自由度が高くなった・負け人生

追 追記


2014/4/1(Tue)

昨日は、風邪を理由に作業所を休んで(日曜に続いて調子が悪かった)、今日は出かけた。寒いので途中からダウンを着た。

 交通機関で、咳とか否定の態度がこちらに来たけれど、僕は負けている、劣勢、不利とよく頭で理解しながら時間を過ごした。不利から勝とうとすると墓穴を掘るけれど、負けを保持し、良く負けを持ち続けようとした。

 負けから勝ちへ動く敗戦パターンを捨てた。これにより自由度が格段に上がり、僕はいきがる必要が無くなり、跳ね除ける必要もなく、排除する必要もなくなった。僕自身が柔軟になった。すごいことだ。



 地元の本屋で最近、絵本を読んでいる。絵本は短時間で読めるし、評価を自分の好き嫌いで下せるので楽しい。よい絵本を読んだ後は満足する。頭が悪そうなところが恥ずかしい気もするけれど、趣味としてはいい趣味だ。続けていきたいな。


 作業自体は、3歩後退だった。3時間したら2歩前進した(調子が良くなった)。でもトータルで一歩後退のマイナスだった。下手だった。(革の手縫い・キーカバーづくり練習中)

 休まないでけかけることは満足につながった。マスクをして、他利用者さんに配慮しておいた。僕が移したら迷惑だ。





追記



 本を読んで、関連する別の本を買おうと思うのは、興味からではなく初めから僕が本に負けてしまっているから。


 編み物が続かないのは、背伸びをして頑張るから息切れしてしまい続かなくなる。

 語学も最初はがんばり、途中でやらなくなるのも最初から語学に負けてしまっているから。人間に対しても当然最初から負けている。

 僕は負けているということを意識しないで、勝っているという意識で関わる。それで無理が生じ、いきがり、失速したり本を何冊も買ったり、楽器を買ったりした。


 僕は均衡がとれた状態ではなく、最初から大きな負債を抱えて喘いできた敗者の負けの存在だと思う。
 今まで無意識に押し込んできたのを、負けているという意識にしっかりと持って、行動しないと変なことばかりすることになる。負けていると思えば対策はできるのではないかと妄想している。この辺はこれからやらないとどうなるかはっきりしない。

僕は負けている存在だ。



2014/3/31(Mon)



 昨日は、風邪をひいて寝込みました。思っていたのは、僕は負けているということでした。すごく負けていたので、調子が悪かったです。自分の人生を振り返っても、負けていたので苦しくて、楽器を買って勝とうとしたのかもしれません。


 父を観察して、父はひどく負けています。今までよく見ていなかったけれど、父は負けていて、無力で、勝手な理屈を作って生活してきたのだと思う。バランスを欠いた人で、障がい者です。


 ○○家という自分の一家に生まれ、僕が苦労してきたのは、父の負けをそっくり受け継いでしまったからだと思う。僕と父は、同じ穴に落っこちている。この障害があるから、苦しかった。父は固着して、ある一点で成長が止まってしまっていると思う。

 僕はこの落っこちた穴から徐々に出てこれるようになりつつあると思っている。