Erosという手綱

 追記:
 
 今日は皿洗いを作業所でやったけれど、きれいに拭く布きんを洗い桶に落とす失敗をした。でも、洗剤をつけて水洗いし、リカバリーした。失敗してもやり直せばいい。取り戻せばいい。いい機会をもらった。

 汚れの落ちない皿は、もう一人の皿洗いの人に聞いて、その前にブリーチにつけたけれど短すぎて失敗だった、またブリーチ、キャップ1/2に15分位浸けたらきれいに落ちた。これも面白い機会だった。

 作業所の中で、別の動作をやるいい機会をもらっている。だんだんおざなりになりそうだけれど、何とかやることに集中してフレッシュでいたいなあ。







2016年10月31日(月)

風街ろまん、はっぴいえんど を聞きながら

「 僕の名は助平Eros爺 」

 今日作業所でやっていて、着物ほどきを。 
 転回した。


 助平な感じが出てきて、僕が作業所の美人女性に話しかけないのは(心が美しい人、容姿はダサい、歳も僕と同じおばさん年齢。心が美しいので僕にとっては美人)、ぼくがErosに未練があるから。

 その女性はセクシャルではない。僕は自分のことは棚に上げて、女性にその面で未練がある。そこが割り切れない。僕は、助平Eros爺だから、手も足も出ない。僕は格好悪く、ダサく、醜いEros爺なんだ。このことは核で、外せず、この部分から目を外せない核心だ。

 この部分をどうしたらいいのかわからない。わからないけれど重要で、何が何でも欲しくて、のどから手が出るほどこだわりがある。単なる爺のたわごとなんだ。老醜を晒しています。でも、目をつぶれない。めをひらいてこの部分をどうにかしたい。ごまかせない僕の本体だ。どんなに変でも揺るがせにできない。この部分を大切にしないと僕はうそつきだ。

 その女性が気になるのは、母を見ているからか? よくわからない。

 僕はよくわからないけれど、Erosという手綱をギュッと握っていたい。