僕はOKだ。)(父母が僕に残したネガティブに対する戦い。

追記:
映画:beautiful mind

 カウンセリングの先生の推薦の映画、beautiful mind  を見ている。奥さんの旦那である主人公に対する愛である行動は見ていてせつなくなる。いい人と結婚したんだなあと思った。まだ途中だけれど、僕にとっては統合失調症を題材としている良い映画だった。アマゾンのレビューでつまらないと言った人たちは、精神疾患に対する理解がないのだろうと思った。僕は当事者なので映画で繰り広げられる意味を切なく見ていた。僕にとっては見てみて良い映画で残りに対する興味も持つ。アカデミー映画だからか外れではなかった。




・ カウンセリングの先生に英語を見てもらえるので、Active Phonicsの本を11ページまでやっていくことを約束した。アルファベットを発音読みする教材です。その発音読みを表現する言葉に、日本語表現に、優れたところがあります。そこは認めます。

 交通機関で本を開いて、口だけ開いて練習したりしてきた。一週間の内で試行錯誤したということです。取り組んだと言うべきか。まあまあ楽しんだ。教材の本を交通機関で広げるのは、レベルが低いので恥ずかしかったが、わざと恥ずかしいことをやるのを僕は良しとしているし、敢えてやるようにしてきている。だから恥ずかしいの大歓迎だった。わりとバカにする人はいなかった。不思議なことに。

・ Danshinglishという、英文を覚えるのに、身振り手振りでやるのもある。このDVDを持っていたが、最初からノリノリで僕には無理だった。でも今回、CD付きカードの本を買って見たら、手順が載っていた。これに沿ってやればいいのだった。いきなりDVDに合わせるのではなくて。

 この、active phonicsの勉強をやってみて、僕はOKだと言うのが前提にあると思う。僕は今まで、僕はOKだとならないで、僕はダメだと言って勉強してきた。だから苦しかった。自己否定と同居してきたから。
 これが、僕はOKだといいつつやるというのは、勉強の基本だと思う。自分をいちいち否定して勉強などできるわけがない。良く僕は今までやってこれたなあ。すごいハンディだったと思うよ、我ながら。
 もちろんこれには両親に否定されたり、過干渉されてきたというのがある。


・今日の作業所と、交通機関は最低だった。僕の調子が悪すぎた。防衛するのに多大のエネルギーの犠牲を払った。振り返ると、自分の調子の悪さに憎たらしささえ覚えるよ。



・ 僕は、物の見方に、「どうせ」というのがある。どうせ僕はダメなんだ。どうせみんなは良くても僕はダメとか。これもデビッド・D・バーンズ先生の本に、いいアドヴァイスがあると思う。まだ探していないが。これも、僕はOKだと言えればだいぶ違ってくると思う。

 僕の今までの作業所でのやり方は、失敗したら大変だ、と小さくなってやってきた。僕はダメだと。

 それが最近は、チューリップ組(作業所のことを仮称している)の一員として、ぼくがチューリップ組の着物解体係だ、と心の中で言ってやったりした。そして、母イメージに、「僕はOKだ」と言ってやったりした。

 まるっきり昔と反対方向のベクトルのことをしている。すごく進歩していると思う。これは父母が僕に残した置き土産に対する徹底的な戦争だ。奴らに負けるわけにはいかない。この烙印に徹底的に戦わなければならない。


追記:
・ 音楽を聞く時に、これはマスに向かって歌われた歌だ。僕に対してではない。と聞いてきた。でも、音楽は、自分と言う個人に向けて歌われた歌で、これは僕に対して歌われた歌だ、と思って聞いた方が健全ではないのか。
 これも同じように、僕は自分を否定してきたから。歌を僕以外のために歌われた歌だと聞いてきたのだと思う。
 僕はOKだ、と思えれば、僕に対する音楽だと、向き合い方も変わると思う。僕と言う個人に向けて歌われた歌だと。コンサートの醍醐味もそんなところにあるのかもね。カウンセリングの先生にそこのところを聞いてみたい。