2016年10月14日(金)
作業所の織りが完成しました。根性と思い織った時もあったので、完成してしみじみと感じました。
けれど、帰りの交通機関への歩きで、唾を吐きたくなった。(混ぜっ返したくなった)
僕は20歳まで王様で過ごしたので(成長していなかった。二十歳で一人暮らしを始めた。)、王様でいられないことに不満なのかもしれません。自分の負担になり、大変で、手を煩わせることが逃げ出したい気分なのかもしれません。
もしくは先生に習った自分のいい所、よかったことを認める力がないため、全部嫌な事として変換して受けとめているのかもしれません。
織りができる喜びではなく、面倒だ、やりたくない、大変だった、逃げ出したかったで塗りつぶしているのかもしれません。全部嫌なことに変換している。
父の影響で優秀でなければならないという呪縛を受けていますが、優秀でない自分に、平凡な自分に、よいところを見つけられず、否定の言葉で塗りつぶしているのかもしれません。
ネガティブな感じ方と、ポジティブな見方をどうすれば導入できるのでしょう。こういうことがカウンセリングの課題なのでしょうか。
( 良かったことは、 )
・完成したこと。
・織りの体験ができたこと。
・自分にも最後までできる力がある。(粘り強い・根性と思った)
・途中失敗したけれど、別の失敗で何度もやり直してよくしようと粘って結局失敗だったけれどチャレンジした。
・織りの先生のおぜん立てだったけれど、よいものができた。
・織りの先生の指導についていけた。
・物がつくれた。(毛糸づくり、織り機作りはしていないが)
・感謝はできた。
・できたものを見てすごいなあと思った。
こういうことがわかっていて感じているにもかかわらず、ネガティブで塗りつぶしてしまおうとするところがある。これはある意味背徳のように思える。