植物はなぜ動かないのか、稲垣栄洋⇒ 失業者にこそ読まれるべき本だ。ヒントをもらえる。

精神科のお医者様、スタッフに良くして頂いたのでお菓子を差し入れした。良くしてもらったおかげで、書類選考に進めた。まだ返事が来ない。あまり期待していない。僕の今の状態で、高齢者のいる施設の清掃が務まるかわからないから期待していない。

働いていないので時間をどう使うか問題になり、図書館で読書、ニトリで便座シート、ユニクロでハンカチを買うなどした。速く結果が欲しいが、世話になる選考に、早くしろと言うのは命令系統が違うので差し控えた。待つことにした。

・植物はなぜ動かないのか -弱くて強い植物のはなし 、稲垣栄洋(いながきひでひろ)、ちくまプリマ―新書、2016

 ちょっとだけ読んで投げ出していた。今日は、はじめにを読んで、この本の副題にあるように弱い植物は本当に弱いのか? 強いというのはマッチョだけを指すのか、もしかしたらけんかから逃げ出すのも強さじゃないのか? みたいな内容が書かれていた。

 前に読んだときは、第一章から読み始めて投げだしたので、興味のある第五章 生物にとって「強さ」とは何か? -弱くて強い植物のニッチ戦略
 を最初に読んだ。この章は西洋タンポポと日本タンポポを引き合いに出したりしていた。
 西洋タンポポは、軽くて小さい種子を広範囲に年がら年中飛ばし、主に都市の道端に活路を見出している、よく見かける。
 日本タンポポは日常ではよく見ないが、樹々の良く繁る田舎のところで春に咲く、重くて大きい種子は大きな芽を出す。春に咲き、夏は枯れ、冬に光合成をすることによって、春に芽を出す準備をしている。このことはエネルギーロスの少ないダメージの少ない戦略である。
 比較される西洋タンポポは日本の風土を知らないので、夏も芽を出すが、他の雑草との競争に敗れ枯れる。ダメージが大きい。
 この二つは違った戦略で成り立っている。よく見かけるから西洋タンポポのほうが強く成功しているようにみえるがそうではない。日本タンポポは見かけないが田舎で地位を築いている。
 
 ダンゴムシの競争を通して、ニッチ戦略をわかりやすく説明している。近い種類の二匹のダンゴムシを同じ水槽で飼うと、一方は駆逐されてしまう。しかし違う種類を飼うと、食べるものが違い、生息域も異なり棲み分けができ共存する。
 この例から話を広げ、生物は生息域をずらすという戦略で成り立っている。植物自体は、どの種類もナンバーワンであり、その生息活動域でオンリーワンな存在である。それは生息域が全部ずれているからすべてのナンバーワンが生息できる。ずらすがキーワード。
 そして、安定した平時の状態では、競争に強い植物が生き残るが、乾燥していたり、日光か少なかったり、または暑すぎる環境では弱い植物が活動している、生き残っている。それはニッチ戦略で、競争に強い植物のいる領域では生息できないから、ストレスに強い種が残る。ストレスとは水がない、日光が差さない、もしくは暑すぎるとか。
 攪乱型というのもある。環境が変化し過ぎる条件で活躍する植物。環境が変化するとは、多くの種類、種にチャンスを与える。安定した条件では競争に強いのだけが残ってしまうが、攪乱型のように、環境が目まぐるしく変わるところでは弱い種にも活躍、活路を見出すチャンが与えられる。


 作業所の例だと、ミシンを踏む、ミシンで何でも作るテーラーSGさんは手芸会社の花形で競争に強いタイプ。
 一方僕は、皆のやりたがらない、着物の解体、皿洗い、床拭き、トイレ掃除、掃除機かけで活躍した。着物に穴を開けるしナンバーワンではなかったが、棲み分けはできていた。
 作業所の根幹は、生産でき、売り上げに貢献できるものが生き残り、認められる。一方何も作らない着物の解体だけの僕は、低く見られ、疎まれ、隅に追いやられた。しかしだ。着物の解体は、ミシンで縫う人を支えている。僕は皆の評価で貶められるほど悪かったのか疑問だ。
 僕は僕で素晴らしかったのではないのか。あまりに僕が長く担ったから、僕のありがたみを感じなかったのではないのか。

 という、独特の見方もある。これも一つの正解ではないのか。テーラーSG氏がえらく、僕は劣っているという見方も一つだが、この僕を評価する見方もあってもよいのではないのか。なにも一つの見解だけが正しいとは限らない。少数意見であり、隅に追いやられる考え方かもしれないが。