05 雑記

10 5 Thu

・ 作業所は、裂き織りが終わった。80センチ出来上がりを82センチ織った。最初の2センチのとこに、失敗があり、(経糸・たていとをきちんと緯糸・よこいとに通すのを飛ばしていた。間抜けた出来になっていた。)工作したが失敗とすぐ分かり隠せなかったので申告した。ギリギリセーフでミスとならなかった。その部分を縫う人に・テーラーSG氏に、カットしてもらう。何とか切り抜けた。

 今日も出来上がりに、スタッフに褒めてもらった。僕は失敗ばかりして、褒めてもらうのは初めてだ。いつも睨まれて作業してきたので、ありがたかった。

 ボスの布選び、先生の織りの指導、ボスのエンジ色を少なくするという指定の下でうまくいった。

 今度もストールを織ることになった。すぐに仕事が回された。ちょっときついけれどそういうことになった。糸は、どうでもいいような、僕にとっては変な糸だった。キャメル経糸、キャメルと黒の縞になった緯糸になる予定。明日先生の指導が入り決定される。

 今日はボスもスタッフも機嫌が良かった。僕にとっては珍しいことだ。



・ある貴婦人の肖像、ニコールキッドマン、ジェーン・カンピオン監督 を1時間昨日見た。

 カラーパープルのような女性の成長かなと思ったけれど、キッドマンなので、大人の戦争人間関係みたいなのらしかった。息詰まる進行がなされている。不穏な空気が流れ、よい映画なのかわからない。直感でこのDVDを見ることにした、選んだ。



・親の老いの本を何冊か注文した。

1..優しくしたいのにできない―親の「老い」と上手につきあう知恵と工夫

2...親の「 老い 」を受け入れる ~下町医師とつどい場おばはんが教える、認知症の親をよくする介護~

3....介護のススメ!: 希望と創造の老人ケア入門 (ちくまプリマー新書)



交通機関では、ボディワーク入門 ロルフィングに親しむ103のテクニック、小川隆之・斎藤瑞穂、朱鷺書房

を読んでいる。あまりに真面目な本で、教科書のようだ。

 
・トラウマをヨーガで克服する

 を昨日寝転がって読んだ。だいぶ進んだ。最初のほうの、トラウマの医学的な説明はよくわからなかったけれど、そういうものかと思った。暴露法から最近ではボトムアップの身体の感覚を、自分の身体と仲良くしトラウマの自分の身体を戦場にしてしまう自己疎外に対抗する方法へ移り変わってきたらしい。

 公園でのゆっくり歩くは僕が自己疎外と戦うのにすごく役立っているのかもしれない。
カウンセリングの先生の、僕の心の骸骨男とのコミュニケーションが今になって効いてきたのかも。EMDRはもちろん効果があると思っている。

 自分の身体と仲良くなりつつあるのか、他の人を愛そうとか、そういうのを通して自分を愛そうとか、
作業所のみんなについていこう。みんながいるから付いていけるとか、そういう流れは、最近の僕が変わりつつあるのを感じる。他の人や自分に対してオープンになりつつあると思う。

 カウンセリングの先生に性のことについて話題を取り上げてもらって、そのこともすごく大事だと思っている。僕は少しずつ自分の身体が安全になってきているのかもしれない。すごくありがたい。

10-05 (Tue)

追記
 ひよっこ、の安部米店の娘、みつおの恋人になる 伊藤沙莉 が好きだった。お笑い路線を超えるくらい面白く、キャラクターに惹かれ、配信のトランジットガールズもみたいと思った。





 午前中は割と作業所で動けていたと思う。

 皿洗い中に調子が悪くなり、ノロノロになった。

 作業を始めても、皆についていこう、皆を目標に頑張ろうで乗り切ろうとした。帰りたい気持ちも出ていたけれど、やる気はあった。それで何とかついて行った。

 テーラーSGさんの目には、僕はやる気なしに映ったらしく、あいつダメだとスタッフに言ったみたいだった。それはテーラー氏には当然の行動だったろう。テーラー氏は、いつも全力で、皆の先頭を走っているから。

 僕は走ろうとする必要はあった。


 収穫は、皆についていこうとしたこと。集団のみんなを目標にしようとしたこと。一人で走ろうというより、皆を目標にしたこと。だったら、皆を目標に走ればいいのかもしれない。言葉尻のうわ言か。まだ現実味がない言葉だけれど。だから、全く駄目だったともいえない。


ホロヴィッツ 1966年カーネギー・ホール・コンサート 2枚組、ヤフオク! 中古黄色くなったの格安で購入

 2枚目:1:スクリャービン ピアノソナタ第10番作品70

 この曲はすごかった。2枚目の3曲しか聞いていないけれど、ピアノが叫び吠え、かき鳴らす 抽象的で キチガイに通じる狂気のような演奏で迫力があった。聴衆の拍手もすごかった。痺れた。

 オーベルマンの谷、というのもすごいらしい。アマゾンレビューに書かれていた。

youtu.be


・裂き織りで: ミスも2日前にあったけれど、今やっているところは、いいと感じるよと言われたりしていい気になった。でも、僕はへたくそで、素人というのは変わらないので、いい気になるのを取り消した。

 ボスにエンジの着物を裂いた緯糸(よこいと)を何本も渡さないで1本くらいにするようにと言われた事と、先生に一回の横糸を2回渡すくらい巻くと良いと杼(ひ)に巻き取る方法をアドヴァイスされた(実際は、一色3列くらい)のが、成功につながったらしい。

肌色・茶色、
青・縞、
エンジ、
灰色、
青だけれど灰色に近い、

の緯糸(着物)を使用している。色の選択は、直感を頼りに行っている。これしか芸風がない。苦肉の策。

菊川多賀(画家) 写真掲載/ ×10-02 Mon/01/他者を愛する・

〇菊川多賀:菊川多賀展 生命の群像、北海道立近代美術館、1987
(日本の古本屋で入手可能)


 37 ひとつの記録(菊川多賀)、昭和52年(1977) 180.5×281.0 第62回院展東京大空襲の様子を描いたらしい

菊川多賀 ひとつの記録



 52 道標(菊川多賀) 昭和59年(1984) 180.5×187.0 第69回院展:上の絵がモノクロで掲載されていたので、カラーのものも載せてみた。本当は上の絵のカラー刷りが見たかった。

菊川多賀 道標


他の人のブログで、僕のよりいい写真もあった。

guthries.exblog.jp



10/02 Mon

 今日は調子が悪いという口実の(自分内)楽園に逃げ込み、ノロノロやった。皆の不興を買ったと思う。スタッフもまたかとおもわれたろう。

 作業所の一員としての自覚がなく、周りに甘え、依存しているのかもしれない。自分が集団内の一人をやり、その一人を責任を持って任されている、その気持ちがないからか。

 見るべきところのない、迷惑をかけただけの一日だった。



10/1 Sun

 裂き織りは見るべきところなく、全くのどん底だった。失敗フォロー小細工もしてみた。地べたを這いずり回った。

 掃除機、箸洗い、ゴミ捨てはその分頑張ったつもりだったが、どうだったのか。
 
 直虎、虎松の日の本一の草履番はよかったな。そうこなくっちゃ。一番低いところから、工夫と努力で登っていくのだろうなと想像した。

 自分の抑圧を愛することは、他者を愛することにもつながるかもね。妄想かもしれないけれど。自分のいろいろな部分、自分の中の他者を嫌っちゃだめなんだろう。まだ他者を嫌うところがたくさんある。精進しなくっちゃ。




「ワラジムシ君の友達なんだよ」


 ワラジムシと戯れていたら、鳥さんが頭をコツンコツンと叩いた。痛いなあと言ったら、気のせいだろうという。お前が叩いて痛いのだから、気のせいなんかじゃないと言ったら、文句を言うなと鳥の野郎に説教を噛まされた。あの鳥野郎と悪態をついたら、空まで飛んで来いよという。

 それで羽ばたいてみたら、宙に浮くんだな、これが。バタバタ羽ばたいて、鳥の頭を拳でこっぴどく叩いてやったよ。この石頭、お前の頭は硬いなあと言ってやったんだ。空の上からワラジムシに手を振ったら、ワラジムシ君、笑っていたよ。僕も微笑み返したんだ。僕とワラジムシ君は友達なんだ。君と一緒に空を飛びたいな。ワラジムシ君も空においでよ、と呼びかけても、笑って足を振っていたよ。イヤいいんだと。

 空の太陽は暑く僕の羽を焼き、首に日焼けができた。どんどん羽ばたいて太陽に向かっていこう。どこまでも羽ばたいて、身体が焦げるまで太陽に向かっていくんだ。熱く暑く、こんがり丸焼きになるまで飛んでいこう。僕の丸焼きは、ワラジムシ君の胃袋を満たすだろう。ああ、僕は焦げて丸焼きだ。おいしい、肉の塊さ。ああ、僕は焦げていく、落ちていく、消えていく、どこへ行くのか、わからない。ぼくは消えてなくなる。ワラジムシ君、君は僕の親友だったよ。忘れないよ。ああ、友よ! 僕を覚えておいておくれ。僕の味を、僕の旨さを。忘れないでおくれ。君が覚えていてくれれば、それでいいんだ。君は友達さ。

(解説:たぶん性欲だろう。太陽に向かっていくのだから)






平成29年9月30日 土曜日

〇(自分の中の他者を愛することは、自分を愛すること)

 作業所で、女性のことを嫌だなと思った。伝わったと思う。傷ついて僕を嫌ったかもしれない。当然だけれど。



 僕は、自分の中のその女性を否定していた。それは、自分の中のその女性という部分を否定する、自分を否定する行為だ。他者を否定しているようで、自分を嫌っている。

 僕は、自分の中の他者を好いたほうがいい、好きになろうとしたほうがいい、と思いついていた。


 けれど、このことを考えながら地元を歩いていて、他者というのは、僕の考える架空の他者ではなく、利害関係のある他者を愛することではないのかなと思った。




 詳しく利害関係のある他者を言うと、僕を嫌いな人、僕を攻撃したいなあと思う人、作業所の人、親、歩く・交通機関で僕と触れ合う人、そういう、好き嫌い憎しみなどを伴う、直接の関係者を愛そうとすることが、自分を愛することにつながると思う。利害関係があるから難しいけれど、それができないと、僕は自分で自分をスポイルし続けることになると思う。

 他者を愛せないのは、自分を愛せないことにつながると思う。





・作業所の裂き織り、もたもたしながらもセッティングを終え織り始めた。格好良くなく、ボロッちかった。





 今朝の公園でのゆっくり歩くは、お腹に違和感があり、それを愛そうとした。そこから他者を愛するというのも生まれた。お腹の違和感は異物だ。排除したい。でも、自分のものだから愛するしかない。逃げることも誤魔化すこともできない、徹底的に向き合おうとするしか解決策はない。逃げることは滅ぶことだ。

 作業所で、ちょっと違うなと思い、自分の頭をペニスだと言おうとした。そしてちょっと違うと思い、お腹の異物をペニスだと思おうとした。そうすることで解決しようとした。どちらも成功せず。

 お腹の異物をペニスと思い愛そうとする手しか思い浮かばない。抑圧に対しては。

9/30 Sat

平成29年9月29日 金曜日


 作業所の今日の昼飯当番の女性が配膳で味噌汁をこぼした。皆に当たらなくなった。その方は仕事のできる人で皆に信頼されている。テーラーSG氏も積極的に許していた。僕は少しなんだあ、となった。


 それは僕にその女性の失敗を抱きしめる余裕がなかったためだと思った。周りの僕に対する否定も弾き返したいと思っていた。ちょっと思って、それは僕に対する周りの否定も、周りの攻撃も、その女性の失敗も僕に抱きしめる気持ちがないからだと思った。繰り返しているけれど、僕の側に否定や許容度が低いためだと思われた。なんでも抱きしめてやればいいと。


 父も高齢で身動きが利かなくなってきたけれど、父が僕にしたことをおいといて、父にやさしくする、父を抱きしめてやればいいなあと思う。





・ 作業は、僕は裂き織りの実施に早くならなければいいなあと思っていた。逃げ出したいなあと。そう、僕は仕事をしていながら楽園に逃げ込もうとしていた。僕が逃げるための楽園への逃亡を考えていた。


 僕は、作業所の裂き織りを背負って立つ、作業所の中での裂き織りの人を担おうという姿勢が大事かなと思った。自分で役割を担い、背負って立つ。ちょっと格好良すぎるので変換すると、責任を持って自らやろうとすることです。それが理想かなと思った。そういう姿勢を持てればいいなあと思った。


 本当は家でも生活も、そこを中心に考えられるようになれればいいなあと思う。裂き織りの本を読んで勉強するとか。そこをしないなら僕の思っていることは嘘かもしれない。虚飾の、戯言(たわごと)。




・ 僕は自分を慰める、onanist, masturbatist という特化した、自分で満足する存在をしばらくやったほうがいいかもしれない。この精神状態だと。

28 Thu

/作業中、テーラーSG氏の仕事ぶりを見ていて、自分も振り返った。

 作業をどう進めるかは全部任されている。裁量は全部自分にある。だったら工夫するようにしたらどうだろうと。

 いままでは、正しいやり方を見つけようとしていた。正解を探そうと。そして、上からやらされているというか、上からの仕事だから、上の命ずるままに、命令に従うように隷属しなければならないと思っていた。

 それが裁量が自分にあるということは、どう進めてもいい、ただやるからには良いものを作る必要はある。工夫する裁量も任されている。

 どうやるか試行錯誤する裁量も任されている。権限が、ある部分自分にあるという発見。





・孤独な人が認知行動療法で 素敵なパートナーを見つける方法

 を読んでいて、孤島に流されても、課題はあるし楽しめると。一人でいることを楽しめないのはおかしい、人の中で楽しめないから、恋人とも楽しめないとなるだろうと、というように理解した(曲解か?)。一人で楽しめることが、他の人とも、恋人とも楽しめることにつながると。一人でいることを楽しもうと。


 恋人、夫婦の交わりが最高ではなく、慰めでも楽しめればそのこと自体は格下でも、中途半端でも、代用でもないのかもしれない。慰めを一人で楽しむことは大事なのかもしれない。




・みんなのXES、橋本治 

続きを読んだ。二人の人間のぶつかり合いが、交合だと。そのためには個人に内面の力が必要だと。そのための準備ができない人には早いと。僕は子供だからまだ早いかもしれない。準備は整っていないかもしれない。本の中ではもっと素晴らしい文章で、素晴らしく描いている。僕の要約は魅力がない。

ボランティア・カウンセリング・集団の中の自分

ゴッホ(vincent van gogh)
の絵あった。拡大できる。

草むらの中の幹(Boomstammen in het gras)、1890、クレラー=ミュラー美術館(kroller muller)、
krollermuller.nl





平成29年9月27日 水曜日


・ 動物愛護団体ボランティアに行ってきました。

 前回、きちんと掃除せず帰ってきたので今回は猫を封印して奉仕のみに特化した。

 一緒にやった女性ができるひとで突っ走っていた。僕もついていこうとした。今回のコンセプトは、ボランティアはプレイルーム付の喫茶の仕事の中核の仕事だ(営業中ではなくてセットアップとして)、それをきちんとまわしてボランティアは担(にな)うのだ、との掛け声を勝手に自己内に作りやろうとした。


 今回ボランティアきつかった。終わったらどっと疲れていた。今まで慣れようとしてきたし、遊ぶことを中核にしようとしてきたのを作業が主で、猫遊びはなくてもいいとしたので、作業中心だった。これからも猫盛り上げ、人間活動の作業が中心、喫茶のための貢献、喫茶業務の中核だ、と作業中心でやっていきたい。


 ここまで書くといい人みたいだけれど、前回小物を倒して、今回掃除したら猫のしっぽの折れたのが落ちていた。僕が壊したやつだ。今回謝らなかった。次回謝るかも。僕は商品を壊していた。次回以降も作業中心で喫茶業務の下支えをしっかりできるようになりたい。僕は雑用を通して、店を回すという経験をしている。この滅多にない機会で学びたい。それを通してしか、猫しっぽ折りの償(つぐな)いはできないと思う。






・ カウンセリングをしていただいた。カウンセリング中、僕の「おんな」を読んで頂いた。感想はもう少し技術がないとみんなには読まれないだろうという正確なものだった。ただ、僕が性を中心にとらえようとしているのは、性を描けるようになったのは前進だったと認識を共有した。


 カウンセリングの先生には、男の僕と性について話すという負担をかけ、僕の性のことについて話題にして頂くという、僕のための時間を作って頂いた。


 先生の見解は、女性に性的に興味を持ち、盛り上がるのは健全だと。石鹸天国はNGという僕と同じ意見だった。でもこれ、僕は選択肢として含んでいたけれど、先生は除くことを望んだ。搾取、金の流れ、女性の隷属があるからという考え。僕も賛成した。


 彼女を作れという、でも今の僕は成長途上なので、女性と付き合うのは早いかもと、猫ボランティアくらいがちょうどいいだろうという意見だった。




 性のことについて話していただいて、聞いて頂いて、橋本治:ぼくらのXESを僕が持ち出した。健全な本だろうと。持っているけれど読んでいないといった。帰ってから読んだら、よさそうな本だった。正面突破の健全な性の明るい本みたいだ。性教育がはやったころの本だろうと思う。


 アメリカには、性の健全な部分があるとの先生の意見だった。日本は暗いと。僕も、インターネット検索の商業・性は暴力、男性優位、攻撃、虐待を含んでいて参考にならないと思っていた。先生は、写真集(明るい内容のもの)などを媒介にして、想像力を使い、健全な性を育むのがよかろう、女性に性欲を持つのは、純粋な場合よろしいだろうというような意見だと理解した。




 僕は、ノルポ(暴力)と性がゴチャゴチャで、健全な性という発想がなかった。女性に性欲を持つということ自体に後ろ暗さを持っていたけれど、それも性についての明るい発想がなかったのもあったのかもしれないと、先生の明るい性を聞いて思った。


 今日のカウンセリングは、認知の転換みたいな内容らしかった。EMDRはいっさいなく、必要もなかったろう、僕の考え方を導いてもらった。先生には扱いたくない内容かもしれないけれど、強いてしまった。




 昨日見たクローズアップ現代リリーフランキー障がい者の性についても少し話した。映画のモデルのNPO代表の方の、障がい者も性欲を持つという当たり前のことを、声に出して社会に開こうという活動、健全さには、カウンセリングの先生も賛同したらしかった。テレビを見て、皆普通の人で、信頼できるなあと感想を持った。性について悩んで、実践して、もがいて、苦しい問題だけれど大事なことなので軽んじられないと思う。


 カウンセリングの先生に性について僕を扱ってもらったのは有難かった。ありがとうございました。(!読まれていることを意識して)

 






・ ユニクロでグレーのシャツを買ったのだけれど、チェックというか格子のグレーのもあった。どちらにしようか迷った。着たいのを買った。グレーのシャツ。

 迷ったのは、格子のものは社会・作業所の中で皆に軽く僕を認知してもらえそうだったから。気安く思ってもらえると。グレーのは外出着として着たいという格好つけの部分を含んでいた。グレーなので作業所で着るのに当たり障りないとは思うけれど。


 何を言いたいかというと、皆の中での僕を格好つけるか、気安い存在として扱ってもらおうという、皆の中での自分という立場、どちらが大事でどちらを取るかという問題。今回は格好つけた。


 自分にこだわるか、皆の中の気安い自分を取るかという選択。カウンセリングの先生ならどう考えるのだろう。僕にとっては難しい問題。こういう発想が出てきたこと自体、前進だとは思う。


 集団の中で、気安い存在として出現していこうというのは悪くない発想だと思う。これが僕のこれから目指すべき方向かもと思う。でも、格好つける、自分に執着する気持ちもまだ残っている。


 少なくとも、集団の中で、自分は捨てる方向も大事だと思う。チームプレー。フォア ザ チーム。この辺の問題、普遍性があってどう考えればいいのだろう。僕はどうしたいのだ。集団の中でやっているのだから、気安いを優先するのは正解だと思う。
集団の中では気安い、をやって個人としては格好つければいい。割り切り作戦もありかなと。そうすると、衣装バックパックが必要。かもしれない。



 でも、自分に執着するのも古いかも、とも思う。それだけ、集団の中の自分という発想が大きくなってきているかもしれない。皿洗い、ゴミ捨て、掃除機かけ、ボランティアと、成長させてくれるアイテムを手にしているので、続けていけば回答はおのずと出るかも。



・ 昨日ゴッホの検索かけて、画像がいいのがあったので、乗っけた。

vangoghmuseum.nl



ゴダール の ブルーレイ 買うのはいいけれど、攻撃をどうとらえるか。男の特権みたいに執着するのもどうかと。キューブリックも暴力を中心に据えていた。共通性はある。と思う。

 ゴダール、買わないで卒業という手もある。

・孤独な人が認知行動療法
素敵なパートナーを
見つける方法

デビッド D.バーンズ:星和書店


 先生の本をまた読みたい。(途中で投げ出していた) 

つぶ貝・道近代美術館

ゴッホ 草むらの中の幹 - Google 検索


菊川多賀の ひとつの記録 画像わからずこれで代用
菊川多賀 - Google 検索



平成29年9月26日 火曜日


25 Mon のこと。


 織り教室に出かけた。ランチョンマット、裂き織り、よこいと・着物の白、たていと、緑色。鋏で着物をカットした折り返しを引っ張りだしアクセントになっている。着物のプリント、松とトラが少しアクセントになっている。全部先生のアイデア。やらせてもらったのが終わった。かがり縫いも習った。



 帰りに、さっぽろオータムフェスト2017 西6丁目でつぶ貝2個500円を食べた。たぶん格安。新鮮だった。だけど、初めて食べたのでおいしいのかどうかわからない。僕にとっておいしいという部類ではなかった。全くの新鮮。海の塩味より、しょうゆをかけて食べたかった。

 つまようじが挿してあり、中身を引っ張り出して食べた。帰って母に言うと食べれない部分があるのじゃないかと。僕も食べていてどうかなあと思ったけれど、全部食った。クチャクチャ貝を食った。繰り返すけれどうまくはなかった。でも、年に1度は食べてもいい。中学生の時に、父と利尻礼文に行ったとき食べたかったのを言えなかった。金がかかると思い。それに父も内向的な雰囲気だったし。(その時は外交的な人だと思っていたけれど、閉じていたのは確か)

 生まれて初めてつぶ貝を食べた。おもしろかった。



 出店は、働いている人が、狭い中、全部の注文をさばくという過酷さを感じた。来ている人も、どこの人だかわからない危(あぶ)なさはあった。調子の悪い時は絶対寄らないイベント。けれど、おもしろかった。ゴミ箱に、丁寧に後始末した。





26 Tue
 

 ゴッホ展を見に近代美術館に行った。開館15分オーバーで行ったけれど、すごい人並。真面目に見る気はなかった。そもそもゴッホをまじめる見る気はなかった。

 最初がすごい人だかりなのでカット。中盤を見た。後半もみた。前半は最後まで近寄れなかった。

 変態的な色遣いと、ひまわりや糸杉っぽいタッチは見られた。ゴッホだからというのはなかった。もともと有難がろうと思っていなかった。



・ タラスコンの乗合馬車、に立体的なものを感じた。好き。
・ 男の肖像、目の表情がいい、というか印象的。
・ 渓谷(レ・ペイルレ)、しつこくこれでもかと入魂してグリグリ。
☆ 草むらの中の幹、1890、クレラー=ミュラー美術館、これが最も好きだった。僕が見た中で。木の幹の色遣いが好き。

・ 感じが良かった、気持ちよかったのは、最後の、ポプラ林の中の二人。


 混んでいて、息がつまりそうで、人いきれで、嫌な場所だった。(絵を見るのはいいことなので、半分くらいの気持ち)

 写真より実物はいい。

 
 終わってからの感想:自分と向き合って絵を描いていたんだなあ。絵という行為はは地味だ。色遣いが変。




・本命:近美コレクション 2017/08/26-11/07

 北海道美術50 名作の秘密を探る


 こちらは見る予定がなかったけれど、見ていた人4人だけ。あとは職員のお姉さん。だから空いていて、フリーで見られて、スペースが多くて、静かで本命になった。格上げ。


 こちらはよかった。谷文晁、蠣崎波響、中原悌二郎、と怒涛の始まり。知らない人がほとんど。
木田金次郎、青い太陽、迫力あった。良かった。気持ちがいい。ゴッホと同格。
神田日勝、室内風景。新聞紙にうずくまる男。人形が置かれている。ものすごく斬新。最初は小学生の時に見た。3回目くらい。



☆本題は、菊川多賀、ひとつの記録、1977

 これ僕にとって別格。東京大空襲の女たちが、左を向き、右に髪をなびかせ、多数逃げ惑っている。すごかった。初めて見た。



☆2番目:2回の陶磁器の部門、流政之、ナガレバチ、1988、大理石

 格好いい、攻撃的、エッジが効いていて、すごい。ロックみたい。僕はミーハー。後ろにも回ったけれど、よかった。


 砂澤ビッキ安田侃の良さは僕にはわからず。見識低いか。

 良いのばっかりだろうけれど、僕のフィルターが普通なので掬い取れない。


 書き終わって:僕はやっぱりアホか。かいていることが月並みだ。

24 Sun:雑記 / 本:

24 Sun 下のほうに、☆☆あり。


・ 今日小耳にはさんだのですが、作業所の別の部門の女性が、作る以外仕事と思っていないとか、その女性のことが思い当りました。(このときは誰のことを言っているのか?だったのですが、自分なりに推測してあてはめました)
 そのニュアンスは、作ること以外を馬鹿にしているという意味だと思った。

 僕は皿洗いをしていて、女性が割り込んでくること4回くらい経験した。そのいつもの女性。この間は話しかけ、向こうの洗面台ではだめなのですか、と問いかけると、使っているとのこと。
 今度割り込んだら、手を洗ってあげましょうと言い、洗剤を上からかけ、お湯を流してやろうかなと思っていた。

 けれどこの小耳にはさんだ話だと、その女性、病気か、まだ子供なのか、作る以外を馬鹿にしているらしい。僕は皿洗いをいつもしているし、ゴミ捨ても始めたし、格好のばかにできる対象だ。昨日は、ゴミ箱を雑巾で拭いていたら、その女性隣のゴミ箱にごみを捨てにきて、上から覗き込んでいた。たぶんバカにしていたのだろう。


 ということで、目には目を作戦はまずいとなった。僕のやっていることを理解できない状態の人に、ちからで対抗するのはまずい。悪い印象で、敵対してしまう。ある程度懐(ふところ)に抱いて、許容するのがよかろう。ぼくのせっかちで、気持ちの小さいのが災(わざわ)いを生むところだった。小耳にはさんだのはよかった。いい情報だった。(面白くない話で、嫌気がさしましたでしょうか)


教訓:いろいろな立場のいろいろな状態の人がいて、力に対して力で対抗したり、嫌がらせに嫌がらせで対応するのはまずい。柔軟に、受け流すくらいの気持ちが良いらしい。どんなことが降りかかっても、むきにならず、柔らかく、機転を利かせ、抱いてやればいいらしい。勉強になった。





・テーラーSGにジュースをあげる話は、やめにした。どうもテーラー氏は僕を仮想敵国としたいらしいみたいだし、それを敢えて、懐柔(かいじゅう)するみたいなのはまずい。競い合う、反目する、ちょっと敵対っぽい関係でもいいかなと思った。この間は、テーラー氏がゴミを捨ててくれたけれど。(ちょっとテーラー氏ってお茶目?♡ ((カマっぽくハートにしてみた。ウォー。))皆に好かれる人だけれど。)

・明日から3連休もらった。ありがたいです。作業所の上の人には頭が上がりません。休ませてもらいます。





☆☆・母が頼りなくなりつつあるような。僕を含めて、死や病気、老いは静かに確実に進行している。表に見えなくても、それが止むことはない。常に裏側で動いている。僕や父母の生と同時進行で動いている。見ていなくても感じていなくても、忘れていても、誤魔化そうとしても、確実に進行している。止めることはできない。覚悟しないとだめだ。(覚悟できない。誤魔化している)


飛行物体も飛んでいる。いつ落ちてくるかわからない。死もよけられない。そんなバカな! では死にたくない。せめて覚悟の上、犬死したい。自分の命が終わっても、ああ終わりだな。やはり来たか、で死にたい。僕にはまだ覚悟はない。なくても来るときは来る。覚悟しない僕が悪い。犬死だったな、で死にたい。戦争、他殺、病気、事故、覚悟の上死にたいと、覚悟の決まらない僕は吠えた。ワオーン。わん、わん。

 




23 Sat

・トラウマをヨーガで克服する、デイヴィッド・エマーソン、紀伊国屋書店



・ボディワーク入門 ロルフィングに親しむ103のテクニック、小川隆之/斎藤瑞穂、朱鷺(とき)書房


 を読み始めました。


 ヨガも習ってもいいやという気分です。公園でゆっくり歩くをやっているので、これらの本を読んでも身体に興味が移ってきました。

 僕の身体を診てくれる人が札幌にいないので自分でやるしかないのかということになってきました。ゆっくり歩くでは、身体との対話が始まってきたか、というところです。自分の身体とコンタクトをとろうという、小さな盛り上がりになってきた。抑圧への最短距離かもしれないという下心もある。

難しい、自分にとって厄介な部分に踏み込んできている気もする。ゆっくり歩きは、感触のある日もあるので力が入っている。

 昨日睡眠剤飲んで寝た。久しぶり。毎日になるのか? 1/4錠で効きます。それ以上飲むと寝小便する。布団にでっかい日本地図を描いて、新聞紙の上に寝る羽目になる。

おんな

平成29年9月22日 金曜日


 きみのお尻、かわいくてsexualでたべちゃいたいよ

 そう、そんなにほしい? あたしのお尻、ほしい?

 もちろん、きみはかわいいよ、ぼくはこんなにほしいんだ。

 あなた、いまだけわたしがほしんでしょ。ずっとあいしてくれる? ずっとじゃないでしょ。すぐに色あせるのよ。うつりかわって。あたしが更けたら別の女に手を出すのよ。
 
 そうかもしれない。的を得ているよ、きみのいうことは。僕はきみに今、勃ちあがっているんだ。ほしいよきみが。どれだけほしいかわかるかい。

 あなたに抱かれるのは簡単よ。でもいっときのことは嫌。あなたはえいえんのひとじゃない。去る人よ。だからいや。

 こんな僕をどうにもしないなんてひどいじゃないか。どうすれっていうんだ。こんなにもりあがっているのに。



 あなたはいやなの、さよなら。(手を払いのけ立ち去ろうとする。男が手をつかんで、女の腰に手を回そうとするのを、強引に振り払って女退場。男は取り残される。一人部屋でマスするのか。男は見透かされた。女を愛する人ではないのを男は分かっていた。一人で盛り上がり、一人萎(しぼ)んだ、男にとっての真の女は立ち現われるか。



現れる時は、女を正面から個として見て、女の一生を照らし伴奏する覚悟を持ち、醜さ、厭らしさ、不快さ、挫折をも背負って人生を女との個人としての道を孤独に歩む覚悟のできた時だ。男も個人として存在の暗さを正面から捥(も)ぎ取り、おのが栄養として生命の流れの一部となり朽(く)ちていくところまで覚悟しなければ、死ぬまで添い遂げることはできないだろう。女に覚悟はあった。男にはこのときまだただの欲望だった。


 あなたじゃないのよ、
 おんなはひとり吐き捨てた。




この音楽をバックに打ち込んだ。

youtu.be

追記:19 Tue /18 /父母 自立50歳

 追  記  


9/19 Tue


コーチングの基本 

交通機関で読んでいて、p48からの コーチがもつべき3つの視点 で Possession・身につけるもの、Behavior・行動、Presence・考え方 信念  というのが出てきて、目標達成のためのキーワードとして取り組む。これらに分解することで、自分の行動を変える視点を見つけることができるようになるらしい、と理解した。


 僕は、一度にたくさんやろうとして挫折するパターンがある。リコーダーでも本のまとめでも。
 

 それで、リコーダーもコンパクトにし、裂き織りの読書もとりあえず1ページ読めばいいと。たくさんやってもやらない期間が多いのはマイナスだ。たくさんやろうとするのは重荷と感じられるし、やり始める時に嫌気がさしてくる。だから一度にやる量を減らし、一日にやる量を30分とか15分とかの小さい単位として毎日積み重ねられるようにしたい。


 前もやっていたけれど、立ち消えになっていた。また今回新たにやり始めた。


 

・公園でゆっくり歩くをやるのは、日曜日に、自転車でゆっくり漕いで身体全体で漕ごうとするのを取り入れ、身体全体でゆっくり歩くをしよう、身体全体で歩くを表現しようみたいにやりできていた。


 それと比べると今日はちょっと鈍(にぶ)かった。何とかやろうとしたがパッとしなかった。 






9/19(Tue)

 昨日は台風を理由に作業所を休んだ。当然今日は風当たりがちょっと冷たかった。

・ 着物の糸除去、紺地のレースに黒・紺糸の縫い、終わった。LEDルーペで取っていった。端をちょっとしくじった場所は何カ所かあるけれど合格点だろうと思う。ひどく難しい部類には入らないと思う。
 
 道行コートのミシン縫い薄手が今までで最も難しかった。気持ちが萎えて、奮(ふる)い立たせてやって何とかだった。気持ちとしては逃げたかったやつだった。



・ 過去の席替えをきちんと調べておいたけれど、僕の席がなくなったのは、2017 2/18(Sat) 以降で、2017 5/20(Sat)までなく、移民や難民のように毎日席を移動して歩いた。3か月間が首が下がり、調子も悪く、立場も悪かった。デッド期間だったと言えると思う。

 もちろん調べたのは、今度やってくるのはいつか前もってわかっている必要があったから。カウンセリングでも低調で進み、先生から軽くみられると思う。

 こういうのは逃げ道がない。受け取るしかない。そういうことになっている。また今度やってくる。来年の2月から5月。作業所を続けられるといいけれど。ミスも多く、集中できず、手も萎え、気持ちも低い、そういう日が来る。



平成29年9月18日 月曜日


 昨日の作業所は、ゴミ袋がないのではじめてのお使いに出かけた。僕ちゃん買い物いくでちゅー、ピューッ。


 ゴミ袋では抽選できないはずだけれど、レジの人がさせてくれてキレートレモンを当てた。列の前の人はビールを当てていた。ボスにジャンケンであげてくれというと僕がもらえという。それで、テーラーSG氏にあげようと思うが、テーラー氏はコーヒーは好きでも酸っぱいのはダメだと思う、他の人にあげてもいいですけどと言って渡そうと思う。


 掃除機をかけたのだけれど、前に、通路だけで日曜はいいと言われたので昨日も通路だけかけた。そしたらここも掃除機してとスタッフに指定を受けた。僕は手を抜いたのだけれど、仕事はやはり全力投球しないといけないらしい。今度からは仕事は手を抜かないに変えたい。ボランティアでもスタッフに睨まれているし、仕事は全力投球・手を抜かないに変えないとマズソウダ。







9/18 Mon

網代(あじろ)織りのマフラー端を結びました。織り教室の展示会で6300円くらいで売りたいです。ちょっと短め、だった。
紺と茶のウール。細身で幅14センチ。

長いのも作って(中身1m50、全部で1m70)いて、そちらを売って短いのを残すかも。両方売ってもいいや。

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平成29年9月16日 土曜日



(下のほうに言いたいこと、☆☆あり)




 今日帰ってきてから、日ハムを見てダラダラした。夜も一段落しコンサドーレを見てダラダラした。
 裂き織りの本を読んでいない。

 これらを思った。無駄が多い。やらないことも多い。
 そして、


コーチングの基本、鈴木義幸、日本実業出版社、2009


を読み始めた。クライアントと対話することで、クライアントの目標達成を支援する、クライアントに問題解決してもらう、というようなものだと理解した。カウンセリングと似ていると感じた。



 読みながら、精神科のお医者さんに、僕が他の人が怖いとか書いて、それへの対処だと思うけれど、

「自分が感じている、考えている、思っているという感覚を大事にして、自分が思うこととすることで自我の境界を明確にすることは必要だろう」

というような趣旨のことをおっしゃった。僕が自他の境界があいまいで、ほかの人を脅威に感じたり、ほかの人の影響をもろに受けるのでアドヴァイスしてくれたのだと思う。


 そのようなことを思っていたら、前回のカウンセリングで僕が女性にエネルギーがまっすぐ向かわず折れている、という発言をし、それを含めて僕は父母からロックをかけられているという内容になった。そのロックは性の問題とも密接だとなった。ロックは自分で向き合えば外せそうだと。





 そんなことを思っていて、


☆☆ 僕は、自分で意思決定できる。自分で行動を決めたり、どう感じたり、どう考えたり、自分の側に決定権がある、と考えると父母から独立し問題解決が図られそうだと予感がする。


 僕は何もかも父母に譲って明け渡しし過ぎていると思う。過干渉を受け、土足で踏み込まれすぎていると思う。そうやって過ごしてきた家で、父母の管理下の下で過ごすので、いまだに自分のものを父母に捨てたままだったのだと思う。これは明らかにいけない。取り戻す必要はある。コーチングの本が触媒となり思いついた。

テレビをつけていたのは母だぞ。怪しい。母の呪縛が大きそう。僕はいまだに赤ちゃんだ。(50歳)

雑記

・ 迷惑メールの話です。
 
 クロネコヤマトの偽メールは見破れました。

 しかし、appleは、騙されていました。
 最近使っていないので、ロックするとか、第3者が使っているとか言われても、関わろうとしませんでしたが、てっきり本物だと思っていました。

 そして昨日、メールアドレスを見たら、グチャグチャで怪しいと思った。今日のメールでも、昨日と違うアドレスで偽物と今日見破った。危なく引っかかるところだった。たまたま使っていなくて、関係ないやと距離を置いていたからひかっからなかった。


 メールはアドレスを確認して、メールアドレスをウェブでチェックしないと信用できないことを今日学習した。僕もお利口さんの仲間入りができました。





・ 織り教室に出かけました。親切にしていただきました。
 裂き織りを作る、さをり織りのマシーンを使わせていただけることになりました。買おうと思っていましたが、試せます。

 このマシーン、評判悪いみたいです。一人は売りたい人で、もう一人はちょっとやってみて・いいやとなったと聞きました。先生のニュアンスもマイナスの気配でした。買おうとしなくて良かった。やはり何事も金をかけずに始めるのが正解で、評判を調べてみないとだめだと思った。今日は直接使ったことのある先生の意見を聞くことができてよかったです。

 僕は、鋏で切ってランチョンマット用に作ってました。なぜか器用らしいというニュアンスで教室の皆さんは受け取っていました。僕は洋裁の鋏の練習だと思って一生懸命真っ直ぐにしようと、曲がりくねりながらの裁ちをして苦戦してきました。実際鋏の練習になりました。





・ さっぽろオータムフェストに出かけようと思っていたら、先生たちの評判は悪かった。でも寄ってみたら、土日はものすごい人出で並ぶのは当たり前。並ぶ気はないので帰ってきた。地元の店で手巻きツナきゅうり巻を買って昼食とした。




・ 織り教室の先輩に料理はするのかと聞かれ、最近は忙しいのにかまけてしない、カレーは作れる、ジャワカレー、豚肉、ルーは今は一種類、のように答えていった。

 それで、カレーを作ることにした。作った。辛かった。クミンかガラムマサラが辛かったらしい。特定できず。

 作業所の昼食に、ちょくちょくカレーは出るので新鮮さはなかった。僕は今は作業所の辛いカレーの反対の甘いカレーが食べたいと思った。母にバーモントにしようかなあ、と言うと反対された。





 今日はなぜだか調子が良かった。僕の意志や気分とは無関係。自分では調子はコントロールできない。調子には常に受け身で向き合ってきた。調子に翻弄されるのが僕の生活だった。だから今日のような日はありがたいです。


・ 裂き織りは、切っていった分がちょうどドンピシャリで、ほとんど余らなかった。神業のようだった。
  40センチのランチョンマット2枚ができました。樟脳(しょうのう)の匂いがするので、先生の教えの通り洗濯します。



・  本も、最後の絞りを終えた。28点くらい売ることにした。ちょうどいい量が残った。

〇 人生がときめく片づけの魔法、近藤麻理恵 大先生の教えに従って平伏した。(ひれふした)
  
 本の中身は、必要ない著者の体験と、大事な情報が混ぜ混ぜで、付き合うのは面倒だけれど吸収させていただいている。勉強になります。このノウハウを作るのは著者の観察眼の鋭さと、片付けのプロとなる素養のなせる技だと思う。そこは素直に感心しました。

先生に一生ついていきまチュー ブチュ♡  気持ち悪い終わり方で今日も締めさせていただきました。

追記 plus 逆転のおもしろさ+薄々思った(仕事というもの)

 今日のことを振り返り思ったけれど、僕などの他人はその人のことをこういう人だと役割・自我の同一性を押し付けるけれど、相手は常に流動する自我の持ち主で固定などされていない。こういう人だと見るのが傲慢らしい。

 僕自身も流動している。人は常に変わり続け同じところにとどまっている人はいない、というのが正解に近い気がした。



☆ もっと言えば、僕はその人のことをこうだと、自分の考えを押し付けている。僕が厭らしい。相手は、当人の都合と変化と要求で動いている。僕のことなど知ったことではない。相手と真摯に向き合うべきなのかも。その時の相手と真剣勝負で(本当に刀を持つ相手と向き合うくらい真剣に向き合うべきだという意味)。

 全部自分に当てはめれば、僕は自分を固定してみるけれど、流動の中を生きている。それが正しそうで、止まって変化がなさそうでも動いている。皆、その時その時の一発勝負を真剣に生きているかもしれない。(わかったようなことを書いているが、よくわかっていない)

☆ 全力をぶつける必要性、テーラーSG氏の仕事ぶりのように、があるのかも。






平成29年9月14日 木曜日



・ 今日は作業していて、テーラーSG氏が缶コーヒーをひっかけて倒し床にぶちまけた。その飛沫が僕のジーンズとスリッパにチビッとかかった。テーラー氏は拭き取るのに夢中で僕のことなど眼中になかったと思うけれど、この件では立場が入れ替わっていた。

☆☆迷惑をかけるひどい奴の僕と荷重の仕事を背負わされたテーラー氏の立場が逆になった。

 人間の立場など簡単に入れ替わるのを覗いた気がしてちょっと面白いと思った。




 作業自体は普通にはできた。走っていなかったと思うけれど、ルーペを使い、黒糸、紺生地の夏の薄物羽織のロックミシンの糸を少しずつ取り除いていった。(やりづらかったというのが言いたいことです。ルーペでないと生地と切断する糸の見分けがつかない。生地自体が糸をよってレースのようになったものでやりづらい。)


 裂き織りの緯糸(よこいと)作りも、ボスから渡された立派な生地を鋏で切りながら作っていった。鋏の扱いが下手でゆっくりになっていた。

 皿洗いはやってくれる方がいてお願いした。




・ 明日は容器・プラ ゴミの日なのだけれど集めていて、これもいいですかと普通ゴミを渡そうとした人がいた。僕は容器・プラゴミなのですけれどと断った。

 これが引っ掛かって、しばらくしてから回収しに行った。そしたら底にちょこっとで集めるほどでもなかった。その方も気を利かして協力してくれようとしたのだと思う。僕はたまってたら悪いなと気を利かせてつもり。

 できれば、普通ゴミを渡されたら、ありがとうございます、後で持っていきますと預かって、捨てて持っていけばよかった。それだと完璧な仕事。


☆☆ 仕事というのは需要を満たす役割を担っていて、ゴミ捨てだとかそうでないとか、貴賤(きせん)は関係ないなと思った。(よく言われるが)



 だから、要望があったら満たしてやればいいのだ。それを担(にな)うのが仕事らしいと薄々思った。(完全には理解していない) 僕も少しずつ勉強しないといけないな。

逃げ腰+カウンセリング

平成29年9月13日



 最近、格好の良いことを書いていますが、本当のところはこうでした。


 今日は休みで動物愛護団体のボランティアに出かけた。昨日戦意をなくし作業所から帰ったので、明日への布石にしようと思った。



 モップをかけていて、ボランティアの人の面接があった。その人が席を占領していてモップをかけられない場所になっていた。そこは置いておいて別のことをしていた。そして、一段落ついたので休んでいて、水を捨ててもいいよと言われた。僕はその通りに捨て、作業を残したまま終えた。そして、窓を拭きながら猫と戯れていた。権利とばかりに。


 僕は業務を遂行しないという結果のまま帰ってしまった。帰り際、スタッフが不満そうだった。

 カウンセリングの先生にそのことを話すと、そりゃそうでしょうよ、みたいに言われた。僕は、この件が水を捨てる時から引っかかっていた。

 まだ終えていないのですが、水を捨てて終えてしまっていいのですかと確認を取るのが筋だった。もしくは、お客さんが帰るまで待って、モップを終えてから帰ればよかった。それが正しい。僕は腰が引けて、昨日からの逃げ腰を引きずり、甘えていたといえる。負けたままゲームを終わらせていた。僕は敗者だ。






 カウンセリングでは、ペニスの機能不全について、前回に続いてEMDRしてもらった。

 僕は、男としてエネルギーがストレートに女性に向かわないということになっている。高校生だった頃の、バスから手を振ってくれた好きだった娘(こ)に手を振りかえせなかった構図。作業所の若い女性に固執するねじ曲がりの構図。



 これらは、父から抑圧的というか、上からの力で抑え込まれ、女性に興味を示すことを抑制され、そういう雰囲気で育ち、実際に深夜放送の助平番組を見ていて手をあげられたりとか、被抑圧者として存在していると思う。




 父自身を見ていて、父自身が祖父から傷つけられたと思う。だから、憎しみと怒りしか表現方法がないのだと思う。とても受身的で、被害者という立場をとることが多い。僕にとっては抑圧者だが、父が成長の過程で傷を負い、それの解決方法がないまま、その傷と向き合わず越えることがないまま、全く身動きのきかないまま一生を終えるさびしい存在として、成長を知らないままで朽ちる。




 今は父の小さい面にも目が行くようにもなった。僕は父からかけられたロックを外すことはできる。僕自身が昨日のブログのようにママチャリで凸凹道を走りに出かけたり、携行ストーブで茶を沸かして飲んだり、もしくはオータムフェスタで買い食いしたり(うちの家族は内食ばかりで外食に行かない。買い食いしない。人生の楽しみを知らない、幽閉のような生活を送っている)できる。これらはロックに挑戦することで、自分で外せる。



 ちょっと前に思ったけれど、宮沢りえの写真集を買うというのも、自分のロックに挑戦しているといえると思う。小さい一歩ですが。






 実際に今日やったことは、本の整理。150冊くらい処分することにした。仕分けた。全部で半分くらいになった。

・人生がときめく片づけの魔法、近藤麻理恵サンマーク出版 の影響。単純です。


 本は完全に仕分けたわけではなく、不純物も混ざっている。まだ絞れるけれど、絞らない。未練がある。この辺が良くないところだとわかっているけれど、今は絞らない。ほとんどがときめく本になったとは思うけれど。
 読まないだろう本は置いていないと思う。興味のあるのを残した。愛のあるのを。




 父からかけられた呪いのロックは自分で少しずつ外せると思っている。そのためには行動に移さないとだめだ。この辺は厳しいことになっている。なにもしないと、ロックをかけられたまま、身動きが利かないと不平不満を思うことになる。甘くはないです。

 今日はカウンセリングの先生を見ていて、EMDRを受けながら、先生は心理療法家だなあと感じた。プロの顔を読み取っていた。こういうときは、先生に暗い感じだね、みたいに言われても、実際そうだったけれど、調子がいいと思う。ある意味で。(どんな意味か分からんが、どっかの部分は明るくなっている)

正しい方法はいらない。硬直している。

追記:

id:lcorocoro

さんへ


余計なおせっかいをしますが、カウンセリングのEMDRというトラウマ治療法があります。僕は受けています。ご存じだったらいらない情報になります。




12 Tue

 英単語を覚えようとするとき、正しい方法で、正しく覚えなければならないという先入観がある。

 Shark サメ  サメの絵と結び付け、正しい綴りで、正しく覚えようとする。これが僕の英語。


 四角四面で堅苦しくないか。サメの覚え方に正解はあるか? 僕が間違った覚え方だというのでもよいのではないのか。映画ジョーズに出てくる生き物だとか、海をうろつくギャングがサメだとか、人を襲うやつだとか、僕の知らない面のサメで・調べて変な部分で覚えようとするとか。

 例えば、サメの屁は臭い、という記述があったら、それでサメを覚えようとするとか。うんこドリルと同じ手法かもしれないなあ。


 正しい方法や、正しいやり方、こうでなければならない方法、理解の正しい道筋、そんなものあるのか。自分の感覚を信じ、自分のやり方を見つけようとし、自分の道筋での理解や記憶でもいいのではないのか。記憶術、理解の仕方、でなくていいのではないのか。

 間違っていてもそれはそれでいいのではないのか。自分のやり方で取り組んだのなら。自分で取り組むそこに、取り組む意義があるのではないのか。正しいや、正しい道筋はいらないのではないのか。


 サメを覚えるのに、泳ぎ方や、獲物の襲い方と結び付けて、サメを覚えてもいいと思う。柔軟にサメの先祖の話や、サメの天敵でもいい。自由というのか、やはり自分の取り組み方、手法が大事ではないのか。単語を覚えなければならぬ、熟語だ、文法だ、会話だという、堅苦しいお上のお達しに従うのではなく、上からの教えではなく、サメの求婚だとか、死に方、出産でもいい。


 正しい覚え方ではなく、自分の取り組みの、自分のための勉強であっていい。そうしたいなあ。正しい、はいらないにしたいなあ。僕の生活すべてに、自分のやり方を導入できたらなあ。そしたらバラ色だあ。♡   僕は気色悪いぞお。


 マウンテンバイクを買う、買わないという発想ではなく、どうやれば自転車と新しいかかわり方ができるとか。今のママチャリの活用法を探るとか、後ろ向きに自転車をこぐ装置をつくるみたいな、別のスタンスがいい。休み日は、30分時間をつくって、登山靴はいて凸凹道を探る旅に出るとか。外でお茶を沸かして飲むとか(バーナーは持っている。)


これらは、

・人生がときめく片づけの魔法、近藤麻理恵サンマーク出版


 のときめく生活からの影響大で書かれたと思う。僕は生活をグレーに染め上げ、グレーの死んだような生活にどっぶり浸かってきた。もう卒業だあ。そんなのいらないやあ。ときめく生活を送らないと、何のために生きているんだあ。感化されすぎか? 明るい生活にしようじゃあないか。


  

12 T

・よくわかるギャンブル障害

www.seiwa-pb.co.jp


・使いこなすACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)

www.seiwa-pb.co.jp





カウンセラーの先生への文章:



平成29年9月12日(火)

 8日の調子が悪く、作業所でとても立場が悪かった。帰りもつらかった。

 12日の今日、皿洗いをしていて突然失調。調子が悪くなる。8日の人は違う調子の悪さだった。皿洗いを終え、着物の糸ほどき、絽の着物を終えた、薄くて細心の注意でやってきたのが終わった、それをもって帰ることにした。2時上がり。本当の拘束は3時まで。戦意がありませんでした。次の着物、道行コート?? みたいなの(まだよく見ていない)をやる気力が起きないので帰ってきた。パフォーマンスも落ちていた。


9月6日(水)ブログより
昨日の朝は、カマを掘られそうになる夢を見て、今朝は女を抱く夢を見ました。

・ アレクサンダー・テクニーク入門、サラ・バーカー、ビイング・ネット・プレス(BNP
 を読み出しました。掲載の悪い例の写真が僕の姿勢にそっくりでした。読み始めました。




9月12日(火曜)

現在読んでいるのは、ベストセラー

・人生がときめく片づけの魔法、近藤麻理恵サンマーク出版

 脱線と面倒な説明が多いけれど、とても楽しく読んでいます。CD20枚捨てました。




 朝のゆっくり歩くは(作業所に行く前に  公園でやっています・真っ直ぐ一本道をゆっくり歩くイメージです)、奇跡のレッスン・陸上 で覚えた、つま先着地を導入してから、体重が前に乗るようになりました。かかと着地だと重心が後ろにかかりっぱなしで腰も引けたような状態で歩くことになってしまっていました。



 Sonic youth の反社会的、アンダーグラウンドの音作りが面白いなと思っています。こういう音楽を歌ってみたいとも思います。今は歌えないと思いますが。


 前の作業所の社長に手紙を書き、  さんのトラウマに     はどうかと連絡を取ってみました。  さんから連絡はあったでしょうか。返信不要の手紙を書いたので、その後は一切わかっていません。

・  先生 に先週の続き、ペニスの機能不全をやって頂きたいです。