停滞中、良くなるに賭けること:鉄則 + 人間力と言うのを身につけられるか?

・・・キャッチコピー:停滞の静寂は甘いが、常に牙を剝いている。・・・

 昨日僕は調子が悪かった。風邪を引いているのにカイロに出かけ、先生に服を脱ぎ出してから風邪だと告げた。しょうがないからやる、というようなニュアンスで引き受けてもらった。僕が迷惑をかけた。

 調子が悪いので、カイロの治療もいまいちだった。僕は心の中で自分に言った、やはり僕の調子が良くなるのは難しいよな、簡単に変わるわけがない、時間がかかり代り映えしないよな、と。今までこのカイロの先生の元、治療を受けかなり背骨の左右の曲がりをまっすぐにして頂いて、前屈みを伸ばしてもらったのに、このような言葉を自分に吐いたりするダメ押しをしてしまう自分がいる。先生には頑張って頂いて、華々しい結果も出ているのにだ。

 この停滞というのが曲者だ。華々しい時はグッと進む。停滞は進んでいるのか後退しているかわからないくらい見えなくなる。この停滞、良くなる、良くしていくという方に賭けないとダメだ。良くなる、と良くならない、だったら良くなる方に賭けて行かないといけない。何も進展も見えず、先行きゼロでも良くなるにかけ続けないといけない。でないと、穴に落っこちる。後退や停滞の穴に落ち続けてはいけない。

 なにがなんでも、どんな手を使ってでも、よくなるに張らないといけない。良くなるに賭ける事。ここは誤ってはいけないポイントだ。僕は穴に落っこちてばかりいる。でも、間違ってはいけない、目が曇っていても見えなくても、良くなるに博打を貼ることだ。そしてこれは博打ではなく、進むための秘訣だと思う。ダメ押しや項垂れる・うなだれる のはいけない。時間が過ぎ、結果は先へ持ち越され、無駄に過ぎた時間にはぺんぺん草も生えない、ということになる。ここはどうあがいても鉄則だ、と言う気がする。

 何も見えなくても、自分は戦・いくさ のなかにいて進展中であると思う必要がある。停滞の泥沼にはまってはいけない。つねに作戦は進行している。停滞中はバランスが取れているように錯覚するが、そうではない、作戦は進行し続け、押し流され続ける。停滞の甘い静寂に耳を貸してはいけない。僕はずっと押し流され続けてきた。時間は流れる、取り戻すことはできない。良くなる、良くしように張り続ける事。停滞の静寂は甘いが、常に牙を剝いている。その牙は自分に刺さる。


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 村田諒太選手の試合は見ていない。ニュースで覗いただけだ。試合前のNHKで、メンタルコーチについて、自分のメンタルを見つめ直している所を覗いた。きちんと見ないで終わった。

 今日、クローズアップ現代で、特集を見た。高校の時に相手の評判にビビッて負けたこと、北京オリンピックでも外国人の強さに・評判にビビってしまったこと。その、ぶつかってみないで自分の中の相手の像に、過大評価のレッテルを貼って、その像に・大きな像に足をすくませる自分がいる事。

 クローズアップ現代では、桜を見て、桜の花は試合なんかだと。華やかでぱった開いて、強いとか言える。幹が大事だと。幹が桜の花を咲かせて、幹が土台としてあり花を咲かせたりする元になる。今年咲かなくても、2年後に咲くことができるのは幹がしっかりしているから。練習なんかも幹の部分だと、言ったか言わなかったか。

 僕は村田選手は格好いいし、強そうだから、そういうところの人かなと思ったら、自分の芯のところを大事にする普通の人で、スターに祭り上げられて浮かれるタイプではないなと思った。堅実に自分の人生を歩む人なんだなと。

 村田選手は、相手の像の強さに足を竦ませ・すくませ、動けなくなるような、そんな自分の弱さを克服しようと戦った。相手に勝つ前に自分に対して勝つことを求めた。自分との戦いに勝つことを目標に据えた。


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 ここからはこの文章を打ち込んでいる僕のこと。
 パソコンを例にします。パソコン上級者は、パソコントラブルになった時、まずじっと考えている。うまくいかない部分の点検もすると思う。それからじっくり手を打っていく。
 僕は、パソコントラブルになったら、何とかすぐに脱しようと、場当たり的な手を矢継ぎ早に繰り出し、脚は浮足立ち、空回りを始める。パニック状態に近い。低級者のやることをやっている。

 でも、パソコンってうまくいっているときは何も学習しない。トラブル発生になって、パソコンが動かなくなって、その時その前に座る人間がどうするか、パソコンを動かす人間の力は、見せ場は、トラブルをいかにクリアするかその手を尽くしていく人間力が一番重要らしいとうすうす気づいた。

 英語の勉強って、ラジヲ英語を聞いて、ラジヲ番組を聞きながらわかった、で終わりではない。放送を聞いた中で大事な点を身につけられるよう、放送の終わった後にする復習の時間にすることが英語力を強くする大事な部分・人間力だと思う。

 
:::僕の人生が空っぽなのは、人間力がないからだと思う。本は読みっぱなし、勉強もやりっぱなし。みな、空疎な表面上滑り。僕が生まれてきて死ぬまでにやらなければいかないのは、人間力と言うのを少しでも身につけられるよう、わずかずつでもそれに近づけられるように、匍匐前進でもいいから・ほふくぜんしんでもいいから 進もうとすることだと思う。この壁は厚いし、僕はまだ何もやっていないし、成果もない。青写真を描いただけだ。でも、人間力を得ようとすることが、僕の人生の証・あかし になっていくと思う。
 前の着物の解体の作業所を辞めた時、僕には2つの選択肢があった。本やCDの発送の仕事、清掃の仕事。清掃の仕事を選び、うんこ取りをやっていることは僕の誇りだと思っている。よい選択をした。(床磨き・洗面台磨き・トイレ掃除(通称:うんこ取り))

 しかし、人間力がない僕はまだ人生が始まっていない。