嫌われる勇気5 、目標の距離感

ヒヤシンス
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花芽があるような気がするなあ。黄色い花が咲かないかなあ。

だいぶ大きくなってきた。



2015/1/14(Wed)

・嫌われる勇気、岸見一郎、古賀史健、ダイヤモンド社、2013


p248・249

「~「仕事」とは、会社で働くことを指すのではありません。家庭での仕事、子育て、地域社会への貢献、趣味、あらゆることが「仕事」なのであって、会社など、ほんの一部にすぎない。~」


 ここを読んで、僕は手芸に力を入れすぎているのを感じた。手芸を一番にしている。リコーダーを吹いたり、メダカを飼ったり、新聞切抜きをしたり、掃除洗濯、料理みな大事だと。みな重要な仕事だと。手芸だけが大事ではない。



p253

「~「幸福とは、貢献感である」。~」


 ここまで2度目の赤ボールペン線引きで読んできて、他者のためにする、他の人のために役立つことを、主観的に役立っていると思うことを、自分が持つことそれ自体が幸福だと。体が動かないなら、自分という存在があることで、他者が感じることがあり影響を及ぼすなら、存在それ自体が貢献になり自分の幸せになる。


 僕は昨日居間の掃除機をイライラしながらかけたけれど、あれはNGだということになる。家族のためになるのだから、役立っていると思えるそれだけでいいらしい。
けれど、家族を仲間というか、親しいとは感じていないのでNGだとも言い切れないかも。家族関係があまりよくないから、一方的に僕のイライラを責めることもないかも。
でも、トイレ掃除とか洗面台掃除は、自分にできることとして役立つことを感じている。役立っていることそれ自体を支える、仲間というか横のつながりが家族間にない。縦の関係だ。



目標の話で、p268

「「過程そのものを、結果と見なすような動き」」

p269

「目的が登頂ではなく登山そのものであれば、」



 とあるので、手芸を目標とするのではなく、活動それ自体が目的で、どうなりたいかは2の次でいいことになる。

 このあたりの部分(p276くらいまで)を読んで、手芸だけに専心するという目標ではなく、いまやるべきことをやる、やりたいことをやる、今のための行動を増やしていいのかもと思う。手芸との距離感を変えていいと思う。

 なるべき道としての手芸ではなく、今のための手芸。今のためのリコーダー。今のための料理。今のためのイベント参加。今のための寄り道。今を充実させることをどんどん盛り込んで、自分の生活を充実させることに力点を置いた方がいいと思う。ルーティンもいまのためのルーティン。