刷新:身体に閉じ込められたトラウマ を読みながら、態度を変えた。

  

 ・身体に閉じ込められたトラウマ
   ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア

  ピーター・A・ラヴィーン
              星和書店 3500+税


 これを読んでいます。僕は良い読み手ではなく、自分で歪めているので正しいことは言えない。

 本を読んでいて、最初のほうのクライアント、ナンシーに触発された。このかた、ピーターのところに治療を受けに来た方らしい。別の医師の紹介によって。ナンシーがトラウマの治療の沸点に達した時、この時分岐点にいたらしい、さらにトラウマを負うか、回復するか。
 ピーターはとっさの判断で、走りだせナンシーといった。動物たちが、捕食者にとらえられる前に一瞬止まった後、全速で走って逃げるように。

 傷を負った動物は震えることで、回復するらしい。ピーターが交通事故になった時も医師に救命隊に拘束して震えを止めることをしないでくれと指示した。ようなニュアンスの話だったと理解している。

 このような話を読んでいたので、僕は自分の問題に取り入れた。

 僕は調子の悪いとき、攻撃を増幅させて、自分の側の攻撃心を増やして対処して、周りを退けてきた。
 また、自分と向き合うのは、父母と正面から対峙して、立ち止まって、息を止めて、硬直して、静止のポーズのもと、相手の攻撃を全部受け止めなければならないと、受け身のポーズだった。


 これを刷新した。

 今日の調子の悪い日、手も止まって、凍り付きそうだった今日の調子のもと、父母の像を頭に描いて、その父母の像に向かって、走ろうとした。思い切り手を振り足を振り上げて、全力疾走しようとした。朝の公園で、ゆっくり走るポーズをやり始めたし、交通機関のターミナルでは実際にスピードを上げて走ったりする。(人気のないときに限るけれど)  ベアフット走法をやろうとしています。

 交通機関でも、全部僕の敵みたいに、周りが僕の様子をうかがっているとき、こちらの攻撃を高めるのではなく、上に書いたように、父母像のイメージに向かって、手足を思き切り振って走るイメージを心に描いた。

 結果、こちらは凍り付くことがなくなり、自由度が増し、柔軟性が増えた。相変わらず、調子の悪さ、不利な日というのは動かないが。僕の側の態度と戦略が変わった。
 

お詫び:カウンセリング



・ 今日は作業所は、着物の糸除去。ミシンで縫われていて、端から5ミリくらいのところを縫ってあるのを解・ほどいた。

 これが結構根性で、最近忘れていたなあ、と思い出した。最近楽な着物ばかりやっていたので難しいのを忘れていた。
 皿洗い、トイレ掃除、ゴミ出し・集め、掃除機かけ、とやっていたが、慣れれば難しいものではない。僕は自分が一番大変だなどと己惚れていた。今日の糸除去で、僕は楽をしてきたなあ、と思い返した。
 ほかの人のほうが大変なことが多いのかもしれないのに、自分のことばかり見ている。



・ そういう意味では、カウンセラーの先生は今、ものすごく大変だ。そのすごく大変なのを見てもいないで、呑気におしゃれして、馬鹿言って、ウザったく思われたのかもしれない。
 先生が大変なのを忘れていた。僕は自分のことばかり言っている。

 僕が安穏として、怠惰を貪っていたのは確かです。目障りに思えたでしょう。そのことはお詫びします。僕は何の苦労もしていませんでした。



・ 父のお金の問題。親戚のおじが母の住所を教えろと、ドスの利いた声で喋っていた。留守番電話。母は今脆い。僕は守らなければならない。ということになっている。






部屋で男は行く㋾唄った。声はまあ出ていた。よくはないが思ったより唄えた。フラストレーションがたまり、ガス抜きだった。疲れた。大声を出して怒鳴って、アホになった。





 ここをカウンセリングの先生が読まれるかどうかわからんが、5千円払ったので、その分は書きたいと思う。

 今日の僕の調子を見ると、昨日も調子が悪かったと思われる。

 先生は、僕が交通機関で調子が悪いとき攻められそう、攻撃されそうになることを頑な・かたくな に理解しなかった。思考の枠組みでそうなっているという理由かららしかったが、僕は、金を損した。

 先生が僕を理解しなかったとき、ごねられた時、先生の顔は恥にまみれていた。これは村上龍の表現で25年くらい前に、そういう表現を使っていた。とおもった。醜かった。

 僕は先生に、安全基地の地下室か何かをやって頂きたかったができないまま終わった。




・ 今日の僕は、作業所で、手は良く動いたが調子は悪そうだった。ミシン縫いの道行きコートの糸を除去した。このミシン目が細かく、2重に縫われたりすると食い込んでいてやり辛い。

また、ミシン縫いは一つずつミシン目を引っかけて糸を切るが、その穴にリッパーを差し込む手続きが延々と続き、眼もいたくなった。糞ヤローだった。追い込みをかけて行った。ほとんどミシンでできていた。






カウンセリングを受けに行った。僕が・身体に閉じ込められたトラウマ ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア ・ポリヴェーガル理論入門 という本丸の2冊を買ったからか、僕の調子の悪さを理解していただけなかった。そこに時間をかけられなにもしなかった。なぜかわからんが、僕の調子の悪いところ、僕の本丸を理解していただけなかった。

身体に閉じ込められたトラウマ 最初のところ、前文みたいなところを読み始めた。

プール。

 プールへ行きました。その前に、父のところに出かけ送迎バスに乗っている間、水泳の本を開いた。今までやっていたのとは違うことが書かれていた。平泳ぎです。

 キックをした後、顔を上げて息を吸い、顔を水に戻してからキックの準備キックをするになる。という流れだった。そしてキックをした後のストリームラインで前へぐんと進む。



 泳ぐよりキックができなかった。キックをすると沈む。なぜだろうと思った。顔が下を向いていない、キックをすると下に足が沈む。

 結果わかったのは、本に出ていた、キックをするために足をお尻につけるというものだった。僕は足をお腹に抱え込むようにやろうとしていた。そうではなく、足をお尻に引き付け、足を折りたたんで伸ばす。折りたたんで伸ばすという動きだと沈まないことが分かったし、流れが良くなった。

 このコツをつかむために、プールサイドにつかまり、キックだけやってみた。また、泳いでも進むのではなく、キックを習得するようにやろうとしてみた。だから、泳ぎを何往復したかより、キックの習得だけに力を入れていた。ああでもないこうでもないをやるのは楽しかった。

 僕は初心者のさわりの段階だけれど、うまくやろうと少しずつ動かしていくのは楽しい。下手なところの楽しさがある。一番劇的に展開する段階だし。人から見ると下手でも、本人は動きがあって楽しい。ビート板につかまってたのしかった。

 水中ウォーキングを泳ぎ練習の前後にやった。





 ふぐりを股間にぶら下げて歩くというのが男なのかなと意識した時があった。このぶら下げるという感覚が、男の性が自分の中に定着しつつある象徴のような気もするが。
 ほかの男どもはどういう感覚で過ごしているかわからないので手探りだ。

 昨日の作業所は低調だった。恋だ愛だとほれたはれたを頭の中で繰り返し最低だった。もうそういうのはいいや。シンプルに作業に集中することが大事だ。そうなりたい。気が散るのはいかん。

 客注、4着手掛けることになった。僕がやるのは、着物の分解。丁寧にやるようにしたいという。気が散るのはいかん。客注だけに集中したい。

 脂肪肝の検査を予約した。最近、夜、食っては寝るを繰り返しているのでどうなのだろう、不安だ。水泳はプラス材料。

認知行動療法、べてる式。 引用と感想

認知行動療法、べてる式。 、伊藤絵美/向谷地生良医学書院 DVD付 高いセット本



引用:p039

: ~A子さんは頻繁にリストカットしていたので、エピソードが起きるたびに筆者はソクラテス式質問法を使って、
「その日、どんなことがあったのか」「いつ、どこにいて、それはどんな状況だったのか」「どんな状況で、リストカットのことが頭に浮かんだのか」「そのときどんなことが頭に浮かんでいたか」「そう考えたら、どんな気分になったか」「その気分の強さはどれぐらいだったか」
「そのとき身体にはどんな反応があったか」「そう考えながら、実際には何をしていたのか」

といったことをA子さんに問い、「次にもしリストカットしそうになったら、認知行動療法のモデルに沿って、今はどういう状況なのか、今の自分に何が起きているのか、細かく自己観察してきてください」という課題を繰り返し依頼した。


(kurage0147130):引用者:
 僕を担当してくださっているカウンセラーの先生もこのような質問をなさいます。気持ちと身体の状況を確認なさります。カウンセリングの雰囲気を伝える良い質問の連続だと思う。この本、高いので、気まぐれで奮発して買ってしまった。中身がすごく良いのでお得だった。読みたかった内容てんこもり。






引用:p058:
: ~さらに、べてるでは、過食や拒食を経験したことのある10名の当事者が集まって「摂食障害研究班」を立ち上げ、研究を行ったが、その際に立てた問いは、「どうしたら摂食障害になれるか」というものであった。

 いままで、「いかに治すか」に腐心しながらも結果として食べ吐きに走り、罪悪感に苛まれてきた経験者たちにとって、「どうしたらなれるか」という視点は大いに受け、議論も盛り上がった。
 [浦河べてるの家 2005:12]
 


(kurage0147130):引用者:
 真骨頂、当事者がなっているのに、どうしたらなれるかと初心者・部外者のように問いを立ててしまう。ものすごい展開と柔軟さ。正面の問いでだめなら、裏側から見てしまえ、みたいな発想。






引用:p060:
:~認知行動療法認知心理学の問題解決研究、ヴィクトール・フランクルの思想、べてるの実践において扱われる“問題”は、そのような深くて大きな問題、すなわち原因を指し示しているのではない。認知行動療法や問題解決研究やフランクルやべてるが志向する“問題”とは、あくまでも目の前にある、自らの生活や仕事におけるような、そういう具体的でわかりやすい問題である。

認知行動療法では当事者が抽象的で大きな問題を訴えても、それをアセスメントシートで扱える程度の小問題に分解するよう援助者が誘導する。そして、「今、ここで何が問題となっているのか」を明らかにし、まずその問題をともに理解しようとする。


(kurage0147130):引用者:
 この本で学んだ、いまのところ068ページまでだけれど、最大のことは、大問題は解決しなくていい、眼の前の小さい問題に取り組み、小さい問題を解決していくこと、それが大事だ。

 僕は、大きな問題が解決されないからカウンセリングは物足りないとおもってきたけれど、そうではなくて、大きな問題は取り掛かれるものではないということ、これは僕の理解で本の示す通りか怪しいが。

 たぶん小さい問題は大きな問題の足掛かりで、もしくは大きな問題を内包している。だから小さい問題を解決することは大きな問題を解決することに通じるのだろう。そして、人間には小さい問題しか、眼の前の一歩しか扱えないという制約があるのだろうと想像するが、これは僕の先取りで本の意図といえるかわからないが。



 僕の引用を見て、興味があったら買ったほうがいいですよ。今のところ充実。元は取った。掘り出し物かもしれないし。このA子さん。リストカットは続いているけれど、回数が激減しているらしい。何の問題もない人らしいが、仕事のプレッシャーか何かでリストカットするようになったとか。人間どうなるのかわからないので他人事とは読めない気がする。リストカット問題は終わらないが、回数が減り、他の反応・紙くずをちぎったり酒を飲んだりするに振り替えたりしているので、それでいいのだろう。リストカットは自殺の行動をしないための防衛だったとの結論とか。酒豪でもあるそうで酔わないらしい。ウォッカが好きだとか。

写真: , 本:

プラタナスの幹の模様、質感は美しい。
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2018-2019年の雪の残骸。ゴミがくっついて汚い。最後の雪。
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草むらの春。雑草も目を出した。雪は消えたし、まだ落ち葉とか地肌が見える。緑に埋まる日もそう遠くない。
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本はみんな届いた。

・ レッツ! 当事者研究1.2.3  と揃ってしまったが、1だけあればいいのかもしれない。理屈と、実際の当事者の話の2部構成は3冊とも同じだから。目ぼしい展開はなさそうに思える。

・ 認知行動療法、べてる式。はこれはDVDはまだ見ていないし、いつ見るかわからんが、本は素晴らしい。





 カウンセラーである(セラピストと呼ぶのか? 素人臭い書き方)伊藤絵美氏の話が載っている。最初のところの部分。問題があったら無理に解決を急ぐのではなく、問題自体をよく観察し理解し、構造も見極めることが良いらしい。解決につながらなくても、問題の精緻化が、すごく大事らしい。とても楽しい読書体験をしている。本の紙質が良くないが。それは軽量化されているため補われるのか?
 
 僕自身の問題を考えても、問題は解決していないけれど、カウンセリングで安全基地づくりをしていただき、調子の悪いときに、安全だというのを、負けてたまるかに織り込もうとしている、僕の攻撃急進を進めずに、少しワンクッションおいて、自分の攻撃の気持ちに守りの気持ちに、攻撃が増幅されるのをやめて安全な気持ちを混ぜ込もうという反応が得られたので、だいぶ僕の負担が軽減されたと思う。問題行動・心理ではなく、ソフトな対応が可能になったと思う。コーピングが増える(レパートリーが増えるという意味か? ・対処の仕方らしい )結果につながったと思う。

 上の本、1.を除くをべてるで頼んで、そしたら出版されている目録というか宣伝が届いた。NPO法人 地域精神保健福祉機構・コンボの書籍・DVDチラシ。これが就労も含む面白そうな本がたくさん出ている。メールマガジンに登録すると、福がついてくる(嘘だが)、重要情報が配信されるらしい。僕は登録したい。
http://comhbo.net
地域精神保健福祉機構・コンボ で検索するとか。「会員となるには」クリック。「無料メール会員に登録する」を選ぶ。

 僕は今登録しました。



・ 身体に閉じ込められたトラウマ
 この本はパラパラめくってみて読みやすそう。すぐに役立ちそう。

・ ポリヴェーがル理論入門
 この本は難しそう。ついていけるか。投げ出しはしないか、息詰まらないか心配。

 寝る。今日は、織りあがったストールの横糸を切ってしまった。最低だった。ボスには日報に書いておいた。憎まれそう。いやだなあ。
 僕がフリンジが下手なので、マフラー専門の女性にお願いすることになる。ボスの意向でもある。

父のために買った、松山恵子 ゴールデン・ベストのCDをかけながら打ち込んだ。父の世代のスターだからか、父はこの歌手は好きなんだ。ビデオに録画したのを何回も見ていた。

不安・攻撃:お医者様の教え /雑記:☆

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 お医者様は、前回の診察で、不安になると攻撃が増す、みたいなことを言われた。僕はちょっとピントが合わずわからなかった。

 けれど最近、周りが僕を攻撃したいようなオーラを放ち、異物を見るような目で舐め回すとき、僕の不安は大きくなる。全部の人間がその雰囲気で染まっているのを感じる。

 僕は極度の攻撃されるのではないかと疑心暗鬼にになる。ここで負けてたまるか、殴らせるわけにはいかないと、自分の攻撃を増幅させ、こちらの攻撃を上乗せに次ぐ上乗せにして攻撃力を高める。これは負けたくない、攻撃されたくない、踏み込ませたくない、という不安から、僕の側が攻撃の増幅で鎧を着たものだ。武装して攻撃力で思いとどまらせようという作戦だ。
 
 この自分の側の攻撃の力を増幅させるのを変化させようとした。前回のカウンセリングで、安全基地を作って頂いた。これは、自分の側の安全な、ゆったりとしたリラックスの場所を意識的に作ることを僕に教えていただいた。これを使った。自分の側の攻撃を増幅させるのを止め、安全なリラックスという部分の織り込もうとした。実際の作業としては、6割攻撃・4割安全基地。4割攻撃・6割安全基地というように、安全基地の割合を攻撃の割合に含ませてバランスをとるようにした。これは、攻撃一辺倒からの脱却を意味する。自分の中のバランスを意識的に作った。
 これは全部カウンセラーの先生のお膳立てを実際の場面で使ったものです。硬直中和になったし、頭が思考停止にならず、柔軟性を持ちバランスを取ろうとすることにつながりました。

 きょうはうまくいった。ありがたかった。結果、今日はあまり調子のよい日ではなくて、先生のまいた種をジャックと豆の木よろしく、使ってみたということです。

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・ きょうは道立近代美術館へ 蠣崎波響 展を見に行った。たいして期待していなかった。

 まず日本画だという点が良かった。僕はこの間まで日本画はマイナーだから好きではないのじゃないかと自分自信に思っていたが、好きだとわかった。洋画より好きかもしれない。

 この展覧会、展示会場はAだけれど、常設展も兼ねているので人が少なく、目玉でもないので僕のための展示のように絵を舐めまくって舐め回すように近くで見て堪能した。

 僕にとって力が入ったのは、梅の枝だと、梅の枝の気持ちで描かれていること。梅の枝になり切って凸凹と描かれている。花びらもあっちへ向いたりこっちへ向いたり、蕾だったり散ったりと、一本の線も揺るがせにしない、心を込めてち密に丹念に描かれていた。気持ちよさと潔さ・いさぎよさ を感じた。

 鶴には丹頂と真鶴という種類があることを知った。僕は丹頂しか知らなかった。北海道に住んでいるせいもあるが。丹頂も鯉も松の枝もなり切ってそのものに乗り移って描かれているように僕には感じた。描く人は客観的に書いたかもしれないけれど。でも、あの線を描く人は、一球入魂みたいに梅に乗り移って描かないとああはならないと思う。人物もトラもおもしろかった。絵の近くにへばりついて見た。

 ああ、楽しかった。僕の自由時間の最大の娯楽だった。コーヒーを、紙コップコーヒー自販機を飲んだ。外の見える席はいっぱいだったので、手すりの見える、吹き抜け沿いの横席で飲んだ。うまかった。トマトジュースを持ち込みで流し込み中和させた。

 現代美術でも面白い人はいたけれど、面倒なので書かない。耳を作る有名な人の作品を初めて見た。この人の作品ってこんなだったんだ、ここにあるんだと、ちょっと感激というか面白いような感想を持った。耳ばかり作ったというから変態的なのかなとかマニアックなのかと思ったが、意外に普通だった。当時は革新だったと思うが。



・ 昨日はプールへ行った。収穫は平泳ぎの足のL字は、足首に力を入れると水を捕まえることができる足になることを発見したことだった。蹴った後、ストリームラインを作って泳ぎを伸ばすというのを忘れていて、蹴ってばかりいた。焦って、前のめりで、早く上達しよう、先へ進んで泳ごうと蹴ってばかりだった。バカの蹴り泳ぎという面はあった。
 ビート板につかまったり、呼吸の動作を捕まえようと練習したり、自分なりにいろいろ試した。だから泳ぎだけで、4往復くらいはした。それ以上。あと、泳ぎの前と後にはお約束のウォーキングをした。これはルーティンとして組み込んでいる。
 僕は遊園地は嫌いだが、泳ぐプールは遊園地のようで、アミューズメントパークだなと感じる。好き勝手ができる夢を見る場所。楽しい。

 上達は遅々としている。ここがポイント。上達というのは、一気に行くときもあるが、たいていは遅い。そのちょっとの違いにどれだけ驚き喜び、うれしさを見出せるか。



 カウンセリングの先生には、EMDRをやって頂いていた時期に、もっと進歩に喜べばいいのに、みたいに言われた時があった。僕は、ブログとかで、自分の進歩は勝手に捏造してきていたので、進歩というのは大きく派手でないと感じないや、とかと、今となっては馬鹿な感想を持っていた。


☆ 今の感覚で言うと、英単語一個覚えるごとに感動してもいいのかもしれない、先へ進むことに力を入れて小さな進歩に感動しないよりは、些細な違いに目を光らせ、自分の変化にもっと大きく、変化を救い上げるように小さな一歩を感動してやることが長続きすること、息切れマンネリにならない秘訣かもと思う。今の感想はそういうところがポイントだと思っている。



 道立近代美術館のホールには、ロダンかなんかの像が屹立している。5メートルくらいあるようにバカでかく、いつもでかいなあと思っている。





・ 母はいつもと変りなく、最近の穏やかな感じ。棘はあるんだけれど。父は、鶴田浩二の軍歌を聞かせたら、また来てくれと、いつもは一緒に帰るとか無理を言うのに、妙に頭が冴えているらしかった。




・ 台所で砂糖の瓶を転がして、ぶちまけた。後片付けが面倒だった。それは母が遠くの高いところの手が届きづらいところに置いていて、それを変化させずそれを踏襲して使いづらいままやってきたツケが今日回ってきただけだった。

 それで、自分で台所を作ろうと整理と掃除をした。自分で使うものは自分で作らないとダメだ。作業所の人間関係も、家の部屋の整理も、何もかも自分がかかわるものは自分で作るという不退転の決意のもと、やろうとしないと何一つ結果は出ないと思っていいと思う。


☆ 自分で作るという、維持とか、整理とか、横感覚の停滞した後ろ向きではなく、作るという、作り上げる感覚、一から積み上げる感覚で、「作る」という言葉を使っています。

部分の人生 /トイレ掃除 /本を注文した。

交通機関で、当事者研究、を読んだりしているが、隣の人が見ていたりする。僕もだいぶ自分を障害者と認識しだしてきた。どう思われようとあまり気にしなくなりつつある。現実は現実だし。

切符もボタンを押して障害者切符を入手する。これも大ぴら・おおっぴら だ。


 僕が女性問題が進展しないのは、一人に絞れないというのもある。部分に限定されるのを制約と感じてしまう。しかし、人生、部分しかありえない。男をやることになっても、一人の男だし。大奥みたいのが欲しいけれど、一人の女性で満足しなければならない。生活でもあれもこれもはできない。部分に限定される。

 部分の人生を認めなければならないし、部分の人生を男としてぶつかって切り開かなければならない。部分だって戦って勝ち取らないと自分のものにはならない。僕は作業所が職場だ。ここで仕事というのを覚えた。テーラーSG氏に背中を見せて頂いて盗んだ。自分の人生って、たくさんの中のどの部分だというのをはっきりと自覚しないと勝ち取れないと思う。


allでもなく、 nothingでもなく、 partでなければならない。




トイレ掃除をした。下痢の人の飛沫がこびりついていた。乾いていたので濡らしてぬぐった。前には、ぢの人もいた。



トイレ掃除は僕のためあるのではなくて、使う人のためにある。汚してなんぼの世界かも。仕事も僕のためにあると思ってきたが、会社のため、使用者たるおばちゃんたちのために作っている。本末転倒から、だいぶ直立してきたと自画自賛したい。





 フォーカシングのクラブに参加を申し込んだら断られた。統合失調症と書いたせいらしい。今のカウンセリングの先生は受け入れてくれた。断るところに無理に頼んでもしょうがないので飲む。
 体の重要性を 謳うところなのに、差別かあと感じた。



 本をたくさん頼んだ。

honto で頼んだ。amazonはポリヴェーガルの本が高く表示され送料もかかるのでやめた。現在在庫がないらしい。


・ 身体に閉じ込められたトラウマ ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア

・ ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」


本で何とかなるものならと思いバンバン買っている。心理学の本は高い。



本家で頼んだ。べてる。
・レッツ!当事者研究
・レッツ!当事者研究
認知行動療法、べてる式。


 こんなにバンバン買ったのは、カウンセラーの先生に診てもらっているけれど、僕の治療の核心はどんなだろうと疑問を持ったから。カウンセリングの先生に丸投げはしたくない。自分で骨格はつかんでおきたいと思った。べてるのアプローチに見るべきところがあるなら吸収しようと思った。


 咳をする僕を否定する人たちにも性を見ようとした。性を持つ存在として。そしたら、今日の調子だと全く気にならない。僕自身にも性を持つ存在と見ようとした。
 こう書くと調子がいいのだろうといいたいが、今日は織りはさっぱりだった。キレがなかった。ボヤケテいた。

レッツ! 当事者研究1: 感想

・ 早起きして出かけました。夜の間、寝ているときが一番風邪をひいていた。起きたらだいぶ良かった。

 迷惑そうにはされなかった。見頃と袖が終わった。襟が残った。今日中にミシン係の人に渡された。



・ フォーカシングですが、傾聴のところまで読み進んだ。モチべーションが続かなくて、レッツ! 当事者問題 に切り替えた。

 フォーカシングは、身体に聞く重要さを再認識させられた。空間を作るという作業の内容に惹かれた。

・ 当事者研究は、地元の当事者クラブに入りたいと思った。あるらしい。まだ調べていない。浦河にはさすがにいけない。しがらみが残っているので。
 僕が調子が悪くなって最低の日、頑張らざるを得ない日だが、周りの圧力に対して、必要以上にエスカレートしてしまうのは、爆発 という表現で本に出ているのと一脈通じるなあと思えた。

 僕の統合失調症は抑圧型だが、幻聴幻視タイプの人の悩みとも通じるなあと思えた。僕の問題はだれとも共有できないと思ってきたが、べてるの人たちとは共有できそうだと思った。みんな悩んでいたんだなあ。一人じゃないような気がした。

 僕は一人で戦ってきた気がしていたが、カウンセラーの先生にはお世話になっています・お医者様にも、悩んでいる人たくさんいるじゃんと思った。紹介事例の人たちの話を読んでいると、僕よりハードで戦っている人がバンバン出ていた。この人たちはタフだわー。


 ほかの人を参考にすると、僕も研究が成り立つと思った。研究すれば、調子の悪い日にカッカッするように剥きに抵抗する悪い癖を訂正できそうな気がした。それには、問題の構造をはっきりさせないと。この本を読み終わるころには自分の問題もかなり客観的に見れて、他にも悩んでいる仲間がいたんだと、共有に向けてできそうな気分にはなっているとは思う。


 僕と同じように精神的に幼い人が多いのかなあ、成熟されていない、とも頭をよぎった。そしてそれは孤独からくるもので、横のつながりができると卒業できるかもしれない。親子関係は恵まれない人が多いように感じた。僕の家族も問題が多いが。

 今日はボス指定のストールを織っていて、(3cm幅が短くなってしまった・縮むのを見越していなかった)、着物の解体を頼まれた。急いでいるらしい。

 今日は早く寝て、明日朝早く出かけて、8時半には到着していたい。そしたら、明日午前中に終えられると思う。急襲して、作業しようと思った。たぶんスタッフの方はもう到着されていると思う。

集団( 抜きんでた人 劣っている人 )は高みを目指す。

 
 元ネタを思い出しました。教科書で習ったもので、例えは違いますが、デパートの宝飾品売り場でダイヤの指輪を買います。家に買って帰ると、売り場ほどの輝きがない。それは、売り場ではルビー、サファイア、エメラルド、トパーズなどのたくさんある中から選んでいて、そのたくさんの中のダイヤという関連で買ったからだとありました。売り場ではダイヤ単体ではないと。家のダイヤは孤立して関連性のない、売り場のダイヤというほかの宝石とのつながりの切れた宙に浮いたダイヤになってしまっている。


 人間も一人だけがいいのではなく、集団の中で切磋琢磨して成長していく。単体では無理であろう体験を集団の中でたくさん行える、という利点がある。一人の人の能力も、他の人との関連性の中で見るべきなのかもしれない。抜きんでた人というのは、他の人と比べて成り立っている。他にも大勢能力の高い人がいる。抜きんでた人はある部分の能力が他者と比べて高いという特性を持つ。比較の中で成り立っている。比較は他者がいるから行える。他者との関連の中での抜きんでている。

 抜きんでた人には、その分野で力を発揮してもらって、僕たちは違う分野か補完する形で能力を使えばいい。抜きんでた人をサポートするとか。抜きんでた人に助けてもらうとか。

 抜きんでた人には権威になるのではなく、周りと生かしあうために存在してもらう必要がある。集団は、抜きんでた人を含んで交流し力を補い合えばいい。




 抜きんでた人も周りの人も集団の目的のために存在している。その目的のために力を合わせ精進すればいい。補い合う集団は高みを目指す。



 劣っている人は、その人の力の範囲で貢献すればいい。集団の中で圧力を受けやすい。抜きんでた人をサポートしたり別の部分で力を蓄えればいい。立場の違う人がいるから集団は成り立っている。向いている向きは同じ方向を目指している。

 
 

 集団は階段を登っている。いろいろな力を集め前を向き進歩するために研鑽・けんさん する。集団集合は力の鬩・せめ ぎあいだ。成員は振り落とされないよう全力でぶつかっていかないといけない。

分開(分解ではない)(ランナーからの洞察)/プール日誌

 個人一人一人は、ある志向性、偏向性、特性を持っている。これらは偏りがある。
 

 その個人一人の限界は、いろいろな人がいることで補完されるのではないか。


 個人の限界が、他者存在で役割を分開(分解ではない)されて、偏りのある個人が周りの偏りのある同じではない全く違う個人が多数周りにいるということで補完される。
 他者存在があることで主人公である僕が生きてくる。生きてくるのは、自分にないものを持つ他者から影響を受けるからだ。役割が分散されている。

 その分散された役割の多数集まる集団の一人一人は、偏向した個人だ。違う人間が多数いることは、個人を生かすことだ。影響しあう個人は、他の人が自分にはない能力を持ち、開花させていることに喜びを感じ、すごいなあと思う。自分にないものは、他者が役割を担い・にない、活動していけばいい。


☆これは剽窃・ひょうせつ の考えかもしれないけれど、僕は、大学生がランニングしている姿を見て、僕にはない力を持つ人だと認めた。僕は52歳だし、もし若かったとしてもあの能力はなかっただろう。ランナーの若者は、筋肉を躍動させ、心肺能力も生かし、足早く走って行った。とても光り輝いていた。素晴らしいと思った。影響を受けた。
 これが、上の文を考えた原点の体験だった。圧倒的な他者がいた。





・ 水泳レベルアップシリーズ 平泳ぎ、杉田光一、ベースボールマガジン社

 の本を読んでおいた。理解していないのをやってみて痛感した。

 DVD付属はまだ見ていない。今日は、足の蹴るのをできればなあと出かけた。ビート板につかまり、初めてか4年前ぶりくらいにいちどやったかもでカエル蹴りに取り組んだ。



 ビート板につかまっていても、下に蹴るイメージだと足が沈んでしまい、結果プールに立つことになる。それで、下に蹴るイメージをやめ、水面近くをけるイメージで取り組んだら少しはみられるようになった。でもちょっと沈んだり、ぶれたり、蹴る感覚もはっきりせず、グッチャグッチャだった。

 せっかくだからと、蹴るのもままならないうちに呼吸にも取り組んだ。足を引き付けるときに、水に浸けている顔を上げた。最初呼吸ができなかった。それで本のように、蹴っているときから鼻から空気を出していき、一息取っておく。その一息を顔を上げた時に顔に付いている水を払うように吐き出し、吐き出した勢いで空気を吸う。理屈ではこうだ。しかし実際は水を飲んだりした。空気をうまく吸えなかったりが多かった。

 しかし、うまくいかないなりに、うまくいくように取り組んだのが楽しかった。ウォーキングコース3周、25メートル3往復半、またウォーキング3周で、サウナ室にちょっとだけ入り帰ってきた。プールに入っていてもトイレに3回くらい行った。せわしなかった。

 いやあプールは習っていないので楽しいよ。今は勝手ができる楽しさを味わっている。変な動作でも、自分裁量で取り組んでいるので満足だ。自分のためだけの時間なので楽しい。おまけに泳ぐ経験が乏しいので新鮮なことばかり。



・父のところに出かけた。父は田端義夫の音楽を楽しんでくれた。帰り船とかを声を出して歌おうとした。寝たきりでもできることはあるぞ、とね。校歌も聞かせてきた。偉そうに書いているけれど、僕も歌詞を見ながら歌を楽しんだ。父のイヤホンと、僕のイヤホン、二股になっている。


・母のところへも行ったけれど、母のところは、プールの後に行ったので、充実感の後に着いたことになる。そのせいか、母の機嫌も安定して、おだやかだった。僕が満足して安定していると、母の状態も違ってくるのかなと思った。

・土木工事屋さんに、2件、打診してみた。



 今日は出かける前は、調子の継ぎ目で、イライラしたけれど、むりやりやってみると、結構楽しかった。最低の日でなければ、行うのが良いのだろう。

4 Thu /フォーカシング、ジェンダリン: 空間を作る

4/4 mokuyo bi : Thu : 木曜日

・ 今日は低調で、目ぼしいことはなかった。それで、物にも性別を与えてみようとした。フランス語やロシア語みたいに、(よくわかっていないで書いている)、ノートならどちらかの性別があるはずで変化するとか? 僕の勝手な・わかっていない例として、ノート 男性名詞 とかみたいに。ノートにも性別を与え、ほかの人の顔にも性を与えようとした。女の顔なら女に決まっているけれど、あえて性別を与えて見ようとするとか。スポンジや皿、スプーンにも性別を与えて見ようとするとか。


 調子が悪いので、こういうことになったが、ある意味正解で、(性を抑圧しているので)、汎・はん 性別付与・ふよ 作戦だった。汎性別付与 作戦。 


・ とにかく睡眠を大事にしている。アンダーになってしまうと、次の日に差しさわりがある。休みの前の日に夜更かしすると、次の日の昼間に寝てしまい、何もできなくて休みが終わるという最悪になってしまう。だから、コンスタントに早寝を励行しなくてはいけない。(ひとりだけだが・自分だけに関係がある話だが



・ 社長の指示で、ストールを織ることになった。糸が絡まり、対策として、糸だけ巻いたのから引っ張っておき、それから杼・ひ に巻き取ろうと思う。最初から杼に巻き取ると、絡んでしまう。今日失敗したので対策を考えた。テーラーSG氏、耳が悪くなられた。先輩です。







・ 作業中は、お腹の張りが大きく、抑圧なのだけれど、頑張って向き合わなきゃ、とか思って苦しがっていた。

 そこに思い出した。フォーカシングージェンダリンの本では、無理やり向き合ったり、頑張ったり、何とかしなきゃと苦しがるのを推奨しているわけではなかった。空間を作る、というのが主題だった。
 体の違和感に占領されても、無理に何とかしようではなく、空間を作り居心地のいい間合いの距離感を保ち、少し離れて見たりする。それは逃げることでもなく、感じるのをやめるわけでもない。少し離れて感じ続けることだ。

 図書館で、自分と向き合う時間を持った。地下室に降り、緑色のフェルトの階段だった、中の部屋に入ると、真っ暗だったけれどライトで照らされた。
 そこに行ったのは、僕の妙さんに地下室でも会うという趣向だった。少し離れて異物の母に向き合うというか、感じようとすると、僕の妙さんはやはり僕を憎んだり嫌っている気がした。なんせ一人でやっているもので、カウンセリングの時のようにはいかない。気がしたという程度しか確信度はなかった。

 でも符合する点はある。幼稚園児の僕は母が憎んだり嫌ったりするのを正面から受け取れず、抑圧した。それは自分を愛するはずの母がそのような気持ちで僕に来るのを認めることができなかった。目を背けてしまったという話に発展できる。それで、自分の母を憎む気持ち嫌う気持ちまで認められなくなったしまった。妙さんは僕を嫌っていたと。正面の気がする。今度のカウンセリングでも取り上げて頂きたい。と思っています。



・ 精神科のお医者さんは、正解に結びつくようなことは言われなかったが、社会や人に対する不安が怒りになったり憎しみになったりする、と言われた。僕にはすぐ使えない話かなと聞いたが、僕は不利になり、攻撃されそうな調子の悪いとき、こちらの態度を硬化させ、攻撃モードに突入させている。これは、攻撃されないため、こちらの武力をちらつかせるやり方だ。

 そうではなく、不利な時は、フォーカシングの空間を作るのように、周りとの間に距離感つくり、客観的に眺める、敢えて間合いを増やす、というやり方は硬化させるより断然良い態度だと思える。今度はそうなるように仕向けたいと思った。僕は怒らせていたのだと思う。だからお医者様がこの話をされたのだと思う。怒りでごまかした。怒りを使用したというアドラーの話だろう。


・ 今日のように、お腹のものに占領されて圧迫されたとき、前のめりにならないで、硬化しないで、フォーカシングの本のように空間を作り、客観的になれるように空間を作り間合いを持つようにすると、気持ちよく、心地よく、余裕を持ちつつ抑圧に対処できる可能性がある。悪いときに積極的に何とかしようとコノヤロー的な態度にならないで、一歩引いて、自分の状態周りの状態を冷めた目で見るように仕向けることを自分に望む。

4/02 Tue /「僕の妙さん」:僕の中の母に名前を付けた。 / 一歩の大事さ。

 2019/04/02(Tue)

 今日は昨日が調子が良かったからそれと比べるとかなり落ちる。

 あまりテンポよくできないので、どうしたもんかと思っていて、「眼の前の一歩に全力」、で一番手前の作業に注力した。そしたら止まっていた手が動いた気がして、注意散漫も落ち着いた気がした。それしか脱出方法はないように思えた。

 作業所には新しい人が2人入った。

 
 樹とコミュニケーション カウンセリングに出かけた時のもの

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 昨日の、拒否的で、拒絶的で、孤立し、暴君で、力任せと感じた母は、身体の感覚を聞いてその感じから書いたものです。

 僕は、その身体の母に対して名前を付けました。べてるの当事者研究(何かで聞いたことがあり、詳しくは何も知らない)を参考に、僕の妙(母の名前の仮称)さんと名付けました。
 
 「僕の妙さん」といつも一緒にいて、これと当分付き合っていきたいです。50年近く僕の中で君臨してきたのだからそう簡単に抑圧は出てこないと想像されるからです。この抑圧は、今ははっきりと身体に意識されています。いままではぼんやりだった。


 それでレッツ! 当事者研究1 を メルカリ で注文してみました。よろしくお願いします。

 ずいぶん僕の問題も展開してきたなあ。


 フォーカシングは、やっと本題に入りつつあるが、すぐには役立たないだろうと思える。抑圧は巨大すぎて、すぐ解決というわけにはいかないだろうから。徐々に間合いを詰めて行ければなあ、と思う。






 今日は大事な展開が2つもあり、収穫だった。
 作業所で着物の糸除去・解体・着物ほぐし(ここの作業所ではこう呼ぶ)をやっていて、今回のは、繊維が細くミシンで縫われたりしてやりづらい。
 面倒なのだなあ。と思いながらやっていて、この一本の糸を切断していくのは同じだから、やりづらいも、簡単もそんなに区別はないのかな? と思った。一本ずつ糸を切断していって最終的に着物の解体は終わる。

☆ これは掃除にも言えるなあ。掃除は一歩ずつの積み重ねだ。面倒だと全部後回しにして汚い部屋を作っている僕は人生を知らないなあ。人生をなめている。一歩ずつやっていく、目の前の一歩に全力をかけるのが着物ほぐしであるわけで、それは掃除でも同じ。
  眼の前の一歩に全力をかけて取り組めば、いつかは終わるし、目標に到達する。だから、眼の前の一歩をおろそかにしてきた、掃除をできない僕は、人生をなめている、人生を知らない、となる。人間は一つずつしか取り組めないから、一歩をおろそかにしたら何もできないことになる。同じことをくどくど書いた。

<終わり>LR

フォーカシング : ジェンドリン

フォーカシング

 今日の作業所は、女性があの人助平よねえ、みたいな話からその被害の女性を性的に意識したりした。帰りの送迎車でも、隣の女性が僕が何かするかなという、悪い意味での誘い、罠を張ったりした。

 それで否が応でも自分の中の母と向き合わざるを得なくなった。帰りの交通機関は、なんか周りがしそうだったが、打開すべく読書をした。

 フォーカシング、最初の例の頭が良かった女性の話。僕が頭がいいという意味ではない。この女性、人間関係の中で自分の大事な特性に蓋をし触れないようにしていた。自分を偽って、周りに合わせて良さを封じ込めてきた。この話の女性は劇的に変わるわけだけれど、このある部分を僕のために頂いた。



 僕の中の母は硬直化し、暴君で、排他的で、わかったふりをするけれどすべて排除して認めていない。僕の中の父も似たようなものだ。
 この僕の中の母に僕は現在負けている。そして負けているほうの僕に興味があるらしい、周りの人は。僕に興味があるわけではない。僕になど誰も興味がない。僕は劣勢に立たされ、混乱し、不利な立場になっている。周りが興味があるのは、僕の中の母の部分だ。母に不利になっている僕の混乱に興味がある。だれも本当の僕を知らない。僕も本当の僕を知らない。


 自分の中の暴君の母の部分と、それに対して劣勢に立っている僕の、その力関係に興味がある。


:::作業所で川柳をひねった。:::

・ふぐり揺れ トイレ掃除も 終盤へ

 熱心に力を入れブラシで便器をこすっていた。その便器を磨いている自分の状態を詠んだ。

・指先で 我ここにあり 鼻糞君

 いつのまにか、鼻をいじっているうちにくっついていた。作業所でのことだったので慌ててティッシュでふき取った、というか摘まんだ。

カウンセリング。

・ カウンセリングを受けました。先生はいつもよりは集中していないように思えました。たぶん個人的なものか、僕のブログ・女性の紙袋をぐちゃっとやっても知らん顔だった汚い手を使ったからかもしれないと、想像した。

 自分の中の男の部分を見てもらうということで、地下室の部屋へ降りていき診て頂きました。
 部屋の壁は防音室のように凸凹で絵の具に触るときのようなヌルっとした、精液かもしれませんが、感覚がありました。暗い部屋の中にランプスタンドが床にあって、持ち上げると母の顔が照らされました。ニコニコしていました。たぶん母と同じ屋根のもと暮らしていないので、影響を受けることがない安全なためと思われました。

 母は、新しい服を着ていくと、いい素材だねと吟味するように、違法じゃないかというような含みをもたせて聞きます。だから母のところへは新しい服を着ていかなかった。

 その母が僕は嫌で母の椅子を取り上げ、僕の作った椅子に座らせたいと考えた。母の僕の中での不動の特別な椅子から降りてもらい、僕の作った椅子に座りなおしてもらいたいという、趣向です。僕は自分の中の母に特別な敬意を払いすぎていると。ただの一人の女性に格下げしたいと。それは父のことも同じだ。それが僕の望みらしいことを今日のカウンセリングで気づきました。

 今日はカウンセリングに、新しいシャツ、新しいジャンパー、新しい帽子で出かけました。中綿べストは古かったが。

 僕は母に、スキーのジャンパーを買ってあげると出かけ落合い、買う段階になって水色のパーカーみたいのを買ってもらえないで、灰色になってしまったという、大学1年の時の思い出がある。これは悔しかった。強烈に否定された。残酷だった。買ってやると言われ、好きなのだと思ったら、押し付けられた。バカヤロー、糞婆あ。フザケルなよ。

 母の僕の中での位置が更新可能なのを知った。これらは今日取り上げようと思っていたのではなく、母の顔がランプで照らし出され、それとコミュニケーションを取っているうちに、そうなってしまっただけです。いつも地下室の部屋は意外で、考えているのとは違うことが取り上げられることが多い。


・ジェンドリン、フォーカシングは、取り組んだ人たちの体験談が最初に取り上げられている。この後、少し読んで大まかをイメージして本題に入るらしい。6つのなんとか言うやつ。カウンセリングの先生はやはり英語で読まれていた。僕はメルカリ日本語中古だが。


ヨシケイの晩飯うまかった。今日も作った。も、は4日前だが。だいぶヨシケイの飯づくりにも慣れてきた。レシピを読むのも小慣れたものだ。うそ。いつも突っかかりながら、そろりそろりと読み、時間をかけすぎて作っている。ヨシケイの調理済みのよりは、ヨシケイの自分で手作りしたものはよほど美味しい。きょうはなぜか満足した。


・ 今日は、1か月か、2か月ぶりに風呂に入りたい。いつもはシャワーか、洗面台ごまかし髪洗い。