家族という見方:試されている

 施設で作業していますが、同僚の若い人がいます。僕はその人のことをねずみ男に似ていると思っています。あんまりな感想です。その人のいいところは優しいところがあったり、友達想いだったりします。

 その人をBさんとすると、Bさんは僕たちの上司であったスポーツ上司が辞めてしまうし、もう一人のパートでリーダーだった人も辞めてしまうし、今まで仲の良かった人が辞めていくという事がありました。その人はこれからどうするのだろうと、僕は意地の悪い目で見ていました。

 その意地の悪い見方を見透かしているように、そのBさんは僕を全く無視したいという行動に移して来ました。Bさんからまったくの無視を受けることになってきています。



 こう見ると僕の状況は悪いように思いますが、
・ホスピタリティを育てる物語 久保亮吾 翔泳社 2019
この間この本を良いと書きました。実際良い本で、P135まで読んで、未消化だと思い最初から読み返しています。
 この本のように、世界を家族だと見る見方、職場の人、介護士、入居者の方、交通機関の人たち、歩いている市民の人たち、これらの人たちを家族だと見る見方。そうこの家族と言う切り口で世界を捉えることを僕はこのBさんに突き付けられている。


 それは、Bさんは無視するけれど、それで僕は昨日、無視するならすればいい、それならこちらは相手を投げ出すだけだと突き放そうとした。これでは負けている。家族と言うフィルターを実践するならば、Bさんは反抗期の若い子供みたいな存在だ、これ馬鹿にしたり見下したりしているのではなくそういう役割を当てはめてみるやり方で見た感想。そのBさん、若い反抗期の子供を投げ出したりするでしょうか。しないでしょう。反抗しても家族は家族です。ねずみ男と見たのは、家族を侮辱しています。そもそも相手を認めないという僕の姿勢の表れ・あらわれ です。
 Bさん問題は、家族と言う関わり方を揺るがす問題で、実践するなら避けては通れない道です。僕の許容力、包容力、受け止める力を試されている。そう、家族と言うフィルターを試されている。僕は試されているわけです。実際、Bさんは無視することで、Bさんの考える僕と言う存在を試していると思う。僕はそれに応えて・こたえて 行かないといけない。反抗期の子供を見捨ている親はいないでしょう。抱擁するしかないと思う。相手の無視を受け止める力が必要だ。Bさんを家族だと、相手の態度に関わらず、抱擁する力を試されていると思う。

 というわけで、僕も試されている。明日からまた、頑張ります。<おわり>