革財布:後記 / 省察

 本の中に、人を信頼してはいけない、という思い込みは危険で改善する必要があるらしい。僕は両親とのなかでそれを作ったと思う。カウンセリングを受けるのも検討している。18歳の大学の時のスクールカウンセラーだった方にお願いしようかと思っている。





2014/12/4(Thu)


 ピアニスト、ツィメルマンは感情的でど近眼、情熱的。内田光子は一つの世界表現で遠視、クール。




革財布:後記



 革財布を作るときは、うまくいかない場面が出てきて、抗(あらが)わなければならないけれど、今回は負けてしまった。うまくいかないという負けに入った。革作りは、価値があると思ってやらないといけない。負けて失敗すると価値がないものになってしまう。僕は失敗したけれど、価値はなくならなかった。矛盾しているけれど、物としては価値がない商品価値がないものだけれど、感情として、一つの財布を完成させて満足している。

 価値があると主張して作ることになる。失敗はそれへの反抗として出てくる。価値をなくそうという動きが失敗。でも、失敗しても満足できる。やるだけやったし、完成させた。



 話は変わるけれど、作業のスタンプ押しをしていて、社長夫人が来たころから、丁寧に押すことを覚えた。遅くてのろのろだけれど、出来栄えが良くて、丁寧で完成度が高い。

 僕が財布を完成させた日、スタッフは自分用にキーカバーを30分かけて縫った。僕がやると15分で終わる。これはスタッフが自分用に相当丁寧に縫ったと言うこと。250円くらいのもののために、心を込めて技術を傾けて縫った。

 僕は雑に財布を作った。急いでいた。すごく早く完成させようとした。このスタッフの話を聞いて、僕も無期限でゆっくりと財布を作ればよかったと思った。レベルの高いことをしたのも失敗したと思った。もっとペンケースとか、ペンカバーを作ればよかった。入門から段階を追って難しいのを作ればよかった。僕は財布が作れる。(言い切ることが大事)

 それに失敗しても価値は減らないし無くならない。チャレンジしたという事実が残る。


 また話は変わって、部屋の掃除をかけるとき面倒くさい、手間だと今まで思ってきた。けれど、部屋の管理ができると言い切り、自分に能力があるというと、部屋の掃除機かけも楽しくなるし積極的になる。新聞切抜きも、新聞整理が面倒だと思うけれど、世の中の人の活動がわかり、社会の動きがわかると思えばはかどる。できる、能力があるという表現は積極的にさせる。







省察(せいさつ)


・自信をもてない人のための心理学、フレデリック・ファンジェ 監訳:高野優 訳:内山奈緒美、紀伊国屋書店、2014



 交通機関で、咳をされたり、うるさい音をされたり、いやだなと思う。否定されてみじめで。と思ったりするけれど、相手を認めたわけではない。負けたわけではない。僕は全く相手にしないことにしてきた。負けていても反応しないという、遠隔操作みたいな、害のないことには反応しないことにしてきた。これは戦略だ。

 この本を読んで、そういう場面を振り返ると、乗客が20人いて3人が咳をしたとする。3人が僕を否定して、自分は有利だと言い優越しようとしたとする。僕は低い自己評価で喘いで、自分ダメだと感じているとする、圧倒されているとする。
でも、この話、20人いて3人だけが変な奴で、僕がお前がおかしいんだよという相手でも、あとの17人は関与しないか、僕を温かく見ている可能性もある。僕は自分の隙に付け込む3人を大きくとらえすぎている。それでみんなに否定されたと思っている。みんなではなく、全体の3人だ。15%というだけの話。ほんの一部の特殊な人たち。

 そして本の指摘の通り、僕は失敗で自分をひどく責めている。失敗してダメだとか、全然能力がないとか、すごい人と比較して劣っているとか。そうではない。僕は財布が作れるし、作業所のハンガーもセンス良く布を巻けるし、布巻もそんなに悪くなく普通だ。キーカバーは結構うまい部類だ。今までダメだダメだと自分に言ってきたけれど、そんなに自分を低く責める必要はない。善良な友人に語りかけるように(本の内容を使っている)、自分にも優しく、かげがえのない友人に接するように自分に接していけばいい。僕は手芸のセンスはある。練習すれば技も習得できる。能力は磨けば光る。最初はぶきっちょで下手でも、人並みに持っていけるか、優秀くらいにはなれると。

 そして交通機関で否定されると、全部背負い込もうとしてきたけれど、全部自分の責任にする必要もないそうだ。そこのところを読書中です。



 雑誌特別号QUOTATION FASHION ISSUE WOMENS/MENS 2015 SS は、めくっていて楽しい。デザイナーのセンスが楽しめる。


 本の続きは、よいことは自分の手柄にし、悪い状況は環境が悪いと周りに返すということらしい。

 僕の場合、男として価値があるというのは、母との関係で、子供のころ食って掛かり、何かをあきらめ、引っ込んでしまった経験、「人のせいにしないでと」母に突っ張られ、全くの一人ぼっちの感情にされたことがトラウマの可能性はある。母は母性的に受け止めないで、僕の感情を突っぱねて拒絶し、拒否してしまった。僕の感情は行き場がなく、閉じる以外に選択肢がなくなってしまった。

 だからか、男として価値があると主張するのは、それとは逆の男としてダメだという心の声に真正面から抗うのに必要なキーワードだ。



 財布を使っています。分厚いのが難ですが、クリームのレザー用を塗って、気に入っています。

 昨日は忘年会に出席しました。25年ぶりくらいです。問題もあるけれど、いいものです。

 こういうことを書いているのも、ネガティブな考えを修正するための治療の一環です(本の影響)。

 僕を否定する人は、特殊で少数派だというのが正しいと思う。

 僕の革もなかなかやるよ。手芸もセンスあるよ。