追記:ACTをはじめる、seesaaブログのほうは、概略が見えました。重要な個所だった。非常に気持ちの良い内容。
ブリュッヘンのヴェートーヴェン交響曲ボックスセット、Disc2 第2番は、綱引きがあり、演奏が聞く者とのやり取りに聞こえ、とても面白かった。響きが良かった。
第5番だったかDisc1、ジャジャジャジャーンのは、悲壮感のある、打ち下ろしではなく、響きがあり、何度も聞きたい演奏だった。何度も聞いている。
まだ、3枚しか聞いていない。やっと慣れてきたところ。
昼に2時間寝たら、気分が良くなった。ラッキー。♡♡。
このオカマっぽいハートマークが気に入っている。
01/03 Tue
非常に調子が悪い。外に出かけたけれど、心が硬かった。硬直化している。おめでたい話のひとつも出て来ない。
借りてきた、ロボットの悲しみ も読んでいない。心の問題にかかりきりになっている。
ツタヤ配信ビデオは一つ見た。Stand and Deliver 落ちこぼれの天使たち、「やればできる」の研究:本 で紹介されていたやつ。
勉強して、大学資格試験に数学で合格するというもの。山あり谷ありの普通の青春ものだった。落ちこぼれ生徒が成功を手にするという、そこのカタルシスだった。疑われたりしたけれど。
12/31(Sat)
前のほうで書いた、存在を感じるというのをまた感じた。
ジュンク堂に買いに行ったとき、行きの交通機関で、隣の男が僕と同じような前かがみの姿勢を取り、デバッグ(僕の守りに入ろうとする、境界突破みたいな感じだった、あら探しのよう。パソコンのバグを探すデバッグと似た意味。)しようとしていた。
いつもは守ろうとする。 今日も、守ろうかなと言う感触だったが、男の存在を丸ごと感じようとした。体験しようと。世界も体験しようと。そうすると、デバッグされるという受け身から、一歩前進した。
・うつのためのマインドフルネス実践、
の、1粒のレーズンを食べるという課題をやろうと思ったけれど、前にスキーマ療法の本ではやったことがある、本の理解のためには先走っているなと感じた。もう少しゆっくり進みたいと。
それで昨日検索し、
・ACT(アクト)をはじめる、星和書店
と言うのの目次を見た。この本は、うつのためのマインドフルネス実践、の中の最後のページに広告として紹介されていた。後日買おうと思っていたけれど、前倒しした。
うつマインドフルネスの本は、書き方が平易だけれど、アクトは、めんどくさく書かれているけれど、こちらも細かい指摘があって、必要のように感じる。両方やろうと思う。どっちつかずの、食い荒らしのようで、そうだろうけれど、二股かける。
29 Thu
今日は年内の今年最後の作業所。食って帰ってきた。
・ 帰りの交通機関で、攻撃したろうという感じが漂っていた。僕はいつも危機の時は集中するので、今日も周りの様子に集中した。まわりのことも見えていた。まわりの目つき、視線の感じを見ていて、外れた人をチェックしてブロックしようとした。
最低の日の割には、最高の日の気がした。悪い割には調子がよかった。矛盾するようだけれど両立していた。まわりの様子がよく見えた。攻撃されるのは恐いけれど、受けて立つしかないので、そのようにしようと思った。
自分の調子にはありがたさを感じる。よく好位置をキープしているなと。その辺には感謝しかない。悪い日は手の付けられない、防戦ばかりの日があったから。こんなの読んでも面白くないでしょうが、僕の中では盛り上がって、一番近い話題なので書かずにはいられない。
・ 今日は早く帰ったので、カレーを作った。うまかった。
昨日は家で、キューブリック、バリーリンドンを少し見た。1年くらい前に買って、まだ見終わっていない。キューブリックは好きです。友達だと思っている。何様? という話しですが。
・快楽の館 p21-22
左右違う写真。白背景の写真。フルヌード。満足した。助平心が満たされた。尻と胸とヘアー。三拍子そろった。
二人ずつ写っている。
美しいプロポーションの人たちですね。若い女だから商品価値があるのでしょうね。身体に光をバンバン浴びせて、白っぽくなっている。見たかった写真。本編始まる、と思った。
でも、篠山紀信のすごさは感じない。p1-2の館へいざなう写真はすごいと思った。
追記:
・ リコーダーを久しぶりに吹いた。病気をよくなろうと躍起になるより、病気にも効く資源としてのリコーダーという見方。
あまりうまくは吹けなかったけれど、ゆっくり吹いてみた。だいぶ指使いが板についてきた。
ガリヤルドは、気持ちを込めて、朝日とか、日が昇ってとか、夕方くらいとか、太陽の日の差し方で曲の吹き方を描こうとして見た。自分なりに吹いたと言うことです。すこしおもしろかった。
・快楽の館:p19-20
なぜか、篠山紀信が椅子に座って登場。3人の女に囲まれている。女はヌードではない。裸だけれど隠している。女の目つきが媚びをうっている。悪っぽい目つき。肉があり、肉が写っている。物質としての肉。
おもしろくなかった。
12/28 Wed
今日は朝から、うつのためのマインドフルネス実践を読んで、それから診察を受けに行こうかと思って、布団に潜りこんで読んでいた。
当然のことながら、良い生活習慣を捨てて、病気をよくしよと活動範囲を狭めるのは自分の首を絞めることだと、うつによくないと出ていた。それで、気分が重いから取りやめようと思っていた美術館行きを復活させた。
道立近代美術館、キャッチ・ザ・カラーズ 色をつかまえろ! に出かけた。12:25~13:00くらいの間、絵を見ていた。その後診察に行った。
青山熊治《アイヌ》 が一番良かった。
顔の表情に心が現れ、精神が浮き出ていた。たぶん誇り高いアイヌの表情だろうと思った。焚き木に照らされて、表情や服、動作が赤い色で描かれていて、黒い背景の中で浮かんでいたすごいなあと思った。他にもいい絵はあったけれど、これが絵の展示の最後で、印象深かった。1910(明治43)年の作だそうだ。
・ お医者さんには前回、僕がカウンセリングでは見てもらえるのに、お医者さんには見てもらえなかったなと感じ、不満を持ったまま出かけて、受付の人やお医者さんに伝わったろうし、見抜かれた。
今回、もう一度お医者さんの立場は、10分間の診察で、僕に薬を処方して、そういう関わり方を通して僕を診てくれる存在だと焼き直して臨んだ。
お医者さんは、マインドフルネスの本は良いと言った。役立つし、いまここでと言うのが一番いいらしい。もう少し読んだら、アドバイスをくれるそうだ。お医者さんのできることは最善を尽くして僕を診てくれているのだろうし、お世話になろうと思った。診察を切ろうという、甘い考えをやめた。頭を下げて、もう一度仕切り直したい。僕は身勝手だと感じる。
お医者さんがどういう気持ちで僕に関わってきたのか、理解しないできたからだろう。上辺だけ、目先だけで見ていた。
追記
今日は他の人が見えていた。優劣、序列、権威などで見ず、存在として見えていた気がする。
人間存在とはすごいものだと感じた。そこにその人がいるという不思議な存在感を少し感じられた。
僕と敵対しようが、やさしくしてくれようが、その人の存在に少しだけ気持ちが向いた。
2016年12月27日(火)
作業所で、一生懸命やりたいと頭は考えるけれど、手は動いていない。少しノロノロっぽかった。作業も終わりころになって、テーラーSGは相変わらず飛ばしているけれど、走って作業をしているけれど、僕はノロノロだなと思った。
テーラーSGの動きを感じていた。
もしかしたら、テーラーSGは、苦しいときにも走っているのかなと。
自分のことを振り返ると、ミシンで縫っていた着物をほどいていたのだけれど、苦しいときは手もゆっくりだった。くるしい、苦しい、クルシイなとのんびりになっていた。
テーラーSGは、苦しい時こそ走っているかもなと想像した。実際そうだろう。
この作業所は、GRITの本のように、この集団のアイデンティティはテーラーSGに代表される気概だろうと想像される。持てる力をぶつける。走る。そういうスピリットだろうと思う。
僕は、苦しい時こそ走るべきなのにノロノロしていた。この集団から学ぶことは多いと吸収しようという気持ちをもった。今年の作業は終了。あさっては、掃除して終わり。
テーラーSGの背中を見て、僕も育ちたい。