写真とゴチャゴチャ。

道端に、アスファルトに去年のものと思われるアジサイの枯れたのが落ちていて、心惹かれたので一枚撮らせて貰った。

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 メルカリで、写真集を出品して、まだ売れていないが、永遠の関根恵子写真集を買った。僕が高橋恵子と接点を持てるとしたら、舞台挨拶かメディアかくらいしかないだろう。あんなに美人で格好のいい人はそこらに転がっていない。その他大勢が手にできる永遠の関根恵子写真集を買った。ヌードは少なく服を着ているのが多いらしい。それでもほしかった。僕から見ると強者に見える高橋恵子だけれど、若いころからヌードをたくさん撮られて、あんな美人とは接点がない僕みたいなやつらに映画や写真で拝む機会を多くもらえるようにしてくれた。単なる集団の一人である僕にも美人の断片・写真集を買うという接点をくれている。スターはばら撒く側で、僕は大衆のそれを貰う側だ。スターになれるのは一握りで、選ばれた人、他の人と差異があって著しく優れたものを持つ人だ。

 大衆にバラ撒かれた写真集を買っても何も変わることはない。ただ単にスターの側に出金するだけだ。スターは大衆にサービスをしてくれる、それが高橋恵子のヌード写真。普通はあれだけの美人は脱がない。大衆に出金させるため脱いだ。いくら写真集を見ても何も変わらない。接点がないもの。スターと大衆の溝は大きい。高橋恵子を小さくして本にまとめた写真集を手に握りわかった気分になるのか。

 男たるもの美人でかわいい人を見たいと思う。接点があったらなあと妄想する。越えられない壁だ。マスに配られた服を着て、流行っている髪形にし、労働を提供し賃金を得、どこまでも叩かれる一般大衆の個人は、許される個人に与えられている妄想に耽る・ふけるだけなのか。個人的に作る創作行為は許されている。ここは活路だ。

**写真集を売って、高橋恵子の写真集の軍資金の一部にした。買ってもらった人には悪いが、僕にはつまらなかった。他の人がどう感じるかまではわからない。宮沢りえサンタフェは気持ちのいい写真集で気に入っている。

 家事活動の大事さを痛感している。ごみ溜めたる我が家だが、家事活動を毎日行えばきれいになる。僕は家事活動が必要だと思ってこなかったし、してこなかった、だから汚い。僕の中での家事活動のランクを上にあげれば、必要さ、大事さ、大切さを感じて毎日に組み込む。家事活動は不可欠だ。僕にも必要だ。


 自分で思い描き、実行する力が僕は弱い。実行力と呼ぶべきなのか。ADHDでの主要問題みたい。この辺をなんとかしないと、未来を切り開けないし、自信がないし、充実感がないと思う。(プライベート)