NARMカウンセリング

NARMカウンセリング:2021/12/??( )

 僕が前かがみで縮こまっていた姿勢は(カイロで治して頂いた)、防衛で守ろうとする姿勢だと指摘された。

 僕は自分はダメだというのがあるけれど、

 受け止める ・いま:いいんだよ 今の姿勢
 (自我)  ・ダメだよ 成長できなかった
        子供のころの部分
       ・考えを超えた部分(ユング
         人の力を超えた高度な部分

 先生の話によると、ダメだというのは今の自分の自我で行っているのではなく(僕は大人の今の自我がダメだと自分に言っているのだと思っていた)、成長できなかった子供のころの部分が言っているということだった。これは目から鱗だった。全くもって新しいと感じた。
 そして、自我は考えを超えた部分・ユングというのもある、と言うのがユングを勉強された先生の意見らしかった。

 それで、大人の自我がダメだという子供の自我を面倒見てやる。コントロールしてやる。

 また、怒ったりして、この野郎となった時、 
助けてください(大人の自我をどこかに追いやり怒り心頭する時)、大いなる自分を信じて、人の力を超えた高度な部分に助けを求める、すると高度な部分が働いて不思議と解決される、ということだった。
 大いなる部分は創造できる力がある。母にがんが見つかって、神棚を復活させて祈ろうと思ったとき(まだ実現していない)、こういう考えは高度な部分から来ているとのことだった。

 前に僕がユングの本を図書館で借りて読んだとき、太陽の神がどうのこうのと訳が分からなくて難しかったと言うと、ユングは段階を踏んで読んでいく必要があるとのことだった。いきなり著作を読むのは無理らしかった。道理で読めなかった。借りた本は皆に読まれてボロボロだった。まだ読まれているのか、買い直したのか? 汚らしいと感じたし、壊れているとわかるボロさだった。コピーしたやつが多かったのかも(背表紙を開いて本にダメージをかなり与える)。


2022/01/??(  )

 この間書いたブログでコインランドリーに行った日01/03(Mon)は、僕の首が引っ込んだようになって、周りが白い目/好奇な目で見ていた。(介護士、居住者、掃除仲間)
 とても苦しく、僕だけが調子を落として浮いて、周りとの人間関係が壊れたと感じた。最近は辞めてもしょうがないかなと弱気にもなっている。
 掃除していて、周りが冷たく来て気持ちがめげそうになる時、最後の砦は、:::男として父に向かう、父に対して俺は男だという::: この姿勢しかない。これしか残されていない。01/03の日も、落ち込みそうになった時、膝立ちできたのはこのフレーズだった。

 この日以降、皆は僕に自滅することを期待されるようになった。皆のはけ口を期待されている。

 ぼくがこのことを、NARMカウンセリングの先生に言うと、突っ込まれたら(攻撃を含む)、僕が、「僕は皆のはけ口ではない」と言うべきだという。これはインパクトがあった。一回はけ口になるとずっとだかららしい。
 僕は、パン屋でスチール枠を投げられて頭を負傷した時があった。家で深夜放送を見ていて父に、平手を食らった(助平番組が見たかった)。これらもはけ口だった。だから立ち上がらなくてはならない。いつまでもはけ口に怯えるか、立ち上がるか。しかし、調子を落としている時は、首が引っ込んでいるので動きは悪いかもしれないし、攻撃もうまくできるかどうか。言い訳はいらない。僕も試される立場になりました。

 大島麻衣の写真集は、胸股間出しはないけれど、チラッという助平さは満点で、最初見た時よりは悪いものではなかった。助平心は満たされようというものだ。

 ザバス2袋、1キロくらいは、売ろうと思ったけれど、儲けは出ないだろうから、プレーンプロテインも飽きてきたので自分で消費するべく封を切った。久しぶりに飲んだら悪くない味で甘かった。朝飲むことにする。

::戻って::
 掃除仲間が冷たくなって(上司を含む)、僕はあんまりだと思ったけれど、いまはもともと上司は僕との関係性を変えたいと思っていて、今回の件を機に立場を変えたのかもしれない。施設の皆も、もともと僕に脆弱さを見ていたので乗じているのかもしれない、ということは、皆の本心が現れ結果で、皆の冷たさを気にする必要はない。僕は父問題に集中して解決することにに心血を注ぐべきだ、となった。まだ不安はあるが。