本題:若い女の尻を追い掛け回す僕(50歳)を皆は嫌いか?

平成29年9月11日



 朝の交通機関で思った。


 人のことを、あの人はあんなことをしてなんてひどい人だろう。ろくでなしに違いないと。

 この話には自分のことも被(かぶ)さってくる。僕は若い女のことが好きだとのたまった。若い女の尻を追い掛け回したいと。確かに本心だ。これを読んで人は、馬鹿な奴だ。俺とは違う。なんて変な人でしょう。気持ち悪い。とか思ったと思う。





 ここで分析を思いついた。

 人は他者のことは外部なので、いかようにも批判できる。馬鹿だ、ひどい、最低、あんな人。

 その批判される人は、内部のことなので、当事者でもあり、必然性の中を生きている。


 若い女の尻を追いかける僕は、性欲の虜(とりこ)になり、こんなことを書いた。最低なのはわかっている。でも、性欲をどう処理すればいいかわからず、若い女の尻を追いかける以外方法がなかった。代替法無しのやむを得ず、というところだった。そして、僕は心の中で、性を抑圧していて、ストレートに女に性が向かわないという欠点がある。若い時に女と付き合い、行為をたくさんするという経験の欠如もある。石鹸天国で4回くらいしか経験がない。(笑うか)

 この内面のゴチャゴチャが若い女のケツを追い掛け回すという心情になった。僕にとっては必然だった。他者にとっては見苦しく、馬鹿で、最低だろう。当人の内面は必然性で動いている。



 繰り返しになるが、そして、他者の行為は傍観者にとって、外部になっている。自分と切り離していかようにも料理が可能な状態だ。







 これらが捉える射程は、他者批判はあまり価値がない。自分と切り離した時点で価値は低い。価値を高めるとしたら、やはり、当人の視点を導入することを通して理解することだ。



 批判される側の人間にとって、当の批判材料は全部、内的必然性で出来上がっている。葛藤も矛盾も、自己否定的内容も含んでゴチャゴチャになって、槍玉(やりだま)の、ターゲットの行為になっている。批判される当人は、行為をやむを得ず行ったり、正当化したり、矛盾の露呈として行っているかもしれない。

 当人にとって、被・批判行為は、他者とのすり替え(あいつのせいでこんなことをした)であったりしても、内部の回路を使って・内的必然性にのっとって行った、当事者にとってその時点での正しい行為だと思う。この正しいは、倫理的、社会的、正当化という意味ではなく、内的に組みあがった当人のためのその時の行為だ。後日他者批判を受けることになるとしても。




 もっともらしい口調と単語で作ったので、それらしいけれど、そんなに格調高くしようとしたのではない。ただ、こういうことを交通機関で思いついて、ここでワープロに起こして打ち込んだだけです。




・ これを打ち込んでいる間、かけていたのはyoutubesonic youth の曲。この人たちのことをあまり知らないで好きだとか思っていたけれど、アルバムを通して聴いてみると、かなり反社会的、アンダーグラウンド、負のエネルギーに満ちている音楽だ。
こういう音楽は、社会的に正当な行為を行っている、その正当さの裏返しとしての、使われない反社会的なエネルギーの表出、代替として必要とされるものだと思う。僕にとってはそういう自分の内部の部分を使って聞いている。僕の全部が反社会的とはならない。
 ここを読んで、なんだと思われる方もいるでしょう。僕にはそのくらいしか踏み込めない。

10 S /8/診察:

9/10 S

 ・人生がときめく片づけの魔法、近藤麻理恵サンマーク出版

 これ読んでると頭悪そうだけれど、僕に必要だ。

 どういう生活を望んでいるか、なぜ、を繰り返す。そこのところのノウハウの記述が薄い。一番肝心なところ。とりあえず、焼いたものがほとんどだけれどCDを20枚くらい捨てた。

 僕は仕事に全力をかける生活を望むようになった。失敗もこれ以上できない。すべて賭けないと潰れるだろう。崖っぷちにいると思う。

 本は今のところいい感触。いらない記述と説明は最初のところ特に多かった。第2章からエンジンがっかかった。


・ 明日からテーラーSG氏も仕事に来るので、気を引き締めたい。たくさん寝るのも仕事のパフォーマンスを上げたいためです。心療内科の先生にも睡眠は大事で、多くとったほうがいいとはこの間の診察でアドヴァイスされた。



(イメージ)

 空を飛んだら、翼がもげて地面に叩き付けられた。出血もしたし、肘をくじいたけれど起き上がり、また飛ぼうと試みた。もう俺は飛べない身体になったか。こうなったら這って進もう。地面に転がる馬糞まみれになろうとも、小便を奴らにかけられようと、這って目的の地まで行くのだ。

 涙が出る。惨めだ。吐き気も催すようだ、だけれど吐いてなどいられるか。うう、惨めだ。だが、一つの道を選んだのだ。目的地に必ず向かうという、終点が設定された。俺は行かなければならない。身体が重く、バラバラで、引きずって、血を流し、むごたらしい姿を曝(さら)け出し、手で身体を引っ張り上げる。いかなければならぬ。ああ、俺は惨めだ。自分で選んだ道だ。ううぅ。



9/8(Fri)

 調子が悪かった。作業所の手芸の先生に、敷物5枚・小さいのを織ったのを手をかけてもらった。そんなに悪くなかったと思う。

 問題は、この間つくった裂き織りの最初の部分。最初、織るとき、一本ずつ切り離して差し込んでいた。これが大失敗。この失敗でテーラーSG氏という先輩を怒らせてしまった。先輩は僕の裂き織りでバッグを縫う人。

 ばらばらになる裂き織りを接着芯で固定し、複雑な工程でバッグにしなければならない羽目になった。先輩にかかる迷惑は甚大で、僕はすっかり目の敵になったと思う。僕は失敗し、先輩に背負わせてしまった。

 今回の失敗でよくわかったけれど、織りは、交互に糸を絡ませ、2段目は逆の交互にして布地を強くし、端はつなげて折り返すことで結束力を作って織物になるらしい。そういう基本的なことをわかっていなかった。頭を全然使っていない証拠。






9/6(Wed)

 昨日作業所で、棚卸のパソコン作業をするのが面倒で嫌だった。皿洗いもカレーで面倒臭いで嫌だった。

 こういう態度はまずいと思った。消極的で。それで、皿洗いの今やっていることに全力をかけようと思った。嫌だったのは、全体を見て、全体をやり抜かなければならないと、自分に変なプレシャーをかけ、重荷を背負わせたから。だから、今やる小さなことだけ考え、見ようとした。

 森田療法と同じアプローチと考え方。




・ 今日はお休みで、診察に出かけた。心療内科

 先生は僕のことを図に描いて懇切丁寧に教えてくれた。自我の境界がスカスカで他者の行動、考え、いろいろが入ってきてしまう。対策として、自分はこう考える、こう感じる、どうしたい、と自分の部分をしっかり持つようにするといいと助言を頂いた。


 自我境界の認識。そして思考があちこち飛び回るのは、統合失調症によくある思考奔走(ほんそう)だと言われた。



 僕のことを7月くらいから心配していると仰られたので、6月くらいから調子が悪いと言った。

 これからどうなるかわからないので、先生の貴重な意見を頂き、日々に活かしていこうと思った。時間を割いて頂いた。他の患者さんには待って頂いた。



★ そういえば、診察に出かける前の地元で、交差点の安全地帯で車を待っていたら、帽子の上に鳥の糞が落下され、撃沈された。命中だった。あまりにありがたいので、渡り切って帽子を脱いでティッシュで拭(ぬぐ)った。スーパーのトイレで洗った。






先生へ提出の日記参考までに



8/1 Tue ブログより

僕は意識が今まであちこちに飛んでいた。すぐに移り変わって集中できない。次から次へと意識は動きひとつにとどまらない。世間でいうところのダメな奴でバカだ。

・でも今回頭を使い、どうやるかに集中しながらどう進めるか考えながらやってみて、仕事の進め方を考えながらやるのが仕事なのだろうと、薄ぼんやりの頭で思った。判断し、見て、動かし、どう進めるか考えながらやるのが仕事で、没頭するのが仕事らしいと今日は思えた。

☆☆ 皿洗いでは仕事ができていた。全(まった)き者として、僕は皿を洗って存在していた。


8/6(Wed)
 今朝草取りに起きて、頭が少し痛かったです。たぶん抑圧の傷だと思います。

 お腹にもかなりの張りがあります。こちらは、半年以上継続していますが、今が最大です。

 作業所、織り教室(月4)、猫ボランティア(月2)、カウンセリング(隔週・月2くらい)に通っています。
 



 作業所では女性が気になるというのが最大の問題です。

 昨日の朝は、カマを掘られそうになる夢を見て、今朝は女を抱く夢を見ました。

 カウンセリングでも、ペニスが機能不全((体液の出るときと、出ないとき(首が潰れているとき)がある。そのことではなくて、抑圧しているので、ペニスが自分の持ち物として備わっている感覚がないです))のことについて、やってもらっています。

 朝、作業所行く前の公園でゆっくり歩く(マインドフルネス・太極拳みたなようなつもり)をやっています。その時、ペニスが自分のものになっていないので、軸がぶれて、足も踏みしめられなくてナヨナヨ歩いている気がします。




 作業所で女性が気になるのは、若い女性です。昨日は周りの人が肉感的に感じられました。(存在している感じがした。いつもは頭の中の他者だった気がします。)

 周りの人の存在がハッキリすると、存在自体が怖い気もします。存在ゆえの迫力のような。



・ オネアミスの翼山賀博之)Blue-ray見ました。CDもレンタルました。王立宇宙軍軍歌を力いっぱいCDに合わせて歌いました。




・ アレクサンダー・テクニーク入門、サラ・バーカー、ビイング・ネット・プレス(BNP
 を読み出しました。掲載の悪い例の写真が僕の姿勢にそっくりでした。

雑記(本:あり)

(AM5:30)

 夢で、Windowsを7.9にアップグレードしたら、悪魔がやってきて変な本とかビラをおいて行った。どうもやってはいけないことをしたらしくて、それらは気持ちが悪い。厭らしいものだった。だからwindowsをもとの7に戻そうと考えているところで目が覚めた。







夢を見た。女を抱く夢を20年ぶりくらいに見た。とても幸せだった。半分起きていて、半分寝ている状態だった。リアルな夢だった。こういう夢なら大歓迎だけれど。肉感的だった。(AM1:41)





b

・ 昨日夢を見た。正確には今朝。男どもで車とかバイクとかで移動していた。そのうち僕が別の男たちに車で連れ去られ(仲間の男どもはどっかに行ってしまった)、部屋でカマ掘り大会が行われた。みんなやっていたが、僕は嫌だと言った。そこのところで目が覚めた。

 よくある調子が悪い時の夢だった。夢の中とはいえ、カマを掘られなかったのはよかった。





アレクサンダー・テクニーク入門(実践講座7)、サラ・バーカー、ビイング・ネット・プレス(BNP)



 読みだした。よさそうなホンダ(本だ)のバイク。使われている写真が、僕の姿勢の悪い格好にそっくりで、僕のために書かれた本ではないのではないかと疑うくらいだ。(僕は首が潰れているというくらいのもので、姿勢が極端に悪い)

 読んでみて、ちょっと齧った程度だけれど、無理に兵隊のようによい姿勢をとるのではなく、基本の動きで体を操作するコツをつかんで、それを自分の各姿勢に使っていくらしい。自分の使い方を変えるとか。

 アレクサンダー氏が、舞台俳優(?)だったか朗読家で、声が舞台上で出なくなって、苦節10年、自分の姿勢を・動きを研究し、肩の首の後ろの微妙な動きの後、声が出なくなる一連の動きをすることを突き止めたらしい。そのノウハウを皆に伝授するのがアレクサンダー・テクニークなのだった(偉そうに書きました。そうしたほうが面白そうでした。真摯で研究熱心、誠実な方だったのでしょう。)。


 僕の姿勢に関する気持ちは、自分の姿勢の悪いのは分かっている、それを直そうとして、変に硬直した姿勢を取りたくない。自然にいい姿勢になりたい。変に自分を偽るように、変えましたとはしたくない。
 うまく柔らかく、表面上ではなく、芯から姿勢の正しいのを導きたい、という思いがあった。これにアレクサンダー・テクニークは応えてくれそうに思える。フェルデン・クライスを買ってしまったので、こちらに進むのが遅くなった。

 僕は極端に姿勢が悪いけれど、そんなに重要視していない。他人は表面を見るだろうけれど。ぼくはこの方の趣旨のように、肉体と心が一つで、姿勢が悪いのも心の表れと密接だ(そういったかどうか怪しいが?)みたいな、姿勢を治すことの重要さに、共感を覚えた。

 部屋が汚いのも、僕の姿勢や心と密接だろうし、姿勢を治せば心も変わるのかもしれない。すごく影響を受けそうな本だ。でも、読み終わるのはすごく時間がかかりそう。




・本小さな習慣、スティーヴン・ガイズ



 こちらはメールマガジンで教えてもらった本。僕の基本スタンスに合うので、読んでみたい。でも、後回しになる。優先順位が巡ってこない。でも、重要でないわけではない。でしょう。教えてもらいたい。

www.e-hon.ne.jp



(〇×△)・ 自分の助平な気持ちが止まらない。僕は根っからの助平だ。女の子とどうにかなりたい。50爺だけれど、助平心に偽りはない。助平なことがしたい。下品で猥雑だけれど、心根がそうだからどうしようもない。女の子と何もなくなってから25年経つ。ちょっと寒いか? そうだそうだ寒いぞ(僕に対する応援歌と受け止めたい)。

 今日は作業所で、周りの人たちに立体感があった。それだけ、恐い気もした。若い女性も、怒ってたら恐いかもと思った。僕は自意識過剰なことがあるので、鬱陶しく思っているだろう。

欲しくないといったけれど、嘘だった。

 作業所に、僕と同じ立場の女性がいる。同じ立場というのは、自分の場所が定まらず危うい立場という意味です。

 その女性が、先輩女性と口げんかしていた。先輩女性は成熟しているので他の人の精神状態が分かってしまう。そこを見透かされた格好の口げんかだと僕は思った。

 
 その女性の口げんかを見ていて思ったのは、その女性は不満を持っている。どこに対してかはわからないけれど不満がある。

 そこに僕は自分と同じ構造を見た。





☆☆ 不満を持つ人は、その人のどこかに課題を持っていて、その課題を乗り越えなければならない。その課題があるゆえに周りから突っつかれる。だからまた不満になる。でも、こう書いていてわかると思うけれど、その人は課題を乗り越えなければならない。でないと袋小路から出られない。これはその女性を見ていて思ったこと。


 だから僕にもそっくりその言葉を向けられる。僕は不満を持っている。だから乗り越えなければならない課題がある。袋小路から出るためには、課題と向き合い解決しなければならない。今の僕にとっての課題は自分の男と、周りの女性。







 僕は若い女性がほしかった。なのに好きでないとか言った。それは大嘘だ。

 若い女性がほしいといっても、叶えられないので結果を先取りして、欲しくないといっている。あの柿うまそう。大木の枝になっていて手が届かない。食えないからまずいというのと同じだ。本当は食いたくてしょうがない。欲しくてしょうがない。でも手に入らないならまずいと言おうとしている。


 僕は若い女性がほしい。たわわに熟れてなっている。僕は欲しい。でも無理だろう。ここが屈折しているところ。だからその女性が欲しくないと言い張る。これが僕の構造。

素直に欲しい。でも無理かもね、というくらいに言えばいい。それが自分に対する手向(たむ)けだ。(縁起の悪いことを言おうとしているのではないです。言いがかり上、そういう表現になった。)


 

 

9/1 Fri /題あり:プロセス管理:りっしんべんにこころ

9/1(Fri)

 自転車をこいでいる道路の先に、一段低いところで草野球をしていた少年たちの野球ボールが転がってきた。自転車を置いてねげ返そうとして、フェンス直撃で戻ってきた。もう一回投げるけれど、少年たちのいるところより右側に落っこちた。低い柵の僕から見て右側。少年たちは跨がないといけない。

 どうにも2回投げたけれど、予期せぬ方向に飛んでいく。僕としてはきちんと投げ返すつもりだったけれど、あらぬほうへ行ってしまった。父とキャッチボールをしていた10年くらい前はできていたけれど、全くやっていなかったので、全くのど素人になっていた。ちょっとショック。壁ぶつけでもしようかなと思った。




8/31(Thu)

 今日も作業所は走れていなかったと思う。ちょっと調子がいいかなと思ったら、女に対する性欲が前面にきてしまい、作業に集中できなくなった。最初の1時間半くらいはよかった。あとはよくなかった。




中段(本題というほど突き抜けない)プロセス管理



 最初の作業の1時間半で感じたのは、僕はできる人になろうとしていたこと。それがわかったのは、ゆっくり歩くみたいに、ちょっと違う、だいぶ違うかもしれない、プロセス分解したから。作業を細かく分解して、分けて、1動作・1動作ずつ理解しながら進めようとしたから。

 作業を分解して、一つ一つ理解して、判断して、動かしていくと、(プロセス管理)、できる人になる必要はない。確認作業に頭を使い、動作に神経を使っていく、プロセスに神経をいきわたらせる。




 僕にとってのできる人は頭を使わず、何も考えず ひょいヒョイ できる人。でもそんな人がいるわけがなかった。そしてそんなやり方堕落だ。僕は間違ったできる人像を頭に描き、そういう間違った人になろうとしていた。




 その1時間くらいは頭をだいぶ使った。たぶん正解のやり方だったと思う。前の作業所、革細工の時にはやっていたやり方。

 僕は自分ができないから先を焦って急いでいたかもしれない。人が多い作業所だし、圧倒されている部分はある。


 
 一足飛び(いっそくとび)は止めたほうがいいらしい。全部の動作をプロセス管理でやって、無我夢中で先を突っ走る、僕にとってのできる人・間違った像は捨てたほうがいいらしい。僕のできる人(ひと)像(ぞう)は大間違い。一番小さい動作、1動作を積み重ね1単位にする、そういった分解した動作とその集成で一つの動きを作るのが僕にとっての正解。








別段



 女に写生するのは正しいのだろうが、女に向かう、その向かい加減が抑圧している僕は折れている。真っ直ぐ(まっすぐ)女にベクトルが向かって行っていない。

 女と精巧するのは正しいのだろうが、女と直に(じかに)向き合う自信が折れている。女に対するベクトルがネジ折れている。


 疑問はある、写生すればいいのか、精巧すれば男なのか。可能ではあるが、行っても男ではない気がする。能動力が男の証か?


 関係性が男の証か? 写生力か(オットセイかとも思えるが)? 精巧力か?


 僕が男になるカギはどこにあるのか。ゆっくりあるくで軸がブレるのは、男・性・ペニスと密接なのはわかっている。

 自分の男と向き合うというのは、女という媒介が必要か? 僕は男としての確固たる像を得ていない。未分化、線が不明瞭。
 男は、やはり自分の身体の声を聞くことか? 抑圧を行っている身体自身の言いたい喋りたい声に耳を澄ますことか?


 身体の声を聞けば、密接度は深まると思う。この辺怪しい、臭い、脈ありと思うけれど。カウンセリングの先生の目指している線とも重なると思うけれど。

雑記:お久しぶりです。

 低調でした。ご無沙汰です。

 土日は作業所から休みをもらい、今日も休みでした。オネアミスの翼を見ました。


・ 8億かかっているとからしい。落ちこぼれが宇宙飛行士になるという、その男の日常から語られるお話だと思う。

 宇宙飛行士の業務を全うできるのだから、落ちこぼれでもなかったのだろう。王立宇宙軍の同僚も打ち上げに全力を挙げて取り組んでいく。

 女、暗殺者、(物乞いが登場するのは珍しいのでは)、いろんな娯楽の要素が盛り込まれている。志が高いと思う。最初と最後は絵コンテというのか、イラストで進められる。そのイラストの筆さばきが半端でなく走っていると思う。

 僕はとても楽しく充実した時間を過ごし満足している。この作品の出来が良かったからだろう。


 細部に神経が行き届いていた絵だったのだろう。音楽はもちろん素晴らしかった。窪田さんの作曲だったのですね。(戦争)


☆☆ 人間が人間の手で宇宙に人を送り出し、回収する。その人力の素晴らしさと、人間力のすごさを感じた。アポロの話が身近に感じられた。人間はすごいなと単純に思って感じた。

 

・ 朝と3時ころ、草むしりをした。カメムシの見慣れないのが葉っぱにいた。ミミズも大きかった。昆虫君は好きだ。

 

・ 月・火 作業所の作業は走っていなかった。走れなかった。低調だった。
 作業所で、ボスの許可をもらい、織り教室で習った、かがり縫いをやってみた。ボスはおしゃれだみたいなことを言われた。僕は試せて満足したけれど、モタモタしてしまった。


・ 朝の肩回しとゆっくり歩くが、作業所に通う日は楽しみになっている。その日の調子も占える。だいたい集中具合でその日の調子が読める。



・日曜は、アマゾン 愛のヨガ:本 のレビューを読んで、 竹下正敏のyoutube 映像を見た。本:話を聞かない男、地図が読めない女 がベースらしい話でとても楽しかった。(竹下雅敏 家族の絆〜夫婦(1) (2009.4.19 名古屋) 男と女の価値観(1)
)これはよかったが、本家のページの7つのチャクラの話はあまり良くなかった。そして同氏の別タイトルも興味をそそられなかった。僕とは志向が違う。ついていこうという気はしなかった。

 ただ、ヨガを馬鹿にする気もなくなった。チャクラを開く、ヨガ本体のやり方は覚えてみたいと思った。トラウマをヨーガで克服する:本も、マインドフルネスとかぶる気がする。ちょっとしか齧っていない。


 プリンスのパープルレインアルバム:新しいのを聞いている。よいも悪いもないけれど、興味深い。

 図書館で本を読んでいない、あまり余裕がなかった。いっぱいいっぱい。まわすだけで限界にきてしまう。

25 Fri /窪田晴男のギター聞きたかったよ。

25 Fri


2pac vs ryuichi sakamoto - til the end of honneamise (オネアミスの翼 2pac

これは何なんでしょうね。かっこういいです。(?被せて、同時スタートして、スピードを合わせたのか? 疎いので。)

 このラップはメチャクチャすごい。

 ゲオの宅配レンタルで、オネアミスの翼は揃えることができました。CD:コンプリートコレクションも。



 ・作業所は調子が悪かった。走れていなかった。

 朝の公共でのゆっくり歩くは、身体の声を聞こうとした。身体の発する声に耳を澄まそうとした。どういう声か。少し感じられてうれしかった。


BSアニメ夜話  「王立宇宙軍 オネアミスの翼山賀博之 (2006年)

 これもいつか見たい。






24 Thu

オネアミスの翼(坂本作曲) Battle というタイトルらしい。

 このギターメロディーが無性に聞きたかった。窪田(パール兄弟)のギター。


・ 昨日は、動物愛護ボランティアに出かけた。

 作業もしたくなく、ねこをかわいがりたいとも思わなかった。でもやることを終え、猫とリラックスタイムをもらった。

 ねこを見ていて、猫たちの中でのたたかいがあり、自分のボジションを作るのも大変そうなのが分かった。人間社会と同じらしい。



 子猫をなで、耳とか触ったり、僕が触られたりして、気持ちよくなった。性的な部分が入っていたかも。
 子猫は噛んできた。軽く、噛んでくる。コミュニケーションらしいけれど、僕は背中をなでたりした。




 成猫も撫でた。なでられるのは当たり前だぞと、尻尾を立てたりして威厳を見せていた。

 他の成猫にはタッピングをしてみた。左右の足を小刻みに軽く触れるを繰り返した。猫は首を左右に小さく振り出した。しばらくして、立ち上がり、ソファーへ移動して自分の体を舐めていた。お気に召さなかった様子だった。






・カウンセリングは、父親に深夜スケベ番組を高校時代に見ていて平手びんたを見舞われたことについてEMDRをしていただいた。


 調子があまり良くなかったからか、疲れていたからか、カウンセリングがどう移り変わりながら進んだか説明できない。
 ただ、僕の家族が性に閉鎖的で、父が性の部分を認めておらず、僕にもそのトバッチリがきているという、そういう一族の負の部分の見えていることを話した。治療していただいた。



 僕は、その日、お尻の格好いい女性がいたりしたとか、話した。あまり高級ではなく、下世話な話だったが。先生も、性的に素敵な人はいると、僕の性を抑圧する立場から開かれたところに出るよう導かれようとされていたのだろう。

 ゴダールの女は女であるの、見ていない映画の筋を得意げにしゃべったりした。先生はあまり心を動かされなかったようだが、僕は見たい映画になっている。




 先生には、話を進めながら、EMDRをしてもらった。性の話題は、僕の病気に直結していて、少し苦しく、前進していくのが感じられた。苦しいのはよくなることの必要部分だから、いい傾向だと感じている。

今回は、僕にとってとても有意義で、先生の力の影響をもらい、治療していただいてとてもありがたかった。僕一人ではできないことを、第3者である先生に先導していただき、トラウマの部分を治していただいている。

全部僕の力の及ぶ範囲外のことです、だから先生の行為は僕を別の場所へ連れて行ってもらっています。
ありがとうございました。



 昨日は眠く疲れていて、8時に寝ました。4時起床。





・今朝は庭で、アゲハの幼虫2匹を見た。緑に黒縞で、オレンジのベロを出していた。雀にやられないよう、アシタバの葉の陰に隠しておいた。ミミズも雨露の出ている草の陰にいたのを、土の中へ埋めておいた。

ワラジムシやヤスデ、ゲジなんかもいた。


・公共空間で、ゆっくり歩くをやっていて、一本の線の上を歩くイメージでやったけれど、軸がぶれる。なぜかなとおもったけれど、これはペニスを僕が疎外しているからだと思われた。自分の所有物として僕の活動範囲に含まれていないのが原因だと思う。自分のものでありながら、管理下にない。

 そういえばノルポサイトで3日連続くらい火星へ飛んだけれど、こういう映像に欲情し、こういう映像を足しげく見に行くというのは、普段の生活で噴出してしまい、よくないのがわかった。やむを得ずという範囲に留めるが正解だとボンクラ頭でも理解できた。(普段の生活に支障が出た。隣の席の女性を性的に意識した件)
 人間に裏も表もないようだし。全部が表(おもて)だ。

 僕は情けなく、格好悪く、ドロトロと地面を這いながら進んでいる。月が西から出てきて、僕は地面をミミズ君にあいさつしながら、頭をぶつけながら進む物体のような。よくわからないヘンテコリンな。月を食らう、星に喧嘩を売る存在だ。(よくわからないことをいいけむに巻いているのか?)
 

裂き織り+下に見ている幾人かの周り


 結果から言うと、今日は絶好調だった。

 裂き織りに集中して取り組めた。昼食休みには織り機を別に移動するけれど、皿洗いを終えて取りに行って、遠くから織ったのを見たけれど素敵だった。自分でいいなあと思えた。ちょっとうれしかった。

 それでなおさら午後の作業に集中した。細かい修正もきちんとし、丁寧にやったつもり。(自分で近くで見ると雑なのかなあと不安もあるが)

 集中したので疲れたし、一生懸命だった。本当は裂き織りのことは何もわかっていないけれど。先生に習ったいくつかのことを繰り返すのみだが。やるにあたって、色の明暗は気を付けている。それが僕にできる今の最低限で、最大の武器だと思っているが、肩に力が入りすぎか。


 皿洗いをしていて、女が割り込んできて手を洗い出した。僕が皿洗い、ゴミだし、など雑用・下に見やすいことをしているかららしかった。そう後で気づいた。この手の女が4人くらいいることにも気づいた。ありがたーーーい事だった。できるだけたたかっていこうと思う。その皆さんも覚悟してね。僕ちゃん褌を締めて頑張るよーーーん。真っ赤かもね。


・ 図書館で、1時間裂き織りの本を読書した。今日は道具の話で、次回からデザインに進むことになる。これからが面白いのかな?

 
ショパンのBerceuse, Op.57をSpotifyで聞き比べて、僕は、Murray Perahia という人を見つけた。本当に耳だけで選んだ人。肩書き知らん。笑顔でこっち見て写っているジャケが頼りだよん。おじさんのピアノを聞こうと思う。ぼくもおじさんだよ。

負けの日(調子が悪かった)

日本ソマティック心理学協会

読みたくなる本がたくさん紹介されていて、刺激を受けました。

Product Categories ソマティック心理学協会関係書籍情報






 今日の作業所は、隣の女性を変に性的に意識したところから始まり、皆に強烈に意識されているのを感じた。

 交通機関に乗って帰るとき、今日は絶不調、調子の悪い日なのだとよくわかった。徹底的に戦おうとした。その過程で、敵が最低でも一人は意識された。あとはそんなに突っ込んでくる感じはしなかったけれど、怖いのでよく意識を巡らせ、探りを四方に向けようとした。

 簡単に言うと、防戦一方の日で、負けていて、苦しくて、不利で、攻め込まれないようにしなければいけない日だった。

 
 僕にとってはよくある、月に一度は最低訪れる日が今日だったというだけのこと。

 その過程で、犬死はやむなしとちらと浮かんだ。ここは結構大事で、守りきろうとか、生き延びようとかいうより、ダメでも捨てる気持ちは必要になってくる。その中での、犬死は積極的に完全敗北を認めることになり、自分の限界を認めることになるので、大事になってくる。不利な日には、犬死を許容することは必須の条件だと思う。


 嫌な、逃げたい、来てほしくないけれど、必ず来る不利な日だった。家に帰って、周りの学生が騒いでいて、首は伸びた。伸ばすことができて、不利から脱出した。疲れる、めんどい、しんどい、やはり来たなという日が終わった。図書館へはとりやめた。





 僕の場合、調子が悪い日があるから、首は伸びるし、よい日も来る。この両面はどちらかだけで成り立たず、両方が補い合っている。だからなおさら、受け入れる必要がある。

 嫌な日だった。


 去年のブログでは、8/19(FRI)に調子が悪くなっていて、同じ間隔で動いていた。過去の調子は参考になる、と思った。


・ 今日は久しぶりに朝、草取りをした。やたらとカラスが鳴いていて、調子の悪い日の前兆だったのか?

 久しぶりにやると、おもしろかった。草いきれを吸い込んだりして。1か月ぶりくらい。
  
 

逃げ

追記

 政次ドラマを見ていて、それを見ている父の顔を見ていて思うけれど、父は家族の中で傷つけられたのではないのか。祖父か誰かに。そうでなければああいう顔はしないのではないのか。違うなら、父はもともと腐っていたというのか。祖父にはひどい部分があったのではないのか。そんな気がした。





a

 昨日は、コンポで音楽を聞いた後、spotify検索で同一曲の違う演奏をたくさん聞いた。

 コンポで音楽を聞いたまではよかったが、そのあとダラダラとインターネットを続けたのはよくない。逃げだった。



 やらなければいけないこと、できることはたくさんあるのに、向き合わず逃げを打っていた。いつもやる手だった。さも何かに取り組んでいる気分にはなっているが、実際はやることをしない逃げなのだった。

 僕はそうやって逃げを日常的に、恒常的に行い、自分から向き合わない日々を送り、時間をダメにしてきた。自分を腐らせ、時間を腐らせ、いい気分になっているのだった。

 ズルくて、卑怯で、腰が引けていて、「明日ね、今はやめておこう、ちょっと後でしよう」、と逃げグッズをたくさんばら撒き、黄金の道路の上を歩いて、ダメな人間をやって自分を気持のよい気分に演出するのだった。


 僕にとっての女も、逃げグッズの一つなのかもしれない。女と向き合っていないのは確かだ。

織り教室、布を愛でる

 昨日の作業所は、作業の終わりころ辞めようかとか考えた。掃除はどうだろうかと。手芸ではめぼしいことはないしと。

 稲森和夫先生もおっしゃっていたような気がするが、辞めたくなった時からが勝負で、打ち込むべきだと。

 辞めるにしろ、徹底的にやってもみずに逃げ出すのはよくないと思えた。



・現代の裂織敷物、ヘザー・L・アレン、染織と生活社、2005 (ヤフーオークションで購入)



 読んでいなかったのを、織り教室の後、図書館で1時間読書した。やりたくないけれど、何もせず逃げ出すわけにもいかず、無理やり読んだ。

 内容自体は面白かった。外国では、裂き織りの敷物が発達していて、それの文化があるらしい。日本では着物だけれど、向こうは洋服とかでやるらしい。あたりまえだが。 


 技術以前のはなしの、外国の裂き織りの歴史から始まった。次読むところは道具になり、次がデザインらしい。今はウォーミングアップ。もう勝負は始まっているが。




・ 昨日の裂き織りでは、辞めたいと思う前、裂き織りって、布を愛(め)でる行為だと思った。布を慈(いつく)しむ。

 布自体を大事に思い、愛情をかけた行為と眼差しで関わる、そういうものだと一瞬思った。



☆☆・ 今日の裂き織り教室、(作業所は休みをもらっている) は、ゆっくりやった。端の処理にも時間をかけた。織ることを大事にしようとしたのか、やたらとのんびり織った。

 
 緯糸(よこいと)の微妙な上下へのうねり、5ミリ間隔くらいの経糸(たていと)、経糸(緑色)の幅が狭いので横に渡す織る着物を裂いた布・白色が経糸の色で映(は)える。
 そして先生に習った、裂いた時の布の折り返しで方向転換する布の出っ張りを、織りあがる布の表面にあえて出す、その等間隔と立体感でとても面白いことになっている。

 これらをゆっくり味わった。気分転換になり、端の処理をやたらとゆっくりやった。織る基本を時間をかけて自分のために、自分の時間のために、確認のため、織る行為の基本のためぜいたくに使った。とても有意義だった。



 先生には、こいつ辞めそうだなと、マークされていたようで、注意されて見られていた模様の気がした。(悪い意味ではなく、よいきっかけを与えたいと思っておられるようだった)
 僕が気分良く帰ったので、一安心してもらったと思う。僕自身が本当は一安心だった。逃げ出そうとしていたので。エネルギーをどんどこかけないと、今はいけない時期らしい。そうしないと、作業所へ通うモチベーションが上がらないし、折れてしまうし、負けてしまうと思う。表現が消極的です。ここは稲森和夫先生の、働き方 にも登場してもらって、乗り切りたい。

雑記 8/17 Thu


平成29年8月17日


・ めだかの水槽を掃除していないので、小汚い中、臭い水の中であがくのを強制している僕は圧制者の独裁者。(いま、掃除が終わった)



☆・ 公共空間で、ゆっくり歩くのをやっている。だいぶ慣れてきて、うまくもなってきた。今日は腰を入れて少し歩こうとしてみた。いつもは、僕は腰が引けて歩いている。レベルが上がった気がした。(今日は気持ちが入っていた。集中力があった。)



☆・ 作業所では、皿洗いをしていて、プラスチックのカレーを食べた皿を、たくさん洗剤を付けた泡立ったスポンジでこすっていて、子供の世話をしているようで皿がかわいいなと思えた一時(いっとき)があった。
 伏線があって、カレーなので、こびりついたのをとるため、洗剤の入った水桶に入っている皿を、最初にティッシュで拭いて、洗剤を皿にかけてまたティッシュで拭いて、そのあとで先の話、スポンジの泡だったので洗う段取りを踏んでいた。だから、盛り上がる手はずは整っていた。







・ 自転車の軸のブレは、今日作業所から帰ってきて直した。空気も足りていず、それも走りの変な感触につながっていたみたい。
 自転車は、サドルがいいのになって(安いけれどメーカー)、ものすごく走りやすくなった。それと、タイヤがメーカーなので食いつきと安定性が全く違う。僕のはホーマックの9年位前のBe club というママチャリだけれど、一流自転車かと間違うくらい走りが変わった。自画自賛。大満足している。Happy.



・ 昨日は、ソフトクリームをコンビニに買いに行って、家族で食べようとしたけれど、母は回覧板と近所散歩に出かけてしまって、父は食後に食べるといって結局今日食べていた。僕はひとりさびしくソフトクリームを食べた。
 うちの家族に受け止めてもらうのを期待するのは間違っているという事実を再認識した。孤独と厳しさと、事実の気がする。ここは割り切って、他所(よそ)で受け止めてもらうさ。



・ 昨日はOSの再セットアップをした。朝から晩までやっていた。更新プログラムを受け付けなくなっていたので踏み切った。データの退避に午前中かかった。
午後からやって4時くらいにひとまず区切りがついて、8時くらいまでソフトを入れたりしていた。サービスパック1が受け付けなくて、バラでインストールした。(いま、更新プログラムがダウンロードされてサービスパック1になった。めでたかった。)その過程でインターネットエクスプローラーがダウンロードできないソフトになってしまった。(11を無理に入れる形になったためだと思っているけれど、本当か?)(今なら動くのか?)

 メール設定は、遠隔操作でやってもらっていたのが使えず、適当にこうではないのか、ああではないのか、と試行錯誤して動いた。基本的なところしか触らず、基本的なことで動いた。


・ とりとめのないことをダラダラ書いたけれど、僕は、朝の公共空間のゆっくり歩くと、皿洗いの子供のように感じたのがあったので、とても幸せな一日だった。



・ 本職の裂き織りは下手だけれど、何とかやろうとしたけれど、ゴミ出しとかに力が入っていて、ちょっとおろそかだった気がする。手芸は上達しないし、注意力が散漫で、やっても成長する気がしない。僕なりにゆっくりトロトロ成長しているとは思うが。→僕は水洗いが好きだ。(皿洗い含む) 

☆ 手芸を上達するには、手先の感覚に集中したほうがいいかもしれない。前に一時(いっとき)、それで成功したことがあった。





・OSを入れなおしたので、新品のパソコンみたいな状態になった。データもUSBメモリに退避させていたし、引っ越した状態になった。精神的に気分がいい気がする。2年に一回くらい、パソコンの整理は必要かもしれない。僕は小汚く使うところがある。それだけ頭がゴチャゴチャか、整理されていないという意味で。お盆に、普段できないことをした。その分、遊ぶ余裕がなくなった。全くリラックスしなかった。そういう使い方で終わった。




☆・ 太極拳に学ぶ身体操作の知恵:本 を交通機関で読んでいるけれど、相田みつを のはなしがあったり、コツがあったり(基本だと思う)、初心者の僕には面白い内容になっている。読んでいると充実してくる。

自転車後ろタイヤ交換 15 Tue /本題あり 14/(ハゲるだろう)12 /?11/ゴミだしhappy♡ ♡。(男だ)

追記;

 そういえば、後ろタイヤの側面についているパナレーサー パンクガードマンという名前と、サドルについているブリジストンという名前は黒マジックで消しておきました。もちろん盗難・イタズラ対策です。念には念を入れておきました。




15 Tue

・ 自転車の後ろタイヤ、変速機付き(外装六段・ママチャリ)を交換しました。よくわからず変にやって、2度目に、交換したリムの軸に付いている歯が正しい位置に入りました。歯をチェーンのどこに入れたら、セットしたら正しいかわかっていないのにタイヤ交換を始めたので、ここが最難関だった。記念に絵を描いておきました。自分の頭に入るように。本当は、交換する前に描いておけば早かった。

 チューブは、パナレーサーのスーパーチューブ・パンクに強い。タイヤは、パナレーサーのパンクガードマン。これをリムバンドも交換して後ろタイヤに履かせた。これが後ろタイヤ。

 前タイヤは、後ろタイヤに履かせていた比較的新しいのを持っていった。チューブは前タイヤのもの。前チューブが自転車を全部セットした後に、パンクさせてしまっていた。パンク修理もした。(比較的楽だった。

 他に、サドルをアマゾンのブリジストン黒に交換して、前かごをダイソー500円のものに交換した。9~10年乗ったのでボロくなっていた。比較的新しかった交換する前の後ろタイヤは自転車屋で交換してもらったもの、父に持って行ってもらってやってもらった(そのころ自分の調子が悪く自分でやる余裕がなかった)。




・ ブレーキのセットの甘い状態でスーパーに行き、ドラッグで買い物をし、前かごをダイソーで買った。(最後に前かごは交換した。

 家に帰ってから、前かごをつけ、ブレーキの甘いのを直した。スーパーに行くときの走行で後ろタイヤが左右にぶれていた。軸に真っ直ぐセットされなかった模様。明日直すつもりです。うまくいくか。

 サドルが新しくなったら、ゴムが効いて滑りづらく作りもフィットしてグッド。何年持つか? 前かごも新しくなって気持ちが良い。ちょっと、前のより小さくなった気はするが。


 おもしろくないことをダラダラ書きましたが、僕にとっては慣れないことなので1日がかりでした。一大イベント、娯楽でした。お疲れ様。(自分で言わないと誰も言ってくれないので、言っておく)





 Tシャツに首にタオルで作業した。帽子を被ってジーンズを穿いて。腕が日焼けした。曇り空だったのが晴れたりしたので。

手についた
☆黒いチェーンの油汚れは歯磨き粉でこすると取れますよ。

昔本で読んで覚えました。




 充実したのか、疲れたのがわからないけれど、楽しかった気もする。変速機付きの後ろタイヤ交換は初めてだった。鉛筆で、変速機とチェーン、歯の関係の絵を描いたのも楽しかった。

 無事一応終わったのでめでたかった。


☆☆ 金を使っていない愛機のママチャリも新規出直しだ。走れ、進め、ぼくのママチャリ。どこまでもどんな道でもグングン進め。月まで飛んで行け。



14 Mon

 15・16 休みを頂きました。

 昨日今日は、皿洗い、ゴミだし、掃除機かけ他(裂き織り・パソコン棚卸入力/出力作業)をしました。


 頭を下げ、裏方的なことをし、自分の場所を広げている。ゴミ出しも、嫌われるかともおもったけれど、そうでもないみたい。本職がおろそかで、気持ちが入っていない気もするが。今日は、握力が落ちた気がして、空回りした時があった。かなり動揺してしまった。


・ 金曜日頃、雨が降って、行き帰りの交通機関までを母の車で送ってもらった。帰りはテレフォンカードで呼び出した。(僕は携帯を持っていない・いまはスマホか)

 帰りの車が家の前に止まって、僕は

「おやすみなさい」

と母に言いそうになった(午後4時ころ・真昼間)。なぜかわからん。認知症か、という頼りない感じもするが、頭は柔らかい状態だったのでそうでもないだろう。

 感謝の気持ちが、おやすみなさいと取り違えそうになったのだと思う。爺になったからか?



 作業所は、頭を下げて、何でもやると思えば、広がって自分の場所も大きくなる。雑用・裏方というやり方もあることを発見して、(僕は自分がフロントに立つことばかり夢見てきた)  皆とそちらでコミュニケーションを取れることがわかった。今日は首が潰れていた。いまは、youtubeymoをかけている。


 物を買うと、次々欲しくなる。一つのものがすごいだろうと思い入手すると次のものも欲しくなる。きりがない。教科書で習った状態だと思う。この際限は尽きることがない。突っぱねが必要なのか。どういう作戦で切ればいいのだろう。断捨離とはどんなものなのだろう。わからない。


youtu.be

映像のインジケーターが格好いい、気がする。最初のところを聞いています。4

 


本題 

 欲望の話ですが、僕は最近薄々感じつつある。物は買えばいいというものではない。在庫がある。持ち物のこと。その持ち物にどれだけ手を入れて手入れして使ってやれるか。ようは、買えばいいとか、持てばいいではなく、アフターサーヴィス・手入れが大事だと。

 毎日、曲を聞いて、歌詞を入手して、意味を取り、歌えるようになり、楽器で弾いてみようとしたり、これらの長いスパンをやることというか、無理にやるのでもなく、裏方的に・世話をしてやる気持ちで手を入れてやる。本当はそこが大事ではないのかと。薄ぼんやりの頭で感じている。






12 Sat

追記:リコーダーを久しぶりに吹いた。自分の中ではベストな部類だった。下手ではあるが、うまくなった。善戦したと思う。

 先生のリコーダーはやはりうまい。後ろを走っていきたい。


 ・公共機関で、男便所に僕一人だと、「トイレの王様だな」と感じる。公共のトイレには大抵誰か彼かいるものだ。たまにしかそういう機会は廻ってこない。とくに、人出入りの激しい、激戦区トイレなら尚更(なおさら)のことだ。リラックスと、優越に浸る。(臭い空気の中)




On the road to Become bald.

・ 僕は禿げ前線の最前線で戦っている。日々髪の毛の抜け毛をシャンプーのたび感じ、父に近づきつつある頭を叱咤激励し、ふさふさ頭との別れを実感している。敵は、禿げ爆弾や、禿げ機関銃で僕の頭を攻撃してくるので、それに負けないよう、というか、降伏してもいいのだ。

 僕は禿げなんかこわくない。開き直って、禿げとしてやっていくのだ。と強がりを言っても説得力がない。諦めざるを得ないところに悲しさがある。あーあ禿げよ、僕はツルツル頭になるけれど、少しでも残っておくれ、負けないよう戦うのだ。勝つ見込みのない受動的な戦で、どこかに禿げの利点やメリット、強みを見つけようと思うが何も頭に浮かばない。ただただ敗北あるのみ。禿げ仲間に入れてもらおう。よろしくね。





12 Sat

 今日は行きの交通機関で隣に座った女性に女を感じた。

 作業所では女性スタッフに女を見た。

 そして同じ通所者・周りの女性にも女がたくさんいるんだなと感じた。

 ある意味調子がよく、本当かあ? でもある。

 作業自体は良くも悪くもなかった。棚卸パソコン、今日から7月分始まった。



宮沢りえ サンタフェ


 を開いて、ベッドに(すのこ)座りながら、


・Evgeny Kissin ピアノ Chopin, The Four Ballades, Red Seal,1999


を聞いた。至福の時間だった。

 サンタフェは物凄かった。どこがすごいか言えないのが弱いが、篠山紀信は何を感じ、何を見ていたのか知りたい。宮沢りえサンタフェ(地名か? わからん)で過ごした、ここでの表現はどういうものだったのだ?

 
 キーシンは、ツィメルマン(ツィマーマン)のピアノを持っているので・The Four Ballades 、比較できた。

 キーシンのほうが、表現力に優れていると思う。ツィメルマンは感覚的な人だと思っている。キーシンは攻撃・怒る表現も硬度があって鋭角的に出せていて気持ちがいい。3曲目までしか聞いていない。ヤフオクで買った(業者相手)。

 キーシンのように音楽ができたら素晴らしいだろうなあ。









11F::追記:

 僕の注意が移り変わり、留まらないと書いたときに、カウンセラーの先生はADっぽいと言われた。調べてみると、注意力のところで僕は該当するかもしれない。9月6日のお医者さんの診察の時に聞いてみたいと思っています。診断がつくかもしれません。 
 僕はどうあがいても精神病で、うまくいかない奴なのでしょうか。ちょっと不安で寂しい。病気は回復傾向とばかりにはいかないかもしれない。



11 Fri

 今日は作業をしたくなかった。乗り気ではなかった。けれど、やることになっているのでやった。皿洗いに集中できた一瞬もあったけれど、あまり頑張っていなかった。

 裂き織りを先生に習った。(作業所)
 端がほぐれないよう、一本一本切らないでつなげて織った。先生に習った。

 慣れないやり方で、裂き織りは手間取った。かなり進むのが遅かった。4本動かしながら織ると(杼・ひ)、ややこしくて、こんがらかった。いっぺんに増やしすぎた。それで2本を基本で、3本で織った。2・3回分を杼に巻いて織った。

 なんか僕にとっては難しく、ハードルが高く感じられた。くじけそうだった、最初のほうは。




 棚卸エクセルも、他の人がやるのかと思ったら僕の役目は続いていて、明日から先月分をやる。



・この間、先輩が威張ると書いたけれど、実際は威張ってない。
 
 先輩は役割りの確認を求めるので、それに応えなければならない。僕に対して威張ってくるわけではないです。
 フェアーではなかったので書きました。



10 Thu

Sonic Youth-Daydream Nation

18:28 - 'Cross The Breeze
から後の曲がおすすめ。


特におすすめ。
49:11 - Trilogy: A) The Wonder / B) Hyperstation / Z) Eliminator Jr.


 僕はソニックユースをよくわかっていなかったけれど、曲を聞いて、気持ちが裏返っていて、マイナーで、反社会的で、背いていて、アンダーグラウンドで、壊していて、ネガティブなことをポジティブにやっている。

 これはすごいと思った。僕知らないバンドだったけれど、レッテルを貼り、色眼鏡で見ていたけれど、聞いてみてよかった。ギターを弾いてネガティブになりたいな。


2017年8月10日(木)



 作業所の若い女性にはこのあいだ咳攻撃を受けた。まあ、僕が絡んでいたので受けなければならなかった。


 作業所では、ゴミ出しもやらせてもらった。こういう皿洗いとか掃除機かけ、ゴミ出しなどは雑用だけれど、僕はやらせてもらって幸せだと感じている。


 僕の役割ができてきて、担って、できることが増え、自分の意志でやって、新・唯一無二(この間、健康を理由に辞められた)のやっていた後釜を担いつつある。僕には後継者としての力量はないけれど、ぼくのスタンスとスピードで後釜をやっていきたい。



 本職は手芸のはずなのだけれど、なんせ芸がない。無芸なので、雑用になるしかないのか。


新・唯一無二が楽しいと言っていた意味が、ぼくにも理解できるようになってきた。雑用は誰にでもできることではなくて(誰でもできるけれど・ここのニュアンスは違う)自分で荷(にな)うことに意義がある。

積極的関与がここでの重要度の目安になる。
僕は望んでやって、責任を持たせてもらって、取り組みを好ましく感じていてやりがいももっている。



僕はここにきて展開して、成長できて、幸せを感じている。誰でもできるのにハッピーを感じている。意外な展開だった。雑用などできることは何でもやろう、皿洗いを少しずつやらせてもらって、この展開に来た。ものすごくて、不思議な巡り合わせだ。やっていることは地味で暗くて簡単だけれど、感じていることは松明(たいまつ)だ。赤々と四方を照らし燃え上がる閃光のように明るい光の束(たば)。


 堀内孝雄のサンキューを唱和したい。(ダッセー)。サンキュー。Thank you.

 



・ 自転車屋で変速機のワイヤーを交換してもらった。今の僕にはできない技だった。店主はどこかのショップで修業したのか。


 マウンテンバイクのレディースに乗るというのはどうだ、僕は華奢な身体なのでというと、自転車というのは軽さを値段で競うものなので、大きさの違いはあるが、値を出せば軽くなるのでメンズレディースの違いはない、みたいなことをいわれ、そうなのかと教えてもらった。自転車屋というパイプを持った。リムバンド1つを買った。




 盆休みに、後輪のタイヤ交換を予定している。変速機のある交換は初めてで出来る自信はないけれどやってみたい。パンクしづらいパナレーサーに決めている。揃った。後は実行あるのみ。できるかな。

後輪の減っていないタイヤを前輪に持ってきて、後輪にパナレーサーを履かせる。後輪のチューブが空気を入れるところが前にパンクしていたのでゴロンという感触で乗ってきたので、限界は近いと踏んでいて、それの先取り交換となる。

 天気が晴れならいいけれど。外でやりたい。

「動物愛護団体・カウンセリング」 8/9 Wed


2017年8月9日(水)



動物愛護団体・カウンセリング」


前半


 動物愛護団体へ出かけた。掃除機かけやモップかけをした。1Fの作業が終わって、勝手にフリースペースの猫と戯れた。遊ばせてもらった。

 猫は、子猫4匹くらいが膝の上に載って、成猫も触ったりした。


 子猫は、この前、指先に攻撃を込めてしまったので顎の下は撫でず、背中をさすって大事だよと指に込めた。成猫も背中を手のひらで撫でた。皆拒まず受け入れてくれた。子猫は重みを膝の上で感じつつ背中を撫でた。4匹くらいの子猫で僕の身体は猫山になってしまった。成猫は僕が撫でることを許容していて、否定せず拒まず、緩(ゆる)やかに受け入れてくれた。

 猫と戯(たわむ)れ、猫にシンパシーをもって、猫に受け容れてもらって、猫を撫でることを通して僕は動物として仲間になった。猫仲間になった。




 そこのボランティアの僕と同じ立場の女性は、猫を飼っていて6歳で、さらにボランティアをしているという、すごいなあという方だった。この方、すごく仕事ができる人です。そこは尊敬しています。成猫ばかり触っていたから、子猫は撫でないのかと聞かれた。子猫は壊れそうだからといったら、私もだいぶ慣れたみたいに言われた気がする。子猫の喉下は撫でないことにした。でも背中をさすることを自分に許容した。


 ボランティア団体でだいぶ遊ばせてもらったので、僕もだいぶ気が楽になった。あそこにかよっている意義も感じられた。ありがとうございました。お世話になっています。

 猫とこのように平和で相互作用のあるやり取りをさせてもらうことができるようになるとは思っても見なかった。とても意外な展開で、すごく僕の力になっている。





 猫に対する僕の距離感は、チラシ配布・テレフォンクラブという女性とつながる電話の会員制金券・イヤらしい猥雑怪しい をしていた時に(ポストに投函する)、野良猫を見ていて、奴らも僕と同じストリートで生きていて、同じように身を守るものがなくて、生き抜いている同じ高さの動物という距離感だった。

虐待され血を流してウロツイテいる猫を見たときもあった。

ポストに投函するためアパートの廊下を歩いていて、結果猫を追い詰め、ギャーと僕の脇をすり抜けた猫もいた。こいつは僕が加害者だと思ったらしかった。猫の退路が無くなっていた。




後半




 カウンセリングは、毎日をまとめた報告書を見てもらうことから始まった。結果、時間がかかり過ぎてEMDRしてもらえなかった。

 母親に食って掛かって、「人のせいにしないで」と突っぱねられ攻撃を止めた幼稚園の時。僕はこの時の体験が今も引っかかり大事だと先生に言ったら、先生はパソコンを開いて、その時は甚平を買って、一年くらい前で、一回やっていると言われた。(せいかくには、こんなことだったと言われたが、記憶が薄かったので指摘されても忘れてしまった。)

 そうかあと思った。そして僕が引っ掛かっていて大事だと思われたのは、



カウンセラーの先生用文章より:


「・ ヒバの枝を払ったら、ありがとうではなく、母にもっと上の部分を切りそろえろと要求された。」


これと同根だと思われた。どういうことかというと、ぼくはこの話ではヒバの枝を払ったのだけれど、ありがとうよくやってくれたねと、人間としての行動を受け止めてもらったのではなく、さらに上も切れと言われた。ありがとうと、雑草を取って言われることもあるが、それは社交辞令と一緒で、挨拶程度の意味しか持たない。人間としてのコミュニケーションではない。受け止め、行為を抱擁・ホールド・受け入れではなく、ただの機械のように扱われることがほとんどだ。父母はそのことに気づいていない。

 幼稚園の話も、僕が食って掛かって、どうしたんだい、不満があるのか、どうして欲しい、と受け止めてもらえたらよかったが、幼稚園児に人のせいにしないでと、自分の保身のような突っぱねを食らって、そこが同じ同根という意味で使っています。



・カウンセラーの先生への文章より:

「 父は、僕から見て祖父祖母のもと、傷ついて無力感を味わったのだと思う。それを直視しないで、人を憎み傷つけ操作するというやり方を採用したのだと思う。
 母は、祖父祖母から受け止めてもらっていないと思う。スルーされたのではと感じる。



 ここを書いて、先生に言い洞察だねと褒められた。これは、僕が親、じいちゃんの世代から受け継いだ世代間の問題で、大きな問題を僕は越えようとしている、ぼくの一族で初めての行為だと言われた。確かにそうともいえる。そういう見方もあるのかと。でもそんなに大げさではなくても、僕は新しいスタイルを一族のやってこなかった分野に踏み込もうとはしている。親を越えようとしている。
 

 母に受け止めてもらえず、どう感じると言われ、期待しないというと、どういう諦めかと聞かれた。答えると(どう答えたか忘れた)、未練がある諦めだねと言われた。まだ期待している部分があると。まだスパッとはいかない。でも、僕のなかでは、ほとんど父母に期待しない方向になっている。 まだ未練はあると思う。

 僕はいいラインに乗っていると言われた。回復傾向の。楽でしょと言われた。そう、楽50%、苦しい50%というと、そんなに急には良くならないけれど、苦しい時もあったけれど、いまはこう思える、僕にはこういう力もある、まだうまく行かない部分もあると、見られるようになっていく、みたいなことを、この時ではないが、前後して先生に言われた。

 このカウンセリングでできることはあるかと聞かれ、答えに窮した。先生は、卒業を見ているかもしれない。太極拳とか、ヨガとか書いたし。次回は、2週間後です。


 幼稚園の時の、EMDRは必要ないかもしれないと思った。父母に許容されなくても、猫がいるし、太極拳というかマインドフルネスがあるし、僕は成長できそうな気がする。猫パワーか? 
猫様のおかげでごぜえますだ―。あなた様をお祈りするでごんす。わしらを見守って下せえー。頼ん申します。猫様、猫様、ナンマイダー。





先生への文章
転載:
参考までに:読んでもおもしろくない:






7/26(Mon) ブログより


「醤油 伝わる」


 それで醤油にした。醤油のボトルをつかんでかけて戻そうとしたら、僕が好感を持っている人が手を伸ばしてきた。僕のを受け取るという意思の現れた手の出し方だった。僕は相手のほうの机に置こうとして、まだ手を伸ばし続けるその人に(男)手渡した。その人は受け取った。


 僕を拒絶するのではなく、手を伸ばして受け取ってくれた。ここにはやり取りがあった。僕はこの時、相手の意志・否定してくるのではなく認めていた、その手へ伝え渡した。ここには人間のやり取りがあった。



宮沢りえの写真集:サンタフェ / プール・アミティエ の2冊を買いました。



女性の写真集を買ったのは、快楽の館に続いての2・3冊目です。


7/28(Fri) ブログより


・ 父は、コンサドーレが負けたら、ボロクソにこき下ろした。僕が好きなのを知っていて。だからファイターズも同じじゃんと言い返した。ファイターズも負けてばっかりだと。ひどいぞと。父は野球が好きで、ファイターズと一体化しているので、言い返した。そういう、父の僕をまったく尊重せず否定する、そういう、父の僕を傷つけるやり方もずっと続いてきた、(EMDRしてもらいたいと思っています。)いつかお願いします。


 あと、高校時代、深夜放送のテレビを見て、助平を見たかった僕に平手パンチを見舞った父の、その性への衝動を全く考慮しない父の否定さ加減を(EMDRしてもらいたいと思っています。)いつかお願いします。




8/1 Tue ブログより

僕は意識が今まであちこちに飛んでいた。すぐに移り変わって集中できない。次から次へと意識は動きひとつにとどまらない。世間でいうところのダメな奴でバカだ。


・でも今回頭を使い、どうやるかに集中しながらどう進めるか考えながらやってみて、仕事の進め方を考えながらやるのが仕事なのだろうと、薄ぼんやりの頭で思った。判断し、見て、動かし、どう進めるか考えながらやるのが仕事で、没頭するのが仕事らしいと今日は思えた。


☆☆ 皿洗いでは仕事ができていた。全(まった)き者として、僕は皿を洗って存在していた。




8/5 Sat

 前回のカウンセリングで、バスの女の子に手を振ってもらって、手を振り返せなかった時に無力感を感じたとわかりました。

 そういう無力感のたくさんの積み重ねが、僕の中での鬱的なものになり、主旋律を奏でるようになったのだと思います。


本:うつのためのマインドフルネス実践、星和書店
  The Maindful Way through Depression,2007


で、思考を心の創造物として見る:という8章がありました。このとき、思考に対して、何が言いたいのか、何者なのか試させてくれと探索的な気づきを使う、というのがありました。この部分によって、僕の主旋律:思考のクセ:僕の鬱は無力感ではないのか、と気づきました。これで一気に謎が解けました。僕というのが、無力感で作られているのが。


 そのうちの一つが、幼稚園時、母に食って掛かって攻撃していて、人のせいにしないでと言われ、何かを止めたこと。これが今一番EMDRしてもらいたいことです。(よろしくお願いします。)


 この無力感が、思考の大事な主旋律で、僕は大きな無力感でできたオーケストラを奏(かな)でているのがわかりました。自分の正体を見破ったので、解放されました。見切った。
 すぐには良くなりませんが、戦う舞台が整いました。戦略も立てやすいです。

 僕は、母には全く受け止めてもらってきていないと思う。突っぱねられてきたので。父には全否定されてきていると思う。

・ ヒバの枝を払ったら、ありがとうではなく、母にもっと上の部分を切りそろえろと要求された。

・ 高校の時の勉強でも、僕は復習を終えたのに父母に受け止めてもらえず、もっと予習までやってどんどん先へ進まなきゃダメだと、僕の成果は顧(かえり)みられず要求を突き付けられ、この人たちはダメだと思い知らされた。

 父は、僕から見て祖父祖母のもと、傷ついて無力感を味わったのだと思う。それを直視しないで、人を憎み傷つけ操作するというやり方を採用したのだと思う。

 母は、祖父祖母から受け止めてもらっていないと思う。スルーされたのではと感じる。



8 Tue

 ・トラウマをヨーガで克服する、紀伊国屋書店
 Overcoming Trauma through Yoga Reclaiming Your Body

 を買いました。僕は太極拳とマインドフルネスでやって行きたいです。

8 Tue /7/6/4/雑記/書評紹介

8

 主な活動場所 Seesaaブログです。
 
・ 作業所では、カレーが出た。平日の人が多い時の、プラスチックの容器。油がついて黄色く困難が予想された・皿洗い。

 気分は沈んだが、取り組んでみて、容器に洗剤をかけティッシュで拭いて汚れを取り、洗った。スプーンは3回くらい洗った。鍋はボスがやってくれるというので頼んだ。

 困難だけれどトライして、何とかしようとあがいて、困難もいいものだと思った。越えることができた。少し自信になった。


・ 先輩方は、先行しているというので、威張る所があり、そこが嫌でもあるけれど、僕の立場はぺーぺーなので、頭を下げなければならない。そいう関係になっている。後輩は先輩に筋を通す。これが掟(おきて)だ。

・ 直虎は、政次が「俺が地獄へ行く」だったかのキメ台詞を吐き、歌舞伎のように見得を切っていた。

 そのようなものだ。よく話が噛み合っていないが。

 明日は朝が早いので、21:00に寝ます。




7

 作業所では、スタッフが片手鍋に水をくみポットに入れていて、それを見ながらそういう仕事もあるのかと。

 まえにボスに聞かれた、土曜のごみ出しはあるのか。に反応した形で、びん・缶・ペットボトルのごみ出しを女性に習った。ラベルを剥がしキャップを取り、住民用のゴミ捨て場に入れに行くというもの。

 僕のできること、作業が拡張されおもしろかった。これから続けると負担も増えるが、おもしろくなるかもしれない。

 
 ツィマーマン(ツィメルマン)のピアノは感情というか感覚的だと理解しているけれど、キーシンキーシンの理解するショパンを弾いている。どういう理解で取り組むか緻密に組み立てて作っているのかなと想像した、というか理解したけれど正解か? 抑制が効いているというか、理解力で弾いている印象を持った。

 ソニック・ユースのデイドリーム・ネイションをyoutubeで聞いている。知っているバンドだったけれど、こういう感覚ありか、と感じた。楽しげな音の感覚とやり方だなと思った。難しいことなしに、影響を受ける。(僕は難しいことは無理だ。)




6 Sun



・・ seesaaうつマインドフルネス ブログで活動しました。



・ 作業所では、裂き織りが始まった。面倒であり、やりたくなく、逃げ出したくもあった。

 でも始まってしまえば、古い布を使う、貧乏臭い僕にピッタリの泥臭い作業で、頑張りたい。逃げたい。やめたい。他の人に代わってもらいたい。

 きちんと注意を目配せし、しっかりしたものにしたい、とも思う。

 支払うべき作業で、支払うべき所にエネルギーを注ぎ込み、毎日支払う。それが仕事らしい。やめたい。でも頑張ってしまうだろう。



・ 街には、ねーちゃんがたくさんいる。何考えているかわからん奴もたくさんいる。お隣さんとか。




4F

 ymo,music plansの坂本の歌が格好よく、歌詞を印刷し、グーグル翻訳に張り付けて意味を大雑把に理解した。(辞書を引く気力がない)

 歌ってみたけれど、一本調子になる。怒鳴るは得意だった時期もあるけれど、僕は自分が歌はうまいと思っていたけれど嘘っぱちで、歌い分けられないことがわかった。調子がよくなっても、歌にはあまり期待できないみたいだ。自分が思ってきたよりかなり下手糞というのが正解らしい。大正解。ピンポー~ン。




 作業所は、あまりよくなかった。自分の調子の中ではいい方なのだけれど、いまいちだと感じた。走れていなかった。



本題


 昨日のseesaaブログのように、自分は無力感で、周りを理解し、無力感で考え、無力感で自分を作っているという見方で自分の思考の声を理解しようとした。ある程度成功をおさめたと思う。


 僕が自分だと思ってきた、内なる声・思考の声は無力感で骨組みされていて・核になっていて、そんなに軸足を置くべきものではないらしいと、うっすら思った気がする。無力感で自分というものをコーティングし、健全な見方を育てられてきていない、袋小路の感じ方が土台になっていて、だから出られるわけがない。



 内なる声・無力感という大きな見方で自分を解体し、理解し、その見方でネガティブ思考を納めると、僕って本当は何なのだ? という、ラッキョウの皮剥きみたいになりそうだ。自分が思ってきたのは、無力感というトラウマのフリーズの一点に、足の体重をかけた見方で、そこを良く捉えて、健康的な自分が作れるスペースを開ければなあと理想を思う。



 自分が病んだ力点に重さを置いているから、そこから軸足をずらして、無力感と名前をつけて眺めてしまえば、まわりにスペースができてくる。だから健康的な自分も生まれるのではという楽観です。






8/3(Thu)

 身体はトラウマを記録する の書評を読み直し、打ち込んで EMDR の大切さを再確認した。

 母親に食って掛かっていた幼稚園の時、人のせいにしないで と言われ攻撃するのをやめたとき、僕はフリーズして動けなくなったのだと思う。これを取り上げてもらわずしてどうするというくらい、最初からやってもらえばよかった。まだやってもらっていない。

 自分の中では、トラウマというほどではなくても、動けなくてフリーズしている状態、固定してしまっている、とは言えると思う、そういうのがたくさんあると思う。


 今日は作業所ではパッとしなかった。皿洗いは普通だった。着物の糸ほどきは走ろうとはしたし、走れていると思う。部分的には。

 スタッフの受けは悪かった。男として葛藤しているので、いまはしょうがないと思う。(女性スタッフ)






・ 北海道新聞夕刊 2017年?月?日 2面、「山崎夏生のスポーツ(プロ野球審判技術委員)」― 才能って何だろう? 「好き」という情熱を持続

引用:



~そう、この「好き」という情熱を持続できることが才能なのです。実は能力の差などそれほど大きくはない、できないのではなくできるまでやり続ける粘りがあるか無いか、なんだとふに落ちました。


 「建築をとうとうと語るやつなんざぁ弟子にしないよ。とにかく一日中、木に触っているのが好きだ、ってやつがものになるんだ」と語ったのは宮大工の棟梁(とうりょう)・小川三夫氏。~



(kurage0147130):

 僕はファッションセンスがあるわけではないし、仕立ての技術も、デザインもない。

 この人の言うところの、布を触る感触が好きだ、とは言える。だからいまの作業所に入ったのかも。皿洗いが苦にならないのも、水仕事が好きだからだ。(酒ではないよ)

 この人の言い方で自分を振り返り、自分に当てはめて思った。


(・)
 サンタフェ宮沢りえ この本をめくって、祝福された本だと思う。今はめくることができてうれしい。トーンが底抜けに明るい。裸も景色も透明感があり、日差しがあり、歓喜を表現している。天使を見ているようなものだ、というと大袈裟か。

 写真集という重量感と紙の質感もいまはまだ気持ちがいい。何年かしたらときめかなくなるのか。





8/2(Wed)



こちらで活動しました。

kurage0147130-2.seesaa.net


ヒバの枝を払った。2時間くらいやって、まだやる必要はあったけれど、やる気が失せて打ち切った。

今日は休みの日でどこへも行かなかった。おはぎとスイカを食べ満足した。(スーパーへは自転車で漕ぎ漕ぎ坂を上ったりして出かけた。坂は勢いを載せながら漕ぎ上がった。坂バカにあこがれる。)