カウンセリング 2017/02/15(Wed) 母を正しい見方で評価する責任がある

2017年2月15日(水)



 「去勢」ということで捏造したものを書きましたが、カウンセラーの先生にそれは違う方向だと教えてもらいました。



 「去勢」の中で、僕は男になり切れないと書きましたが、それは母子関係が原因だという臭わせかたでした。その辺を突き詰めてもらいました。

母の前で男になれない。母に僕の決定権が移っているというか、母に僕がモノを買った時「そんなに本を買って」、出歩いていることを「フラフラして」みたいに言われる。僕は自分の行動や決定に自信を持っていいはずなのに、グラグラしている。そんなに母の言うことを気にする必要はないのに、否定的なニュアンスを気にする。




 ここのところでカウンセラーの先生に母が僕を否定的に言うのは、僕を否定するためではない、僕は母の否定を気にするけれど、それは母の心の持ちようだからだ。

僕が気にする仕方の問題を指摘される。


 母は、父と僕の○○家に嫁いできたが、待ち合わせの時に、母が来る前に帰られ、三越の前で3時間近くも待って、父の家族の家に行ってみると「待っていたの」と、自分たちの責任をまったく持たないで、母を軽くあしらってしまうというひどさを見せつけた。

母が結婚して父の家族に会った時からあまりいい印象を持たなかったみたいだ。それはずっと今まで続いている。



 父は全く僕の育児に関わらなかったみたいだし、家族の果たすべきことは何もしてこなかったと思う。母がすべて行ってきた。料理、育児、家の管理、全部母が担ってきた。父の職場の書類の処分を3日くらいかけて母が行ったこともあったらしい。





 カウンセラーの先生は、よく母がブチ切れなかったと言っている。

 離婚しなかったのはなぜか。それは母が父と僕に愛情をかけてきたからだと。でも心の安定のため、父と僕には線を引いて、○○家の僕らには関わらないようにすることで心の安定を図ってきたのだと言われた。この辺のことはだいぶ前のカウンセリングを受けたときに、教えてもらって気づきだした。

 僕もなぜ母が離婚しなかったのかは、見返りもなしに支えてくれたのかは、母の愛情以外にないとは思う。僕らに冷たいのは、母のこの家に嫁いだ時からの防衛によるらしいとカウンセラーの先生に教えてもらった。カウンセラーの先生は、まるでドラマのような生活だねと、母の奮闘ぶりを讃(たた)えていた。


 だから、母が僕に冷たいのは、母の気持ちの平和のためで僕らには愛を注いでくれたと言われた。

だから、僕が母の冷たさを気にしたり、僕の言うことは聞かないと気に病んだりする必要はないと。母は精一杯僕達に気持ちを注いでくれていると。


 カウンセリングの最後に、母にどう言いたいか、だったか、母をどう思うか、と聞かれ、母は僕らに目をかけてくれても、何も僕らはしていない。労い(ねぎらい)の言葉があってもよかったのではないか、みたいに言うと、そうだね、みたいにカウンセラーの先生もぴったりくる言葉だと思ったらしかった。





 僕は母の冷たさを気にして、自信をもてなかったり、男なんとか、を持ち出すけれど、母の心の平衡のための態度であって、僕らがどうのこうのではない、父方の家族の冷たさから身を守るためだと指摘され、母の労力に僕らはもっと感謝を持っていい、母という存在の愛に気づくべきだ、みたいなことを僕自身がはっきり持つことを先生に勧められた、まとめておくことをするべきだ、みたいに導かれた。母の苦労に先生は共感されていた。




 僕と父は、母に対して正当な評価と感謝を持っていないことは、母を蔑ろ(ないがしろ)にすることだと気づくべきなのだろう。この辺のことは掘り下げて、母をきちんと評価するようにもっていくのが務めだと思う。このままだとあんまりだろうと先生に諭(さと)された気がする。僕はあまり見てこなかった。母の人生を評価するのは家族以外にはないかもしれない。