良い部分を見ていない。ネガティブに塗りつぶす。

2016年10月14日(金)

 作業所の織りが完成しました。根性と思い織った時もあったので、完成してしみじみと感じました。

 けれど、帰りの交通機関への歩きで、唾を吐きたくなった。(混ぜっ返したくなった)

 僕は20歳まで王様で過ごしたので(成長していなかった。二十歳で一人暮らしを始めた。)、王様でいられないことに不満なのかもしれません。自分の負担になり、大変で、手を煩わせることが逃げ出したい気分なのかもしれません。




 もしくは先生に習った自分のいい所、よかったことを認める力がないため、全部嫌な事として変換して受けとめているのかもしれません。

 織りができる喜びではなく、面倒だ、やりたくない、大変だった、逃げ出したかったで塗りつぶしているのかもしれません。全部嫌なことに変換している。

 父の影響で優秀でなければならないという呪縛を受けていますが、優秀でない自分に、平凡な自分に、よいところを見つけられず、否定の言葉で塗りつぶしているのかもしれません。

 ネガティブな感じ方と、ポジティブな見方をどうすれば導入できるのでしょう。こういうことがカウンセリングの課題なのでしょうか。


( 良かったことは、 )

・完成したこと。

・織りの体験ができたこと。

・自分にも最後までできる力がある。(粘り強い・根性と思った)

・途中失敗したけれど、別の失敗で何度もやり直してよくしようと粘って結局失敗だったけれどチャレンジした。

・織りの先生のおぜん立てだったけれど、よいものができた。

・織りの先生の指導についていけた。

・物がつくれた。(毛糸づくり、織り機作りはしていないが)

・感謝はできた。

・できたものを見てすごいなあと思った。


 こういうことがわかっていて感じているにもかかわらず、ネガティブで塗りつぶしてしまおうとするところがある。これはある意味背徳のように思える。

10/14(Fri) 作業所織り完成(もじり) / 動物園 動物には輝いてほしい。

2016/10/14(Fighters・Friday)ホークスファンごめん。

 作業所のもじり織り完成した。最後の織りで、糸の余裕がないのに先生に頑張れと言われ、ぎりぎりまで織った。


 今日も織り始め、もじる所が、右端の処理で撚り(より)がかからず、何度もやり直したり試したけれどうまくいかないままとなってしまった。ちょっと失敗。


 一生懸命織った。自分なりに頑張った。(もじり高さが1センチになってしまい(だんだん厚く織っていくように脱線してしまった)、先生に5ミリでやるように指導を受けたけれど、何とか最後まで行けた)


 デザイン(織りの構想)、機のセッティング、糸選び、全部先生がやり、僕はただの織る人だったけれど、自分なりには追い込んでやった。途中苦しくて疲れて根性だと思ったけれど、最後までたどり着けた。


 作業所でなければ織りをやる機会はそんなにないので(教室には通っているけれど、月に8時間だけ)、とてもありがたい機会だった。織ることがどんなことか見えてきた。とても疲れる、根気のいる、手の込んだ、根性で乗り切る、手芸の一部門だと思う。


 終わって交通機関へ歩いていて、混ぜっ返したくなったけれど(僕は何に不満なんだ? 疲れることか? 自分の手を使うことか?(僕は王様でいたいのか?) )、先生には世話になった。本当にありがたいチャンスだった。


 また声をかけてもらえればやりたいとおもう。先生よろしくお願いします。


 糸が、辞められた先輩の玉ねぎ染めと、多色の糸で、黄土色というか、アーシー(?、アースに引っ掛けた)なできあがりだった。糸がすごく良い糸だった。だからできあがりも見栄えがし、15センチ高さで、平織ともじりを交互に15センチずつ織っていった。すごくいいできあがりだった。


 出来上がると自分の手を離れるので、思い入れも浮かばないけれど、出来上がりと言う結果はすごくうれしい。しんみりする。片付けて、端っこを4本ずつ結んでいった。揃えるのは先生に任せて、時間切れの僕は帰ってきた。(作業時間は終了した)


 社長の運営する作業所と言う機会を与えられ、メンバーとして機を織れて、ありがたかった。ありがとうございました。









2016年10月13日(木)

 今日は、作業所で動物園へ出かけた。

 僕の日常にはいない動物ばかりで、あたりまえだけれど、おもしろかった。動物の環境世界=生活圏ではない、動物園というところで暮らしている、手足をもがれたような状態だけれど、姿を見せてくれた。僕は現地の動物が一番充実しているだろうなと思えた。

 そう思ったのは、最初にみたカンガルーが、テレビとは違い、地面に縛り付けられて見えたから(土が露出して草が生えていない、殺風景)。テレビでは栄光に包まれた動物に見えていた。それが動物園では、日陰の隅っこにいて、ピョンピョン飛ぶけれどうちひしがれて見えた。僕は草原のような緑と青い空のなかで飛ぶ姿しかイメージしていなかった。

 マレーバクも見た。大きくて、鼻がとんがっていて、こんなにバクって大きかったんだと思った。印象に残った。

アザラシの水の中で回転しながら泳ぐ姿は気持ちよさそうに見えた。一番良かった。

 亀も手足をバタバタさせて不器用そうに水槽の中を泳いでいた。15センチくらいの奴。
鶴もよかったな。国鳥?だったかな?



 今日は、目も口も手足も痺れるような、抑圧の傷が露出へと向かう最初の段階のように思え、辛くなりそうな感じだったけれど、動物園と言うハレの場所で遊んできたので痺れは気持ちから消え去っていた。明日から勝負だろう。
 



 カンガルーはちょっと寂しかった。行動展示と言う栄光に包まれた状態の動物はどう見えるのだろう。檻のなかだからだめなのか? 故郷が一番輝いているのだろうな。動物には輝いていて欲しい。

カウンセリングを受けました。きつかった。

2016年10月12日(水)

 カウンセリングを受けてきた。

 機織りで、咲き織りで、父親の優れていなければダメだという考えに僕が圧倒され負けていた時、その時の僕の自分自身のなさ、父の考えに塗り固められ屈服したその負けた時の感情、負け具合、負ける原因の父の考えに圧倒され具合についてEMDRしてもらった。

 父の見方、考え方である優れていることを偏重する見方をカウンセラーの先生と掘り下げていくことは、途中から非常に苦痛で苦しく、目を左右に動かすのもきつく、拷問か?ともよぎった。それだけ根幹で、非常に大事なテーマだと思った。

 今日のカウンセリングに入る前に先生が本を提示して推薦してくれた。もう注文した。




NLPの実践手法がわかる本 山崎啓支




 NLPが何かもよくわかっていないけれど、団体のホームページは覗いてみた。少し教えてくれた。説明できない。

 NLPは、父の考えに塗りつぶされた僕を書き換えることができるらしいけれど、サポートとしてEMDRやカウンセリングが必要(らしい)と先生は仰った。

 この本、1冊だけ在庫の駿河屋で頼んだ。ここは届くのが遅いのが難点。中古なのにけっこう高い。人気があるのか?



 いい点を増やしていくというのも、自分の良い所、できることを認識して、悪いところを書き換えるのと同じくらい大事にして、両輪で進められれば、調子が悪くても負けっぱなしにならないでいける。こういういいところがあるよねと、助け船を自分で出しつつ、たとえ屈伏してもやり過ごしたりしてやり繰りする。

そして、バッドな面、マイナス点も無くすというより、良い点とのバランスで、両方をうまく使いながらやっていくイメージだそうだ。良い点で塗り固めるのではない。父に屈服する自分もいていいけれど、それを克服する自分もいる。バランスという事を先生は仰りたかったのかもしれない。悪い点を消すという方向ではないらしい。

 それと僕はすごく良くなることに目がくらんでいるけれど、それより、これができるようになった。こんないいことがあったと、小さな前進をもっと喜ぶべきだ、小さな変化を大事にしてもいいだろうというようなことをアドヴァイスしてくれた。僕は全部シロにしたい、いっぺんにという極端さを持つので、それではもったいないとおっしゃった。僕はよくばりで、すごく良くなろうとしすぎているということらしいし、実際そうだ。



 良い点は、確かに父母の顔を直視できるようになったし、父母の言動に心のなかだけでも反論できるようになった。こういうところは先生に診てもらって二人三脚でやってきたおかげだ。感謝していいところだと思う。

Nuno-zoriの鼻緒をしっかり締めないで提出して、次の日、緩んでいたので直したいと社長に言ったら、社長はすでに点検して直したとのこと。僕は言えてよかった。これも良い点。

 その他、女性に出勤簿をどうぞと、手渡せた。まだ書いていなかったので。こういうこともできた。


 ちっぽけでも、ちょっとは前進している。それを先生は評価してくれた。僕も評価できるようになろうとしているし、したい。


 苦しかったからか、カウンセリングの最後で混ぜっ返したかった。ぶっ壊したくなった。ネガティブな考えに占領された。

(おわりTHE END FIN 沈没)

10/11(TueTueTue鼠鼠鼠) / 10/10(Mon) nuno-zoriのコツ / はじめてのフェルデンクライス


2016年10月11日(火)

 今日は調子が悪かった。


 Nuno-zoriは割とうまく進んでいると思う。

握力があるからと、まっすぐ紐を引っ張り、新しく入った方、女性のやり方を真似しているから。

 この女性、上手くいかないとそこまで戻って解(ほど)いて、やり直す。これを僕も盗んで、見習ってやるようにした。それで失敗が作品に残らなくなった。作品と言うのはおこがましいですが、うまくいっている時ぐらいいってもいいよね。うん? 

 僕の汗が浸みこんだ臭いnuno-zoriですが、頑張っています。



 今日は交通機関でも作業所でも、やたらと否定してくる奴が多かった。それで、心の声だけに従う作戦をやった。

自分の心の声に、心をよく聴くようにし、周りの否定には一切耳を貸さないことにした。聞いてはいるんですよ、でも耳は貸さない。自分の心の声を第一にした。この作戦も成功していくといいなあ。



 僕は森田療法のあるがまま、をできるようになりたい。良くも悪くも受け入れ認める。そのまま見る。そのまま感じる。そういうようになりたい。

昨日はリコーダー吹かないで寝てしまった。











2016/10/10(Monくあっか!)

 作業所では、ペニスを集団の中に置くというコンセプトを引き続きやった。あまり成功していないような気もするけれど、間違いコンセプトだとも思っていない。

 森田正馬ブログを再開した。アサーティブは読むだけにした。

 今日もリコーダーに時間をかけたい。調子がよいのか悪いのかよくわからんけれど、活動できるのでよいのだろう。

 あるがまま、ということなら、僕は、この限られた人々のなかで(交通機関、作業所、このブログ、この家族、この地域)、活動できることは素直に喜ぶべきことだ。

 nuno-zori、着物の糸ほどき、織りとやらせてもらって、僕は夢がかなっている状態なのだろう、不満や理想を思うより、この現在をありがたく思うほうが大事そうな気がする、今の職業環境。
 底辺だけれど、夢を生きていると言える。


★☆ nono-zoriのコツひとつわかった。輪っかの紐=ひっかけて4本の紐を引っ張るときに、真っ直ぐ引っ張っていないとダメだ。右へ左へヨレないで、真っ直ぐ引っ張るのが、編み込む時のきれいさにつながるようだ。

 そうしない場合、目が汚くなる、今の僕の失敗状態へとつながる気がする。









2016年10月9日(日)


 帰ってきたら、今日の父は不満タラタラだった。あの人は不満の塊(かたまり)だからそうなのだろう。

 作業所は調子がよかった。年に何回あるかだった。ペニスを集団の中に置こうとしてみた。あまり成功しなかった。

 今日もトム・ヨークをちょっと見た。顔をくねくねさせて歌う。歌のことだけ考えているみたいだ。完全に心に従ってパフォーマンスしているように見える。NOS alive 2016,youtube 怒鳴るタイプではないみたい。

 リコーダーの練習をした。久しぶりに練習をした、というくらい時間をかけた。1時間くらい。リコーダーJP、第7課。










2016年10月8日(土)

    木・金は夜、調子が悪く何もしないで寝た。

   今日は、織り教室に出かけた。

  先生に話しかけられ、返事ができなかった。心が邪魔していた。

 僕が最初見下していて、後に楽器ができて織りの能力の高い人が他の人と話していても、心は脅えていた。


 心は何かに脅えて小さくなっていた。先生にも変なやつと思われたみたいだった。どうなろうと今はこれしかできなかった。辞めなければいつか挽回できるだろう。


 昨日も心の声を聞こうとしていた。帰りの自転車でも聞こうとしてみた。まだなにもわからないけれど。

 織りで、集団に性を置こうというのは、今日はあまり成功しなかった。ペニスに存在感が薄かった。

 心は喋らないけれど、静かに存在している。なにかはある。なにもないわけでもない。でも喋らない。リコーダーを久しぶりに吹いてみた。どうというわけでもなかった。うまく吹こうとし、心の声を聞いて吹こうとした。

 Youtuberadioheadを聞いていたけれど煮詰まったので、




 フェルデンクライスのCDをかけてみた。初めてのフェルデンクライスのもの、背骨のつながりを感じる、と、目のレッスン。楽になり、気持ちがよかった。可動域が広がったり、目の視界が広がる気がした。身体と対話するところがよい所なのだろう。

10/07(Fri) / 頭の中の父に負ける。

2016/10/07(Fri)

 今日も低調だった。

・ oriは、先生に5ミリ幅でもじり織りをやるよう指示された。戻ることはできないので、続けてやるように指示された。失敗作となった。沈没。でも続けます。

 先生に指示を仰いで、続行の許可を得た。


・コースターのori端っこの端紐処理、結ぶのを昨日の続いてやった。こういう細かいの割と得意です。

・作業所の終わりころ、性欲がどこを向いてよいかわからず宙ぶらりんだったけれど、集団のなかで自分のペニスを集団の中に置くというか、参加させる作戦に打って出た。今日はうまくいった。今日だけなのか、続けることは可能なのか不明。 続かなければそれはそれで悲惨だ。


低調だけれど、わりとよかったのかも。??  ?. . . ... 











2016年10月6日(木)


 織りのコースターをやらせてもらった。その時、前から思っていた僕の病気の考えに占領された。父の考えかたに血塗られている。


「 僕が織りをやるのは優れているからで、他の人よりうまくできるから。確かに端の処理と均一に織るのはうまいかもしれない。

 イヴ・サンローランのように彼を頂点とする世界に暮し、他の人はイヴ・サンローランに傅(かしず)くように世界を作っている。イチローを頂点に他の選手が彼のために働くようなそういう世界。そういうような世界を目指すみたいになってくる。それは完全に父の病気の考え方に依(よ)っているけれど、今となっては僕の考え方。

 というか、僕が優秀な人がもてはやされる世界を描いているので、それの延長としてこのような歪んだ世界が頭に描きだされる。優秀な人が君臨する世界を僕は頭に描いている。だから僕はそれの僕(しもべ)なんだ。僕は作業所で働いて最底辺を担っている。そういう考え方が優秀な人が頂点に君臨する世界を作る下地というか、相互にそういう考え方を描いている。」




 まったく塗り潰されていたわけではない。織りの感触を指先に感じ、織るという行為を意識して織ろうと思えた一瞬もあった。けれどほとんどの時間は、優秀な人が君臨する世界を描こう、そういう世界が頭に浮かんでいた。

 裏を返せば、下手でもいいということになる。織るのが下手でもいい。下手でも織っていい。ほんとうのところは僕はそんなにうまくないかもしれない。思い込みだけで。

 織りながら、下手でもいいから織るんだと言い聞かせ、織る行為の根幹を揺らそうとはしてみたけれど、優秀な人が君臨する世界、僕がその頂点に立とうとする世界を描こうとする動きに乗っ取られてしまう。完全に父に浸食されている。



父の前に敗北し靴の裏を舐め、股間を舐めあげるのが僕のような状態になる。

嫌な考えだし、逃げ出したいけれど、何とか描き直したいけれど、浮かんでは塗り込められてしまう。


 これに対抗するために、アサーティブの考え方を導入し、別のヴィジョンを描く作戦を敢行したい。柔軟な考え方を取り入れ、その考え方を何度も描き、取って代えるようにできればなあ。
今日は父の前に屈した。僕の頭の中に存在する父の前に跪(ひざまず)いた。悲惨だった。惨めったらしかった。

カウンセリング 2016/10/05(Wed)

spotifyは毎月15時間しかタダでは聞けないそうだ。セコイな。今月はここでは何もできなくなってしまった。今のところ金を払う予定はない。


2016年10月5日(水)

「カウンセリング」

・図解 自分の気持ちをきちんと<伝える>技術、平木典子、php、2007

を読んでのブログへ書いたことを印刷してカウンセラーの先生に読んでもらいました。


 そして、僕は今現在、交通機関、作業所、家庭で脅える気の小さい奴だという先生の了解がありました。しかし、幼稚園の母との件、前まで僕はいっぱしの男を気取り俺とか言って息巻いていた。気の小さい奴ではなかったと。その前までは別だったと。でも、現在は小さい奴だと。他に僕にとっての事件はなかったと。


 作業所の3千円の靴の女性に、僕は7千円だと強がりの見下し見方をもったのは僕がその女性に劣等感を持っていたと。その女性はnuno-zoriの芸術品を作る女性で、機織りでもデザインして色と織りをできる先輩女性でもあった。辞められたわけですが。それまで僕にとっては脅威であったし、怖れていた。社交的で自己主張もできる女性でした。

 その怖れがどこから来たか、僕は勉強が父母により強力に推奨されていて、やれみたいなノリだった。その割に僕はやらなかったわけです。でも、勉強ができることが優秀で、優秀でない人はダメだ、居場所がないという考え方で現在まで固まっている。

 リコーダー、織り、勉強、粘土、パソコン、みな優秀でできる人でないと、他より優れないと自分の居場所がないように思っている。そういうのは疲れるでしょうとカウンセラーの先生に言われた。もうその必要はないのに、父母の価値観でものを見て感じている。僕は降りたいし、その方向性が、自分のそうでない見方、父母の見方ではない見方、




 物事に取り組む集中力、やろうとする努力、何かを動かそうとエネルギーをつぎ込み少しでも動かそうと奮闘する小さな一歩、そういうのが評価される、そういう世界の見方、自分のための自分の感覚を働かせて、自分の眼で見て聴いて感じて発信しようとする、そういう自分のための活動・価値観・動き、そういう血の通った、僕のためのこれからの未来の力・血になるやり方にシフトすべきだとカウンセラーの先生に言われた、というか、僕の未来のために僕自身がシフトしていきたい。


それをやるのは父母の古い見方と干渉する、ぶつかりあうけれど、自分の価値観を選びとろうと常に毎日、2つの見方を(父母のと・僕のこれからのための見方)感じて自分の見方を選びとろうと努力して道をつけていかなければならない。そういう毎日にしていかなければならない、そのためには毎日自分のなかで葛藤して、闘うというか、選びとる必要がある。僕の課題となって残された。



 そういう方向性へカウンセラーの先生が導いてくれた。僕が選ぶように道付けしてくれたと感じたし、思った。次回の僕が決めた最後の90分枠、EMDRのためにも僕自身、emdrをやることになるかどうかわからないけれど切磋琢磨して精進していく必要がある。手綱(たづな)を握るようにはしていきたい。

10/04(Tue) / 10/03(Mon) / 母との葛藤・対決したい カツフライ(にんにく)

spotify ビートルズは歌詞を読みながら聞けました。ボタンあり。(一番下の右の方)歌いながら聞ける。

僕はネジ曲がった人間だと思う。歌詞があっても、全部覚えようとか、きちんとできるようにとか、昨日の、失敗を恐れるタイプだからだろう。非常に委縮していて、硬直もしている。

radioheadのbendsでも、歌詞を読みながら歌えた。



2016/10/04火曜日

kurage0147130-2.seesaa.net

こちらのブログで活動しています。





002016/010/03(Mon)

 僕は玄米を炊いている。母は基本的に玄米を食べたい。でも母の実家がコメを送ってきてくれた。そしたら、協力してくれないから、実家のコメを食べるという。

 それって、家族は横並びに同じ行動を取るのが当然という考えで発言したのではないのか。僕は黙ったまま聞いていたけれど。僕は玄米を食べ続けるつもり。横並びはする気もないし、食べたいもの食べていいと思っている。我慢するのはうんざりだ。

 nuno-zoriは他の人の編んだzoriに、鼻緒を付けてきた。
 
 着物は赤いのが終わった。手縫いだったので楽だった。裏張りありだけれどきれいに剥がれた。

 spotifyでは、sex pistolsを聞いている。います。いるんです。


 



2016年10月2日(日)

・図解 自分の気持ちをきちんと<伝える>技術、平木典子、php、2007



(引用)

p73

「 ~「論理療法」の創唱者A.エリスの「A-B-C-D理論」~ 
A(~)=ものごとを引き起こすような出来事

B(~)=信念、思い込み

C(~)=結果、問題、悩み、症状

 つまり、問題や悩みの起こるプロセスは、A→Cではなく、A→B→Cなのです。

 たとえば、誰かがあなたを嫌いだと言った(A)ので、あなたは落ち込みました(C)。

 一般的には、嫌われたので落ち込んだ(A→C)と考えますが、エリスは、嫌われたということは落ち込むような出来事である、という信念の影響を受けて落ち込む(A→B→C)というプロセスになっているといいます。 ~ 」


(kurage0147130): これを読んで、自分を思った。幼稚園の時、母に食って掛かって(僕の側の攻撃)、人のせいにするなと攻撃(p27)で言われ、僕が自分を完全に自分をひっこめて非主張的になった。この時、幼稚園の僕に何ができたとは思うけれど、非主張的にならずに、黙りこむという信念(B)ではなく、母の攻撃を無視もしくは却下するようなふてぶてしさがあったらなあと思った。

親のいうことを聞かなくてはという、常識の眼でもこの件を処理したと思う。親の前では従順ではなくてはならないという信念(B)を受けて、黙り込んだ(C)。

 母のいうことを、まともに受け取らないくらいの覚悟はあってもいいのでは。



・ 母には、僕の行動・判断をことごとく否定、攻撃されてきたというのを思う。

 5年くらい前、リュックを買った時も、気に入っていたのに、重いなと言っただけで、返したらと言われた。一流メーカーではないドイターなんだと言っても、一流のにすればいいじゃない返品すればと言われた。

 僕の判断や行動はことごとく無視され否定されてきた。何なんだこの婆さん。おかしいよ。

 僕は、突っぱねたり、却下したり、幼稚園の時のように食って掛かる(攻撃)するのではなく

払いのけるという手もあるよなあ。


人のせいにしないで(母)→何言っているの、僕は主張したいんだ、どこまでも言いたいんだ、かあさん黙ってよ。


 母と父に傷つけられてきたと思う。さんざん。僕の行動・判断は、無視され、否定され、無き者になされた。僕の行動の主体性は否定されてきた。

 先生にEMDRして頂けるなら、治療してもらいたいです。


・ 今日、母に抵抗するつもりで、母の料理に塗り固められるのではなく、食べたいものを作って食べたい、僕だけ別メニューでもいいじゃあないかと、食材を買った。

 昔の一人暮らし時代のメニューが食べたかった。豚もも薄切りを折りたたんで、その間ににんにくのすったのを塗る。小麦粉を塗り、卵を通してパン粉を付ける。カツフライ(?)というやつです。金がかからないやつ。貧乏メニューでおいしかった。

 今日作ってみて、おいしかった。母も食ったし、父も食った。なぜか付き合ってきた。要らんというのかと思った。

本:アサーション・トレーニング

2016年10月1日(土)

Spotifyは、坂本龍一 B-2 Unit(革新的だ)をまとめて聞けます(音がよい)。

左うでの夢、音楽図鑑、未来派野郎みたいなのはないみたい。大貫妙子とのUTAUはある。


・織りは、ミスしたのを戻ってやり直したところ。Groundedを命じられた。先生が来るまでそのまま待機せよ、との命を受けた。(来週の金曜日までマテとの指示。)

 僕がもじりを5ミリで編まなければならないのを1センチくらいでやったし、糸の通しが悪かった(全部がもじった穴を通っていなくて編まれていなかったのがあって、今日戻ってほどいた)。
先生の指導を仰ぐという立場に転落してしまいました。(自由に進めることができなくなった)


・Nuno-zoriは、調子がよく、今日やるところ、編み始めはよかった。足半(はんなか)というのを編み始めました。(そういう指示をもらった)


・着物ほどきは今やっているのが終わりそう。(要らない情報かもね)





・図解 自分の気持ちをきちんと<伝える>技術、平木典子、php、2007


 を読み始めました。アサーティブの本らしい(わかっていて買った)。著者の方が、アサーション・トレーニングの第一人者とのこと(そこがポイントだった:上手く伝えてある本だと目星を付けた:参考アマゾンレビューを読んだ)。


P27まで読んで、

引用:p27:

「 

第1:自分のことだけ考えて、他者を踏みにじるやり方『攻撃的』『アグレッシブaggressive』 /


第2:自分より他者を常に優先し、自分のことを後回しにするやり方『非主張的』『non-assertive』 /


第3:自分のことをまず考えるが他者をも配慮するやり方『アサーティブassertive』

 」


(kurage0147130): 僕は非主張的だけれど、父は攻撃的、母は僕の行動に対しては攻撃的だと思う。うちの家族にはアサーティブはないから、学習して身につけたい。



アサーション・トレーニング 改訂版 平木典子 金子書房 2009/09

・深く聴くための本 アサーション・トレーニング 森川早苗 金子書房 2010/09

アサーション・トレーニング 自分らしい感情表現、土沼雅子、日本精神技術研究所、2012/06

を中古で買った。入れ込んでみた。森田療法、とりあえず後回し。

spotifyはじまった。

追記

 森田療法をこちらで受けると、通っている精神科から転院しないといけないらしい。敷居が高くなった。まだ心が定まらない。


音楽聞き放題の無料版、spotify(どこの国?・ボケています)始まりました。

メールが来て、招待で登録し、さっそくエレファント・カシマシのアルバムを聞いています。

すごいもんですよ。ただでアルバムが聞けて、youtubeより利便性は高いと思う。



 昨日夢を見た。追いかけられて攻撃される夢の気がする。いつものたまに見る嫌な夢。

 こういう日は調子が悪い。

 作業中も、間違いが多発し、よくなかった。(織りのこと・着物糸ほどき、nuno-zoriはまあまあだった) その割には一日乗り切れたし、周りから攻撃の気配はなかった。

29(モリモリンな肉の日・木曜日) / 28(Wed:___」 / 27(T)差別とあるがまま / 26(Mon) / 25(Sun/(systems)day) あるがまま / 24(Sat(sit)down)・あるがまま、はからい / 正常人への挑戦(といきたい・願望)。

2016年9月29日(木)

あるがまま


 作業所で、

☆女性に男として見られていない、
☆僕は関心を持たれていない

というのを感じた。最初は何で男として機能しないのだ、彼女ができてもいいだろうというノリだったのが、あるがままで感じると、このようになった。現実的に、僕は作業所では男として扱われていない。

 そして、帰りに、


☆僕はちっぽけな作業所で、
☆ちっぽけな一員(作業所の)をやっている


と感じた。これも、あるがままで感じようとするとそうなった。


 要するに自分が縮小され、より現実の等身大として関わることになりつつあるのだろう。

 裏を返せば、もてない男、平凡なオヤジとして、この国のこの地域でやっていくという、積極的な意味も現れてくる。あるがままで現実を受け入れられれば、より自分が機能する結果になると思う。












2016年9月28日(水)


カウンセリングを受けてきました。

・ この間の食事会で、惨めで、孤独で、寂しくてというのを(マイナス)あるがまま持って、保持するというところから、僕は目標として、ボロッチイ人生でもいいのかなと。サイゼリアのかたつむり・400円くらいのを食べて、僕の人生、小さくてもいいかなと少し感じていたのが、僕の人生自体がちっぽけでもいいかなと思うように傾きつつある。


 カウンセリングの先生にも、スーパーマンをめざし、木村拓哉すごいとなっていたのが、こういう展開をしたのはすごいねと言われた。僕は、ブログでいつもいろいろやっているからと答えたが、確かに方向性が変わってきた。

あるがままである帚木蓬生氏の森田療法:『生きる力 森田正馬の15の提言』を読んで、

そしてカウンセラーである先生の治療を受けて、こういう方向になったのだと思う。(カウンセラーの先生が、このブログを読まれているかもしれないので、ちょっと意識しています)



 確かにずいぶん、自分に対する期待、目標が低くなった。これは先生に言われたようにすごい事なのかもしれない。

・ カウンセリングも短くしていいのかもしれない。EMDRは終わっているし。先生にはもちかけられたが、まだ長い方がいいと言って断っていたので、方向転換が望ましいのかもしれない。甘えてもいられないだろう。と思う。



・ ボディスキャンというのでしょうか、身体の感覚を、肩、胸、胃、太腿、足裏、首頭と順々に感じて行って、どう感じているかチェックしながら身体感覚を持ち、身体と心のつながりを意識して活性化? しようというのをやってもらった。

 一人でも面倒がらずにいればできそうだとは思った。僕は身体感覚が弱い。



・ 現実を直視し受け入れる、あるがまま、は大事だと思った。これからの課題で、これができれば僕の人生は重荷が半分に減る気がする。










2016年9月27日(火)


「差別とあるがまま」


・ この間の食事会で、3000円くらいの靴を履いてきた女性がいた。僕は差別意識をもった。安い靴を履いてと。それが態度に出た。まずいと思った。なぜこうなったか。僕は、7000円くらいの靴を履いていた。なぜ買ったか。僕にとっての高めの靴を買おうと思ったから。


構造: 
 
 あるがまま:あるがままを思ったとき、靴についてもわかる。

 あるがままなら、7000円の靴を買ったのは、余剰の金があったから、ウォーキング・ファスナーが欲しかった。前よりは靴に金を出してもいいという、一人身、懐があったかかったから。


 女性が3000円の靴を買ったのは、家族がいる。靴に回す金がない。まずは自分の出費を抑えようとした。ただ余計な金がなかっただけ。靴に金をかけようという気がそもそもなかったとか。
 あるがままで見るとシンプルになる。差別意識を持つ理由はない。




/ GUで服を買うも同じように説明できる。服に金をかける気がない。お金の余剰がない。安くていい服なので満足していて利用しやすい。ユニクロ・GUという別意識がない。欲しい服がある。
 ここにも差別が入り込む余地はない。
 

 僕は、あるがままではない、ネジ曲がった見方を肥大させ、目が斜めになっていた。素直ではなかった。すいませんでした。僕はネジレテいました。
 



・ 織りは、疲れた。階段を降りるとき、息切れした。動悸が激しくなった。負担になる。ただ織りをやっているだけ。疲れるし、貧乏くじを引いた気分もある。やりたいことではあるが、始めてしまえば同じで、疲れる分だけ重荷になる。


 鶴の恩返し、みたいに自分の身を削り衣服を織っている。仕事だから、前に織り機があるからやっているだけ。他の職業と何ら変わりがない。微調整が得意だから向いているかな、くらいのもの。逃げ出したくもある。これは織り切るけれど、他のもやるのは負担だなあと思う。



00:

 根性+気合いだ、という感覚で織った。すべてぶち込む、全力だった。その割に最後は上の空にもなった。


・ Nuno-zoriと着物の糸ほどきもやった。今日はあまり調子がよくないのを感じた。











2016/09/26(月曜日)

・ nuno-zoriをやった。前回の分をやり直した。少しましになった。
 
・ 着物のほどき、冬物の緑色、新しめのをやっている。普通に終わりそう。

・ 織り、前回やったところ、もじり織り部分、パクヒスイの棒を刺して織るところ、パクヒスイがはじけてそのまま織ってしまい、ねじりが入らないまま織った可能性あり。もしそうなら、不良品を作っている可能性もある。怪しい話。

 エネルギーを織りに全部吸い取られた。すごく疲れた。


根性、


という言葉しか織っていて思い浮かばなかった。
 

・ 交通機関での読書、帚木蓬生、「生きる力 森田正馬の15の提言」を読み直している。すごく良い本だ。実践できるようになりたいと思いながら読んでいるつもり。難しいかもしれないけれど。







2016年9月25日(日)

・ 作業所の食事会に誘って頂き、サイゼリアでかたつむりを食べてきた。フライドポテトをご馳走になった。(初めてフライドポテトがこんなにうまいのかと思った・田舎者か?)

 かたつむりは貝みたいな感じだった。油に浸かって、何かと一緒にオーブンで焼かれたのが出てきた。おにぎりを持っていたので、主食は頼まなかった。ケチった。ケチだった。こういう安い店があるのだと知った。(初めて入った。外食をほとんどしない。)
 
・ Nuno-zoriは、あまりうまくいっていない。今日は、主に、着物の糸ほどきと織りをやった。急ぎの糸ほどきだったけれど、遅くなっていて、今日終わった。(割とていねいにできた)

・ 先生の整経と糸張り(本当は何というのだ?)で準備してもらったのを、ただ織るだけの作業をやっている。デザインは先生。

 もじり織りという、アフガン針とアイヌの祈り(パクヒスイ?)で使うような道具を使って織っている(名前を覚えられなかった)。

 完璧とは言えず、はじっこの処理が甘い。ミスもある。頑張っているが、今一歩。

 エネルギーが吸い取られ、咲き織りの機械に全エネルギーを賭けるという格好になっている。ものすごく今日も疲れた。

 僕が織りで唯一誇れるとしたら、微調整ができること。僕、シール貼りもそうだったけれど、微調整大好き&得意 だと思い込んでいる。



・ 食事会では、新・唯一無二と話してきた。誘って頂いた方。熱い方です(熱血漢)。顔を見れて良かった。



 食事会でも、惨めな感じがしたけれど、保持して、少し味わってやった。そのままにした。

☆あるがまま

 あるがまま、になれるようにしたいと思う。孤独で、みじめで、障がい者で、恋人いないマスターベーション歴何十年、作業所暮らし、弱い男というののままやっていければいい。










2016年9月24日(土)


「 あるがまま はからい 」


 森田正馬のあるがままを思っている。前回のカウンセリングで、僕がブログからの文とした印刷を渡して読んでもらったけれど、作業所の皆に袋叩きだったと書いたとき、先生は何も言わなかったけれど、曇った気がした。

 前回のカウンセリングでは、あるがままというのはまったく実現されていなかった。はからいだらけだった。こうしたい、こうだろう、こうだという決めつけ、こうありたいという、はからいだらけだった。

 今日は自分の調子に余裕があったので、あるがままというのを意識して織り教室で過ごした。孤独で、みじめで、さびしくて、むなしくて、若い女に自分の肉欲を焦がし(ほぼ50男がだから、気持ち悪いか?)、自分の織りの技術のなさに・よくわからなさに・ちょっとさびしい気がした、などネガティブな感覚に覆われた。これを変えようとせず感じていた。受け止めていた。


 ここでも作業所でも、日ハム解説・ガンちゃんをそのまま認める発言や、GUへ行くという発言は、僕の家族ではNGだった。それがこの人たちは、あるがまま認めていた。家族の一員である僕も否定していたけれど、世間ではそうでもなかった。あるがまま認めていた。

僕の家族はあるがままの正反対だ。はからいだらけ、はからいで埋め尽くされている。だから僕があるがままという感覚を理解して実践するのは難しい。すぐ、はからいになってしまう(自分の感覚を否定し変えようとか、自分の感じることよりこうしようと、感覚を捻じ曲げたり。僕の家族はネジ曲がっていて、特殊で、間違っている。参考にならない感覚で溢(あふ)れている。



 僕の若い女の肉体に焦がれる感覚は、深く、根源的で、抉(えぐ)れていて、焼けるようだ。それが僕だ。


 あるがままとはからいを実践することは必要なことだ。それがなされていないので苦しんでいる。不快、嫌な感じ、みじめをあるがまま受け入れ、自分の中に認め、保持できれば、僕はかなり救われていると言えると思う。

今日の織り教室で、不快な感覚を動かそうとせず、不快なまま保持し受け入れていたことは、前進だったと思う。












2016年9月23日(金)



22(木)の図式はこうだった。

☆父・母=ダメだ→(抑圧=僕=↓ダメだ(男、ペニス))





これを踏まえ今までの周りとの関係

☆周りの人間・否定→(→僕=↓(否定の内面化)僕)



今日の周りの否定と僕、との図式はこうしたかった。
①のあと②へと返す動きが続く

☆①周りの人間・否定→(→僕↓=否定(受け取りたくないけれど受け止める))  意識は外へ向かわず自分の内側を見つめる

★②否定=周りの人間(あなたの否定でしょ)←(←僕(受け取った否定を当人へ返してやる)) 受け取った否定を内面化せずredirect、リダイレクト=向け直す してやる。


 要は、否定を周りから向けられ内面化して、自分の内側を見つめるという、不健康・頭の悪い・今までのやり方ではなく、

 向けられた否定をそのまま当人へ返して、送り返してやる。否定を僕の持ち物にしないで、あなたの持ち物にする。


 僕の側からあなたの側へのエネルギーの向きを作り、僕のエネルギーをあなたへキッチリと向ける。

 常日頃、僕からあなたへという向きを維持できるようになりたい。正常人への挑戦。

 
 ☆           人々        
             ↑   
       人々 ←  僕 → 人々
             ↓
            人々



(ということでした。)










2016年9月22日(木)

「抑圧を父母へ返す。」

我が社を取り巻く環境:

 3日ほど前から、週刊誌による我が社をバッシングする記事が数誌に掲載された。我が社は今まで通り邁進しようとしていたが、環境が変わり、バッシング対策を迫られている。バッシングは、我が社の内部の人間 間でも行われ、その他、交通機関のつり革広告、歩道のディスプレイでも流され、これらは当分やみそうもない。来年3月まで続く可能性もある。まともにこれらに対処し続けると、鬱状態のような深刻なダメージとなり、暴露した我が社が暴走してしまう危険性もある。誹謗、中傷、傷害、否定的告発、ダメだという拡声は、止まるところなく我が社にダメージを与え続ける可能性がある。一刻の猶予もなく対策を迫られ、このレポートになった。



スーパーバイザー・カウンセラー:Nancy Korn

Nancyが我が社をカウンセリングして導いて数カ月がたつ。そのあいだ、かなりのアドヴァイスと導きを頂き、いい方に我が社も来ていた矢先のバッシングだった。バッシングが今年の11月から来年3月まで行われるという情報は入っていたが、実際受ける立場になって、抜本的に対策を練る必要に迫られた。対外対策と当社内対策の2本柱の目線は必要と思われる。このままいくと我が社は倒産というのは見えている。この火急(かきゅう)の時に大鉈(おおなた)を振り下ろして、逆に土台から組み直し、勢い付けたいというのがこのレポートの本当の狙いだ。

 Nancyは、我が社の担当が読んでいた、極東の島国の本、「自分でできるスキーマ療法ワークブック Book1・2」、伊藤絵美星和書店にも出ていた「マインドフルネス」を、実際に我が社の社員に施して頂いた。そして効果があることが分かった。




 しかし我が社の環境は変わってしまった。バッシングの力は強く、毎日、執拗に、四方から攻め続けられた場合に、マインドフルネスの悠長なやり方が本当に通用するのかが疑問となっている。平時にはマインドフルネスが有効なのはわかっている。しかし、否定という執拗なものを撥ね返せられるのか、我が社の体力も考慮に入れなければならない。我が社は社内情報の通りバッシングを11月から3月まで受けねばならない。待ったなしでバッシングを受け続ける。そのバッシングがお前はダメだというメッセージを含んでおり、それが我が社の臍の緒である弱いところを突いてくる。




まずはマインドフルネスで見てみよう:

 お、否定しているな、ビリビリ破いている、咳も来る、社内の空気が否定に染まる。マインドフルネスでは、Nancyの指導の通り、否定しているなと、ツルツルとしたガラスの上を滑るように流れていくように、身体から離して、客観的に見、転がすように見て行って、離してしまう。しかし、バッシングを受ける我が社の調子では否定を受けてもガラスの上を転がすように引き離してみていることができない、被(かぶ)ってしまい、否定に塗りつぶされてしまい、この外部の否定により、内部の否定が活性化され過剰反応して、ガラスの上を転がすように引き離すことができない。よって、感情に流れてしまう。コノヤローとか。外部の否定と内部の否定が共鳴し合い、内部否定が活性化される。外部の否定に負けるというより、内部の否定の声に塗りつぶされ内部ダメージを受けてしまう。外部も内部もダメだというのが基調になっている。要はバッシングによって我が社はおちょくられている。弱いところを見透かされ、突かれているだけ。内部の否定、矛盾が整理されれば、どんなに外部で否定されても何も困ることはない。外部のバッシングは置いておいて、内部否定を見てみよう。
 


内部否定:男、ペニス、父、母、トラウマ、抑圧

 ☆ 父・母=ダメだ→(抑圧=我が社=↓ダメだ(男、ペニス)) ☆
 

 我が社の否定を、父母に返すことは可能か? これもひとつのやり方。

 どうも我が社にある否定は深刻な気がする。かなり食い込んでいる。というか、我が社に居座っている。抑圧としてか? そうだろう。抑圧を自分の問題として、内側を見続けるのか。それとも、父母から来たものとして外部に帰すのか。 これも先のやり方からきている。

 結局、抑圧を対外のモノとして扱うと、父母のモノとして取り組むとスッキリ、シンプルだ。内側を見続けることは不健康だ。これが正しいかわからない。わかりやすい。

 我が社の内側を見て、何かあるかのように思い続け、内側から掘り出そうとする、頭を打ち続けるやり方は不健康だ。

 今日の我が社の対外対応は失敗だった。対外を悪者とみた。これは、対外が我が社に対してバッシングが有効とみた、その目印となり、続ける動機を自ら与える結果となった。失策だった。それ故、このレポートを作ることの必然性が出来上がってしまった。




対応:

 周りの否定を、父母の否定として父母イメージに返し、あるがまま、周りの否定を見続ける。嫌な感じを受けるけれど、感情に流されず、父母イメージに返し続けること。まわりの否定を父母イメージの否定だと父母イメージに返す。まわりの否定は受け取らず、マインドフルネスに流し続ける。

(今回ここまで)

21(水曜日・カウンセリング) / 20(歌謡日)1人暮らしを視野に(嘘くさいか?) / 19・getsu曜日 / 18(日曜日) / 17日(土曜日) / アゲハ蝶の幼虫・レディー、母と戦いたい。

bookoff中古本リスト ヘルマン・ヘッセ

わがままこそ最高の美徳

ヘッセの読書術

ヘルマン・ヘッセ 人生の深き味わい

愛することができる人は幸せだ

人は成熟するにつれて若くなる

地獄は克服できる


・ 僕は下の世話、全然苦にならないです。少ししかしていないお前に何が言える、と言われそうですが、汚いとも思いません。天職だったりして。マザー・じじいと呼んでください。ハハッ ♡♡。

追記
 
 母に対して、母の愛を期待するのはやめたほうがいい。そういうのは他の人に期待して、母には求めなくていい。そういう心理だから僕の側もいつまでたってもグチグチ・グダグダと、死んだようになっている。卒業する部分らしいし、そうしたいし、そうしていく。


2016/09/21(Wed)

 今日は休みで、カウンセラーの先生のところにセラピーにでかけた。


 母が、僕が独り暮らしを始めるため家を出て行ったあと(20年前)、相談員のところへ、子育てについて相談に言った話を、カウンセラーの先生に話したら、うちのクライエントで親が心配してそこまでする人はいない、感動したと話された。僕は恵まれた環境にあることをそのことで知った。
 僕はそんなに母を敵にしなくてもいいのかもしれない。料理は作っています。でも、料理は続けたい。争ってもみたい。

 今日は鬱々したくないので、晴れの服を着て出かけた。次回からはまた地味なのを着ていく予定。昨日皆に叩かれたので、滅入った、憂さ晴らしかも。




・ ソマティック エクスピリエンシング Somatic Experiencing というトラウマの人を、身体のゆがみを正すことで治療する資格らしいが、それをやって頂いた。新しい10年くらい前からのものらしい。20分くらいやってもらった。

 身体を楽にして、足なら足にフォーカスして、どういう感じが聞いて、重かったら、どうすれば重くなくなるか、身体を動かしたいように動かす治療。
 僕は体の各部位が、背中、手、胸、背骨、重く歪んでいたのを、楽になるように動かしたら、正しい姿勢になっていった。 そういうのをやって頂いた。




 僕はお金も使っているし、恵まれている。そこは感謝しないと、苦労されている方、僕を受け持って、僕の人生に責任を持って治療されているカウンセラーの先生に申し訳ない、ということになる。カウンセラーの先生も、スキムミルクで育ったと語ってくれた。そこは僕の側が共感した。
 
 カウンセラーの先生も思われたようだけれど、母はそんなに悪くない、仮想敵でもない、母自身がスキーマを抱えて苦しいから、僕に悪態をついているだけ、そんなに目くじらする相手でもない 、ということらしい。
 ヘルマン・ヘッセの本をブックオフで買ってしまいました。読んでいきます。仮想敵でなくても、母問題は卒業したい。ヘルマン・ヘッセのように自由になりたい。

 僕は普通の人になりたいし、普通の人の人生を歩めるようになることが目標かもしれない。僕は異物で、変で、変わっているという大方の見方の中で暮らしているので、

 カウンセラーの先生も仰ったけれど、プラスの自分の良い面をもっと見つめて、良いところに自信を持って歩めるようになればいいのだろう。




 今日は夜、父の下の世話をした。しているところ。

 








2016/09/20(Tue)

メタリカ、セイントアンガー、いいですね。ヴォーカルの怒りがキッチリ決まっている。


 2016年9月20日(火)


・ Nuno-zoriですが、新しく入った人は僕の3倍上手いです。芸術品を作りそうな、作っている方です。ううっ、先を越された。

 僕は先が丸いのをとんがってしか編めなかったし、端の巻きが一定でなく、さらに編み込みもブワブワっぽくなっている。ようするに、下手なのを作っています。僕なりに頑張っているのでいいでしょうと、区切りを入れます。



・母という病、 岡田尊司ポプラ社



 読んでいます最後の章、これを読んで骨格を掴んだ。

 父母は僕を否定してダメなやつと植え込んだ。けれど、それを植え込んだのは父母で僕がダメだと頭を打ち付ける必要はない。父母がそういう態度を取ってきただけ。僕がダメだと思う必要なし。本にも復讐は無駄だとあるように、父母にこだわるのはNG.


 できれば一人暮らしをした方がいい。推奨されている。ヘルマン・ヘッセは知的障がいの施設に入って落胆したらしいけれど、まさにそこから復活の糸口をつかんでいく。自殺未遂もあるようだし、かなり危ない橋を渡ってきたらしいことが書いてある。だからヘルマンヘッセの庭の本に惹かれたのかも。まあ、先輩ですね。母親問題を取組んだ。

 一人暮らしをするなら、休みの日だけ前の日に親元に戻り、2日間過ごすのはいいかも。リコーダーの練習をしたい。インターネットも引かねばならない。市営住宅は雪かき当番がありそうで嫌だな。近所づきあいとか。家に近いが。その辺が気になったところ。




・ 昨日の夜、握力落ちた。作業所は袋叩き状態だったけれど、僕の側が退けた。愛のないのは父母の側だろと。それと一緒で、認めない否定するのはお前らのほうだろと。喧嘩腰でなかったですよ。理詰めで対処しました。


・ 昨日も料理を作った。今日はスパイシーひきわり納豆を作る予定。昨日のは今朝食べた。うまかったよ。家族の分も作った。皆食べた。母に丸め込まれるのは嫌だな。母も料理を作ってくる。僕は一日一品つくる。争うつもりあり。母の料理も食べています。でも自分のも作る。



・ 問題は、愛着をどう築くかだ。渥美由喜は、子供会に力を入れて、愛着問題を乗り越えたのだと思う。(僕の投影したネジ曲がった見方)

 彼女を作るのが手っ取り早いが。今の段階では無理。一人暮らしをする必要あり。あと6年くらいで56歳。僕の持ち時間は短い。最短距離を歩く必要あり。頭を打ち付ける余裕もない。進まなければ手持ちが無くなってしまう。


・ ノートパソコン、ウィンドウズ7、メモリ増設で、一人暮らしは乗り切れるだろう。(安そう、チープ。プア。) 今日思いついた一人暮らし、本の影響で。









 風呂に入って、鏡に映った自分の髪を見て、薄くなってるなー。と思った。てっぺん禿げも近いぞ。そろそろ 禿げT(はげが意匠化されたTシャツ) を作ってもいいかも。

 父にもらった(父ももらった)バーバリーの靴下の箱を挟んで潰してしまい、バラバラ・リーな靴下になった。




2016年9月19日(月)

 ・母という病


 交通機関で読んでいます。p126まで読んで、とりあえずいいやと思い、結末だけ先に読むことにした。p217 第七章 母という病を克服する p246まで読んだ。

 感想は、料理を通してもぶつかったほうがいいということ。母に呑まれるより争った方がいい。母をカヴァーしたり、阿(おもね)るより、感情的にも態度的にも立場的にも敵対に近い部分を持ち込んだ方がいいと思う。とにかく毎日1品作り続ける。今日も食材を買い込んできた。

 ガンを消す食事 完全レシピ166(いまはがんにこだわっていないけれど、買ってしまったので利用するようにしたい)p115鶏ささみのたたき を作る。明日の朝食に出す予定、無理なら夕食。



・ てれび日本列島?夕方6時地上波3番。北海道を自転車で旅する、日本1周に挑戦する若者が立ち寄る床屋さんの話を途中見た。警察官を落ちた方がいた。


 職業だけれど、僕は歌手に憧れ、たぶんなれないで終わるだろうけれど、実際の職業は、皿洗い、新聞配達、清掃(ベッドメイク)、パン製造ライン、チラシ配布、アルバイト多数をやってきた。完全に使われる身分の裏道だった。

チラシ配布はこんなんで金になるのかと思い入ったが、金になった。力を出した。この職業以外、やりたい職業ではなかった。


 そして、手芸の作業所に入り3つ目の作業所となった。2つ目は、初めて作る職業で、こういうのに慣れるという意味合いだった。そして3つめ。いまのところ。着物の糸ほどきとnuno-zori作業。ここはよかった。


 皆集中してやっている。完全に力を出さないと認められない雰囲気がある。僕はここで学んだ。僕のやっていることは最底辺だ。この最底辺の職業に全力でぶつかり集中することを。職業に貴賤はないというのを、身をもって感じている、集中してクオリティが高ければ劣った職業でも胸を張れると。やりたい手芸関連なので、自分のためになっている。


やりたくで、できて、採用されるなら、その世界でやることで吸収されることは多いと思う。憧れの職業というより、心の求める、適性のある職業がいいと思う。(ここはアドヴァイスもしくはおせっかい)

 職業というのは、がんばっていれば、何でもいいだなというのもここで学んだというか感じている。自慢できる職業でなくていい。僕は女性っぽいし、格好悪いけれど、向いていると思っている。


でも、商品を売れるアイデアを出す職業にも憧れる。やってみたい。無理かも。勉強はしたい。売り上げを伸ばす役というのをやってみたい。どういう形があるのか知らないけれど。

 最初は、10流大学の吹奏楽部のパンフレット広告取りで、広告を付けてくれた方がいて、日産の方、その方のおかげで楽しいなと思えた。ビジネス書も好きだ。売れるアイデアが出せたら楽しいだろうなと。ここはバカ丸出し。甘いぞと突込みを入れられるところ。
 でも、妄想は蜜の味だ。勉強してみたい。また妄想にはいった。


 1個目の作業所はパソコンだった。母がやらせたがっていて、時流に乗るという意味ではよかったけれど、僕が望んで入ったところではなかった。職業訓練もパソコンで、胃潰瘍になった。

(おわり)




2016年9月18日(日)


・ ステーションでゴミを台車に載せ捨てにく係りの人がいた。遅いので抜くだろうなとは思った。今までは早く抜こうと先を急いだと思うが、今日は、後ろにいるときは、後ろにいる時間を楽しんだ方がいいなというものだった。先を行こう、抜こうとするより、遅い、後方の今を大事にした方がいいなと。

 これ、何にでも当てはまる。英語なら、勉強ができていない、語学力が低い今を楽しんだ方がいい。すごくなろう、たかくなろうとするより、英語べたな、下手糞しかできない英語能力の低い今を楽しんだ方がいい。プロセスとか、下手さ加減とか、いい加減さ、間違い、知らなさすぎるところとか。そういうところを大事にできれば語学力は自然に上がって行くだろうと予想できる。
 
上を見てうらやましがるのではなく、低いところを大事によく見て味わい大切にするのが基本なのかもしれない。秘伝かも。




・ Nuno-zoriできました。鼻緒作りが、女先輩に3度目の手取り足取りの指導のもと昨日覚えました。これは男先輩が僕のいるところではない本部で作ったやつに、僕が鼻緒をつけ合作となったものでした。

 今日は、自分で作ったのに、先輩と社長が選んだ鼻緒を付けました。形は歪で、完成度もないけれど、前回よりは上達し、少しは見られるものになりました。正規品ではないでしょう。(安く売られると思う)

 すこしうれしかったです。万歳!!

今日はナスのしぎ焼きを作る予定。母と料理で争う予定。毎日1品を作り続ける。












cookpad セロリとベーコン マヨペッパー炒め をつくる予定

・パソコンのメモリーを4GBから8GBに増やした。最近ハードディスクが回りっ放しになってしまい、フリーズしたようになるので、ウィンドウズ98の最後の3年間くらいのようにメモリを増やした。

 7を使っているけれど、増やしたら快適になった。フリーズしなくなった。正解だった。出費した。


2016年9月17日(土)


・母という病

 を読んでいますが、母とそばを茹でていて思ったのは、母もその母の愛を知らない人と感じた。父も母の愛を知らない人。うちの家族をガラクタ家族とカウンセリングで呼んだのは、母の愛を知らない集団という意味だと、本を読んで感じた。


 母からこの間新しい情報を得た。中学の時時計を買ってもらったそうだが、その時計は父が質流しから得たものだったらしい。高校の時の茶色い鞄も、赤いのとか欲しかったそうだが、父から得たのはまたも質流しらしいものだったらしい。母はきちんと親から面倒を見てもらえなかったのだろう。(兄弟が多い)


 母の余裕のなさ。ド近眼的なふるまいは、母親の愛を得なかったかららしいと感じる。僕が苦しんでいるのも母親の愛がないこと。愛をもらえなかった母は、僕に愛を与える余裕などまるでなし。家族は干からび、愛を求める飢えでカラカラだ。どうすればいいのでしょうね。料理は毎日作る予定。母とは争う。

・織り教室に出かけたけれど、織っていて楽しくなかった。疲れた。コツコツとはやってきた。しつこく網代(あじろ)織りですよ。



 僕の根底って母を求めることでしょう。幼稚園の時、母の愛が得られなくて、怒って絡んでいたのかもしれない。









追記

 母という病は、(カレーを作った、定番メニューなので宣戦布告にはならないけれど取っ掛かりとして、)冷たい母親が描かれた(本の最初のほう)。

僕の母は、僕を母乳で育てなかった。スキムミルクで育った。たぶん父に愛情を感じなくて、(父方は変な家族なので)、その息子の僕にも愛を感じなかったのだろう。母は不安のなかで僕を育て、僕に愛着を持たなかったろう。


 僕は自分の食べる分は自分で作った方がいい。それが僕の掟(おきて)になると思う。



2016年9月16日(金)


・ 作業所での帰り、階段を下りて最後の段の横にアゲハチョウの幼虫がくっ付いていた。緑色で、黄色い点々があり、丸々と太った美形。

 つまみ上げて、10メートルくらい離れた街路樹の根もと小さなスぺースの花壇の上に置いてきた。乾いた土だったので、はみ出したら潰れるだろう。助かるかわからない。あまり期待しないけれど移動した。

 つまみ上げた感触は、柔らかく、丸々と太った幼虫の質感を手で感じ取った。レディーというにふさわしい感じがした。美しくてかわいかった。




・母という病、岡田尊司(たかし)、ポプラ社、2013



 本屋に、2年くらい前、山と積まれていた。父という病は、読んでいた。この本を買って読んでいなかった。カウンセリングで母に焦点が当たり、母問題に取り組もうとしているので読むことにした。父という病も良かったけれど、これも良い。


 母という存在がずるくて汚い部分があるのが他者の例から分かる。僕はこれを読んでいて、母と戦いたいと思った。最初のほうで語られる、死んだように生きるという表現、他の本でもあったけれど、これは僕にあたる。僕は死人のように生活している。このまま終わる気はない。


 母との戦い方は分かっている。僕が自分の食べる分を調理すればいい。僕は一人暮らしの時、全部作っていた。楽しかったし、苦ではなかった。これの延長で、母の料理をメインから格下げし、僕の料理を食べるようにすればいい。これが母との戦いになる。調理時間を確保しなければならない。母との戦争というのを前面に出さないとやらなくなるだろう。争う気持ちは必要だ。ほんとうにできるか? 僕は勝利したい。浮上したい。




・ 作業所に提出したレポートはスタッフ間で回し読みされたようだ。どういう人間かばれてしまった。どうとられても、日常のレベル文章なので良いも悪いもない。作業員としてやっていきます。

15(Thu)はからい人生の僕 / まずいパン、着物、カウンセリング(マインドフルネス)

2016年9月15日(木)
・生きる力 森田正馬の15の提言、帚木蓬生、朝日新聞出版、2013

 14章 あるがまま

 ここに、「はからい」という言葉が出て来る。あるがまま ではなく、こうしてやろうという意図の「はからい」。


 僕が女性の肉体に惹かれて欲望を感じて執着する。この執着しているその気持ちのしつこさ、しがみつき、べっとりのままなら、あるがまま。

でも、こうではいけない、こうしよう、何とか不利な立場にならないよう女性への欲望を何とかしよう、というのは「はからい」にあたるそうだ。森田正馬が嫌っていたやり方らしい。




 ここをもってして、僕は森田療法に首を突っ込んでいるけれど、何もわかっていなかったのに気付いた。まるでど素人だった。でも、使い方と、方向性がわかったので良かった。森田療法に近づけるいい機会だったともいえる。

執着をどうこうしない、乗り越えようとか、回避しようとか、うまいことやり過ごそうとかせず、女性の肉体に執着したまま、不利な立場のまま過ごすのが、あるがままで、はからいをしない立場になる。

難しいし、大変だし、逃げ出したいよ。僕は何とかしようと、はからい人生だった。森田の嫌う人生だった。それが僕だ。今までの僕の本体。













追記

・オーガニック ラインザーメンブロート(ライ麦&亜麻仁ブレッド)

というのを らでぃっしゅぼーや で頼んだのですが、パンです。非常にマズイ。写真で見たときから予感していて、その通りのものだった。

 吐きそうになるくらい まずかった。捨てようかなと頭をよぎった。500gくらいの重量がある。

 捨てないで次の日、食べてみようとした。マズイが慣れた。

 次の日、慣れからけっこう食えるな。

 次の日、納豆みたいで、これはこれでうまいかな。

 次の日、少量ずつなら嫌いでもないな、この味の良さもあってうまいかも。

 と、日を重ねるうちにこの原理主義のような食べ物に慣れていった。もう嫌いでもなくなった。

この味の良さに気がついて順応した。


まずいパン万歳!!




・ 着物が届いた。中古、1000円ウール単衣、と 帯 機械織り1500円。税200円。送料込。

Shineiというパソコン検索の上位の店。その時は安いと思ったので選んだ。


 物は安ものだった。けれど、自分で買った2枚目の着物。満足している。鏡に映った自分の姿を見て、やはりけっこう似合っていると思った。やせ形でなで肩でしょぼいけれど、着物は似合う。謡曲とかにも興味あるし、僕はそちら系統かもしれない。日本画も好きだ。


 帯の締め方もわからないけれど、自己流で締めてみた。Youtubeの動画で、やり方を盗みたい。

始まりは金をかけないというのは鉄則だ。徐々にいいのを選べばいい。紬も1枚欲しいという野望がある。(安いのでいい)











2016年9月14日(水)

(  )先生にカウンセリングしてもらって、マインドフルネスがわかりました。
 スキーマ療法の本で読んでいましたが今ひとつわかっていませんでした。僕の理解では、執着するのではなく、モニタリング(用語だったと思った)する、実況中継で感情や身体の感覚を感じ続ける。 


 僕が感じることは執着が多いけれど、そうではなく、消えては浮かぶ水の泡のように次々と感じることを動かしていく感覚と言う理解です。でも、その泡を観察しては手放していく。執着ではなく、手放していく感覚がマインドフルネスなのだろうと思う。



 きれいな脚の女の人がいると、きれいだなと思って、彼女が欲しいなとか、いいなあと思うけれど、ぜひ欲しいと執着するのは僕の今までの感じ方だと思う。そうではなく、きれいだな、うらやましいな、と欲する気持ちを感じながらも、自分の気持ちは女性に傾いているなと認識しつつ、そのこだわりのまま、こだわっているなとやり過ごそうとする立場だろうと思う。欲しい欲しいと執着するやり方ではないと思う。こだわりもモニタリングして、流していく。流れなくても、モニタリングしているうちに、離れていくのに任せるのだと思う。

すごいこだわっているな、つよいな、執着入っているなと理解しつつ、自分の感覚をモニタリングし続け、いずれ離れていくのに任せる。それまで、モニタリングし続ける。そういうのがマインドフルネスらしい。本を読んでもわからなかったのが、今回感覚として理解させてもらいました。




 「  女性の脚きれいだな、欲しいな、彼女欲しいな、すごく執着しているな、白い足にこだわっている、いいなあ、身体は女性を求めているな、あの女性たくましいな、強そうだな、ブイブイしているな、付き合っている人いるだろう、そんなに好みでもないなあ(彼女になってくれればいいけれど、高嶺の花だなあ・という場合もあるだろう)、なんかあの男気になるなあ、あぶない奴そうだな、もう降りなきゃな。  」
           
という具合に、こだわりから自然に離れていくと思う。

13(Tue) / 12(Mon) / 作業所レポート提出

追記

 母親に甘えたかったというのもあるだろうし、攻撃をひっこめた面の男だというところもあると思う。(幼稚園のとき)
 母に食って掛かったのは、そのままの攻撃したかった。男と言うキーワード、ペニスと攻撃そして男と言う自己イメージぜんぶ引っ込めたのかもしれない。



2016/09/13(Tue)

・ 昨日今日はそうではなかったけれど、僕は大抵、作業所で屁をする。今まで僕の横と後ろには人はいなかった。でも、一昨日あたりから人がやってきて、屁をしづらくなかった。小出しにしてやり過ごそうと思っている。

 また、その人が来る前には、屁をして、後ろの物を取りに人が来たら白状して、屁をしたので立ち入り禁止です、または、こちらには来ないで下さいと制止しようかとか事前の作戦を立ててみたりした。実際には言わないで済んできた。

・心が作業所で苦しく、立場も悪く、もがいた。ペニスを相手に向けたり、母親イメージに「男だ」と心のなかで絶叫したりした。何度も母親イメージに、男だ男だ男だ男だ男だ 男だ男だ男だ男だ男だ 男だ男だ男だ男だ男だ 男だ男だ男だ男だ男だ とマシンガンのごとく浴びせたら、楽になった。そして作業に集中できた。



・生きる力 森田正馬の15の提言、 帚木蓬生、 朝日新聞出版 、2013

の 11 生の欲望 で、手足を動かせ、と言うのには影響を受けた。頭で考えても頭でっかちなので、そんな暇より、手足を動かせば先へ進め、展望も開けますよと。作家さんはもっとうまく表現されているけれど、僕の要約ではつまらなくなってしまう。

 ぜひ読んでみて欲しいと思った。僕はこの本は座右の書と言うやつだと思う。かなり影響を受けている。正しい心の在り方は正確に提示して指し示してあるので理解しやすい。森田正馬というくくりではもったいない。差別する人もいると思うが、読まないのは損だ。ものすごいインパクトだ。僕にとっては重要になった。

 










2016/09/12(Mon)

・ 昨日のレポートは提出する気にならず、金太郎、動物の顔の部分を削除して、みんなの頑張りに付いて行けるよう精進したいという結部で終わる文章に差し替えました。

 今日作業してみて、一介の作業員が偉そうに述べてもダメだろうし、労働者としての分別ある発言にしました。
 作業はみんな頑張っているので、実際、僕も付いて行けるようみんなに対して頑張ってみた。作業員の立場として皆に遅れないようにしたい。




・ 今日は、nuno-zoriのやり方をいろいろ試した。編み込みも、前側でつかむ、いつもの後ろつかみの後、持ち替えて前掴みで編んでいく式にしてみた。少しきれいに編めた。
 
 その他、端の部分も、上へ巻いていたのを、平行に巻こうとした。その方がいいかなと試した。また、半分に折って編むけれど、その半分に折るのも丁寧に折ってきちんと編み込もうとして見た。

 今日は調子がよいのか、いろいろ試したせいか、今までのなかではベストなできになったと自賛しています。
 上達しようと思っても、試行錯誤をしなかったら無理なので、いろいろ試して失敗してもいいからとチャレンジしたのがよかった。成功するためには試行錯誤は不可欠だと思った。

 頭でうまくやろうとしても同じことの繰り返しになっていたので、良い経験をさせてもらった。




・ これからも一介の作業員として皆に食らい付いて行きたい。ガブッ。お尻噛むなよなあ、お前。










2016年9月11日(日) (   )

(   ) を見学して:


・ (   )の商品を手に取って見させてもらいました。(   )で作業していても、他の人達がつくっている商品を手に見たことはほとんどなかったので、こんなに手が込んであるんだとか知りました。


 売っている現場を見て、お客様は心が動いて買って行かれるのがわかりました。心が動いて手に取り、どんなものかよく吟味して、欲しいとか・安いなど自分の価値観に合った時に買って行かれるように感じました。

また、キャッチーな商品は人を引き付けられると思っています(キャッチーは最初の段階で、買って頂く選ばれる商品作りはもうひと捻(ひね)り要る、一段高いところまで行かないと売れない気がします)。



 お客様に選ばれるためには、良い商品をつくらなければダメだと思いました。お客様は良いか悪いか吟味しています。その時に刎(は)ねられたら買って頂けません。
良い商品をつくるのは基本で、丁寧にきちんと作ろうという意識が生産者にないとダメだと感じました。僕は(zori)作りで雑な面があります。



・ 僕は、(nuno-zori)をやらせてもらっていて、漫然とやってしまうことが多いのがマズイと思いました。きちんとやろうにもどこをどう直していいのか見えてこない、感じられないのも自分の問題です。良くしていくポイントがつかめていません。


 編み込みのコツが見えていません。どうやればきれいに編めるのか。引っ張って置いていくやり方が見えていないです。それで、ここがブワブワになっています。汚いです。いろいろ試してみてもいいかもしれません。冒険してみるとか。(  )さんのように、前側で編んでみるとか(僕は後ろ側からいつも編んでいます)。

 手が動かなくて、冒険する気分にならないのもマズイかもしれません。手が動かなくてもチャレンジくらいはできそうです。やらないと進歩しないですから、課題になります。


 大きな目標としては、(  )さんや(  )さんのような、芸術品のような(nuno-zori)に近づきたいというのはあります。




・ 今日は、出店の本場インド・ネパール料理店、(   )のネパール モモという、餃子のカレー味のようなのを御馳走になりました。
他にステージで歌(お兄さんが歌っていました)や、踊り(   )ダンス格闘技)ものぞきました。あと、(   )の山車は木彫りの造形が壁や上側に作られていて素敵でよく見ました。



 色々な出店を見て、地域の催しとしてスタッフが休日に働いて出店し、お金を得つつ、盛り上げる側に回り非日常を演出して活性させ人を集めるイベントは面白いなと感じました。



・ キャッチーな商品は他の店の出店で、フィギュア(手の器用な作家さんが才能をつぎ込んで作った商品でした)、動物の顔(ピンバッジのような毛糸でできていました・小さい)が該当し、これらは象徴していると感じました。


 金太郎のフィギュアで、4センチくらいで禿げ頭、赤い前掛け、愛らしい顔、マサカリ、金玉と手が込んで作ってありました。これだけで欲しいと思いました。800円の商品です。
買わなかったのは、家に持って帰っても、汚い部屋においてもガラクタになりそうだったからです。ケースに入っていたとしても買わなかったと思います。

 最初の段階:キャッチーで惹きつけられました。2段階目:持ってみてよく見て細部まで作り込まれていて欲しいとは思いましたが、3段階目:お金を払おうとは思いませんでした。2番目の壁までクリアしておきながら、3段階目の最後の大きな壁の前で越えられなかった商品です。

 お金を払おうとまで心を動かさないと商品は買われないと感じます。一番大事な部分です。金太郎では何が足りなかったのでしょう。心を動かす必然まで商品が達していなかったのだと思います。才能溢(あふ)れる方の商品でした。図抜けていました。でも買わなかった。ケチだったかもしれません。



 動物の顔のピンバッジ。かわいい顔の動物顔が毛糸などで作られている。女性向きの商品。最初の段階:惹きつけられました。キャッチー。2段階目:手に取って見ました。小さいです。どこにも瑕疵(かし)はありません。よくできています。3段階目:お金を払おうとは思いませんでした。金の縁取りがあったらよかったかもしれません。成金趣味かもしれませんが。
日常に加えたときに非日常まで高めないと売れない気がします。日常と地続きだとダメな気がします。日常を豊かにする、加わる要素があるとか。元気ショップの石鹸は、肌にやさしそうで敏感肌だったら買ったかもしれません。


 金太郎フィギュアは、家に置こうとしたときに、ガラクタになるという、日常に落っこちてしまったから。非日常まで高まらなかった。

 金太郎単体ではなく、背景の足柄山があるとか、熊と相撲を取っている背景まで作ってくっ付いてあるとか、ジオラマの要素があると良かったかもしれない。非日常になりそうです。動きがあって。場面になって。独りよがりでしょうか。



・ (   )の( )絵本も元気ショップで見ました。靴ひもを通したり、ボタンを嵌めたり、参加できる商品のようでした。子どもは喜びそうです。手が込んであるので、値段も張りましたが。

 元気ショップでは、(   )と競合する製品もたくさんあり、よくできていました。あの中で選ばれるのは大変そうです。



 (nuno-zori)もありましたが、5本指のものは(  )さんのでしょうか。1個しかありませんでした。他作業所さんの男物はたくさん並んでいました。僕の作ったのでは太刀打ちできそうにありません。精進が必要です。店先に並べられないです。恥ずかしいものしか作っていません。

 10(Sat) / 09(Fri) / 08(Thu) / カウンセリング + 森田正馬関連の本

2016/09/10(Sat)

・ 織り教室に出かけた。綜絖通しにミスが多く、先生の手を煩わせた。

 織りについて何も知らないで通ってきたけれど、織る手前の作業・整経、綜絖通しが重要で大切な作業なのが分かってきた。ここもきちんとできるようになりたいなあ。織りは織りで大事だけれど。
 網代(あじろ)織りをやっています。モスグリーンと茶の糸の2色。



・生きる力 森田正馬の15の提言、帚木蓬生(ははきぎほうせい)、朝日新聞出版、2013



 この本、6 目的本位 の章を読んだけれど、

気分本位(自分の感情を優先)でいるとろくなことがないと説かれる。行きたくない、やらない、気に入らない、などに関わっていると皿も片付けず汚いまま流しの積まれることになる。


 目的本位は、とりあえず出かけてしまえば目的は達したとする、恥を書こうが失敗しようが関係ない。出かけたのだからそれで成功とみる。目的本位で生活するのが大事だと。面倒だからと気分本位でやらないではなく、行動が先に来て実際に行うのが大事だと。

 部屋の掃除をしたり、草を取ったりやってみた。パソコンに向かうより充実し健康的だ。パソコンにいくら依存しても餅は出て来ない。身体を動かせば部屋は片付く。気持ちがよい。面倒だからとやらない理由を見つけるより、目的本位のほうが大事だ。

 この本、ファーブル昆虫記(100de名著)、と並ぶくらい僕の中ではベストな本に位置している。それだけ影響を受けている。この本を読んでいて、僕は神経質な森田正馬の想定する人に含まれている気がする。だから大事な本だと感じたのかもしれない。森田正馬と言う場所の設定で、人生について書かれた本で、よりよく生きるすべが満載だろうとここまで読んできて思う。送られてきた本が不備でまた送ってもらった。

 面倒だと、何もしないのが僕で、パソコンに依存してきた。変えようと思う。








追記

 作業所で非常に不利な感じがして、調子が悪く思い。また、窮鼠(きゅうそ)猫を噛む、で、ペニスを相手の喉に向けてみた。体線として。悪いなりにも誤魔化した。

2016/09/09(Fri)

・ nuno-zoriは、昨日よりはましでした。片方が、幅があまり出ませんでした。やり直すかもしれない。


・ 面倒だ:しょうがない:がスキーマだと思う。僕はこれらの言葉に逃げている。言い訳をしている。


・ 着物を買ってみた。非常に格安だ。服を買うのと一緒。着物と帯で2700円(送料込)。僕は安いと思ったけれど、業界を知らないのでどうなのだろう? ボケていますが。もちろん、中古♡♡。











2016/09/08(Thu)

・ 9月5日(月)9月8日(木)作業所で握力落ちました。首は低くならないので、持ちこたえました。

・ 今日のnuno-zoriはブワブワでさっぱりだった。やり直す予定。朝起きたら、腰が布団の中で突っ張っていて、調子が悪い一日が予想できた。

・ 家で今日は首が伸びた。持ち直したけれど、首が落ち、調子が落ちる時が来る、カウントダウンも始まりそうで嫌だなあ。11月くらいから不調になるのではと睨んでいる。シクシク。4949.

 
 
アサーティブの人の本です。アマゾンの中身を見るで目次を眺めました。よさそうです。欲しい内容が並んでいます。入門的なのは避けたかった。もちろん! 中古購入。♡♡


/平木 典子 『図解 自分の気持ちをきちんと「伝える」技術―人間関係がラク








2016年9月7日(水)

 今日はシフト休で、カウンセリングを受けに出かけました。

 この間、ブログでも書いたように、幼稚園の時に母に食って掛かって、母に人のせいにしないでと言われ、僕は何かを止めた。

 この行為は、母に甘えたくて、僕が攻撃をひっこめた形と言う、本当のところが見えてきた。そのことをカウンセリングでも印刷して渡しました。攻撃は僕の行為なのに引っ込めたのは、僕の側が母にベッタリしようとして、依存心の甘えから出たもので、僕の側にもメリット、打算があり、得しようとしていた。

 今日のカウンセリングでは、その、母に甘えたい、依存したい、認められたい、受け入れられたい、というのは、出口のない負のエネルギーだと正のエネルギーと分けられた。


 生のエネルギーは、僕は本を買いたいんだと、本を買う行為を実際に行い、母の反応は気にせず、僕の側の気持ちを母に言うだけ、母からのフィードバックは当てにしないというもの。僕が行為や意見を母にぶつけ(ここでは母にぶつけているけれど、作業所なら、他の人達にぶつけていく)、僕の側の行為を増やしていくというもの。



 意見や考えを持つ、僕は意見を言ってもいい存在なのだ、僕には自分の考えを持つ権利がある、これはカウンセラーの方からもらったもので、


アサーティブ(10年前の本で挫折したと先生に言ったら、今はいい本がたくさんあるし、と言われた。また、僕には必要な部分があって大事だろうと察しがついた。)


というやり方らしい。

 こちら方面も必要になってきていて、先生が僕に行っているのも、そちら方面を使っているとのこと。

の正のエネルギーは、これから増やしていきたい部分です。



 ここまでは格好いいのですけれど、僕は先生たちに菓子折りを持っていった。先生は料金が高いので、時間を短くしようかと言われて、そのようにしてみたけれど、直前で今は大事だから長い時間やってもらった方がいいと変えてもらった。

 僕はこの関係維持を選択し、つらくて苦しい部分があるカウンセリングを、僕の心の問題と言う、僕だけにとってメリットのある行為を先生を巻き込んで、僕の人生の面倒を見てもらっている。僕は逃げ出したくもあるけれど、世話になっているという部分もある。

 この逃げ出したいという気持ちが、菓子折りを持っていくという気分と、ぶつかり、葛藤があった。菓子を買って持っていくだけなのに、重く、選択になってしまった。思い悩んでしまいました。非常に情けなく、格好悪かった。小さかった。





・nuno-zoriですが、女先輩に手取り足取り教えてもらい、完成させました。下手くそですが、並ぶことになります。ずっと売れなかったら、僕が買い取ります。今作っているのも進歩していません。下手なままです。今のところひどいのを量産体制です。抜け出したいけれど、見えてこない。



・生きる力 森田正馬の15の提言、帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)、朝日新聞出版、2013
  3 休息は仕事の転換にあり



 この章を読んでかなり影響を受けた。やることを5分・10分と細かく分けて、細かい作業を気持ちを切り替えながら(やることを次々と変えていく)やると、休憩は要らないというもの。

 休みなど下手にとるからいけないので、休んでいるとろくでもない考えに憑りつかれる。休んで堂々巡りをしている時にはいい考えは浮かばない。手を動かして何でもやっているのがいいことだと。

 僕はパソコンで時間を使い過ぎだ。これはやめた方がいい。

 この章を読むだけでも、価値ありと思った。他の章にも期待している。ものすごくいい本かもしれない。そうでもないかもしれない。

男としてぶつかる(コンセプト)・カウンセラーの方の尽力

 今日作業所で、(  )さんという本部にいるスタッフから(僕は{  }と言う支部にいる)の梨の差し入れがあった。支部のスタッフの(  )さんが、梨もらったとか言っていた。

僕は聞かれなかった。

 僕は男としてぶつかっていこう(手芸に男をぶつけていく)と思っていたので、焦りはなかった。弁当を食べ終わって、梨のところに行き、「僕も御馳走になります」と言って、かけらを一切れもらって食べた。すごく進歩しました。今まで言えなかったので。






 カウンセラーの方にこのあいだ、

母親役をやってもらい、「中古本を買って、母にまた買ったのみたいに嫌味っぽく言われて」

 それにどう対応するかみたいなのをやってもらった気がする? よく覚えていない、

たぶんカウンセラーの先生が「 」の部分をいい、それに対して、カウンセラーの顔を1分くらい見つめ続けるというのをやった。目を逸らさないようにして。


 この体験が今日の話につながってくる、男としてぶつかっていくというコンセプトになったと思う。

全部カウンセラーの方のおかげかもしれない。たぶんそうだ。

ありがとうございます。