カウンセリング 2016/07/13(Wed・水曜日)

この曲好きだったですね。愛していました。

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追記:カウンセラーへの次回で渡す文章用:



 居間で椅子に座っていたら、横から父が来て、変な雰囲気を発していたので僕の首を絞めたいということかなと思った。

 それで、父が後ろに回った時、僕も父の首を開ける気を発し、対抗した。父はしばらく後ろに立っていたけれど、去って自分の椅子のところに行った。

 僕の父への首開けが効いたのですね。




 その後、ファイターズはどこでやるんだと言ってきたので、新聞を見て頂戴と渡した。でもこの父の言っている意味を額面道理には受け取れない。父の裏面交流では、僕が調べて父に教える義務があると言っているからだ。言葉には言わないけれど、無言の圧力が込められている。

 父の裏面交流のところを父に説明した。言葉に出して。



 だから僕が調べないで、父に新聞を渡して自分で解決しろと突き放したのは、僕の勝利となって残った。




 ラディッシュボーヤでトムヤンクンを頼んだのが来て、臭いにおいがして、辛くて酸っぱくて、変な味だった。でもすぐ慣れた。2人前が来て、1人分開けたのだけれど、次回は僕だけ食べることになった。家族は不評。

 僕はトムヤンクンを一度食べたかったので満足した。辛いのは平気だった。臭いにおいもすぐ慣れた。


 ラディッシュボーヤでは、玄米とヨーグルトくらいしか頼んでいない。運んでくる人は、チンケな奴だと思っているくらいだろう。



2016年7月13日(水)



 カウンセリングに出かけた。90分のEMDR枠。

 最初に、2年くらい前の芸術の森・織りの体験の時のいい感触を土台にするため、その時の好感触を反芻し、身体のどの部分で感じるかと言う身体感覚を絡めて体験し直して、EMDRで良い体験として土台にした。

 その後、父との中学生ころのサッカーで、父はサッカーシューズを履き、僕は運動靴で、父のボールを盗らせようと僕にやらせたわけだけれど、その父のやり口が卑劣で(最初は敗北感無力感で塗られていた、だからそんな卑劣とか言えなかった)、僕に全くボールを触らせない。


 僕だって、ボールさばきの基礎からやらせてもらえば、玉扱いだって、そこそこできるだろう。(もちろんうまくなるという意味ではなく、イロハぐらいはできるだろうという意味)


 父は僕に教えようという気持ちなどまったくなく、ただ自分の優越感を示そうとした。自分にだけ興味があって、僕は父の感情のダシとして登場した。汚い父だったわけです。



 その時の僕の感情を身体のどの辺で感じるか、足が重かったり、頭や肩が重かったりして、その時の感覚を感じながらEMDRしてもらった。



 そこでカウンセラーの先生に言われたのは、僕は大人なのだから無力な存在ではないわけで、無力と感じるのはトラウマなので、その必要はないはずだと。いまは、本も読んで本から学んだり力を僕も持っていていて、いろいろ対処できると、僕の力も見つけた。父に対して無力感を植え付けられたけれど、その必要は今はないはずだと導かれたわけです。正しいけれど、今も無力感はある。でも、確かに、そこから出て、僕の力を発揮すべき段階でもある。父との関係性に閉じていてもしょうがない。



 最後のところで、織り体験のときのいい感触を、足の重い、利かない感じのところにいい感触を広げていって、悪い感触を良いものに置き換えようとはしてくれた。あまり成功した感じではなかったけれど、ケアしてもらった体験は残った。あの父との体験は、僕一人の胸の中で、そんなにトラウマのレベルは最初から高くはなかったけれど、閉じていたけれど、カウンセラーの先生との共通の体験として焼き直された。そういうカウンセリングの体験をしてもらった。




 一週間に一回は、カウンセラーの先生にケアしてもらえるという、安心感はありがたい。作業所に通い、鬱々して、孤立無援感の通いだけれど、そこに水を提供してくれるのが今のカウンセリングになっている。支えてもらっている。


 茶化して言えば、感謝感激雨あられの体験だった。


 率直に言えば、僕のために、枠を組んでもらい、一人の人の手を煩わせて、僕に、自分の無価値ではない、力があることを、エンパワーメントの種をまいてくれているのが、カウンセラーだ。

人間的な営みに感謝しています。