作業所はみんなが矢面・やおもて だ。


 今日の作業所ですが、午前中はド真剣で生きるというスローガンでよかったが、午後はペースも熱意も落ちた。午前中のようなわけにはいかなくなった。

 この作業所は、それぞれに抱える問題が大きく、仕事量も増え、たいへんになってきている。僕も昔のままではいられないと思う。

 午前中は牛乳パックの椅子づくりの下準備役を、かなり一生懸命できた。午後は散漫になった。


 ヘルメットと、膝・肘・手のパッドが届いた。身に着けると、胡散臭い52歳がいた。怪しい。これで一輪車はかなり変な人だ。乗れなかったらなおさら変だ。
 一輪車が届くのが、6月中旬以降になるらしい。早く始めたいが、無理だった。プールも行きたいと思う。

 ヘルメットもそこそこの金額を出すと、使いやすい、優れものみたいだった。最初は紐の長さ調節とか、アジャストとかわからなかったが、いじくっているうちによくできた製品だとわかった。構造自体はプラスチックの内側に発泡スチロールが張られていて、その内側にフィットするようプラスチックの調節がついているものだった。
 フリースキーエアリアルのフルフルダブルフルの選手が被るようなタイプのを頼んだので、僕が被るとかなり胡散臭かった。気に入って買ったが、ロードサイクル用のヘルメットのほうが無難だったかも。格好良いのが無難に見えたかも。

 今日は小便が床にまかれなかったが、テーラーSG氏も、布草履の達人も揃って、トイレ掃除中にトイレにやってきて、譲った。それどころではなかった。牛乳パックの椅子部品作りで必死だった。トイレ掃除も一生懸命やったが。


☆・ 真剣に生きる姿勢を身に着けるのがこの作業所でやるべきことで、これは普遍性がありどこでも通用する。まず仕事を普通にできる人にならないとどうにもならないままになってしまう。




 家の裏に住む人は、もと着物の仕立て屋さんで、いま庭の手入れをまめに行っている女性だ。この2つをできるということは、かなりの実力者だ。僕は足下に及んでいない。同じ分野の僕は末端だ。僕は着物解体だから、下位に位置する。仕立て屋はやはりこの業界では強いだろうと思っている。(本当のところは知らない、着物業界のことはよくわかっていない。通っている作業所を目安に書いています)

 トイレのおしっここぼす輩だが、テーラーSG氏と布草履の達人のグルで企てたものらしかった。

 僕はいつものように注意散漫で作業していたが、このまままずいと思い、日野皓正氏のように命がけでやらないと伝わらない、という新聞記事を思い出し、僕も命懸けで取り組もうと少し真剣さを取り入れた。そしたら、布草履の達人がテーラーSG氏のところに行き、合図していたので、ははーん、グルか、だから今更おしっここぼしかと思った。今日もあったが、二人で考えたから、今更の行為なのだとわかった。とても分かりやすい行動をとってくれたので、僕にもわかった。

 ということで、作業も命懸けでやらないと、一生懸命やっているとは伝わらないものらしかった。今日の僕はあまり調子は良くなかったが、それもあまり関係なく、僕が一生懸命なら、どんな状況でも関係ないと思える。

 落札した。DVD。たぶん面白くないだろうと思ったが、買ってしまった。最初からあまり期待していない。短いし。自転車のもの。

 作業所では、ちゃんとしたものを作ろうと、考えたり、工夫しようとしてみた。変な材料は使わないで別にはねたり。

 稲盛和夫先生の、ド真剣に生きる、とかの言葉を思い出した。

日常

 

 環境を整える、掃除が楽しくなってきた。汚い部屋だけれど、掃除は楽しい。

 作業所は、紙パックで作る椅子を手伝っている。しばらくこれをやるみたいだ。慣れないことが続くが、頑張るようにはしたい。

 トレイ掃除だが、面が割れているのに、おしっこをこぼす輩がいた。これってなんだろう。いやがらせのつもりか。トイレ掃除をやるとなってから、そのくらいやるやつが出るのは想定済みだ。そのイマジネーションの平凡さに、この人は何を期待しておしっこをこぼすのだろうと思う。
 こういうのが頻発しても、しばらくは静観したい。そのうち、「トイレをいつもきれいにお使いいただき、ありがとうございます。皆様のご協力で、トイレは清潔です。」とでも書くのを張り出す、という僕の側のイマジネーションくらいしか今は思いつかない。

 
 プールは行っていない。風邪をひいていたので、体がだるく取りやめた。一週間風呂に入っていない。汚い僕です。それを売りにしています。

 ジャクソンの解体の法則:というのを、身体に閉じ込められたトラウマ で知って、名前だけ知って検索した。僕にとってどこまで大事かわからないが、精神科のお医者様が分かっているような内容みたいだ。脳の階層とか、予後とか。よくわからないが、僕の理解にとってそんなに大事に思えない。

 風呂に入りたいな。

 <おわり>

低調/部屋の掃除が楽しい。

 
・ 帰りの交通機関は調子が悪かったので周りが攻撃したそうだった。
 
 最近のいつもの、母と演舞するというのを頭の中のイメージで実施した。少し動きが出た。



・ 作業所は、バイアスの着物が終わった。手数を求められた。縫製する人が楽をするためバイアスを多用し、ミシンでがっちり縫われていた。
 壊す僕にとっては、糞バカヤローなものだった。でも、手数を求められた分、頑張って愛着も湧いた。
 こういう着物を含んでの着物解体の作業なので、満足した。

 しかし、今度のフラのスカートらしき茶とキャメルで植物を描いた、ゴムひもを切るとやたらと大きい生地の、横が2メートルはあろうかというスカートを与えられたのだった。
 一段目のミシンを切ったけれど、あと5段くらいある。

 モチベーションを保つのが難しい。エネルギーを注ぎ込むのが仕事らしいので、楽しいフラスカート解体だ、と思ってやれば、少しはモチベーションも出るのではないかと思っている。
 火曜日は、牛乳パックの座椅子を作るのを手伝えとのボスからの指示だった。これも大好きだ、とおもってやれば少しは気合も入らないだろうか。

 とにかくエネルギーに次ぐエネルギーを注ぎ込み全部ぶつけるのが仕事とというものであるらしいので、とりあえず頑張りたい。



 僕の潰れた首は持ち上がるかもしれない。そんな気がする。まだ先だが。


・ 部屋の掃除にエネルギーを使うのが面白い。汚い僕の部屋。だいぶましになってきた。明日もあるので寝よう。

バイアスのミシンで縫われた糸切断、コツをつかんだ: 道立近美 相原求一朗

バイアスで縫った糸を取り除く:

 バイアスは、布の端を布でU字に囲んでミシンとかで塗って見栄えをよくするためにあると理解している。

 このミシンで縫われた糸を切るコツをつかんだ。片側6ミリくらいのバイアスをU字の囲いが向こう側で糸が手前側に縫われてある状態に持つ。

 リッパーを握り、箸を持つように握り、 ミシンで縫われた一目に、直線に対して直角に、一目の手前側にリッパーを角度30度くらいで引っかけ・刺すようにぐっと力を入れて糸を持ち上げ、パッと力を抜く。

 そうすると、一目が浮き上がる。そこを切断すれば一目切れる。

 この作業を全ミシン目に対して行う。かなりの高速で切断できる。僕は目が痛くなった。紺色のバイアスに黒い糸だったのでなおさら目が痛くなった。


 作業がのろのろになって、スタッフに睨まれて、自信を無くして居場所がなくなるかと思ったら、やり方のコツをつかんで・偶然だけれど、高速で終えることができた。かなり真剣に、何としても終えようという気構えだったけれど、うまくいってホッとした。やれやれと、肩の荷を下ろした。

 ついにミシン、やりづらいのを着ものをもらって作業した。着物解体は、いずれは難しいのをやることになるので覚悟していないと潰れる。今回はそろそろ来るなと踏んでいた。




 相原求一朗の軌跡 大地への挑戦 を道立近代美術館に見に行った。

 すごくよかった。風景を、自然の醸し出す、無情というか、素朴さというか、厳然とある自然を絵の中で再現して見せ、どこに、北国の風景に惹かれるのかはっきりと提示して、僕たちに示して見せ、風景の冷たさだったりを感じた。画家は絵の中に自然を描き出すだけの技量を持っている。あの技量で描かれる風景は画家と自然との特別な関係を写し取ったものだ。これを幸せと見えるか不幸とみるか分かれるが、絵筆の時間を過ごして自然と対峙する時間を持ったこと自体に光を与えられ、幸せなことなのだろうと想像する。


今回は、
・早暁の湖、1983(昭和58年)、相原求一朗美術館 所蔵 が一番良かった。単なる独断だが。







 この間、切符を回収されるところを過ぎて、前を歩くいい匂いの女(香水のことではなくて雰囲気)の後をどこまでもついていきたいと思った。
 しかしそれはストーカーと呼ばれるので、あっさりと別れた。そのどこまでも女の尻を追いかけ続けたいという欲求は強かった。

 僕はまた、大奥のようなところの殿様になりたいと思っている。女の人をとっかえひっかえ365日関係を持つことができる殿様は羨ましい。
 僕は一人の女性にだけなどと、絞り込むことは無理だよ。みんな大好きだよ。たくさんの女性が好きなんだよ。
 拡散したところで終わります。

あと4年で爺さんだ。

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・ちくちく和小物、松下純子、青春出版 中古

ティッシュケースを作った。作ったというか、簡単なのでぽろっといった。

タオル生地なので縫いづらく、適当ぽっかたので、端がほつれていた。縫って繕った。




現在52歳。あと4年しか自由は利かない。YMOのように56になったら爺さんだ。
こうなったら何でもやりたいものはやるしかない。先送りもごまかしもきかない。あと4年だ。



・ 作業所では午前中は良いが、最近午後は調子が悪い。テーラーSG氏は、こんなもんで勘弁してやるかと、製品に呟いてやっている。僕も真似して、心の中で、時間かかりすぎ、しつこいぞ、終わりにしろよ、みたいなことを言って感情をぶつける。午前中は良かったが、午後はのろのろっぽかった。


 フランス語の、女性名詞とかみたいに僕なら、便器は女性だなと感じる。あの容器の 膨らみは女性に違いないと思っている。
 皿洗いの皿とか味噌汁椀とか箸、みな男だ。僕の手を煩わせて、めっぽう大変だ。毎日やってきては僕の手数を出すことを要求し(早く終えるためには、ザではこすり終わらず、ザ・ザ・ザと3回早く動かさないと終わらない)鬱陶しいったらありゃしない。
トイレ掃除は素手でやっている。醍醐味だ。ピカピカに磨く。



 最近ミシンで縫われた着物をやっていない。今度当たったら久しぶりで大変に感じるとおもう。手縫いばかりだ。ただ、脇の下の力のかかるところのあて布、1センチ四方の布の上に結んであるの、あれがあて布なしだったり、食い込んでいると時間がかかる。穴をあけたりもする。そうしたくないが、ふつう気分では穴が開く。気持ちを込めてやると、何とか切断される。




・ 織り教室に復帰して、一輪車サークルに入ろうかと思っている。
 

追加 5/12 Sun:: カウンセリング:::プール日誌他

追加:カウンセリング

 で、先生は地下室の母(僕のパーツの母で、実際の母ではない、内面の母というべきか)に、言いたいことはないかと促された。感情でぶつけるものはないかと。それで、下にも書いたけれど、母はずるい、汚いとパーツの母に言葉をぶつけてみた。

 この感情をぶつけるという関わり方が男なのかも。そして、感情をぶつけるという作業が一番大事かもしれないと今日になって気づいた。幼稚園の時、母に何か言うのをやめて抑圧したけれど、それは「お母さんが悪い」というものだった。そして、それは感情を閉じ込めたというものかもしれない。今回の治療で母のパーツに感情をぶつけることを先生に誘導されたとき、新しい感じがしたのはそのせいなのかもしれない。母に、ずるいとか汚いとぶつける治療が王道なのかもしれない。

 今日の作業所では、着物の解体をやったけれど、着物にリッパーを握りながら、時間がかかりすぎる いい加減にしろよ しつこいぞ と心の中で悪態をつき、着物にその言葉をぶつけてみた。感情をぶつけるのを着ものにやってみました。そうすると、自分が普通の人に近く、がむしゃらに静的にその動きのなさでいつもの作業を繰り広げるのが止まっていたように感じた。自分が少し生き生き・人間っぽくなったのかもしれないと感じました。

 今回と前回のカウンセリングの治療は僕にとっての転換点で、母のパーツに僕が積極的に関われ、母イメージに僕が感情を持って関われるそういう方向性を先生に与えてもらったと言っていいと思う。自分の中の母パーツが直接会っていないときの僕にとっての母なので、この関係性が動くと僕は治療されるという手ごたえを得たと言っていいと思う。先生に大展開だよ、と言われるかもしれない。やっと止まっていたのが動き始めたのかもしれない。これは感謝しなければならないことだと思う。





 カウンセリングを受けました。先生に診てもらった。
 最初にこの一週間を振り返って目玉だと思わるのをプリントした紙を先生に読んでもらう。それからカウンセリングは始まる。

 目をつぶって先生の誘導のもと地下室への階段を降り、ドアを開ける。真っ暗い部屋だった。ローソクがあって母の顔が向こう側にあった。睨んでいる感じだった。最初手に負えなくて、いつも僕が母に通っている本物の母のようでびくともしないようだった。何で睨んでいるんだと聞いても反応がない。お前が憎いというような反応だった。鬼のようになっていた。

 先生の誘導のもと、小突いてみたり平手打ちみたいなことをしたくなったのでやらせてもらった。少し母が緩んだので、睨んでいるなんてずるいじゃないか、一方的に怒るのはずるいみたいに言ったら、また少し緩んだようだった。
 お母さんは、父が子育てを手伝うわけでもなく、家のことを全部やり、料理も毎日作り、大黒柱だったね、そういう中でそういう態度で自分を守ろうとしたのだろうけれど、今は自分の首を絞めるばっかりで何にもいいことないよ。みたいなことを僕は言った。
 
 そしたら先生が、お母さんは大変だったよね、全部背負って、みたいに母にぶつかっていくことは、いつか必要だろうみたいに言われた。母が今の態度を作っているのは、父との関係が原因でもあると思う。先生に言われたように、いつか母とぶつかったほうがいいかもしれない。でも今は距離感がわからない。


 このような内容だったのは、母に、性を持つ男としてぶつかるみたいな内容でやってみたいという要望のもと、それを目指してカウンセリングが動いたからだった。


 書いてみると、そんなに動いていないように思われるけれど、実際はこれだけ動いてきたのは最近だからだろと思う。先生にEMDRをやって頂いていたころは母のイメージに飲まれおぼれそうになった。そのことも先生に、前はそうだったよねと、確認された、同意を求められた。実際そうだった。そういう意味ではだいぶ進歩した。



 





 こんにちは。今週作業所で裂織の布30×50センチを織りました。平凡には良かったと思います。ボスの布選びがよかったから、出来もよかったと思う。4色の布で織った。
 織りあがるとほっとする。失敗しないようにやるので緊張する。

 最近の作業、着物の糸除去をやっています。テーラーSG氏や布草履の達人、服作り女氏など、ある一定以上の能力を持ち大黒柱であるこれらの人には及ばない。
 そこを思って、丁稚 でっち マインドを思い出した。僕は作業所では初心者で何もわからないので、大黒柱の人たちに追いつこうと努力する立場にある。見習いの身分です。

 

・ プールに行きました。今までは遊びで楽しかったけれど、今日はそんなわけにはいかなかった。自分を稼働させることが頭に浮かび、実際、運動するのは楽しみではなく義務に近い、労力に近くなった。

 平泳ぎをうまくなろうと足の形を試行した。きのうDVDを見ていたので、本よりはイメージしやすかった。今まででは一番うまくできたので、自己ベストにはなった。プールが労働に近くなったので背泳ぎをやってみた。前にやった時は、ビート板を頭の上に持っていき、やろうとしたので沈没した。今回は写真で見ていたビート板をラッコのように腹に抱えるやり方にしたところうまくいった。一往復した。これは遊びなのであまりやらないで、平泳ぎの足の形を作ろうと試行した。

 水中ウォーキングを泳ぐ前後にやった。

 もうプールはそんなに楽しくない。男としてぶつかって、労働に近いエネルギーを捧げる ささげる ワークになってきた。これからいつまで続いて、どれだけできるかが僕という人間の実力を示している。

 プールに行く前に、人間は拡張でできているのかなと思った。英語で単語を覚えれば、スイカだったら、スイカという語の拡張を得られ、自分で扱えることができるようになる。

 今考えながら打ち込んでいるけれど、プールなら、陸を歩いて普段は生活している人間が、水の中を魚のように泳ぐという拡張を得ている。平泳ぎができれば、人間世界で平泳ぎと呼ばれる型を身に着けることになり、平泳ぎをできる人という拡張がなされる。早く泳げれば珍重され、キレイに泳いでも珍重される。人間世界の平泳ぎという拡張がなされるので自分の能力が平泳ぎまで拡張される。
 そういう考え方でもいいような気がする。


・ 自転車のトライアルという競技をやりたいけれど、自転車は高いし、いきなりやるのは敷居が高い。
 その前段階として、一輪車をやりたい。前からやりたかった。買ってもらうというのを考え付かない若き日だった。
 今なら安いのを買って練習できる。ヘルメットと、膝肘パッドを買って乗ればいいだろう。
 そういう時間を捻出し、行えるか? それができなければ、トライアルも無理だろう。
 いままでみたいに、検索を無制限にやるのではなく、一日15分とかに決めて分割して検索する必要がある。
 小学生がやる一輪車をやりたい。入門的にもいいと思う。

☆ 着物の糸除去みたいに、男としてぶつかっていく必要がある。僕は野球でいうところの球を置く投げ方のように静かで止まって作業してきた。そうではなく、ぶつかっていかないと。打者や野球にぶつかっていく。置きに行った球は打ちやすく、叩かれて運ばれるだろう。作業でも置いていくような作業は仕事ではないと思う。ぶつかっていくのが仕事だと思う。男だと思う。男なら作業にぶつかっていく必要がある。


・ 僕は下を向いて歩いてきたけれど、カウンセリングの先生の言われたように上を向いて歩けれど視野も広がり、いろいろ広がるだろう。この広がるだけれど、拡張に通じて、上を向いて歩ければ自分の陣地を少し広げることになると思う。僕は狭く小さい部分を自分だと思ってきたけれど、自分という枠をもう少し広く設定することができる気がする。今は徐々にやっていく時期だと思う。徐々に広がる気がする。もう少し自分という枠が広がると思う。

 里親で人間として広げたり、彼女で男として広げたりできたらいいなあ。52歳にそういう希望は持てるのか。現実にできるのか。給料ももう少し高い給料を得ることができるように広げられないか。これら全部拡張だ。56歳でお爺さんで、60歳になったら高齢者サービス付き住宅に入居できるようにならないかなあと思っている。願望。



・ 父母のところにも行ったけれど、父には徳目がある。交通事故を起こさなかったこと。父の介護を僕がしなくてもいいくらいの稼ぎがあったこと。母も、母の介護をしなくてもいいくらいの父との結婚があったので僕は介護を免れている。
 父は家に帰るという。父の徳目の文くらいは僕もサービスしてお返しをしないと。父の施設に行き音楽を共有することしか僕にできることはない。
 母は、自分の不遇を呪って誰かのせいみたいに言う。僕の選んだ業者は駄目だみたいに言う。母の、父僕嫌いという呪いはかけられるが、施設にお世話になってもらっていて、僕が介護する手間を免れさせてもらっているので、その分くらいは、僕もサービス・母のところに通ってわずかの時間を共有する、くらいはしてもいい。

 僕は介護を免れる贅沢をしている。その分サービスする必要はある。

 父の施設の介護士さんたちは、一生懸命働いている。僕のやる分を彼女らに背負ってもらっている。恩はある。院長先生に受け入れてもらった恩もある。

おわり。End.

LDLコレステロールが高い。

 脂肪肝の検査で血液検査もしていた。LDLコレステロールが高くて下げる薬を処方された。

 アマゾン検索で調べて、脂質異常症という言葉と食事を考えるという内容を読むことが多かった。

 振り返ってみて、僕の食事は菓子が多い。とりあえず、菓子は一日一個に制限したい。そこからスタートしたい。

 今の体重は62くらいだが、前は58くらいだった。60まで落としたい。

カウンセリングの方法を実地の調子の悪さに採り入れた。:すごいなあ(自画自賛

 
 
・ 昨日は調子が悪かった。攻め込まれそうだった。最近の攻撃する気分を高めるのではないやり方を採った。

 前回のカウンセリングで、母と演舞したけれど、そのやり方を使った。槍というのをペニスにした。ペニス棒を使って母と演舞した。ちょっと小突きあったりもしてみた。
 ペニス棒になったのは、攻撃と抑圧の母との関係を見て、最近の攻撃だけでは解消されない性の抑圧に対処しようとしてだった。

 結果、交通機関で周りは僕の様子をうかがっていたけれど、僕自身は母と演舞して攻撃の動きを取り入れたので、僕自身の調子の悪さの静止状態に動きが加わって、周りとの関係にプラスに作用したと思う。攻撃されそうになるのは、僕自身が静止して引っ込んでいるからだと思われるから。



・ 工事関係者の方々にお世話になっている。ありがたいです。僕にはできないことをしてもらっている。



・ リコーダーを3日前くらいに吹いたけれど、思い入れを込めず、リコーダーらしく吹けたので、自分でもうまいなあと思った。今までで一番うまく吹けた。最近は月に3日くらいしか吹いていないけれど、なぜかうまかった。自分に感動したというのか、感心して満足しました。

カウンセリング他。


・ カウンセリングをゴールデン期間中にもかかわらず受けてきました。
 裂織を作業所でやって、女のことがチラチラ浮かびあまり集中せず、最後に男としてぶつからないとダメそうだとエンジンをかけた情けない日でした。

 カウンセリングでは、母に対してもぶつかっていこうと思い取り上げて頂きました。
 地下室に降りていき、ドアを開けると暗がりに母の顔が浮かび槍を持ってこちらに向けていました。母と槍を持ち合い演武をしたいとカウンセラーの先生に言うとすぐに認可されました。
 
 それで、母と対になり上に槍を振ったり、右へ突いたり左へ突いたり、ドスンと絵の部分で床を叩いたり、一回転したりと同じ動作を鏡に映る像のようにそろって行いました。
 そのうち、槍を交えたり、チャンバラのようなこともして、先生に突き刺すのはだめだけれど(自分のパーツの母に殺しはいかんというものらしかった)寸止めはいいと許可されたのでやってみました。少しイメージの世界だけれど本気度が混じって力が入るような気分にはなりました。

 僕の家では父母僕と皆真剣に生きていなくて、どこか引っ込んだところがあり、ぶつかり合いながら真剣に生きるということがなされていない家でした。それをイメージの世界でぶつかり合いました。今まで使っていない回路をイメージの世界では可能だよ、と言われているみたいでした。

 今日のような展開になるとは思ってもいませんでした。意外だった。だから少し嬉しかった。前進したようで。



・ プールに行きました。一週間ぶり。平泳ぎ見習いとして泳ごうとしました。足からやろうとしていて、本に沿って、カエルのようにやってみました。今日は混んでいたので、端っこのところで足だけつかまってやってみたり、しばらくやったので泳いでみたり、ぶつからないよう四方に注意して、短く泳いだりした。だんだん足も慣れてきて、少しは形になりつつあるような雰囲気を感じている。一遍にはうまくならないので徐々にやっている。
 水中ウォーキングでは、おじ様たちにかなり抜かれた。僕より年上のおじ様たちは体感が強いのか、力があるのか、抵抗にもかかわらずグイグイ進んで歩く。何回も何人にも抜かれた。僕はのろのろ歩いていた。

 終わって、自販機の伊藤園タリーズコーヒーを飲んだ。うまかった。トマトジュースを飲んで中和しといた。

 とても楽しいプールだった。徐々に進歩している気がするのでそこが気に入っている。あと水の感触もいい。



・ 僕は家に帰ってくると、今日も疲れたし大変だ、今度にしようと、なんでも先送りにしてきた。
 でも結局、いつでも大変だし、大変ではなく楽チンなどということはないだろうと思えるので、先送りにする早めたほうがよさそうだと今日は思えたので、台所をきれいにし、ちょっとやってみた。

 人生いつだって大変で、大変を言い訳にしないようにしたいとは思う。どこまで実行できるかが鍵になる。


・ 生まれて初めてウィンドウショッピングした。店やをはしごして覗いた。店が集中してあると何かと便利だ。次から次への見て回れる。僕も少し自由度が利いてきた。ありがたい。Thanks.

低調 / 写真。

 作業所へ通っていましたが、低調でした。
 昨日は普通にしていても腰が引けているように一歩下がっていました。
 今日はちょっと良くなったけれど、低調に変わりはなかった。

 最近ずっと、着物の解体をやっていて、29月曜日の午後から糸を整形しだして裂き織りの準備を始めたのだったと思った。
 今日はボスもいて、緯糸・着物を裂いたものを作っていた。そしてさわりだけちょこっと織った。

 ボスが選んだ経糸がやたらと細く心配だ。抵抗が少なすぎる。丈夫そうだけれど。
 明日から織りが本格化するけれど、細心の注意を払わないと、経糸が細いのでやり直すと経糸が伸びてたるみそうだし、ややこしいことになるのでミスしないようにしたい。


松のアップ。種類はわからない。

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なーんだの桜。満開で、華やいで、美しく春の日を浴びて咲き誇っていた。

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シナノキだったとおもったけれど、違うかな?
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低調 / 写真。

 作業所へ通っていましたが、低調でした。
 昨日は普通にしていても腰が引けているように一歩下がっていました。
 今日はちょっと良くなったけれど、低調に変わりはなかった。

 最近ずっと、着物の解体をやっていて、29月曜日の午後から糸を整形しだして裂き織りの準備を始めたのだったと思った。
 今日はボスもいて、緯糸・着物を裂いたものを作っていた。そしてさわりだけちょこっと織った。

 ボスが選んだ経糸がやたらと細く心配だ。抵抗が少なすぎる。丈夫そうだけれど。
 明日から織りが本格化するけれど、細心の注意を払わないと、経糸が細いのでやり直すと経糸が伸びてたるみそうだし、ややこしいことになるのでミスしないようにしたい。


松のアップ。種類はわからない。

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なーんだの桜。満開で、華やいで、美しく春の日を浴びて咲き誇っていた。

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シナノキだったとおもったけれど、違うかな?
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チューリップ組(作業所の仮称)を担う・になう。自分の手で動かしていく。


 作業所で作業していて、チューリップ組の一員として(仮称)、チューリップ組の着物の解体を自分の手を使ってやっていこうというニュアンスで取り組もうとした。


 いままでは、仕事を上から頂いて、低い場所の僕が取り組んでやらせていただくという図式だった。

絵にすると、




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図にするとまとまる。

・チューリップ組の一員というより、一段低い位置で、仕事をやらせてもらうという図式で、自分で主体的にやっていこう、取り組もうというのではなく、
ぶら下がって作業の椅子に座って時間を過ごすという形。


・これからは、自分からチューリップ組の一員として、チューリップ組の作業を手を使って動かしていく。手を使ってチューリップ組の着物解体を担う になう というニュアンスになってきている。


今日はたまたまできたかもしれないけれど、このようになれるようにしたいという願望が芽生えた。

 母は父のことを虐げられて育ったんだろうとみていたけれど、僕も父母に虐げられて しいたげられて 育ったのだろう。そうでなければこんな左図のようにはならないと思う。集団の成員としては扱ってもらった来なかったのは確実だ。それは僕の感想としてある。バカヤロー、糞っ垂れ父母。

mother は僕を嫌っている、憎んでさえいるかもしれない。


 カウンセリングの先生に診てもらっていて、最後に、幼稚園の時の僕が母に食って掛かって、母に「人のせいにしないで」と言われ突っぱねられた時の僕の言葉は、「お母さんが悪い」というニュアンスで母に絡んでいたことが分かった。身体はすべて覚えていて、その時のことを思い出せて言語化できた。


 カウンセリングでは、外階段のような空気感の黒い階段を下りていき、地下室のドアに着いた。ドアも黒っぽかった。開けると外のような空気感だった。部屋は真っ暗で、正面から懐中電灯で僕を照らす母の顔があった。母は冷たいよそよそしい雰囲気で、僕が小学生の頃の母の顔だった。ぶっきらぼうな感じで僕を照らす母、途中経過は忘れたが、母の言葉、実際に母が言ったのではなく、母の態度、顔から感じた母の言葉は、「お前ら嫌いだ」というものだった。僕の身体がきちんと覚えていた。父と僕、両方を母は嫌いで、憎んでさえいるかもしれない。

 そしてカウンセリングは終わろうとしていたけれど、僕だけ心の中で当時の状況にしつこく居残った。それで、僕が「お母さんが悪い」というニュアンスで食って掛かっていたことを思い出した.これは身体で思い出した。


( そして、交通機関で振り返ってみて、頭で考えて、「お母さんが悪い」という言葉は、「俺のことを愛してくれ」というものの裏返ったものだと気が付いた。俺のことを愛してくれ、が僕の本心で、僕が母に言えなかった言葉だと気が付いた。 )ここは推論。

 また、僕は母の本心を見ないで、お前ら嫌いだ、から目を背けて、僕は母に愛されてきたとずっと思ってきた。僕は、嫌われ憎まれた子供という現実を受け入れないで、愛された子供だと自分に嘘をついて自分を騙してきたことになる。繰り返しになるが、母の本心を見ていなかった。自分に都合のいいものを見ていた。僕は大ウソつきだった。

 正確に言うと、母に愛されるべきだと、僕は母にラベリングしたのかもしれない。母は絶対僕を愛してくれていると。母に愛されるべき僕が冷たくされるので、「お母さんが悪い」と食って掛かったというのが本当っぽいなあ。だから、この52歳になるまで僕は母に愛されていると、自分自身に嘘をついて母の本当の姿から目を背けた。

 母に、僕に対する愛など、これっぽっちもなかった、というのが正解。


 僕は自分で嘘をついてきたので、52歳まで目が曇ってしまった。その罪は、無駄な年月で支払った。僕は人生を捨ててきたので、それが嘘をついたものが支払う対価だった。僕の人生は無駄だった。大正解。




 僕には母の愛がないという、世間でよくあるパターンで珍しくもない、普通の状態だった。僕は不幸な子供で、母の愛がないので苦労してきた。これからも苦労することになるかもしれない。父母も親に愛されてきた子供ではないだろう、そんな気がする。父母共に暗いしね。

 僕はライフワークとして、愛を捕まえないといけない。ないかもしれないけれど、つかめないかもしれないけれど。それが愛のない子供に育ったものの親への反抗だ。愛のある人生をつかむ必要がある。

 まだトラウマがあるような気がするが、気のせいか。よくわからない。



 

 家のことで変更点があった。

 肝脂肪の検査・エコーを診てもらった。4年前は脂肪肝だったが、今回は少しあるけれど気にならない程度と言われた。食事制限も必要ないと。

 今日は来客を2人も迎え掃除に忙しかった。

 プールに行かなかった。