途中の積極化・作文 / 途中という見方  /  リコーダー下手(いまの現状)

2016/1/18(Mon)

 リコーダー吹いています。レッスン2をやっています。

 今日は、調子が悪かったらしく、周りは攻撃したそうだった。そうなので、こちら側としては汚い手を使ってでも封じ込めると表示して抑止した。
 
 リコーダーの調子が上向くと楽しくなると思うけれど、新しい曲に取り組んでいるのでそれはそれでいいのだろう。



 北海道も吹雪きそうですよ。今シーズンの今までは小雪でした。楽でいいなあと思っていた。
 

 作業所では、仮称・唯一無二の攻撃(言葉)がバンバン飛んでくる。(たまにだけれど、毎日)

 さっさと寝よう。あしたは雪かきだ。






2016年1月16日(土)

 途中のものという言い方は、今を肯定する。

 僕はいま、リコーダーが下手、勉強が下手、ブログも下手、などある。自分では一生懸命取り組んでいるけれど。

 この将来の完成へ向けて取り組むという姿勢だけれど、将来完成させるという見方ではなく、現在の中途半端な、下手な現状を肯定させることに「途中である」という見方は使えると思う。今まで途中だからだめだ、みたいなところがあったけれど、そうではなく、積極的に現在の途中の段階を認めてもいいのではないか。

途中だからこそ価値を置いてもいいのではないか。完成ではなく、途中というのを大事にできそうだと思う。理念だけで終わってしまうか?



(言葉の森・無料体験作文)

「リコーダー」  

 「ピーヒョロ、ピーヒョロ」

 自分の部屋でプラスチックのリコーダーをCDのチェンバロに合わせて練習する音が響く。

 母は、「リコーダーやめればいいのに。お金を払ってまでやる必要はない。何をやっているんだ(僕の名前)は。」と思っていると僕は推測する。母の僕に対する態度と言動を見ていてそう思う。母はいつまでも僕を子ども扱いしたいらしい。これではいつまでも子供でいろと言っているようだ。

 母は昔、社交ダンスを習っていた。社交ダンスブームのころだ。結構楽しんでいたみたいだ。発表会に出たりして。脂ののっていたころは先生に、「玄人受けするダンスを踊る」と褒めてもらったと自慢していた。そんな母だった。


 でも、親というものはいつまでたっても息子を子ども扱いして、禁止してコントロールしていたいらしい。

 僕も歳をとってきたし、やりたいことをできる期間も限られている。できること、やりたいことは精一杯やりたいと思う。母は自分のことを棚に上げて僕を抑圧したいんだな。自分には甘くても、息子には厳しく当たるようだ。

 せっかくリコーダーをやりたいのだから、チャンスを生かして練習に取り組んでいきたい。母には認められなくてもいいよ。

 自分で吹き方のコツを掴んでいく過程や、練習する感触は楽しいものがある。簡単な楽器だから、続けられそうな気がする。母抜きで僕はリコーダーがうまくなりたい。








2016/1/14(Thu)木曜日

 木曜日・もっきょうび・らっきょうび 全国ラッキョウ連盟代表取締役補佐代行



 パソコンのヘッドホン端子を、コンポのAUX-inにつなぐという手を、webのカタログ・ヤマハbluetoothコンポを見ていて思いついた。

 これで、youtubeの音がものすごくいいのがわかった。この音で聞いてこれれば良かったなあ。遅いなあ、気付くのが。


 坂本やYMOを最初に聞いた。




 リコーダーは、「日だまりの中で」 昨日の下手なのを先生に送りつけたのを、繰り返し練習した。少し上達した。

 僕は調子の波で下がったのを気にしていたけれど、能代工高のバスケット元監督、加藤三彦、新潮社文庫、「前進力」を読みだした。

 簡単な本だけれど、いい選手でタイトルを取った次の年の落とし穴について書いてあった。やはり慢心するらしい。取り組みに失敗している。それの改善として、リセットという言葉で新たに取り組み・再出発する。決意を新たに、別物を build up していかないとダメらしい。



 だから僕のリコーダーが調子の波で分断されても気にせず、落ち込まず、新たな気持ちで一から再出発するいい機会だと捉え、取り組み直せばいい。基礎から取り組むいい機会だと。


 今日のポイントは、息継ぎの時に、多くの空気を短い時間で取り込み、長く吹けるように、ふらつかないで終わらせようと、取り組もうとした。リズムも刻みながら吹いて行こうとしようとした。どちらもうまくいっていない。途中の段階。


 作業所で、この間、女性が掃除機を雑にかけたり、いい加減な言動をしたりして、嫌だなあと思った。僕は高みに立って見ていた。僕は完全だけれど、彼女は不完全だと。

 これもおかしい。僕は途中の段階の人間だし、女性も、言えば直るだろうし、そうすればいいだけの話だ。途中の段階の僕が、途中の段階の女性を嫌ったというだけの話のはずだ。


 すべては途中の段階だというのは、僕の固定化した見方、判断を取り除くためにある。僕はすぐ自分を正当化しようとする。誤っている。相手も途中の段階だ。坂本を完全だと思っているけれど間違いだ。坂本はただの人間だ。そこに神を見るのは間違っている。僕に容認できない部分もたくさん持っていると思う。
 女性を完全として見るのもおかしい。女性も途中の段階だ。

 この途中の段階という見方を身に付けられれば、僕の問題はほとんど解決すると思う。現時点での問題だけれど。唯一無二の人も、仮称・唯一無二と降格させていいと思う。坂本も引きずりおろした。すべてを流動化させればいい。この辺の見方もまだ消化しきれていない。

 まず、自分が途中の段階の人間だというのをよくよく理解することだと思う。そこからなら始まると思う。






2016/1/13(Wed)ラジオ体操、第1第2の続いてあり、の日。僕にはキツイ。


 読んでいただきありがとうございます。
 
 昨日は眠くて何もせず寝てしまい、今朝はちょびっとリコーダーを吹き、帰ってから練習しました。



 最初からやり直して、途中から、身体のまわりの15センチくらい外側で吹いている感覚でやろうとした。

 僕は自分に執着しているので、身体のところで吹こう、楽器のところで吹こうとするけれど、それは間違い。

 体の外側で音を鳴らさないと、口や身体に力が入りすぎ失敗になる。普通の人ならできるところだけれど、僕は、自分に執着して生きてきたので、身体から離れなければいけない。



 そういう意味ではリハビリになっている。村上龍が、ザ・ベストという昔の雑誌で、自分を見ているやつが一番頭が悪いと言っていたけれど、それにあたるのが僕だった。僕はずっとその状態で来たので、最強のバカだ。

 演奏も雑になったけれど、先生に聞いてもらうべく、メール添付した。前回先生に褒めてもらったけれど、現状を聞いてもらうことにした。積み上げは叶わず、振り出しになった。身体の外で吹けるようになったので、身についてきている、とも言える。




 練習中は、少しずつ感覚を取り戻し、自分に、いいぞ、良い調子だ、と声をかけながら、少しずつ先のページに進んで練習した。

 これからも戻ったりしながら、次の課題もやりながら進んでいきたい。リコーダー上手くなるぞ。オーディションに進むくらい上達したいという、夢のような野望もあるけれど、それは置いておく。とりあえず、ライブ(小さい所・小さい人数・老人ホーム慰問でもいい)ができるのが目標だ。

 基礎を身に付け、戻ったりしながら、少しずつ階段を上りたい。