痴漢になりたくはない。白い目で見られるし。

先生、よろしくお願いします。

・ 帰りの地下鉄が込んでいてギュウギュウでした。隣の女性の尻が僕の方を向いていて、少し当たりました。その女性は避ければ、もうちょっと角度を変えればいいのにそのままでした。僕は心地よかったので、もっと触りたいなあと思いましたが、思い浮かびました。それをすると痴漢になりそうです。それで手を上にあげて触れないようにしました。僕の側はちょっとの身動きも利・き かなかったので、それが精一杯でした。
 あれが何だったのかわからないけれど、罪作りな女でした。バカヤローともいいたい。

・ 先生に勧めて頂いたitという本ですが、これが3冊の分冊になっていて、一番最後のを買いました。今は途中から読んでも大丈夫なように、itの頃、というタイトルを読んでいます(一番最初のところ)。
 この方、デイブは、母に虐待されても、対母 戦略を立て、何とか生き延びようと日々しのぎを削ってきた。最後には死んでもいいと思われたようですが、最後の最後まで母に対して取り組み、出し抜こうと闘い続ける勇者のようでした。
 この生き延びるという感覚が僕にも共通すると思い、場面は陰気でも、デイブに共感して読めています。暗い本なのにちっちも暗くない。とても気持ちの良い本です。(まださわり程度しか読んでいませんが)。
 興味はあったけれど読んでこなかった。
先生に勧めて頂いていい機会になりました。この人は打ちひしがれる状況でも、そのままでは終わらず、最後には幸せを勝ち取ったというところが、デイブのすごいところです。(目次を読んだ) 明るく気持ちの良い人なのだろうと想像しています。

 
・ 施設では、水曜日に:調子が良かった、介護士に影でオカマと言われて笑われてるようなので、そいつに対して大きな音をたてたりして:モップ絞りの時、反抗した。割とこの日は介護士みんなに反抗した。
 いつもやられっぱなしで委縮してきたので、ザマーミロというところです。もう小さくなっているのはこりごりだとも思った。これからは反抗してやると。
 調子が悪くなったらまた、叩かれるだろうけれど、今はこれでいいと思った。たまには対等にやりたい。あと、清掃の  さん もうるさい人だけれど、先輩なのでこれからも少しは顔を立ててあげようと思う。あんまりなことをされたら、反抗するけれど。



自分史:ドミノ牌・ぱい

 A型の一番最初の作業所、   で(   屋さんで、奥さんが手芸の作業所を立ち上げていた、そこに通っていました。)  さんと言う男がいました。とても頭の良い、     の重い人でした。
 その人が、ドミノ牌を持ってきて、みんなでドミノをしました。  さん以外は皆ドミノは初めてだったと思います。僕はそんな牌を見たことも聞いたこともありませんでした。
 そのゲームは、頭のいい、記憶力のいい人が強いという法則がありました。(いつも  さんが勝っていた)
 僕はこのゲームが単純で、和気あいあいとできる良さがあるのを知り、牌を購入し家庭でやることにしました。もうルールは忘れましたが、単純です。
 母はすぐ覚えましたが、父は認知症と体の動きが悪いのが大きくなってきていたので、何とかくっついてやるという状態です。
 昔は父に負け将棋をやらされましたが(父は勝つ自信があるから僕とやろうとした)、この時の父は、ゲームをやる一杯いっぱいでした。それでもやってみると、7回の内、一回くらい父が勝ったりして、父はなぜか参加することに満足げでした。この時の父は丸かった。囲碁を覚えるというのも家族でやりましたが、父は自分で頭がいいと思い込んでいたし、実際ルールとか好きな人でしたので、囲碁のさわりはついてこれました。それでも父は楽しそうに見えた。
 このドミノというゲームが、家族で取り組んだ最後のゲーム(囲碁のさわりも)でした。家族で楽しめたのは良かったです。僕はあの時の父の雰囲気が今でも好きです。なぜ、父がああだったのかわからないけれど。ゲームに勝てなくても腐っていなかった、わりと積極的だった。