08tue / 07mon / 06sun / 11/05(Sat) / 11/04(Fri) / カウンセリング11/2(Wed)

08

 確かにTREをやってみると、震えは来る。震えて、気持ちがよくなる。でも、体育会系のやり方とノリで、納得できない。長続きもしそうにない。でも、お手軽でフリーなのはいい。
 よいような、よくないような、宙ぶらりんな気持ち。でも病みつき感はある。納得もできない。




07

こんなのもあったよ。TRE:/

・ 人生を変えるトラウマ解放エクササイズ、という本から検索語、トラウマ treで出てきた。

僕はまだやっていない。

www.life-rhythm.net






06

・ 金曜日の夜の夢で、猟銃か何かで女を撃ち傷つける。その取り巻きの男たちに囲まれてこれから死刑になる所で目が覚めた。嫌な夢だった。一日どうなるかと思ったけれど、土曜日は普通に過ごせた。


・ 今日は、20センチくらい積もった。雪かきをした。まだ11月6日だし、予想しない負荷だった。あまりうれしくない、迷惑な雪だった。
 社長の車は3回転したとか。怖かったらしい。それはそうだよね。


・ nuno-zoriこの間の完成させたやつ、出かけたら外されていた。鼻緒が薄いという判断で、また今日、僕が厚くできあがったのを取り付けた。鼻緒の中に入れる布の量が少なかったという事です。
 
・ 作業は味わおうとはしてみた。まあまあ、そこそこという感触だった。



・ 交通機関では、借りてきた、小学生歴史マンガ本を読んでいる。刺激を受けている。人々の累々たる労働のおかげで今の生活がある。汽車が走る、平らな土地がある、車が走る道路がある、スーパーがある。モノがたくさんあり、人々がつくった成果が店頭に並んでいる。

 すごくて不思議なことだ。先人の力がなければ、今日(こんにち)も無い。マンガは、登場人物が物語を動かすので、歴史に動きが出て、人々の生活が見えてくる。










05

2016年11月5日(土)
 
・ 織り教室へ出かけた。調子が普通で、マフラーを完成させ、整経と綜絖通しを先生に習いながら行った、だからテンポよくできた。

 僕はマンネリで、早く終わらせようとしていた。僕に大切なのは、動作を楽しむこと、味わい感触を楽しみながら動作すること、これができれば僕は人生を楽しめる。僕は塗りつぶそうとしてきた。どんな動作でも味わえば楽しみがそこに宿り、味わうことができると思う。僕は先へ先へと完全主義で塗りつぶそうと間違いを犯してきた。



 ユニクロニューバランスへ寄った。今日は雪で、地元では雪が解けて水浸しのひどい道路だった。歩くのに難儀した。防水靴で助かった。



・ 性を出さないと作業所では立ちいかなくなり、昨日あたりから社会的性というキーワードでやっている。性というのは個人のものだと思ってきたけれど、社会的な存在の人間だから、性も社会的性というキーワードでやっていきたい。社会的性を持つ僕。




・ 赤瀬川源平さんの利休の本に習って、僕も図書館で、
まんが 人々のくらしと経済 第2巻~安土桃山、江戸時代~、監修:伊藤純郎 / 作画:堀江卓、ぎょうせい、1996 というのを借りて交通機関で読んできた。バカにされる僕だけれど、最低の地点からやり出せば歩いていける。僕にもできる。おもしろい。秀吉の戦の独創性には目を見張る。すごいなあ。

 マンガだとバカにできない。ここから学べる。いろいろ楽しいことが書いてある。庶民目線の本なので、政治と庶民の暮らしの両方が見られる。この本いいなあ。他にも3冊借りてきた。戦の話は面白いですね。秀吉の金ばら撒き、ごぼう抜きのやり方による作戦はワクワクする。才能があったんですね。彼らの政治の下にある庶民も、したたかに世の中を渡っていったのでしょう。秀吉や信長も庶民の力を利用して政治をしている。楽市楽座、城下町とか。学んだよ。

 小学生勉強や、小学生英語をずっとやっていけばいい。すぐ上を目指すから面白くなくなり挫折する。このパターンだよ。飽和状態になるまで、小学生を目指せばいい。僕は今日から小学生だ。ジャ~ン。パッ。









04

 利休、岩波新書赤瀬川源平 というのを読んでいる。著者が、映画の脚本執筆を依頼され、安土桃山時代を勉強しなければならなくなった。岩波新書の歴史で学ぼうとし挫折、岩波ジュニア新書も挫折。それで、小学生のマンガ本とかの歴史シリーズから読みだして成功した。
 著者は、知識の何もないところから難しいのは無理で、少しの知識を低いレベルから蓄積していくと、段々吸収がよくなり、知識人のように、知識を蓄えるのは楽しくなるのだろうか、みたいなことが書かれていると僕は理解した。

 この部分で面白かったのは、マンガ歴史本までレベルを下げることができて、楽しめて、その上、たくさん読むうちに蓄積がなされたこと。そこから吸収がよくなり、さらにいろいろ勉強できるようになっていった、その、低い水準に満足があって、次の布石を生んでいった過程のおもしろさ。感激しましたよ。亡くなられましたが、この方好きです。

 この本、めっちゃ、おもしろいよ~~ん。


 nuno-zori完成した。僕の最もまともなものができた。でも、左右長さがずれた。8ミリくらい違う。ヘタッピー。万歳、bokuno nuno-zori. 社長にいっぱいまとわりついて、完成させた。 









2016年11月3日(木)


 昨日はカウンセリングを受けました。

 カウンセラーの先生と二人きり夜の部屋にいて、終わってから僕は先生を女性として見ていたから変に意識して、変なふうな雰囲気を発しました。先生には迷惑だったでしょうが、僕は女性が抱きたかったので、そうなったのも致しかたなかったと思っている。




 カウンセリング自体は、小学校4年くらいの時の父母の喧嘩の時を扱ってもらいました。父は母に湯呑みを投げつけ、絵に傷がついた。その時僕は2階の部屋にいて、父にやめてくれみたいに泣きながら言いに行った。でもどうにもできなかった。
 この話は、NLPの本の中に出てきた、トラウマの話を読んでいてその方も父母の喧嘩だった、自分の身に起きたことを思い出した。


 僕は父母の喧嘩を止めることもできなく無力感を感じていた。それを大人の僕だったらどうするかと聞かれ、いまの身体の状態も逐一聞かれ無意識へアクセスしていった、何回かその場面を思い出し繰り返しどうできるか試みた。


 僕は無力感から出られなかったので、カウンセラーの先生が、無力感から別のものを取り入れる方法を採った。

・ネコの独立性/敏捷性、

・ピエロの場面転換の良さ、

・作業所のテーラーSG(ニックネーム・僕の先輩・背広を縫う能力を持つ方・僕はある意味尊敬しているが暗いとか否定されるので糞っと思っている)の元気の良さ・自分に対する絶対の信頼感・ネガティブも撥ね退けてしまうしなやかな強さ

を取りいれ、それらのいいところを僕がもらう、特にテーラーSGの強さを僕は先生として、モデルとして分けてもらおうと先生の誘導の元、EMDRを施してもらいながら、定着させようとした。

 カウンセラーの先生にそれらを取り入れるようにやってもらいながら、テーラーSGの強さを自分の中に再現して、父母の喧嘩の場面に臨むと、喧嘩を止められたり、母を連れ出して喫茶店へ行くなど、僕の大人の部分が回復された。テーラーSGを取り入れると、僕は元気になれた。おすそ分けしてもらった。


 僕があまりに無力感がつよかったので、外部の役割で自分の中に別の顔を作って対処することで無力から脱する作戦だったらしい。カウンセラーの先生はこういうことまで訓練されているのですね。すごいなあと思った。

 テーラーSGの力を借りると、足に力も入り、身体が活気づきました。




 そして今日の作業所ですが、僕は心に動きができました。格段に楽に過ごせました。また、元に戻るかもしれなせんが、いままでのロードワークのような地盤があったので、今回の上に載せるようなカウンセリングが力を出してきたのかもしれません。カウンセリングが終わったとき、無力感は8割から3割くらいまで減りました。(先生に聞かれる、身体の感覚とか)

 今回は目に見えて効果がありました。



・着物の帯締めYOUTUBEで貝の口を覚えた。簡単なやつで、僕にもできた。着物を着てワープロ打っている。

NLPの本で、部屋を片付けない人が出てきて、遊びたいという願望が部屋を散らかす原因だったというのがあった。一日15分遊びを取り入れるようにして対処したというのがあったので、僕も好きな本を読んだりしてみた。リコーダーも少し吹いてみたい。

心理ブログは、2日連続で休んでしまう。昨日は、作業所の後カウンセリングを受けた。アウエーの場所だった。気分もアウエーでいたので周りの人間がよそよそしく感じられた。(ちょっと居ずらかった)

 家でも作業だと、息抜きできずあまりよくないなと、今日は別のことをやり防御線を張った。

Erosという手綱

 追記:
 
 今日は皿洗いを作業所でやったけれど、きれいに拭く布きんを洗い桶に落とす失敗をした。でも、洗剤をつけて水洗いし、リカバリーした。失敗してもやり直せばいい。取り戻せばいい。いい機会をもらった。

 汚れの落ちない皿は、もう一人の皿洗いの人に聞いて、その前にブリーチにつけたけれど短すぎて失敗だった、またブリーチ、キャップ1/2に15分位浸けたらきれいに落ちた。これも面白い機会だった。

 作業所の中で、別の動作をやるいい機会をもらっている。だんだんおざなりになりそうだけれど、何とかやることに集中してフレッシュでいたいなあ。







2016年10月31日(月)

風街ろまん、はっぴいえんど を聞きながら

「 僕の名は助平Eros爺 」

 今日作業所でやっていて、着物ほどきを。 
 転回した。


 助平な感じが出てきて、僕が作業所の美人女性に話しかけないのは(心が美しい人、容姿はダサい、歳も僕と同じおばさん年齢。心が美しいので僕にとっては美人)、ぼくがErosに未練があるから。

 その女性はセクシャルではない。僕は自分のことは棚に上げて、女性にその面で未練がある。そこが割り切れない。僕は、助平Eros爺だから、手も足も出ない。僕は格好悪く、ダサく、醜いEros爺なんだ。このことは核で、外せず、この部分から目を外せない核心だ。

 この部分をどうしたらいいのかわからない。わからないけれど重要で、何が何でも欲しくて、のどから手が出るほどこだわりがある。単なる爺のたわごとなんだ。老醜を晒しています。でも、目をつぶれない。めをひらいてこの部分をどうにかしたい。ごまかせない僕の本体だ。どんなに変でも揺るがせにできない。この部分を大切にしないと僕はうそつきだ。

 その女性が気になるのは、母を見ているからか? よくわからない。

 僕はよくわからないけれど、Erosという手綱をギュッと握っていたい。

30(Dun(Sunだった)) /  29(Sat) / カウンセリング

2016/10/30(Xunday(S))


 今日は作業所でnuno-zoriをしました。わりとよかった、というか自己ベストだった。手前に引っ張りながら編んでいった。失敗はやり直した。この調子でいけるとありがたいなあ。

 今日は寒い日だった。もうそろそろ自転車も終わりだ。寒くて鼻水が出た。手も冷えた。

 100de名著は、11月道元。12月レヴィ=ストロース。面白いの目白押し。ストロースはめちゃくちゃ面白いと期待できそう。

 
 作業所は、わりと過ごしやすかった。なんでだろう。いつもこうならいいのに。いつも向かい風になってしまう。僕が決めることではなく、調子に翻弄される毎日。毎日受けて立つしかない。嫌な表現だけれど。

 ファイターズ2割引きセールで帽子を買った。毛糸の紺色、冬物。(要らない情報でした。)

 







 僕は完全主義者だというの明確になった。それだけうつに近いか。

 今日は自転車乗りに時間を割いた。凸凹道を走った。木の根のあるところや、土手のように斜めの斜面を走ったり、下りの途中でブレーキをかけストップしつつ右へハンドルを切って決めを入れた。

ノリに乗って走った。でこぼこから感じる地面の様子に対して、自転車を合わせながら感触を持ちつつ、対応させようとした。

 僕はでこぼこが好きなのがよくわかった。愛車ママチャリ号を疾駆させた。


 織り教室に出かけたのですね。この時間は他者を感じる治療の時間でした。織りつつ他の人の出すエネルギーに触れていた。無意識で、身体で他者の存在を感じ取っていた。ブーバーの世界です。教科書で習った。

 今日は街の様子を眺めてきた。写真展、ごく小さいの、覗いた。心象風景と言った北海道の景色の写真だった。自然・風景。雪の静かな、長い時間、重さが出ていた。かなり地味だった。モノクロ写真だったし。









目次あり


www.seiwa-pb.co.jp



www.seiwa-pb.co.jp





2016年10月26日(水)

 カウンセリングですが、先生は僕が無視されてそれに対して、その人たちは僕の先生だ(他者を変えることはできない、その人たちとの分離と、そのひとたちへのその立場の承認、僕の側の自我の確立 のつもり)と見られたことをすごく喜んでくれていた。

 でも、僕自身はあまりよくなったことを実感できなかった。僕は完全にならなければ楽しめないとか、うまくいかないとか、満足できないとかの完全主義の考え方に汚染されている。

 それについては、


・もういちど自分らしさに出会うための10日間―自尊感情をとりもどすためのプログラム― デビッド D. バーンズ」 

 ステップ8 自虐のための完全主義者の脚本



で改善できそう。

 先生は、他者がいて自分がいるというのにも喜んでくれた。



カウンセリング:

 パン工場で叩かれたことから始まり、僕は負けているという感覚について取り組み、負債がある、父と同じように心に固着のような成長の止まった、反応できない動作できないような、自由に動けない負債があるという感覚を見つけられた。

 その動けないという事を改善できればかなり自由がきくと思う。それは次回以降のカウンセリングで行ってもらうことになっています。

 運転手さんとパン工場で叩く人との違う人だという分離は、今回のカウンセリングで少し改善できると思う。パン叩きの人は心に硬さがあり、攻撃的で、自分の中にスポイルされた部分がありそうだという観察ができたので、その人が少し明確になってきた。


 顔や足、手にも傷があるというか、心の傷が全身に感じられるような、そんなに大げさではないけれど、イメージ的に少しそいうことがあるという事についても、パン叩き、父、傷についてEMDRして頂いた。僕は効いている気がしています。ここまで父母関係が改善されてきているし、効いていると思います。先生のおかげです。

25(Tue)屁(僕のmine愛着) / 24(Mon) うつの本届く。 / 22(Sat) / 10/21(Fri) / 10/20(Thu) / 茶・湯呑み / 軽いうつ

25(Tue)

・ 作業所では、着物のほどきをやっていたけれど、社長がいない状態でnuno-zoriを進めることになった。 鼻緒つけをやって来た。うろ覚えの下手糞だけれど、焦りながら必死にやった。なんでこうなのと思うけれど、急いでしまった。たぶん合格すると思う。

 本体自体は、zori、僕がやったのを社長が解いて(ほどいて)半分くらいから社長がやった。僕のは手前に引きが甘いと言われた。思いっきり足を引っ張っている。nuno-zoriでは戦力ではなく、他者貢献ではなく、迷惑係だった。

/ 朝、不機嫌、攻撃的な2人が言いがかりをつけたそうな顔をしていたけれど、僕の目と顔を見ながらやめたようだった。あれがくると厄介だし、来る日は他の人間も全員来るから全面的になってしまう。自分で自分の調子がわからないし、先の見通しも見えない。不安でもないが。

・ 昨日はブルーすぎて、不安で、打開策としてリコーダーを吹いた。すっきりした。良くなろうとするのに全部突っ込むのは良くないみたい。感情表現や気休め、気晴らしなんかも必要で、生活に入れないと病気になる。リコーダーに助かった。



・ 今日は部屋に帰ってきて、バリバリ屁をした。低い音で2秒位のを、4度ぶっ放した。僕のガスは低い音だけれど高らかに鳴り響き、お腹もすっきりした。



 作業所でも、適宜ガス抜きをしているけれど、臭いと嫌がられるし、誤魔化しながらひっそりと、間合いを計りながらやり繰りしている。今日も僕は屁こき虫だった。だんだん堂に入ってきた。屁道を極めつつある。僕は屁の世界の王様だ。










24(Mon)

 昨日は、寝ていて手を巻き込んで寝てしまい手が痺れた。こういう日は調子が悪いことになっている。実際他人にシンパシーとか言える余裕はなかった。nuno-zoriよくなく、着物ほどきノロノロ。

 昨日から皿洗いをはじめ、週3日。作業所のみんなのを洗う。みそ汁容器洗いは昨日からだけれど、きょうから教えてもらいご飯のやり方を見せてもらった。(残ったご飯の冷凍処理)。
 皿を洗って、台所管理をした。

 26歳の頃やっていたから、23年ぶりくらい。本格的にやったのは。みんなが手芸をやっている時間を使って、僕は皿洗いをした。懐かしく、ルーティンになるとキツイかなとも思う。嫌いではないので、気持ちよくできるといいな。


うつの本、デビッドD.バーンズ

・フィーリングGoodハンドブック
・いやな気分よ さようなら

という辞典みたいに厚い本が駿河屋から届いた。僕は学者にでもなるのかと思うような、重い本だった。かなり新しい本だった。意外だった。ヨレヨレかなと思っていた。

 こんな本が来ても、気負いはないつもり。気楽にやる。
 心の問題にかかりきりになり、本をやっているので、他のことはさっぱりやっていない。
 リコーダーも休んでいるし、休ませてもらうためのやり取りをしようと思っている。WEB講座

 僕は心がかなりブルーだ。深刻ではないけれど、沈んでいる。でも、自覚しているだけいいけれど。うつの本ですからね。

 僕はブログを更新することに躍起になっていますけれど、戦っているつもりです。そんな必要はないのかもしれないけれど、やりたいからやっている。自分で何とかしようと思う。

 こちらのブログは、日記風になっています。動いているのは、右サイドバー、リンクの一番下の、なんとか10日間、自尊心なんとかです。見てね。


 僕は自分ではいい人のつもりだけれど、よい人ではないな。身勝手に近いか。心はブルーで沈んでいるというのが、一番心を表している。感覚に近い。

 もっと書きたいけれど浮かばない。(おわり)

 









22(Sat)

 織り教室に出かけた。他の人のやっていること(織り)、存在を感じていた。治療になった。お織りはあまり集中できなかった。雑でもあった。他者を感じていい時間を過ごした。帰りに、10代の青年がドアを開けてくれて、ドアを開けたまま待ってくれて、僕は心でサンクスと言った。
☆シンパシーのやり取りをした。

☆ 僕は織り教室で他者にシンパシーを感じていた。

☆ そして地元で、店頭で買った僕にとっては高い靴をぶら下げて、背の低いオジサンを見下した。

 僕は何もない自分から目を逸らしているということにいきついた。この辺の過程は、右のサイドバー、リンクの一番下、なんとか10日間、自尊感情なんとかに取組中のリンクから読めます。宣伝です。








2016年10月21日(金)


 今日は昨日のように調子は良くなかった。昨日の夜、本のブログをアップした時にパン屋でスチールで頭を叩かれた話を思い出し、その時の人といまの作業所の運転手さんが被(かぶ)っていたため、僕の側が硬直してしまったようだ。



 作業所でも、昨日のように他者貢献などと言えず、硬化していた。


 午前中はダラダラ終わってしまった。午後になり、人も増え一生懸命取り組むようになった。そのころ思ったのは、人のために仕事をするけれど、作業所の仲間やスタッフや社長・買ってくれる人、その他、無視する人のためにもだなと思えた。


 そう思ったのは、運転手さんとかぶった叩いた男を想像していた。僕は叩いた男を敵として憎むというか、奴と言うか、嫌なやつだと思ったけれど、その人のためにも仕事をしなければならなかった。




 どういう事かというと、例えば裁判で裁判長は刑の重い人を裁くけれど、憎んだり懲らしめるわけではない。社会的な責任を社会人としての責任を取らせようとする。そして更生して社会に復帰してもらおうとする。最後は排除してしまうが(死刑)。僕も叩く人に僕が中心となって責任を取ってもらわないといけなかった。僕は叩く人のためにも存在している。

そこから作業所での無視する人たちにも、その人たちのために存在しなければならない。その人たちに対しても他者貢献しなければならない。というか、していこうと思った。運転手さんと叩く人は違うけれど、叩く人のためにも他者貢献していく。敵に対しても他者貢献していく。すべての人のために僕は存在している。すべての人に対して他者貢献する気持ちが必要だ。



 理想論を言っているのではありません。理詰めで、基礎から城を建てようとしているだけです。そういうスタンスで他者と関わろうと思っています。




・ 昨日のnuno-zoriは完成させて、黒色のが始まった。最初の編みの段階。目いっぱい広げて編んでいる。

 着物ほどきは、昨日からのがほぼ終わろうとしている。

 肉体の無意識が女性の身体を欲している。












2016年10月20日(木)




・ 作業所では、月・木に皿洗いをやってもいいことになった。僕が担当することになった。いままで男一人が担っていたのだけれど、僕との2人体制になった。教えてもらうこともあると思う。みそ汁の容器とか、洗った食器の片付け、ご飯の片付け。




・ 今日は他の人に貢献しようと言うコンセプトで取り組んだ。
 アドラーの他者貢献と同じだと思う。今まで自分がどうとか、自分がやるとか、自分が否定されるだったけれど、そうではなく、他者に対して貢献するために自分がいる。他のメンバーのために自分があるみたいな、自分の主張より他者のために、みたいな他者存在がクッキリして、自分を消すみたいな、自分にこだわらないみたいな、他の人の中の自分、他の人あっての自分みたいな、そんなスタンスで過ごした。


 今まで自分に執着してきたので、自分へのこだわりを捨てられたというのは画期的だった。でも、他の人は普通にできていることらしいなと、薄々感じる。やっと他の人の背中が見えてきたという所だと思う。




・ 今回もダメだったnuno-zoriだけれど、布の目が粗く、緩い編みだったので分解する恐れがあることが分かった。ほぼ完成させてきた。鼻緒もつけて。社長に鼻緒止めの付け方を聞かれて、うろ覚えの僕はしどろもどろになってしまった。それだけ覚えがあやふやだった。

Zoriは表面的には、格好いいのができた。紺のツートンのzoriで、鼻緒が白の地に紺の模様があり花の絵がプリントされ、親指を引っかけるところがピンクの女性向きのよさそうなのだけれど、裏の編みが雑でうまくいっていないところがある。そして編みが緩い。ちょっと残念。どうなるのかわからない。握力が弱かったのが悪かったのか?


 着物のほどきは快調だ。他の人の道具を引っかけて倒して、ばら撒いてしまい謝罪した。











2016年10月19日(水)

 前にも書きましたが、作業所の外販のところに行き、千円の湯飲みをスタッフに300円値引いて頂き、購入しました。

 黄土色の釉薬で、表面の透明に割れが入っているもの。中は白い釉薬。口を付けるフチの内側は黄土色の釉薬が5ミリほど塗られている。

 この同じ作業所のメンバーがつくった湯呑みでお茶を、買ってから4回目くらい注いだ。


 手に持った感じを楽しみ、手の中の程よい大きさ。見ての釉薬。手のひらで感触、口を付けてあったかいお茶を流し込み、休みの日のゆとりの時間、手の中で湯呑みを転がし、口にお茶を流し込み、空間、広がりを感じた。

茶人なら宇宙を飲むと言うのだろうけれど、僕はそこまでわからないので、心の広がりを感じていた。空間のようなゆったりした大きさ。短い時間だったけれど、随分楽しんだ。


 家族にも触らせないで大事にしている。今度つくった人と話してみたい。どんな人なのだろう。本部にいると思うけれど、会社が一つのところでやることになりそうで会えるかもしれない。




kurage0147130-2.seesaa.net



本の取り組みを、本を取り替えてスタートさせました。
僕はうつらしいとわかり、統合失調症に加えてうつ もとなります。

社会的には不利ですが、僕の状態の反応なので、あまり深刻にならないでいられればなあと思います。必ず良くします。
 

 今日はカウンセリングに出かけ、持っていったのが、ブログの抜粋だったので、読んだだけで終わってしまった。今度は、2冊の本の取り組みを持参するようにできればと思う。補助してもらえるところは先生にお願いしたい。

 良かった点は、心の動きのあった点について(最近のブログに書いたこと)、先生と良くなったことや心の成長を喜べた点。(僕は暗い感じていたけれど。カウンセリングの効果を感じられた。治療してくれた先生とここまでの心の展開を喜べた。)

NLPの実践手法がわかる本 第1章 目次 / 集団に貢献できないか をやってみたい / 無視する人は先生

2016年10月18日(火)
NLPの実践手法がわかる本、山崎啓支(ひろし)、日本能率協会マネジメントセンター(JMAM)、2011


目次

第1章 NLPは「五感」と「言葉」を組み合わせて好ましいセルフイメージを作る技術

1 NLPは脳内プログラムを作り、脳内プログラムを解除する

2 決意するのは意識、実現するのは無意識

3 正しいことを言っても部下が動かない本当の理由

4 人間の運命は3歳までに身につけたプログラム?

5 成功するプログラムは強いインパクトの繰り返し

6 成功と失敗を決めるメンタルリハーサルの質

7 パフォーマンスを上げたいと願うすべての人に役立つ技法

8 NLPスキルの威力を決定する2つの状態

9 脳内プログラム作成の成否を決める2つの状態

10 最悪の状況から脱出する方法

11 「コミュニケーション」と「能力開発」の共通の土台は

12 新しい行動パターンをインストールする

13 未来にプログラムを条件づける

14 観察力を鋭敏にするトレーニング

[コラム②]NLP基本前提


NLPの実践手法がわかる本、山崎啓支(ひろし)、日本能率協会マネジメントセンター(JMAM)、2011

プロローグ:「自分」というセルフイメージができるプロセス

第1章 NLPは「五感」と「言葉」を組み合わせて好ましいセルフイメージを作る技術

第2章 困難な状況を打開するNLPの基本スキル

第3章 なりたい自分を実現するプログラムをインストールする方法

第4章 根深いプログラムを解除する上級スキル





 今日は作業所で、集中して着物ほどきをやった。早くできあがった。(内張りはまだだけれど、外側の本体だけ糸を取り去って分解できた状態でスタッフに持っていった。

 はやくできたね。はい。まだ内張りが終わってないですけれど。と会話した。でもなんか反応が鈍かった。変なふうに感じているなと思った。家に帰ってきて思い出して気づいたことがある。
 





 まず第1に、今日のスタンスは、着物ほどきの技術を身につけ、できたら辞めようというもの。まったく一人ぼっちの発想。

・夢を叶える パリのタイユール 鈴木健次郎 


と似た発想、やり方。



☆ 明後日からは、チームプレーの考え方でもやってみたい。


 自分のやることは他の人の役に立つため。チーム内の、僕は着物ほどきだけれど、他の作る人の役に立つため頑張るとかの、チームで動いて、チームプレーの精神を土台にするような考え方。そういう本を読んでおいて、その考え方に法(のっと)ってやるようにしたい。孤立した発想ではなく、会社のため、他の人のために働く。全体で一つを作る発想。


・陽は舞いおどる甲子園(高校野球青春論) 津田康(毎日新聞社会部) サイマル出版会 1977年


 父の蔵書の中から、唯一くらいのチームプレーと思われる本を見つけた。読んでみよう。僕の持っている本にチームプレーはなかったので。



・DVD BOOK ボディ・マッピング、バーバラ・コナブル / エイミー・ライカー、春秋社

 も始めた。DVDだけ見始めた。正しい姿勢を見つけるため。


 Nuno-zori表はまあまあだったのいいかと思ったら、裏は雑で下手だった。僕はまだいいのを一つも作っていない。ストールはまあまあのを作った。(失敗も入っているので、万歳できない)自分としては頑張ったよ。

 Zoriの締めの作業に入った。完成へ向けて。






 そして、男に作業所で無視された。その他僕を無視する感じの人が2人くらいいる。

 今日は堪(こた)えた。苦しいなと感じていた。そのうち、人を変えることはできないことに気づいた 。僕は人の僕を嫌う感覚、発想、態度を変えられない。人の立場は僕には変えられない。

 そういうことを、無視する男に学んだと思った。男は人を変えられないという考えの先生だと思った。(教えられたという意味で)



 父がクソを床にしたり、小便を垂れても、老いると泌尿器が弱るとか、食事ができなくなるとか、運動できなくなるとか、そういう老いを父は教えてくれていると前の時感じた。父は老いを教える先生みたいなものだと、今は言えなくもない。


 要(よう)は、自分はいくらでも変えられるという感覚。そして、周りの反応も受け取り方次第で、先生にまでなってしまうという不思議。おもしろいよね。自分でも作業所で発想して、うまいなあと感じた。感心したよ。そう思えたら、楽になったし、前向きになれた。排除されるという思い込みとしがみつきから、相手が先生になるんだから。

本:NLPの実践手法がわかる本 目次あり。/ 僕は時間だけ過ぎればいいと思っていた。(作業所で)

NLPの実践手法がわかる本、山崎啓支(ひろし)、日本能率協会マネジメントセンター(JMAM)、2011


プロローグ:「自分」というセルフイメージができるプロセス

1 あらゆるトラブルの根本的な原因

2 「セルフイメージ」が能力を左右する理由

3 すべての問題はあなたにかぶせたイメージにすぎない

4 人間が将来の不安に苦しむ理由

5 人間が「現実」だと思っているものの大半は「イメージ」にすぎない

6 人間は自作自演のドラマを演じている

7 「自分」というセルフイメージができるプロセス

8 幸も不幸も自己(セルフ)に同一化するイメージしだい

[コラム①]NLPとは?





2016年10月17日(月)



NLPの実践手法がわかる本、山崎啓支(ひろし)、日本能率協会マネジメントセンター(JMAM)、2011


プロローグ:「自分」というセルフイメージができるプロセス

第1章 NLPは「五感」と「言葉」を組み合わせて好ましいセルフイメージを作る技術

第2章 困難な状況を打開するNLPの基本スキル

第3章 なりたい自分を実現するプログラムをインストールする方法

第4章 根深いプログラムを解除する上級スキル


(kurage0147130):カウンセラーの先生に薦められた本。目次をみると、使えそうな気がする。これネガティブ自己イメージをポジティブイメージに変えるのに使う本みたい。だから先生が薦めてくれたのかも。JMAMのホームページの書籍紹介のビジネス書は、興味のある本の目白押し。こんな本が読みたかったというのがたくさんあった。

・もういちど自分らしさに出会うための10日間 自尊感情をとりもどすためのプログラム
(こちらはまだ届いていないけれど、2本立てでいきたい、使えるところを拾いたい。)



 NLPの本は、先生に薦められなかったらたどり着けなかったなあ。ありがたいです。両方とも使える本だといいなあ。??? 僕のレベルにもよるかもしれないけれど。




日記:

 午前中、だらだらやっていた。気の抜けたサイダーのように作業していた。スタッフが僕を見ているのは分かっていた。でもズルズルいった。

 午後になり他のメンバーが来て、雰囲気が変わり、僕もきちんと取り組もう、男として取り組もうとチラッと思った。それで、僕が時間だけ過ごせばいいんだの人だと気付いた。僕はこの作業所で、3年間過ごせば、楽に過ごせれば金ももらえていいだろうと思っていた。そういう人だった。そういうスタンスでいることに気づいた。

 これは家でも言えて、家の帰ってきて5時間くらいの起きている時間も、時間さえ過ごせればいいと思っていた。


 これどう考えても間違っている。NGの立場。

 僕は今日辞めた女性のように、僕もいずれ辞めなければならない。寄りかかって時間だけと言うのはマズイ。

着物の糸ほどき(解体)、

nuno-zori、

織り

という3本の柱の道をめざし、マスターするのを目指さないとマズイ。マスターする方法を自分で取り組んで掴み卒業しなければならない。


 56歳になったら、ヨボヨボして今までのようにはいかなくなる。それまで何をするか。何をして時間を過ごすか。何に取り組むか。56歳以上の年齢になったら死ぬことも考えなければならない。脳梗塞もあるし、ガンもある。死ぬまでの期間どうするか。人生も卒業しなければならない。

僕は分かって喋っているのか。???

下積みの役割転換・いろいろな顔。

2016年10月16日(日)


 作業所の終わりころ、おならがブフォっと出た。女性が前でアイロンをかけていたけれど何も言わなかった。僕も顔を上げて女性の方を見たけれど何も言わなかった。その他女性が一人近くにいた。

 屁こき虫meと化した。いつも静かな屁をしているので、どうということもなかった。僕もそれだけリラックスして安心していたのだろう。いい傾向だと思った。(本当か?)





・二流を超一流に変える「心」の燃やし方、野田稔フォレスト出版、2012



引用:p82・83:

~ そのテレビ局では役職定年になると、極端に仕事内容が変わるようです。部長や局次長だった人が、お茶汲みや雑用など一番下の仕事をするようになります。~
~ 自らの役割を変化させ、幸福の基準を引き下げるだけでなく、幸福の基準自体を変えたのです。

 それまでは番組作りで好パフォーマンスを出すのが成功の証(あかし)であり、自分にとっての合格の基準でしたが、後進を世話して、育てることに役割が変わり、仕事の合格基準も変わったのです。~



引用:p93:

~ あなたは自分のために努力しているのではない。組織のために努力をしている。あなたが努力することは、組織のためになる。」

 こういうことを社会規範にすると、プレイヤーは必ずしも成果を出さなくて済む。だから、結果を恐れずに努力を続けられるようになります。

 練習さえ続けていれば、すぐに成果が出なくても、いずれ結果につながる。

 ~

 重要なのは成果をすぐに出すことではなく、努力を続けさせることです。そうすれば、たとえ成果は出なくても、努力を評価することが正当化されます。

~ 

 どこかの段階で、「成果なんて後でついてくるから、努力を続けることが大切なんだよ」と評価基準や社会規範を変える必要があると思います。



(kurage0147130):

 部屋の掃除をするとなると、面倒を一つ背負い込むことになり、嫌だなあと思っていた。作業所で皿洗いを手伝ったこともある。でも、自分の部屋の掃除で、思っていたのは自分の延長としての掃除だった。

そうではなく、役割転換として部屋のマネージャー、部屋の維持に貢献する下積みとしてやればいいと思った。自分がやってやるではなく、役割転換として、自分の中に2役作って、別の役割としてやればいい。



 作業所の皿洗いは、下積みと言う意識はあった。ここの作業所に来たのは、何でもやろうという尻拭いもしますという意識だったので、別の役をやることに抵抗はなかった。でも自分の部屋の掃除だと、自分が主役になっていた。
僕の部屋の維持をするハウスキーパーという役でやればいいんだね。そう思うけれど、実行できるか?



 英語も同じで、主役の自分がやるのではなく、世界のために貢献する、他の人達のバックアップとしての下積みの役割でやればいいのかもしれない。自分の現状より下の役割を自分の中にいっぱい作って、貢献していけばいいかも。これおもしろい。

自分が主役から降りて、下積み役割を増やし、役割転換をたくさん作る。別の下積み顔としていろいろ取り組む。おもろいじゃん。

 本 :  自尊感情をとりもどすためのプログラム / 二流を超一流に変える「心」の燃やし方、 野田稔

追記:


・身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア

これが10月31日発売で、星和書店だなとみていた。

星和書店へ行った。WEB

・孤独な人が認知行動療法で素敵なパートナーを見つける方法


これがあった。この著者の代表作、

・いやな気分よさようなら
・フィーリングgoodハンドブック

が紹介されていて(どこでだったか忘れた)、フィーリングのアマゾンレビューに、


☆:・もういちど自分らしさに出会うための10日間 自尊感情をとりもどすためのプログラム

があって、星和書店で検索:

www.seiwa-pb.co.jp

これを見つける。これも同じ著者 デビッド D.バーンズ 氏のもの。

購入:ちょうどカウンセリングで、低すぎる自己を改善するところに来た。マイナスイメージをプラスにする。
 本を開く 表紙をクリック ボタンで目次を確認 可能。

 みなさん、これやってみましょうよ。これ脈ありそうですよ。




2016年10月15日(土)

 織り教室に出かけた。

 僕が最初見下していて、実際は織りが上手く二胡も弾く女性が終わりころやって来た。その方を見下した理由は、ゆっくりモソモソ喋るからだった。鈍い奴に見えていた。

 僕は父の考えに占領されているので、攻撃的で勢いがあり優秀なタイプというのが活躍する世界を描いていた。いわゆる強者と言う人。

 しかし、その女性が先生や仲間に受け入れられ認められているのは、そのオープンさと気取らないところだと感じた。強いことがいいことではなく、弱くてもそれらの要素と素(す)の部分が認められているようだった。僕の強者が幅を利かすというイメージではなく、僕にとってマイナス要素と思える人が受け入れられているという事実はインパクトがあり影響をもろに受けた。事実を認めないわけにはいかなかった。

 弱者でもいい、強ぶる人がいいわけではない、僕の認められる人像とはまるで違う人が受け入れられ、普通に暮らす世界があった。






 僕が作業所の、唯一無二(前の作業所の人)、新・唯一無二(今の作業所の人)が大事だったのは、攻撃的で強いというイメージからだった。そうではない世界があった。
今日、ちょっとだったけれど、周りで咳をして僕を否定している感じの人がいたけれど、それって、うわべだけで判断している、何も見えていない人だなと思えた。否定する人は、僕を決めつけて否定している。上から目線で。でも、その人は、僕と言う人を知らない。思い込みで判断しているだけだ。僕とふれ合っているわけではない。その人に見える表面だけで僕を見ている。否定は上っ面(うわっつら)だ。と、ちょっとだけ思えた。


 そう、触れ合い、理解を拒んでいる人だ。新・唯一無二は、人に直にコミュニケーションを取りに行く。ここはすごいところだ。僕は唯一無二たちにも思い違いをしているのかもしれない。彼らの良いところをはき違えているのかもしれない。見えていないというか。
 案外、純粋で素朴な面が魅力なのかもしれない。





・二流を超一流に変える「心」の燃やし方、野田稔フォレスト出版、2012

第2章 性格に応じて指導法を変える

 二軍のグラウンドにはびこる学習性無力感


(引用+kurage0147130による変形):p48~50:

「 学習性無力感、アメリカの心理学者マーティン・セリグマンによる理論、失敗が続くと「次も失敗するだろう」と考えるようになり、努力しなくなるという悪循環。

 次のチャンスで成功するかもしれないのに、行動を起こさなくなる、または、萎縮して失敗してしまう人もいます。

 選手の認知を変える。最大の認知変更は、成功体験をさせてあげること。「なんだ、やればできるじゃないか」と感じさせてあげればいい。失敗していても、「最後は上手くいく」と言う意識が持てれば、最終的には望みどおりの結果が手に入る。

 でも、「上手くいかないかもしれない」という経験ばかり積んで、そう思っていると、やはり結果は芳しくない。これが一番危険な状態。


脱出法:小さな成功体験を積ませてあげる。確実に成果の出るようなやり方をさせる手もある。

認知療法的手段:認知療法



(これ以降は割愛:著作権が気になる。本を購入してください。と思ったけれどせっかくなので、僕の簡単なまとめに切り替えて続行)




p59~61 人の成長は右肩上がりでは続かない:

(kurage0147130): 怒って頑張らせるやり方はハートに火をつけるにはいいかもしれないが、そればかりは良くない。希望を持たせる方法に切り替える必要がある。パーキンソンの法則:無能と判定されるまで階段を上がり続ける。でも限界は来る。次へ進めなくなる。無能と判定される。能力以上に行ってしまったから、逆説的に無能と判定されるようになってしまう。




大事なのは足踏みの時期に何をするのか:

p61~63:(kurage0147130): 現実を直視し、今何が足りないのか考える。打開しようとする。もうダメだと思うのではなく、次への準備を行う。足元を見つめ、必要なことをリストアップしていく。次への布石を打つようにする。自分で切り開く。今までのことも振り返り、先のことも考える。それが足元を見つめるという事かもしれない。

良い部分を見ていない。ネガティブに塗りつぶす。

2016年10月14日(金)

 作業所の織りが完成しました。根性と思い織った時もあったので、完成してしみじみと感じました。

 けれど、帰りの交通機関への歩きで、唾を吐きたくなった。(混ぜっ返したくなった)

 僕は20歳まで王様で過ごしたので(成長していなかった。二十歳で一人暮らしを始めた。)、王様でいられないことに不満なのかもしれません。自分の負担になり、大変で、手を煩わせることが逃げ出したい気分なのかもしれません。




 もしくは先生に習った自分のいい所、よかったことを認める力がないため、全部嫌な事として変換して受けとめているのかもしれません。

 織りができる喜びではなく、面倒だ、やりたくない、大変だった、逃げ出したかったで塗りつぶしているのかもしれません。全部嫌なことに変換している。

 父の影響で優秀でなければならないという呪縛を受けていますが、優秀でない自分に、平凡な自分に、よいところを見つけられず、否定の言葉で塗りつぶしているのかもしれません。

 ネガティブな感じ方と、ポジティブな見方をどうすれば導入できるのでしょう。こういうことがカウンセリングの課題なのでしょうか。


( 良かったことは、 )

・完成したこと。

・織りの体験ができたこと。

・自分にも最後までできる力がある。(粘り強い・根性と思った)

・途中失敗したけれど、別の失敗で何度もやり直してよくしようと粘って結局失敗だったけれどチャレンジした。

・織りの先生のおぜん立てだったけれど、よいものができた。

・織りの先生の指導についていけた。

・物がつくれた。(毛糸づくり、織り機作りはしていないが)

・感謝はできた。

・できたものを見てすごいなあと思った。


 こういうことがわかっていて感じているにもかかわらず、ネガティブで塗りつぶしてしまおうとするところがある。これはある意味背徳のように思える。

10/14(Fri) 作業所織り完成(もじり) / 動物園 動物には輝いてほしい。

2016/10/14(Fighters・Friday)ホークスファンごめん。

 作業所のもじり織り完成した。最後の織りで、糸の余裕がないのに先生に頑張れと言われ、ぎりぎりまで織った。


 今日も織り始め、もじる所が、右端の処理で撚り(より)がかからず、何度もやり直したり試したけれどうまくいかないままとなってしまった。ちょっと失敗。


 一生懸命織った。自分なりに頑張った。(もじり高さが1センチになってしまい(だんだん厚く織っていくように脱線してしまった)、先生に5ミリでやるように指導を受けたけれど、何とか最後まで行けた)


 デザイン(織りの構想)、機のセッティング、糸選び、全部先生がやり、僕はただの織る人だったけれど、自分なりには追い込んでやった。途中苦しくて疲れて根性だと思ったけれど、最後までたどり着けた。


 作業所でなければ織りをやる機会はそんなにないので(教室には通っているけれど、月に8時間だけ)、とてもありがたい機会だった。織ることがどんなことか見えてきた。とても疲れる、根気のいる、手の込んだ、根性で乗り切る、手芸の一部門だと思う。


 終わって交通機関へ歩いていて、混ぜっ返したくなったけれど(僕は何に不満なんだ? 疲れることか? 自分の手を使うことか?(僕は王様でいたいのか?) )、先生には世話になった。本当にありがたいチャンスだった。


 また声をかけてもらえればやりたいとおもう。先生よろしくお願いします。


 糸が、辞められた先輩の玉ねぎ染めと、多色の糸で、黄土色というか、アーシー(?、アースに引っ掛けた)なできあがりだった。糸がすごく良い糸だった。だからできあがりも見栄えがし、15センチ高さで、平織ともじりを交互に15センチずつ織っていった。すごくいいできあがりだった。


 出来上がると自分の手を離れるので、思い入れも浮かばないけれど、出来上がりと言う結果はすごくうれしい。しんみりする。片付けて、端っこを4本ずつ結んでいった。揃えるのは先生に任せて、時間切れの僕は帰ってきた。(作業時間は終了した)


 社長の運営する作業所と言う機会を与えられ、メンバーとして機を織れて、ありがたかった。ありがとうございました。









2016年10月13日(木)

 今日は、作業所で動物園へ出かけた。

 僕の日常にはいない動物ばかりで、あたりまえだけれど、おもしろかった。動物の環境世界=生活圏ではない、動物園というところで暮らしている、手足をもがれたような状態だけれど、姿を見せてくれた。僕は現地の動物が一番充実しているだろうなと思えた。

 そう思ったのは、最初にみたカンガルーが、テレビとは違い、地面に縛り付けられて見えたから(土が露出して草が生えていない、殺風景)。テレビでは栄光に包まれた動物に見えていた。それが動物園では、日陰の隅っこにいて、ピョンピョン飛ぶけれどうちひしがれて見えた。僕は草原のような緑と青い空のなかで飛ぶ姿しかイメージしていなかった。

 マレーバクも見た。大きくて、鼻がとんがっていて、こんなにバクって大きかったんだと思った。印象に残った。

アザラシの水の中で回転しながら泳ぐ姿は気持ちよさそうに見えた。一番良かった。

 亀も手足をバタバタさせて不器用そうに水槽の中を泳いでいた。15センチくらいの奴。
鶴もよかったな。国鳥?だったかな?



 今日は、目も口も手足も痺れるような、抑圧の傷が露出へと向かう最初の段階のように思え、辛くなりそうな感じだったけれど、動物園と言うハレの場所で遊んできたので痺れは気持ちから消え去っていた。明日から勝負だろう。
 



 カンガルーはちょっと寂しかった。行動展示と言う栄光に包まれた状態の動物はどう見えるのだろう。檻のなかだからだめなのか? 故郷が一番輝いているのだろうな。動物には輝いていて欲しい。

カウンセリングを受けました。きつかった。

2016年10月12日(水)

 カウンセリングを受けてきた。

 機織りで、咲き織りで、父親の優れていなければダメだという考えに僕が圧倒され負けていた時、その時の僕の自分自身のなさ、父の考えに塗り固められ屈服したその負けた時の感情、負け具合、負ける原因の父の考えに圧倒され具合についてEMDRしてもらった。

 父の見方、考え方である優れていることを偏重する見方をカウンセラーの先生と掘り下げていくことは、途中から非常に苦痛で苦しく、目を左右に動かすのもきつく、拷問か?ともよぎった。それだけ根幹で、非常に大事なテーマだと思った。

 今日のカウンセリングに入る前に先生が本を提示して推薦してくれた。もう注文した。




NLPの実践手法がわかる本 山崎啓支




 NLPが何かもよくわかっていないけれど、団体のホームページは覗いてみた。少し教えてくれた。説明できない。

 NLPは、父の考えに塗りつぶされた僕を書き換えることができるらしいけれど、サポートとしてEMDRやカウンセリングが必要(らしい)と先生は仰った。

 この本、1冊だけ在庫の駿河屋で頼んだ。ここは届くのが遅いのが難点。中古なのにけっこう高い。人気があるのか?



 いい点を増やしていくというのも、自分の良い所、できることを認識して、悪いところを書き換えるのと同じくらい大事にして、両輪で進められれば、調子が悪くても負けっぱなしにならないでいける。こういういいところがあるよねと、助け船を自分で出しつつ、たとえ屈伏してもやり過ごしたりしてやり繰りする。

そして、バッドな面、マイナス点も無くすというより、良い点とのバランスで、両方をうまく使いながらやっていくイメージだそうだ。良い点で塗り固めるのではない。父に屈服する自分もいていいけれど、それを克服する自分もいる。バランスという事を先生は仰りたかったのかもしれない。悪い点を消すという方向ではないらしい。

 それと僕はすごく良くなることに目がくらんでいるけれど、それより、これができるようになった。こんないいことがあったと、小さな前進をもっと喜ぶべきだ、小さな変化を大事にしてもいいだろうというようなことをアドヴァイスしてくれた。僕は全部シロにしたい、いっぺんにという極端さを持つので、それではもったいないとおっしゃった。僕はよくばりで、すごく良くなろうとしすぎているということらしいし、実際そうだ。



 良い点は、確かに父母の顔を直視できるようになったし、父母の言動に心のなかだけでも反論できるようになった。こういうところは先生に診てもらって二人三脚でやってきたおかげだ。感謝していいところだと思う。

Nuno-zoriの鼻緒をしっかり締めないで提出して、次の日、緩んでいたので直したいと社長に言ったら、社長はすでに点検して直したとのこと。僕は言えてよかった。これも良い点。

 その他、女性に出勤簿をどうぞと、手渡せた。まだ書いていなかったので。こういうこともできた。


 ちっぽけでも、ちょっとは前進している。それを先生は評価してくれた。僕も評価できるようになろうとしているし、したい。


 苦しかったからか、カウンセリングの最後で混ぜっ返したかった。ぶっ壊したくなった。ネガティブな考えに占領された。

(おわりTHE END FIN 沈没)

10/11(TueTueTue鼠鼠鼠) / 10/10(Mon) nuno-zoriのコツ / はじめてのフェルデンクライス


2016年10月11日(火)

 今日は調子が悪かった。


 Nuno-zoriは割とうまく進んでいると思う。

握力があるからと、まっすぐ紐を引っ張り、新しく入った方、女性のやり方を真似しているから。

 この女性、上手くいかないとそこまで戻って解(ほど)いて、やり直す。これを僕も盗んで、見習ってやるようにした。それで失敗が作品に残らなくなった。作品と言うのはおこがましいですが、うまくいっている時ぐらいいってもいいよね。うん? 

 僕の汗が浸みこんだ臭いnuno-zoriですが、頑張っています。



 今日は交通機関でも作業所でも、やたらと否定してくる奴が多かった。それで、心の声だけに従う作戦をやった。

自分の心の声に、心をよく聴くようにし、周りの否定には一切耳を貸さないことにした。聞いてはいるんですよ、でも耳は貸さない。自分の心の声を第一にした。この作戦も成功していくといいなあ。



 僕は森田療法のあるがまま、をできるようになりたい。良くも悪くも受け入れ認める。そのまま見る。そのまま感じる。そういうようになりたい。

昨日はリコーダー吹かないで寝てしまった。











2016/10/10(Monくあっか!)

 作業所では、ペニスを集団の中に置くというコンセプトを引き続きやった。あまり成功していないような気もするけれど、間違いコンセプトだとも思っていない。

 森田正馬ブログを再開した。アサーティブは読むだけにした。

 今日もリコーダーに時間をかけたい。調子がよいのか悪いのかよくわからんけれど、活動できるのでよいのだろう。

 あるがまま、ということなら、僕は、この限られた人々のなかで(交通機関、作業所、このブログ、この家族、この地域)、活動できることは素直に喜ぶべきことだ。

 nuno-zori、着物の糸ほどき、織りとやらせてもらって、僕は夢がかなっている状態なのだろう、不満や理想を思うより、この現在をありがたく思うほうが大事そうな気がする、今の職業環境。
 底辺だけれど、夢を生きていると言える。


★☆ nono-zoriのコツひとつわかった。輪っかの紐=ひっかけて4本の紐を引っ張るときに、真っ直ぐ引っ張っていないとダメだ。右へ左へヨレないで、真っ直ぐ引っ張るのが、編み込む時のきれいさにつながるようだ。

 そうしない場合、目が汚くなる、今の僕の失敗状態へとつながる気がする。









2016年10月9日(日)


 帰ってきたら、今日の父は不満タラタラだった。あの人は不満の塊(かたまり)だからそうなのだろう。

 作業所は調子がよかった。年に何回あるかだった。ペニスを集団の中に置こうとしてみた。あまり成功しなかった。

 今日もトム・ヨークをちょっと見た。顔をくねくねさせて歌う。歌のことだけ考えているみたいだ。完全に心に従ってパフォーマンスしているように見える。NOS alive 2016,youtube 怒鳴るタイプではないみたい。

 リコーダーの練習をした。久しぶりに練習をした、というくらい時間をかけた。1時間くらい。リコーダーJP、第7課。










2016年10月8日(土)

    木・金は夜、調子が悪く何もしないで寝た。

   今日は、織り教室に出かけた。

  先生に話しかけられ、返事ができなかった。心が邪魔していた。

 僕が最初見下していて、後に楽器ができて織りの能力の高い人が他の人と話していても、心は脅えていた。


 心は何かに脅えて小さくなっていた。先生にも変なやつと思われたみたいだった。どうなろうと今はこれしかできなかった。辞めなければいつか挽回できるだろう。


 昨日も心の声を聞こうとしていた。帰りの自転車でも聞こうとしてみた。まだなにもわからないけれど。

 織りで、集団に性を置こうというのは、今日はあまり成功しなかった。ペニスに存在感が薄かった。

 心は喋らないけれど、静かに存在している。なにかはある。なにもないわけでもない。でも喋らない。リコーダーを久しぶりに吹いてみた。どうというわけでもなかった。うまく吹こうとし、心の声を聞いて吹こうとした。

 Youtuberadioheadを聞いていたけれど煮詰まったので、




 フェルデンクライスのCDをかけてみた。初めてのフェルデンクライスのもの、背骨のつながりを感じる、と、目のレッスン。楽になり、気持ちがよかった。可動域が広がったり、目の視界が広がる気がした。身体と対話するところがよい所なのだろう。

10/07(Fri) / 頭の中の父に負ける。

2016/10/07(Fri)

 今日も低調だった。

・ oriは、先生に5ミリ幅でもじり織りをやるよう指示された。戻ることはできないので、続けてやるように指示された。失敗作となった。沈没。でも続けます。

 先生に指示を仰いで、続行の許可を得た。


・コースターのori端っこの端紐処理、結ぶのを昨日の続いてやった。こういう細かいの割と得意です。

・作業所の終わりころ、性欲がどこを向いてよいかわからず宙ぶらりんだったけれど、集団のなかで自分のペニスを集団の中に置くというか、参加させる作戦に打って出た。今日はうまくいった。今日だけなのか、続けることは可能なのか不明。 続かなければそれはそれで悲惨だ。


低調だけれど、わりとよかったのかも。??  ?. . . ... 











2016年10月6日(木)


 織りのコースターをやらせてもらった。その時、前から思っていた僕の病気の考えに占領された。父の考えかたに血塗られている。


「 僕が織りをやるのは優れているからで、他の人よりうまくできるから。確かに端の処理と均一に織るのはうまいかもしれない。

 イヴ・サンローランのように彼を頂点とする世界に暮し、他の人はイヴ・サンローランに傅(かしず)くように世界を作っている。イチローを頂点に他の選手が彼のために働くようなそういう世界。そういうような世界を目指すみたいになってくる。それは完全に父の病気の考え方に依(よ)っているけれど、今となっては僕の考え方。

 というか、僕が優秀な人がもてはやされる世界を描いているので、それの延長としてこのような歪んだ世界が頭に描きだされる。優秀な人が君臨する世界を僕は頭に描いている。だから僕はそれの僕(しもべ)なんだ。僕は作業所で働いて最底辺を担っている。そういう考え方が優秀な人が頂点に君臨する世界を作る下地というか、相互にそういう考え方を描いている。」




 まったく塗り潰されていたわけではない。織りの感触を指先に感じ、織るという行為を意識して織ろうと思えた一瞬もあった。けれどほとんどの時間は、優秀な人が君臨する世界を描こう、そういう世界が頭に浮かんでいた。

 裏を返せば、下手でもいいということになる。織るのが下手でもいい。下手でも織っていい。ほんとうのところは僕はそんなにうまくないかもしれない。思い込みだけで。

 織りながら、下手でもいいから織るんだと言い聞かせ、織る行為の根幹を揺らそうとはしてみたけれど、優秀な人が君臨する世界、僕がその頂点に立とうとする世界を描こうとする動きに乗っ取られてしまう。完全に父に浸食されている。



父の前に敗北し靴の裏を舐め、股間を舐めあげるのが僕のような状態になる。

嫌な考えだし、逃げ出したいけれど、何とか描き直したいけれど、浮かんでは塗り込められてしまう。


 これに対抗するために、アサーティブの考え方を導入し、別のヴィジョンを描く作戦を敢行したい。柔軟な考え方を取り入れ、その考え方を何度も描き、取って代えるようにできればなあ。
今日は父の前に屈した。僕の頭の中に存在する父の前に跪(ひざまず)いた。悲惨だった。惨めったらしかった。

カウンセリング 2016/10/05(Wed)

spotifyは毎月15時間しかタダでは聞けないそうだ。セコイな。今月はここでは何もできなくなってしまった。今のところ金を払う予定はない。


2016年10月5日(水)

「カウンセリング」

・図解 自分の気持ちをきちんと<伝える>技術、平木典子、php、2007

を読んでのブログへ書いたことを印刷してカウンセラーの先生に読んでもらいました。


 そして、僕は今現在、交通機関、作業所、家庭で脅える気の小さい奴だという先生の了解がありました。しかし、幼稚園の母との件、前まで僕はいっぱしの男を気取り俺とか言って息巻いていた。気の小さい奴ではなかったと。その前までは別だったと。でも、現在は小さい奴だと。他に僕にとっての事件はなかったと。


 作業所の3千円の靴の女性に、僕は7千円だと強がりの見下し見方をもったのは僕がその女性に劣等感を持っていたと。その女性はnuno-zoriの芸術品を作る女性で、機織りでもデザインして色と織りをできる先輩女性でもあった。辞められたわけですが。それまで僕にとっては脅威であったし、怖れていた。社交的で自己主張もできる女性でした。

 その怖れがどこから来たか、僕は勉強が父母により強力に推奨されていて、やれみたいなノリだった。その割に僕はやらなかったわけです。でも、勉強ができることが優秀で、優秀でない人はダメだ、居場所がないという考え方で現在まで固まっている。

 リコーダー、織り、勉強、粘土、パソコン、みな優秀でできる人でないと、他より優れないと自分の居場所がないように思っている。そういうのは疲れるでしょうとカウンセラーの先生に言われた。もうその必要はないのに、父母の価値観でものを見て感じている。僕は降りたいし、その方向性が、自分のそうでない見方、父母の見方ではない見方、




 物事に取り組む集中力、やろうとする努力、何かを動かそうとエネルギーをつぎ込み少しでも動かそうと奮闘する小さな一歩、そういうのが評価される、そういう世界の見方、自分のための自分の感覚を働かせて、自分の眼で見て聴いて感じて発信しようとする、そういう自分のための活動・価値観・動き、そういう血の通った、僕のためのこれからの未来の力・血になるやり方にシフトすべきだとカウンセラーの先生に言われた、というか、僕の未来のために僕自身がシフトしていきたい。


それをやるのは父母の古い見方と干渉する、ぶつかりあうけれど、自分の価値観を選びとろうと常に毎日、2つの見方を(父母のと・僕のこれからのための見方)感じて自分の見方を選びとろうと努力して道をつけていかなければならない。そういう毎日にしていかなければならない、そのためには毎日自分のなかで葛藤して、闘うというか、選びとる必要がある。僕の課題となって残された。



 そういう方向性へカウンセラーの先生が導いてくれた。僕が選ぶように道付けしてくれたと感じたし、思った。次回の僕が決めた最後の90分枠、EMDRのためにも僕自身、emdrをやることになるかどうかわからないけれど切磋琢磨して精進していく必要がある。手綱(たづな)を握るようにはしていきたい。

10/04(Tue) / 10/03(Mon) / 母との葛藤・対決したい カツフライ(にんにく)

spotify ビートルズは歌詞を読みながら聞けました。ボタンあり。(一番下の右の方)歌いながら聞ける。

僕はネジ曲がった人間だと思う。歌詞があっても、全部覚えようとか、きちんとできるようにとか、昨日の、失敗を恐れるタイプだからだろう。非常に委縮していて、硬直もしている。

radioheadのbendsでも、歌詞を読みながら歌えた。



2016/10/04火曜日

kurage0147130-2.seesaa.net

こちらのブログで活動しています。





002016/010/03(Mon)

 僕は玄米を炊いている。母は基本的に玄米を食べたい。でも母の実家がコメを送ってきてくれた。そしたら、協力してくれないから、実家のコメを食べるという。

 それって、家族は横並びに同じ行動を取るのが当然という考えで発言したのではないのか。僕は黙ったまま聞いていたけれど。僕は玄米を食べ続けるつもり。横並びはする気もないし、食べたいもの食べていいと思っている。我慢するのはうんざりだ。

 nuno-zoriは他の人の編んだzoriに、鼻緒を付けてきた。
 
 着物は赤いのが終わった。手縫いだったので楽だった。裏張りありだけれどきれいに剥がれた。

 spotifyでは、sex pistolsを聞いている。います。いるんです。


 



2016年10月2日(日)

・図解 自分の気持ちをきちんと<伝える>技術、平木典子、php、2007



(引用)

p73

「 ~「論理療法」の創唱者A.エリスの「A-B-C-D理論」~ 
A(~)=ものごとを引き起こすような出来事

B(~)=信念、思い込み

C(~)=結果、問題、悩み、症状

 つまり、問題や悩みの起こるプロセスは、A→Cではなく、A→B→Cなのです。

 たとえば、誰かがあなたを嫌いだと言った(A)ので、あなたは落ち込みました(C)。

 一般的には、嫌われたので落ち込んだ(A→C)と考えますが、エリスは、嫌われたということは落ち込むような出来事である、という信念の影響を受けて落ち込む(A→B→C)というプロセスになっているといいます。 ~ 」


(kurage0147130): これを読んで、自分を思った。幼稚園の時、母に食って掛かって(僕の側の攻撃)、人のせいにするなと攻撃(p27)で言われ、僕が自分を完全に自分をひっこめて非主張的になった。この時、幼稚園の僕に何ができたとは思うけれど、非主張的にならずに、黙りこむという信念(B)ではなく、母の攻撃を無視もしくは却下するようなふてぶてしさがあったらなあと思った。

親のいうことを聞かなくてはという、常識の眼でもこの件を処理したと思う。親の前では従順ではなくてはならないという信念(B)を受けて、黙り込んだ(C)。

 母のいうことを、まともに受け取らないくらいの覚悟はあってもいいのでは。



・ 母には、僕の行動・判断をことごとく否定、攻撃されてきたというのを思う。

 5年くらい前、リュックを買った時も、気に入っていたのに、重いなと言っただけで、返したらと言われた。一流メーカーではないドイターなんだと言っても、一流のにすればいいじゃない返品すればと言われた。

 僕の判断や行動はことごとく無視され否定されてきた。何なんだこの婆さん。おかしいよ。

 僕は、突っぱねたり、却下したり、幼稚園の時のように食って掛かる(攻撃)するのではなく

払いのけるという手もあるよなあ。


人のせいにしないで(母)→何言っているの、僕は主張したいんだ、どこまでも言いたいんだ、かあさん黙ってよ。


 母と父に傷つけられてきたと思う。さんざん。僕の行動・判断は、無視され、否定され、無き者になされた。僕の行動の主体性は否定されてきた。

 先生にEMDRして頂けるなら、治療してもらいたいです。


・ 今日、母に抵抗するつもりで、母の料理に塗り固められるのではなく、食べたいものを作って食べたい、僕だけ別メニューでもいいじゃあないかと、食材を買った。

 昔の一人暮らし時代のメニューが食べたかった。豚もも薄切りを折りたたんで、その間ににんにくのすったのを塗る。小麦粉を塗り、卵を通してパン粉を付ける。カツフライ(?)というやつです。金がかからないやつ。貧乏メニューでおいしかった。

 今日作ってみて、おいしかった。母も食ったし、父も食った。なぜか付き合ってきた。要らんというのかと思った。