社会性:母の新しい精神科病院・初診

追記:病院の初診が終わって施設に戻って、母が手洗いをして、付き添いの施設の方が母に僕に挨拶してくれみたいに言ったら、母が見たこともないような飛び切りの笑顔を見せた。にこっとした。

 これが何なのかわからなかった。病院では、母の車いすに敷くクッションを買ったらどうだという話になって・座り心地が悪いらしい、母が頑としてイラナイを貫いた。なぜか頑迷だった。3時のお茶にも参加していないらしい。食事は3食摂っているが。

 その母が、別れ際、施設の方に言われて笑顔を作った。これも社会性のなせる業なのか。母の頑迷さと両立しないように思え、んんっと思ってしまった。



・ 作業所の織りのほうは、失敗をしないようメモを読んでから取り掛かり、慎重に進めようとはしています。

 皿洗いを真剣にやらなかったから周りの反応が冷たいのかと思ったら、帰りの交通機関でわかったけれど自分の調子が悪かった。それで周りの人の冷たさがあったらしい。でも今回、織に集中して、ミスが出ないよう目を光らせて織り進めて充実していると言っていいと思う。ただの平織りで二本どり同じ糸の二本どりです。全く難易度はないけれど、きれいに織ろうと気を付けている。端の部分、緯糸の間隔、緯糸の並行性。




・ 母の新しい施設に行ってきた。精神科の病院でどんなに暗いのだろと思ったけれど、僕は建築がいいからなのか好きな建物だとは思った。暗い感じは受けなかった。待ち時間はがなくて、出かけてから帰ってくるまで3時間かかり、丸ごと午前中使った。
 この病院で見てもらうために施設の方にお世話になっていて、今日も付き添っていただいた。とてもありがたかった。どれだけ大変だったか僕にはわからないけれど初診は終わった。次回から僕は行かないで施設の方と行くのだろうと思う。送迎車に乗せていただいた。

 家に帰って、3時間くらい寝てしまった。今日は自分の時間何もしなかった。寝るのも大事だから休養に当てたになるのか。風邪にせいで疲れているのかもしれない。黄色い鼻水が出る、粘着性の汚いものだが、強力な風邪だった。のどちんこは痛いし、ぼっとしていたし、この間はつらかった。治りそうだったのに、のどちんこに居座られて、菌が去らずにまたぶり返したのか、風邪状態になっている。いい加減治ってくれ。




・ 待合室で思っていたのは、社会性という言葉、人間は社会的な生き物だという一面、どこの人だともわからない母を面倒みてくれ、精神科の病院に渡りをつけ、病院では受付し病院と接続していただいて、院長先生に診てもらう。こういう社会的な活動が行われている。

 僕は社会性という言葉と無縁で52歳になった。孤立感を抱き、どこにも所属していないと思ってきた。けれど、それは勘違いなのかもしれないとうすうす気づきつつある。人間は生まれてから死ぬまでずっと社会的な生き物だ。僕には社会性という面を感じたり見る目がなかっただけなのだと思う。この社会性という言葉を大事にできたらなあ、育てたいと思う。社会性という部分を、自分の社会性を使っていけるようになりたい。
 作業所の一員として、市民として、日本国民として、そこまでできるかわからないけれど、大事なフィルターとして社会性という言葉はあると思う。男と女というのも、社会性の中の言葉なのだろう。僕は孤立した男女の関係性という目しかなかったけれど、社会性のある男女の関係性として男も女も存在しているのだと思う。