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up toアップを目指せ。

2016/01/11(Mon)星人の日・成人の日 (惑星の奴らをぶっ潰せ!屁こき虫め)

 昨日はよる、何もしないで寝た。調子が悪かったのだろう、眠いのと。

 今日はリコーダーを吹いてみて、一日休んだ上に調子の波が去ってしまったのでどん底にいる感じ。リコーダーの感覚まるで掴めず、先生の演奏がよく聞こえず、わからなくなった。僕のリコーダーは、10歩後退の下手になった感じ。

 それで、できることとして、とりあえず音を出して、先生の音に合わせて(CD)僕が被せる式で感覚を掴もうとした。かなり下手だ。音も聞こえず(感覚がないという)振り出しに戻ってしまいました状態だった。

 今日できることはやったので明日からまた、しぶとく食いついてやろう。日が経てば、感覚も戻るだろう。

先生よろしくお願いします。


 老子荘子の本を読んでいて、醜女(しこめ)という語が出てきた。醜男(しこお)はあるかなと母に言ったら、言葉は男が作るからないだろうと言われた。僕はありそうだと思って、広辞林(昭和40年ころの辞書)を引いた。出ていた。男にもあった。

 
 この広辞林は、調べたら必ず出ているし、字も読みやすく、フォント・紙質の両方いいみたいで読んでいて楽しくなる。この辞書、重いけれど、重いと思ったことはない。出ているかなと、ワクワクして取り出す。

 広辞苑が有名だけれど、広辞林は使いやすくて、見やすくて、うれしい辞書だよ。勝手な事を言ってみました。 










またまた、ツイッターメールマガジンより。やはり強弱が上手い。化粧が厚く、美人だけれど、さっぱりした人なのかな?



2016/1/9(Sat)どんより日。どようり日。どよう日。土曜日。



 リコーダーを吹いている。遠くで鳴らすイメージでやったけれど、途中から先生のお手本を聞いたりして、楽器を目いっぱい鳴らすイメージだなと、空気を行き渡らせ楽器が共鳴するようによく鳴らすように吹いている。

でもやはり、楽器に執着するというより、遠くに向けて吹いている。息を吹き込み、遠くに向かって吹くイメージ。



 楽器のところで鳴らすようにすると身体に力が入り、口にも力が入る。だから遠くに向けて吹く。でも、身体周りから音を出す。よく鳴らし、身体を共鳴させ(楽器を共鳴させ)、遠くに届けるように。

そうすると、タンギングもソフトになり、演奏も作品っぽくなる。ゴリゴリせず、ふぁっと、丸い音になる。そう、丸い音を出そうと吹いている。タンギングも含めて丸い音を身体も使って作るというか、吹き込む。

 だいぶうまくなった気がする。でも、まだ入門の段階だ。入り口にいる。できるだけのことはしたい。


 老子荘子、森三樹三郎、講談社学術文庫を交通機関で読むのが楽しみになっている。死についての話題が面白い。スタンス、見方、捉え方、勉強になる。お話し自体も楽しい。

 最近は、リコーダー 一色だ。






レンタル焼きCDを聞いている。貧乏路線。


2016年1月8日(金)


 作業所で、努力の人がkeycoverを完成させて、僕に木工ボンドで終わったひもを切って糊付けしてくれと来た。僕はでき具合を見て、その人の下手さをバカにして見ていた。


 もちろんそんな見方はおかしいのはわかっていたけれど、僕の普通の出来から見ると下手に見えた。こんなの作ってと思った。


 もちろん修正をかけた。その人は物凄くぶきっちょで、手先が器用ではない。ここまでできるまでかなり練習して、その人の中ではベストなできだったろう。努力して、前進させて、本番の製品を完成させた。下手でもその人は努力し前進させた。できは下手だけれど、その人の努力の結果の下手だから僕がとやかく言えるわけはない。



 ということは、僕が自分を完製品を作れるすごい人間と捉える見方が曲がっている。僕は自分を絶対視し、自分がすごいと固定して見て、そのねじ曲がった見方を基準に努力の人を馬鹿にした。


 だから、僕は自分自身を途中の人、途中経過のまだ前進できる人と捉える必要がある。僕自身が途中の段階だと。その人、努力の人も途中の段階だと。まだ上達できるぞ。その人が上達できるなら、僕も上達できる。すべての人間は途中経過でまだ上を目指せると。いつか死んでも途中経過で死んでいくのだろうと。やり残しをたくさん置いて、旅立つのだろうと。


僕ら全てが途中の人間だと言える。


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