「助けて」と言おう 奥田知志 (ぼくの途中までの理解


本:「助けて」と言おう 3.11後を生きる 奥田知志 TOMOセレクト

 絆・きずな を求めると、自分も傷つくことがある。その傷を避けるために、自己責任という言い逃れができた。自己責任という言葉を言うと、自分に災いが・わざわいが 降りかからない。

 自分の問題を進展させるために、助けてという、手がある。助けてはなかなか言えない。助けてと言えた日が助かった日だったと、会社を首になってホームレスになって行き倒れたおじさんは言った。倒れて、病院の人、NPOの人、役所の人、皆助けてくれた。

 自分の私利私欲のための絆ではなくて、他者の傷をも負う覚悟のある人が、助ける人であり、自分をも救う人なのかもしれない、と僕は理解した。


p55くらいまでしか読んでいない。 本の断片のような僕の理解を並べただけです。自己責任という言葉を使わず、他者に対して一歩踏み出すことが、救いへの道であり、もしかすると厄介への道だけれど、ひるまないで、他者にも自分にも責任を取る覚悟が道を作るのかもしれない。今の僕には厳しく、ひるみそうだ。

 昨日は調子が悪く、父の顔とペニスに向き合おうとした。今日は、女を抱きたい、と言いたい。というのと、父の顔に  僕は男だ、で向き合おうとしようとした。