2014/6/28(Sat)
昨日作業所で面談があり、シャツを作ると他の作業所から来ているスタッフに言った。僕の直属のスタッフにも話したらしく、来ているスタッフがシャツを作るって驚いていたよと言った。
直属のスタッフも、シャツを作るってすごいねと言われた。僕は型紙を使うし、前に失敗していると返した。
家に帰って、帰る途中のカナリヤで生地を買ったと母に言ったら、なんでそんな面倒なことをするの、やらなくてもいいことをみたいなニュアンスの受け取り方だった。
作業所のスタッフと母との僕への対応には相当な開きがある。僕は父母に囲まれ、父母の否定的な態度の中で育ってきた。だからか自信がない。けれど作業所の人たちは、もっと肯定的で建設的な応答をしてくれた。僕はこの体験で作業所のスタッフと父母の応対にはっきりと違いがあることに気が付いた。僕がいじけるのにも理由があるのではないのか。父母は僕に必ず否定的な応対をする。これは元凶だ。もっと肯定的に扱われていたら僕は自信を持っていたのではないのか。
僕は父母の感覚は信用しないことにした。まともな反応の人を採用したい。父母の応対にはワンクッション置いて、ああまた否定しているな、くらいの受け取り方をしたい。僕は父母の応対によって、力を殺(そ)がれていたのかもしれない。僕は自分の活動をもっと前向きに高評価できるように、別の視点が必要なのかもしれない。そのためには、父母以外の人達の反応がもっと必要だ。
わかったのは、父母の僕に対する反応はおかしいらしい。自分を高評価するために、自分に対する別の視点が必要らしい。他者との交流は、別の視点を提供してくれる。僕がいじけるのには、父母の否定的な視点が影響しているのではないかと断言していいと思う。僕にはエンパワーメントが必要だ。それに手芸は役立つと思う。読書も。
図書館で30分読書した。遠野物語、100de名著、読み終わった。おもしろかった。遠野物語という柳田国男のテキストに、石井正己さんは解釈を加え新たな理解を加え、別の視点を提供している。何を引き出すかがおもしろい。そこの裁量はデタラメはいけないのだろうけれど、自分に裁量があると思う。この辺ができるようになればワクワクすると思う。