箱のなか、自己欺瞞

2014/9/8(Mon)


・ 作業所のスタッフからメールをもらい返事を書いたけれど、箱の中に入っていた。僕がどういう気分でかいたか怪しいところがある。


・ 今日作業所で、年配の女性から、ハンガー布巻きのうまい方法はないかと心をひらいて聞かれた。けれど僕は箱の中に入っていて、左右対称にやればいいじゃないのみたいなことを言った。この僕の喋り方のニュアンスが、年配の女性のハンガーを見て、問題だと思って、そういうガラスの外から見たみたいな部外者的な言い方だった。


・ ブログのコメントを書いたけれど、それも、アクセスを気にして、また見に来てくれないかなと、その方のブログへの熱心さではなく、邪道な考えから書いた。箱の中に入っていた。




・<実践>自分の小さな「箱」から脱出する方法、アービンジャー・インスティチュート・ジャパン、大和書房、2008


 この本を読んでいる。今日から。

 僕は人を人として見ていない。人を物としてみている。(P31)


 P28
~ ~他の人をあるがままに、自分と同じ人間、同じようなニーズや望みを持った人間として、まっ
P29 
すぐに見ていた。つまり、箱の外にいたわけだ。



 僕は人を人として見たことがない。人を物として見、厄介だと感じ、関わりたくないと思ってきた。

 僕は家族の中で、人として扱われてきたとはいえない面はある。食事は与えられた。欲しいものは我慢した。微々たる金は、小遣いとしてもらった。僕の欲求という目では見てもらえなかった。我慢を強いられた。映画も外出も我慢した。許可されなかった。


p39(僕の要約)
 自分の心の正義を無視して、やらなかったりして、自分を裏切る。その間違いを正当化する。

そして本にあるように、「間違いが正しいような世界」が見えてくる。


引用者:この言葉は強烈だった。僕は信号無視を繰り返してきたけれど、もうやめようと思う。自分の心を無視し、正義をないがしろにし、不正を行い、正当化する。最低だ。それが僕だ。25歳くらいにやった、犯罪も、そのパターンだった。調子が悪いからと言い訳し、不正を働いた。間違いを、不正を正当化しようとした。

 僕はこの本にだいぶ影響を受けている。<続>のつかない、本のタイトルの方は、物語形式で、話しながら、どういう世界かを提示した、買わなくてもいい本だと思う。僕は買ってしまった。読んだので、全体の流れはわかった。


・ シャツの生地を、カナリヤで買ってきた。次に縫うやつ。