納得の生活:主題の提示

7月16日(木)心療内科のお医者さんへの日記に手を加えた。
(追加版)

「 ・作業所 」



 昨日読んだ本でブログに書いたものの内容で、仕事も趣味も楽しみとして取り組み、趣味も自己向上をめざす。自己向上を仕事の柱にするので、上司は権威ではなく、その意をくむような指導をしていくみたいな、新しい生活感の提示があった。



 それを進めて思いついたのは、

「納得のための生活」という柱。


作業所の他の人も成長してきているし、僕よりうまい人もいる。僕の存在価値は、人より上手いではなく、自分の作業に納得しているか、それが柱になると。比較ではなくなる。

速くても遅くても、上手くても下手でも、自分が納得するような作業を目指すべきだと。自己納得の評価が出れば、それだけで肯定されると。



 美人女性や、価値があるとか、難しいことではなく、自分の納得のために生活を回していくべきだと。価値観を自己の内面に据えること、世界の価値観に振り回されない、という展開が起きた。
この考えを思いついて、非常に満足した。



 自分が納得するためには、要らないものは削ぎ落としていかなくちゃ。納得いかない部分は、納得するように変えていく。どんなに惨めでも納得いく評価を自分が与えられるなら、肯定していく。価値観を自己の内面に据え、自己中心化を図る。

女性も、ほとんどは自分と関係なくなる。自分の内面と関係ある女性と関係できるように働きかけるとか。

金でもなく、ステータスでもなく、自分の内面が欲するものに絞る。
社会が提示する価値観に振り回されず、自分も踊らず、自分が納得する素朴で純粋なものに関わっていく。



傍(はた)から見ればあいつバカだろうでよくなる。自分もある程度捨てて、切り捨てる。ある部分だけに投入する。世間的なものは捨てていく。自分のための人生に創り変える。という指針を思いついた。




・ ヘルマン・ヘッセ、庭仕事の愉しみ V・ミヒェルス編 岡田朝雄・訳、1996 

を読み終わりそうになっている。最後から2つ目のお話、イーリスを読んでいる。

 庭についてのエッセイが主だけれど、イーリスはお話。よくあるパターンの気もするけれど、すごくいい話。涙した。もうすぐ読み終わる。これだけ読むのでも価値があると僕は推す。中古で買ったので、要らなくなった人もいるのですね。僕にとっては大事な本だと、言えたらいいなあ。よくわからない。読み返してみないと。



・ 今日の帰りの交通機関は落ち着いて過ごせた。光の影を見ていた。黒のコントラストが光の中で動いて踊っているのを見ていた。世界には感動がまだいっぱいある。納得の生活、納得の人生を実践できれば、ささやかな日常の感動にいっぱい出会えそうな気がする。世界は光って僕をまだ待っていてくれると思う。