならない。自分以外の圧倒的な数の他者の意見に対して。

 僕はほんのわずかの場所の影響と、暮らしと、活動で暮らしている。微力な自分の活動を集団の中で繰り広げている。集団は大きな動きでいろいろ展開している。そこの関係をどうするか、集団の大きな力と微力な自分。ここはまだ未解明。自分には見えていない。

 集団の構成員も個人だから、微力が集まっている。微力が大勢いるから大きな力になっている。それでも、集団の意見には耳か傾けないと、自分とずれて、自分の行動が空回りしたり、敵対したり、いろいろ出てくる。合わせるのではなく、よく見て、理解するのは必要だと思う。集団はこうだけれど、自分はどうだといつも、両方を考えていないと集団の構成員の個人は成り立たないと思う。この辺はよくわかっていない。


 僕はぼけて、まぬけで、周回遅れだから51歳でこのようなことを言っている。早熟な人なら、10代でクリアしていることなのかもしれない。でも、僕にとっては新しい。僕はやっとここまでたどり着いた。周回遅れとして。

カウンセリング 1/30 Tue

平成30年1月30日 火曜日

 カウンセリングの先生に会ってきました。

 昨日のブログの内容を読んでもらい、地下室の骸骨男に会いに行きました。(心の中の僕の分身)

 地下室の前で黴臭いにおいがありました。どんなに冷たく殺伐としていて暗いのだろうと予想しました。先生も同じだったみたいです、終わった後の反応を見ると。

 予想は裏切られました。ドアを開けると、部屋は真っ暗で黒くて、右前方に床に炎がありました。明るく暖かく燃えていました。そして先生の主導のもと他の物を見回すと、子犬がいました。40センチくらいの黒い、のらくろの上官の鼻の所の毛がふさふさした奴、外国犬種。背中を撫でたり、膝の上に載せたりした。なついていくれた。これはボランティアで猫の世話をした経験が活きていると思った。


 先生が部屋の中の他の物を見回してみようと仰って、ゴミ箱の紙屑の山などあったけれど、僕には気にならず。そしてチューチップの鉢植えがあった。赤いチューリップ、素焼きのよくホームセンターにあるレンガ色の奴に一輪植えられていた。また、プランターにスズランもあった。白いプランター

 これらの植物は、この家の庭にあるものやあったもので、父母との思い出を写していると思った。この家族も終わろうとしている。その寂しい、影の薄さ、孤独感への前触れなどを映し込んでいる。と思う。

 世界地図も壁にあった。デスクマットの下によく貼ってあるありふれたものだけれど。右壁には骸骨男がいる部屋のノブがあったけれど呼ばなかった。部屋にいてもらった。

 正面机の上には、ホヤのあるランプがあった。炎も燃えていた。明治頃の筒形で、下が膨らんだガラスがついている昔の暮らしで常備されいたやつ。部屋自体にも、電球がぶら下がって明るくなっていた。でも、深夜の山奥の空気感が流れていた。黒い部屋だし、夜の雰囲気だし。


 カウンセリングも時間切れで、子犬の背を撫でてから、尻尾を振られたけれど、階段を上り現実に帰った。
 このように妙に明るい地下室だった。殺伐としていず、暖かみのある部屋だった。炎の熱にも身体は温まったし。どう考えても僕は回復傾向にあると思う。幸せ感の詰まった部屋だった。孤独の暗い影はあったけれど。


 追記:帰りの地元の道で、骸骨男の部屋の黒床から、床一面植物の芽が噴き出すイメージが見えた。ニョキニョキと床の板を突き破って一面生えてくる。生命力のあるイメージが白昼夢のように浮かんだ。すごくうれしいイメージ映像だった。



・ なくなっていたジャイアント馬場のサインがやっぱりあった。小学生の時に地元のスーパーで本人からもらったもの。顔がでかくて、でかい葉巻をくわえていて、身体も大きく、普通っぽくない関係者に囲まれてジャイアント馬場は座っていて、列に並んで、手渡された。サインは真ん中に縦に細く書かれていて、ありがたみはなかった。なんだこんなものと思った。
 でも現在、ジャイアント馬場さんは明るく人の良さそうな目をしていて、好きになっている。出てきたから、壁に飾ろうと思う。色紙は染みが浮いてしまった。ちょっと残念。




Smashing pumpkins Mellon Collie and the Infinite Sadness は、予測不能な曲が並び、作曲の才能があるのだろうなと、鈍い僕も薄々感じる。351円で、品のよいのが送られてきた。





 僕は、幼児的万能感から、依存的状態から、孤独・個人的・分離状態へと移行してきたけれど、最後は・老化したら無力感・不能感・孤立感を抱いて死んでいく、そういう未来への道を歩んでいくのだろう。ただ、最後に孤立するか、バトンを手渡して若い人と楽しく過ごせるかはなってみないとわからない。そのような高齢者になりたいとは思うけれど、56歳以降の自分は思い浮かべられない。壁を越えたら、社会貢献をしなければならないし、奉仕するような方向へ進むといいだろうと思う。具体的にはわからないけれど。社会のためになるような。人のためになるような。余生なのだから。でも、やはり、毎日に追われるのか? 明るい未来を夢見たいとは望む。65歳まで働けたらなあ。

 

x games Hirano Ayumu Super pipe
youtu.be

どのくらい凄いのかわかりませんが、リンクしました。

暖炉で暖まっていっていいんだよ(僕の分身に対して声をかけるなら)

カウンセリングの先生への提出文:


 自分に満足する、というのなら、ちょっと前のことからだいぶ過去まで、自分の認めてこなかった生活・人生を肯定しなけれならないと思う。料理でも、でたらめをやっていても家の食事を担(にな)っているのだから満足して肯定していいと思う。


 僕は自分内引きこもり・内向・意識が内へ折れ曲がってきたのですが、それしかできない人生でした・必然のような、そのような自分の歩いてきた時間・上滑りした人生を寂しい奴だったと思えるし、僕と言うのは僕の時間は砂に染みる水のようだった・浪費・報(むく)われない僕を塗り潰すような暴力的だったのですが、その内へ向かわせる僕の状態の暴力性を僕は被(かぶ)り続け・波で洗い流され続け・打ちのめされ続け・無力であり続け、僕は小さくなってきたのです・丸まってきたというか。


そんな内気で、小さくて、丸まった身動きの利かなかった寂しい生を白い(シロい)と表現し、猿轡(さるぐつわ)を噛まされ床に転がされてきていて、泣くこともできなかった。声を上げることもできなかった。ただただ黙ってきた。(※この辺の文章は心象風景で実際ではないです) 受け入れてもいないのに黙ってきた。


寒い部屋で火を起こし暖めてやりたい、過去の寒さに対して。僕のシロい部屋に対して。暖めて摩(さす)って、大丈夫だよ、元気を出して、一人じゃないよ、伸びをしたっていいんだよ、喋っていいんだよ、声をだしなよと言ってやりたい。これは過去との対話だと思う。現在の僕は過去の寒さを温めてやることができると思う。
 カウンセリング・先生の、地下室へ降りていく治療なら、僕は骸骨男(僕の地下室での分身)に寄り添って、一緒に毛布をかぶり、暖めたワインを飲むことができると思う。時間を共有してあげたい。過去の無力に対して。

Kindle

平成30年1月28日 日曜日

・マンガでわかる! 幼稚園児でもできた!! タスク管理超入門
Amazonで99円くらいでダウンロードした。(その日は安かった)」

【5】タスクを記録する 
  5. 繰り返せるようにする

の中で、
引用:
Listを作り→タスクの実行→Logタスクの記録→Reviewタスクの見直し

記録とリスト化をしておけば、今度は「運がいい」ときの結果を意図的に生み出せるかもしれない
つまりタスクの管理によって運の要素を限りなく減らして「良い結果」に再現性を持たせることができるようになるんだ!

タスクの実行、記録、レビュー。これらを繰り返すことより「良い結果」を再現可能にするための仕組みが出来上がっていくのです!

結果、タスク管理をすることで「本当にやりたいことをやりたいようにやる」ことができるようになっていくんだね!

引用者:kurage0147130:これが本当にできれば、調子の悪いとき、最小限の調子の悪さのまま通常くらいまで引き上げることができるのではないのか。夢だなあ。僕は調子の悪い時は全くダメで、そういう日は捨ててきている。

 その他、この電子ブックでは



☆☆☆・「7つの習慣

というアマゾンレビューでは、圧倒的に支持者がいる本の紹介がされていて、買おうと思った。




【6】タスクを活かす
  2. 時間の使いかたをしる

 引用:
第一領域は、緊急で重要なタスクに費やす時間のこと
 トラブル対応や締切間近の仕事などがここに当てはまるね
 (kurage0147130):「
・積み重ねる生き方 ~空海に学ぶ自分の人生に満足する法~ Kindle版:中村太釈 (著)

を買って昨日から今日まで読んだことなども当たると思う。思いついて実行した。緊急性がないのに緊急課題にした。」

第二領域は、緊急じゃないけど重要なタスクに費やす時間
 例えば読書や、将来の夢のための活動など・・・ 後回しにしがちだけど、この領域を増やしてこそ人生の満足度は高まるってもの!
  (kurage0147130):「これを打ち込んでいること自体が未来への投資だし、楽しみとなる未来を拓く活動。読書、リコーダー、歌など。」

第三領域は、緊急だけど重要じゃないタスクに費やす時間
 中身のない会議や移動時間など、それ自体は大した価値がないのにやらざるを得ない時間。極力削減すべきだね~
  (kurage0147130):「これを打ち込む前、ボーとして30分くらい無駄にロスした。逃げていた。音楽でも聞いてからやればよかった。無理やりやろうとして、実際は逃避した。」

第四領域は、緊急でも重要でもないタスクに費やす時間
 テレビやゲーム、雑談、飲み会など。ゼロにする必要はないけど、この領域ばっかりというのも考えもの・・・
  (kurage0147130):「食事後のボーッとしている時間。父が見る、見たくないテレビを覗いている時間。無駄だ。それならパソコンテレビを起動して好きなものを見たほうがいい。」







・清澤満之 著:満足の心:貴重資料研究会編・現代語訳 Amazon Kindleダウンロード:99円くらいだったと思う。

 3回目くらいを読んだ。
引用:「種をまけば芽ができ、苗ができ、実ができるようになる。そこには動かすべからざる法則があって、絶えず働いていることを我々は信じている。原因があれば結果がある。結果があれば原因がある。~我々の現在の有様はたとえどんな様子であろうとも、我々の過去の原因から必然的に結果したものであると満足しなければならない。~人々が愚痴を止めて各々の現在の有様に満足をするのはいわゆる分に安んずるといういことである。我々には分を安んずることが必要である。~~


~執着できないものに執着し、欲望できないものを欲望するために満足ができないことが多い。よくよくその事物の真相がわかってみると、もはや執着するには及ばない。欲望する必要はない、となる。~

(kurage0147130):

「過去の自分が現在を作ったのだから、現在に満足するのは自分の責任でそうするべきだ。自分で作った座席には積極的に座って居心地が良いと感じないと無責任だろう、と言う話だと思う。」
「前にも書いたけれど、若い女に執着したのは、全く脈絡がないのに執着欲望したから。僕は火のないところに着火し燃えさせようとした。氷に火をつけようとしたのかもしれない。僕には若い女が登場する脈絡が全然ないのにだ。」「満足を自分で作り出す努力は著者が言うように、とても大事だと思う。」

引用:「我々は満足の上から奮発勉強をせねばならぬ。満足の心を修養することは甚だ大切なことである。」
(kurage0147130):kindle版はこの言葉で終わっている。

過去によい場所を用意して深く座ってもらう、といいのだろう。

ビートたけし たかをくくろうか

youtu.be

 この曲だったか好きだったのですが、坂本龍一の作曲だったのですね。

 林へ行きました。きょうは身体が重く気持ちが進まなかったけれど出かけた。完全にエネルギーをつぎ込みに行った。仕事に近いニュアンスだった。他のことは後回しにしても優先と言う意味で。

 できは30%だった。10%昨日より多い。朝から首が伸びたので少しはよくなると踏んでいた。最高にはならないとも思った。

 リズムが分かってきた。曲にも歌詞に慣れた。自分のものになってきた。

桃乃未琴 大切なコト カセットを整理していて出てきたのを思い出した。好きだった曲。
youtu.be


 今日は強弱をつけて歌おうとした。この点では進歩した。突っ込んで歌えないので、できること、強弱をつけるでカヴァーしようとした。自分の調子もそんなに悪くなかったのだろう。

 勝ち負けで行くと今日も負けだろうけれど、それだとつまらない。負けたけれど、強弱と言う別の楽しみがあったし、人に見せるために歌うというより、(それなら勝ち負けは大事になるだろう)、自分を楽しませるために歌うことを優先にし、自分を満足させるために歌うを優先するようにしたほうが楽しくなるだろう。

 最近の自分のテーマ、(自分のやることに満足する)、というコンセプトなら、自分で自分を楽しませて、ちょっとのことに満足を見つける、自分の活動に満足を見つけるのは大事だろう。ちょっとのことに、ちょっとの自分の活動に、深く満足するようにするように努力したほうがいい、癖をつけるというか、軽くあしらう古い僕のやり方は自分を苦しめる元凶だと思う。

☆ だから、自分のちょっとの活動に深く満足を見つけて深く満足を持とうとする、思いだし、反芻、過去を大事にするは重要なテーマになると思う。

 並行して家の整理をやっている。ガラクタ選別。埃にまみれ、過去と深くかかわっている。そう、過ぎ去った、過去を大事にする、そういう時間を5秒でも持ち、牛の反芻をするのはすごく大事だ。過去の%を自分の中で大きくもつといいかもしれない。
 ちょっと前から、ずいぶん古いものまでの長い時間のものを大事に思い出してやって、暖めてやる、光を当ててやる、自分の中での占める部分に対して大きな場所を提供してやるといいかもしれない。
 自分の人生で自分の活動に対する深い満足なのだから、過去を光らせるのは大事かもしれない。黴(かび)臭くしていると、自分を粗末にすることになると思う。ヨイショではなく、丁寧に触って大事な場所を用意してあげる。

勝負にならず。差し込まれていた。(うた)

 今日は、織り教室に行く日でしたが行きませんでした。生活が閉じたものになると思い、また逃げを打ったので策を練りました。

 こういう時は小さなことをやるといいので、林に歌いに行って、図書館に寄る(15分間の読書から始める)という案を思いつきました。

 外へ出て、5分くらいしたら吹雪きだして、両手で顔の上に庇(ひさし)を作らないと前が見えない状態になりました。10分くらいで降りは落ち着いてきました。

 林では仕込んでおいた、Smashing Pumpkins : Bullet with butterfly wings をやりました。今日の出来は、20%くらいでした。

 歌詞を覚えて、リズムを合わせて、慣れるまでで終わってしまいました。ビリーコーガンの歌に被せて歌いました。

 敗因ははっきりしています。倒す気概がなかったです。ぼんやり歌っていました。鶴竜のように立て直すことができないのか、できるのかわからないが、倒す気持ちが前面に出ないとダメだろうと思う。勝負にはなっていなかった。勝ち負けなら、差し込まれていた。腰が引けて、及び腰だったと思う。強い気持ちがもてなかった。

 5回歌って終了した。図書館は休館日だった。柔い雪の上を歩いて疲れた。というか、エネルギーを吸い取られた。


 倒すためには、ペニスの男のような核を持って、なんらからのリーチが作れないと無理だと思う。

父のケアマネージャー様の提案:

 今日は父のケアマネージャー様が月1で来て頂く日でした。どのような提案がされるのか期待していました。

 父の希望は在宅を前提としているため、そのような方向に進みました。この家の分解は今回は見送られた。
 週5日間父はデイサービスに通い、残りの2日は僕と過ごすことになった。その5日の内、火・金は今までのデイサービスを利用し、月・水・木は別のデイサービスと新たに契約する。そして、僕は作業所に通わせてもらえることになった。朝の忙しい時の父の着替え、食事介助はヘルパー様に来て頂くことになった。

 このようにケアマネージャー様のセッティングの元、父と僕の新しい生活が組まれる。父が要介護2なのを新たに診察して頂いて要介護3に引き上げてからのスタートとなることになった。

 これらを全部ケアマネージャー様にして頂いた。良くしてくださって、お礼を言った。これだと僕は作業所へ通える。

 そうなると、食事の準備が忙しくなると思い、ヨシケイのお試し すまいるごはん を2月5日から5日間頼んでみた。
 前に生協の配食サービス、冷凍を頼んでまずかったので、今回は調理するヨシケイしにしてみた。忙しい毎日に重宝するのではないのかと期待した。


 ・本題は、織り教室です。織り教室の新年度が始まったばかりだけれど、通えない。それで、先生もやっているインスタグラムのライブ配信にゲストを招待する・スマホで先生と2時間の教室を開いている時間にネットでつながるか、録画したのを見てもらい授業を受けるのを提案してみたい。ややこしいのだけれど、どうしても先生との関係を切りたくない。なぜか切らないほうがいいという気がする。
 織り機はアシュフォードのリジッドヘドルルーム60センチを購入する予定でいる。先生にアシュフォードを提案された。筬・おさが安いから、全部そろえると安くなるという先生の計算だった。前に買うとしたらどうだろうと聞いていた。

 あと、忘れていたけれどカウンセリングが困る。今のところ火曜日が先生の都合が良く、僕も都合がいい。どうなるのかわからない、作業所次第と先生の都合が分からないので不透明だった。

 デイサービス様とヘルパー様と契約し、その後、僕は職を探すことになる。ケアマネージャー様の提案で、一気に生活が動き出しそうだ。ありがたい。<おわり> 

0:38から始まります。
怒鳴りがいいです。

youtu.be




 間抜け男として歌いに林へ行った。

 まず、リズムを覚えていないのでずれた。そこは気にしなかった。でも、乗り切れない原因だったかも。

 全編泣きで歌おうとした。rolling stones    paint it black.   抜けるまで歌いたかったけれど、79%だった。いまいちのような気がするけれど、今の自分としては精いっぱいだった。全体に泣いてうたった。そこはある程度成功した。
 これはこれで、このやり方は間違っていないと思う。ありだと思う。

 高音のサビで音が高くてうまく歌えない状態だった。それは昨日から今日まで変わらなかった。低い音では泣きがだいぶ入れられた。今の自分に対して、ごくろうさま。

追記:歌 / スーパーマンではなくミミズ・ニョロニョロとして

youtu.be



追記: 林で歌った。

 林で歌う大馬鹿者として行った。

 今日はよいところは少なかった。ある部分は成功した。

 rolling stones  paint it black をうたった。憎しみを込めようとかしたけれどどうにも不発。hmm の所を憎しみでやろうとしていたけれど、なぜか大の男の大人が大泣きするような歌い方になった。これが結構成功していた。うまく嵌(はま)っていた。

 不発の本編も、大泣きスタイルで歌えばよかったのかなあ。ちょっと今後悔。憎しみに固執していた。柔軟にやってもよかったかも。僕は頭ごなしに歌おうとするところが強いかも。
 
 今日は不発の歌と言うところで満足しようとした。今度成功しようとかではなく、不発だった歌自体に満足していこうという、限定失敗部分に満足を持とうという新たな距離感で事後処理した。



平成30年1月20日 土曜日

「スーパーマンではなくミミズ・ニョロニョロとして」




 ・太極拳をはじめませんか、王茂斌

を、3日目やった。身に付けようと思い、一動作のタイトル、例えば1.天地通行 気入湧泉 というように、準備運動ひとつに付きタイトルを紙に書きながらやった。

 この間の突っ立ってやるのに気が足底から入るというのは嘘だった。自然姿勢は自然を感じながら適度な緊張のもとリラックスして立つ、というのでやるらしい。さっきのタイトル・気入湧泉から気が関係して足底から入るイメージを持つらしい。今日は、1.天地通行だけやった。僕は大嘘つきだった。


 この準備体操も社会的な運動としてタイトルを紙に書きながらやった。一動作を社会的な太極拳と言う運動のなかの身に付ける一つの部分ととして。


 読書も、グルントヴィ・世界における人間(内容が古くてちっとも面白くないや。僕は学術的な人間ではないので興味を持てないし、1割も理解できていないけれど。この時代の哲学の考え方としてやってるのかなあ、くらいしか理解できないや。)、弱虫でいいだよ、植物はなぜ動かないのか、南洲翁遺訓とちょこっと読んだ。ちょこっとずつしか読んでいない。



☆ 僕は、全部身に付けようと思ってやろうとしてきた。手芸ならタイユール・鈴木健次郎みたいに全部できるようにならなけれ、目指さなければと。
この間の少しの前進で、少しの部分に満足するという考えは、弱虫でいいんだよの見開き2ページ読んだら満足するとか、そういう方向に進むことになった。僕はどんどん本を読んで、どんどん頭がよくなって、どんどん勉強できる人にならなきゃとか幼稚園児みたいな見方だった。そうではなく、見開き2ページをきちんと社会的な刊行物の本の辻信一さんの弱虫でいいんだよ・の理解をするという、限定された、わずか2ページに満足していくという、ちょっとの前進で満足する・理解する方向へ動くことになった。スーパーマンではなく、ごく限定されたちょっとの前進・進歩に満足するという、限定された人間に開かれていく道筋を見出すことにつながった。



 4ろのご、という碁の幻冬舎の子供向け教材のセットがあるけれど、前ならどんどんやって7ろのごに進んで、どんどん身に付け碁ができる人にならなきゃとか思ってきた。そうではない。4ろのごの1ページ進んだ。この1ページ身に付けたで満足する。すごく限定された限定された人間で満足する、限定された人間になるという道が開かれた。

 だから、本もどんどん買う必要がない。物も増やす必要はないかもしれない。限られた部分の人間としてやっていく。


 手芸の作業所に在籍していた時を振り返ると、どんどんできるようにならなきゃと思ってきたけれど、手芸の作業所の着物解体作業員で満足する、札幌のA型作業所の一員と言うすごく限定された、限られた部分に満足していくという方向でいいと言えるなあと思う。




☆ 女性も美しく若いではなく、肉がたるんだ美しくなく50歳の女性を50過ぎの格好良くない僕が愛するみたいな、限定された部分でいいのではないのか。

 この限定されたというのは僕のあらゆる部分を小さい満足というキーワードで規定して、限られた部分からの満足を吸い上げるという方向に開かれることになると思う。限定・満足という強力な見方と武器だと思う。

本:DVD付き:太極拳をはじめませんか、王茂斌

 今日は調子が良いと思い、タスク管理のやり方で、太極拳、リコーダー、読書に取り組んだ。

 やる前に進む量を決めてしまい、(いままでは、どこまでもやろうとしていた・そのやり方だと終わりがなくなる、そしてモチベーションも落ちる)、決めた分量だけやった。太極拳はここまで、リコーダーはここまでと。


☆・太極拳をはじめませんか、王茂斌、春秋社(前に中古で購入していた・DVD付き)


 半年くらい前に買っていてやっていなかった。時間に余裕があるのでやってみた。

 これがすこぶるいいです。最初にただ突っ立っているのが3~5分、動きのない映像が映し出される。これが、僕みたいな入門者に向けて作られているのを物語る。本当はただ立っているのではなく、足底から気が上に上がってきているイメージを持ってやる。らしい。
 本は、DVDの付属説明で、最後に「東洋医学のこころとからだ」という、理論らしいのが編まれている。

 準備運動をやりながら気を使って、気を身体に通そうとする。気をボールのように持とうとするのも第2部から始まる。僕のような初心者向けですこぶるいい。続けたい。DVDがいいです、解説ナレーション付きで。




 調子が良いと思って出かけると、非常に調子が悪かった。僕がダメなのか、調子のリズムが下がっていたのかわからず。どうにも調子が悪いらしかった。ただ、歩きながら気が足底から上がって頭頂に抜けるようなイメージを持とうとしながら歩いた。これはそれなりによかった。すこしおもしろかった。

 料理する気持ちになれず、冷凍食品になった。

 市田柿を食った。父が昔買ってきていたもの。懐かしくなった。あんこのようにうまかった。


 リコーダーも足底から頭頂へ気が抜けるように吹いたら、力まず良い音で吹けていた。キンキン音がしていなかった。今まで吹いた中で一番良い感触で鳴っていた。
 僕の歩いているときのイメージは、孤立部縁で自分の内側のエネルギーを使い、内側のエネルギーだけに頼りしゃにむに体に伝えようとする非常に閉じた、乾電池を背負ってその電気エネルギーを使いながらそれだけで動こうとするロボットみたいなイメージだった。
 今回足底からの気を使い、その気を頭頂に抜けさせて歩くイメージを使うと、かなり体にやさしい、気分的にも柔和なものになった。ただ、調子が悪かったから変な気持ちでは存在していた。

 この間のカウンセラーの先生との面談で、弱虫でいいんだよ、の本の説明ができなかったのはショックだった。僕は本を読んでも何にも理解していないことが露呈された。ただ眼で活字を追って読めるというだけのことだった。理解して、自分の頭の中に構築するというか理解の枠組みを作る作業ができていないのがはっきりわかってしまった。僕は薄ぼんやりでバカなのだと、そのような状態だった。

 その1章を読んで、理解の枠組みができるまで何度も読むのがいいかもしれない。わかったら次の章へ進む。そのやり方は、去年読んだ、


・能力を伸ばす四つのポイント


 で学習した。それをやればいい。僕はたくさん読んだり、いろいろなことに首を突っ込むのがいいと思っていたけれど、きちんとひとつずつ取り組んで理解しながらやったほうがよさそうな気がしてきた。僕は亀より遅いミミズだろうとは思う。ニョロニョロ。   <バハハイ・さようならと言う意味のつもり>

カウンセラーの先生に会った。

平成30年1月16日 火曜日

映画:リトル・ブッダを見終わった。あまり面白い映画でなかった。一番印象に残ったのは、ブッダが荒行をやっていて、付き従った弟子が、ブッダが荒行を辞めると言ったとき皆離れていったところ。ブッダは川辺で船に乗っている人が竪琴の糸を張りすぎてもダメだし、張らないで緩んでもダメだ、ちょうどいい張り具合がいいのだといった時、自分の極端な荒行が何ももたらさないとわかった時の場面。
 この弟子が皆離れて行っても自分の道を進もうとしたところのブッダの気持ちの所に興味が引かれた。誰もブッダについていかなくなっても自分の道を歩み始めたブッダ。そこに惹かれた。

 今日はカウンセリングに行きました。


カウンセラーの先生に見せた文章:

よろしくお願いします。
 母が入院しまして、家の管理と父の面倒を見ています。
 僕は日中家にいて生協に出かけるくらいです。
 自分の生活が狭くなっています。ずっと最近は部屋の整理をしています。とても汚い部屋でこういう機会でないと整理できずにいました。だいぶまとまってきましたが、完璧までやりたいという願望はあります。

 カウンセリングで先生に僕は成長できた時によかったね、が少ないと言われましたが、それが今の課題です。何かをした時、部屋の整理でもここまでできたねと一度満足を入れたほうがいいのではないかと思っています。3秒間でも5秒間でも意識的に満足の時間を持つようにするのがいいと思っています。(まだダメだとか、こんなものと思っていつも終わることが多いです。常に結果・行動の終わりに否定を入れている)
 英単語を一個つかもうとし、少しでも捕まえられたら(覚えられたら)その時点で満足を入れてもいいのではないのかと思っています。僕はもっととか、それくらいでとか、父母の反応を自分のやり方にしてしまっていて、自分で取り組んで、自分のちょっとした成長に自分で意識的に満足を入れる、そういう機会を持つことが大事ではないのかと思うようになりました。



 あと、母のことですが、母がいなくなって、僕に自信がないのは母のせいではないのかと少し思っています。母は僕を認めることはなく否定の言葉を言う事が多かった、全部ではありませんが、僕の判断や行動はいちいち棚にあげられたというのがありました。だから母がいないというのはある意味いいのではないのかと思います。
 この間の病院面会では母は落ち着いていました。でも、父に比べると(父はテレビに依存していますが、こちらを操作しようとするところもありますが)父は感謝の言葉を言ったりしますが、母は否定の言葉が多く、僕の判断は否定されることが多かった。僕にとっては、母はあまりいい人ではないと感じています。


 話は違いますが、自分の取り組むことは、決めを入れなければならないと感じています。手芸は決めを入れないと製品になりませんが、家の掃除をしていて、何をやるのでも決めを入れて進めないとグチャグチャで終わっていしまう。片づけでも、物をまとめようとしないとダメだし、まとめたものをきちんとしまわないとダメです。僕はグチャッとやってきました。だから部屋が汚かったです。ここまで来たのは僕にとってすごいことですが、さらにもう少し詰めてきちんとやりたいです。完璧まで一度やろうと思っています。いまは80%くらいです。まだ余地があります。
 なにかにつけて、人間の生活は決めを入れてやらないと中途半端なままズルズルと行ってしまうと感じています。


これを見てもらいました。
 何かやったら満足する時間を5秒間でも持つようにする、まだこれしかできていない、こんなことがこんなにかかって、と否定の言葉を入れるのではなく、満足の時間を一動作ごとに持つようにすることの大切さはカウンセラーの先生も、そうだよと言っていただきました。
 ずっとやり続けると疲弊してしまう。まいってしまうから、掃除でもずっとやってもきりがないから、ここまでやったら休憩とかここまでで辞めるとかそういうのが必要だと仰(おっしゃ)っていました。先生に賛同して頂き、やはりそういうものなのか、ぼくのずっとやってきた、「これしかできていない」「これっぽち」といちいち否定を入れる父母の反応の仕方を自分のものとしてしまったやり方のまずさを認識しました。
 きょうなら、カウンセラーの先生に会えてよかった。カレーを作ってよかった。洗濯をできて良かったと、満足を持つようにしました。したつもりです、5秒間くらいでも。

 あと、決め、と言うのは先生にも質問されましたが、テーブルをマットに合わせて揃えて置くとか、シーツを畳むとき4隅を揃えて畳むとか、ベッドを直してから布団にもぐりこむとか(そうしないと布団がぐちゃぐちゃになる)、そういうことです。それの必要さを掃除をしていて痛感します。


 弱虫でいいだよ、の本の説明を先生にしましたが、僕は理解が悪いらしくうまく説明できませんでした。ゴリラの話です。ゴリラはオス同士の喧嘩メスが割って入ってなだめるということがあるらしいのですが、その喧嘩の上下関係をつけないやり方です。サルは上下関係を持ちますが、ゴリラはないらしいです。横関係で生活しているとか。
本を見ましたが、勝ち負けでなく、助け合う関係が良いのではないのかと著者が言っているように理解しました。共同作業とか、対等な関係という言葉が本にありました。
 他の人に説明するときに、僕の理解が成っていないというのがよくわかりました。僕はやはり頭がよくないのか、国語の勉強が足りないのか、理解が悪いです。本を読んできちんと説明できるようになりたいと少し思いました。


 今日のカウンセリングは持って行った上のプリントの話だけでした。
 あと、僕は顔が黄色い、あまり良くない表情らしいと指摘されました。最初に会った時と似ていると。確かに生活は自閉していますし、広がりがないです。そこは改善したいと思いました。掃除もある程度やったら次の日に持ち越すとか作戦でやったほうがいいと思った。やはりカウンセラーの先生とか外部の人間を入れたほうがいいらしいとは思いました。(自分の生活に)

<おわり>

何か一つやったら、振り返って、5秒間の満足する満ち足りた余裕の時間を意識的にもつようにするといいかもしれない。ひとつ動作を終えると満足してやる。印刷を終えたら、印刷をできたことに満足するという手順(5秒間の満ちた時間を持つ)を意識的に作るようにする。

平成30年1月14日 日曜日

・どらえもん はじめての国語辞典、小学館、2013
p637
まんぞく【満足】①心の中に不平や不満のないこと。気持ちが満ち足りていること。
②十分なこと。完全なこと。

まん【満】①いっぱいになること。②全体。すっかり。

p379
そく【足】③たりること。

p487
とりくむ【取り組む】①熱心にものごとに当たる。②すもうでたがいに組みつく。


・常用字解〔第二版〕、白川静平凡社、2003

p648~649

~ 一面に刺繍を加えた礼装用の蔽膝(へいしつ・ひざかけ)の形。ひざかけ全体に刺繍が施されているので、飾りがみちるの意味がある。水(さんずい)を加えて、水がみちあふれることを満といい、水が「みちる」の意味となる。~


p437
足 解説 ~~膝と足先とを組み合わせて「あし」を示している。膝から下の足全体を写した形は疋(しょ)で、〇(しょ・たすける)と通じてたすけるの意味に用いる。~~足と疋とは形が非常に近く、また音と意味が近い字である。

P299
取 解説 ~耳と又(ゆう・〇)とを組み合わせた形。又は手の形。戦場で討ちとった者の左の耳を、討ちとった証拠として手で切り取ることを取という。敵の耳を切り取るの意味から、すべての物やことについて「とる、うばう」の意味となり、また「めとる」の意味にも用いる。~~

p419
組 ソ くむ・くみ・くみひも 解説 形成。音符は且(そ)。組紐(くみひも)のことで、~~纓(えい・ひも)と為す」という。纓は組紐の細く密なもの、その大きなものを綬という。組紐は多くの糸を組み合わせて作るものであるから、組織(ひもを組み、はたを織る。また、全体を作りあげること)・~~



(kurage0147130):
ということは、僕は自分に期待しすぎたり、能力以上を求めず、小さな満ちることで満足すればいい。小さな前進で心に満足を満たしてやる。ちょっとの前進で水をなみなみと満たしてやる状態にする。一回一回立ち止まり満足する。
 僕は一回一回理解しても、まだだめだ、途中だと腰を折っている。それは父母の反応のせいだと思う。

 取り組みは、耳を集めて紐に通して腰か首にぶら下げる、そういう行為のことだと思う。血生臭いな。戦争だから全力でやったのだろう。熱心でもあったのか。