いつものごとく、「情けない男性」

 ターリロを買ったけれど、少し見た。主人公は娘に惚れて、入れあげてしまっていた。この母親・娘・主人公の三角関係は、僕のこの作業所に来た当初に似ている。


 僕は作業所で、美人の人がいいなあと思った。けれど、話すことさえ拒まれたと僕は感じた。マフラー女性にだんだん接近していった。けれど、僕は、最初から美人の人が好きだったから、マフラー女性とは接近しなかった。


 今、マフラー女性は唯一無二の人と付き合っている。僕はまた美人の人がいいなあと思っている。けれど僕は全く相手にされていない。たぶん僕は病気だから気持ち悪いだろうと思う。精神の正常な人にとっては。ずっと健康で来た人には。

 僕は屈折して作業所で過ごしてきた。今も屈折しているけれど、病気がよくなれば、屈折はしなくなると思う。


 でも、その前に限界も感じる。僕は変なのか。本当にそうなのか。








 父に話しかけられると腹が立つ。父を正統に受け継ぎ、病気も正当に受け継ぐ僕は、父という存在が受け入れられない。作業所に通うので手一杯だ。ギリギリ持たせている気もする。



2015/06/16(Tue)


「 僕の病気 」


・ 今日作業所は4人休んだ。いつも狭い部屋にぎっしりで顔を突き合わせていたけれど、今日はスカスカで楽だった。


 作業の終わりころ、僕はスタッフを攻撃したく排除したく思って、僕の側が厭厭という雰囲気を持った。


 この僕の側の心変わりは、僕に対して圧力がかからなかったので、矛先(ほこさき)をスタッフに向けたもの。


 作業所が混んでいていつもは、やさしい2人の人達に僕は厭厭をしていた。排除したいみたいな。


 この2つのどちらも僕の側の病気だと思った。アドラー心理学の「嫌われる勇気」のように、僕は人間関係を避けている。逃げている。その逃げを正当化するためにスタッフを2人を排除したく思った。僕は人間関係のストレスというか関係性を持たないよう関わらないようやっている。いつも人間から逃げている。


 人間から逃げる関係性しか持てないから、僕は抑圧したのだと思う。人間の中で人間から逃げようとした。人間から逃れようとするから性を僕個人が抑圧した。僕が逃げ腰で弱くて、背を向けているから病気になっている。病気につけこまれている。だから、交通機関で咳をされたくらいで影響される。人から逃げる弱腰、人間関係を避ける気持ちがある。




・ 僕は自分のプライドを守っているのか? 自分の場所をかわいいわが子を扱うように無菌の安全地帯にしたいから逃げているのか? 僕も彼らと同じろくでもないただのウスノロだよ。そこを見ないで、高みに立とうとしているのか?

 僕は人の中にいると苦しい、自分を偽っているから。その苦しさから、スタッフを2人を排斥したい。僕にはどんな偽りがあるんだ? 男ではない。男だと主張できない。抑圧しているから。強い男ではない。弱い男。これなら主張できるか?


・ 性を付けて、弱い男性。情けない男性。

 今はこれくらいしか思いつかない。