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2015/04/27(Mon)

 お久しぶりです。低迷しています。滞っていました。

 これからは、めぼしいことがあった時だけアップしていこうと思っています。

 毎回読んでいただきありがとうございます。最近というか最初から僕のブログはグダグダと書いてきましたが、低迷していることも重なり代わり映えのないことの羅列になり、おもしろくないと思います。

 今回も内容はありませんが、昨日書いたのを載せます。洋裁教室に電話をかけるのは未定になります。自信がないです。僕は言っていることがあやふやで、強がりが多いと思えます。付き合っていただければありがたいです。



2015/04/26(Sun)

仕事学のすすめ 伊藤真 “司法試験流”知的生産術

2015/4月・10月

第4回スランプを味方にする自己管理


p81不安を紙に書き出し、客観的に見つめろ               



 自分の不安を見つめると:



・ これから歳を取り、56歳で死んでしまうんだろうという予想(現在48歳)。


 なぜこの年齢で死ぬかというと、この歳から先の自分の歳を重ねるという事態がまったく想像できないから。

 56歳までは想像できる。あとは付録だと思っている。ならば社会貢献したい。

 20歳の時も、20までは歳をとってもどうということもなかったけれど、あとは重くなって降り積もっていくというイメージだった。

 歳を取り、身動きが利かなくなって、頭も働かなくなり、目も耳も弱り、味覚も弱り、性欲・欲望・食欲が細り、衰えていく。


すべて衰えるのか。自分や他者が見えてきて、受け入れることを学ぶのではないのか。

すべてマイナスではないはず。全般的にマイナス。一部プラスかもしれない。





・ 死ぬことにデメリットしかないか。


 死んだら存在しなくなる。生きることにそんなに執着しなきゃならないのか。やることはその時までやっておいた方がいい。いまできて、やることはその時にやる。あとは執着しない方がいい。
身体障がいになったら、デメリットだろうけれど、その中で楽しめばいいだろう。楽しく思うこともあるだろう。制約はいつでもついて回るのだから、重い制約が加わるということなのだろう。





・ 毎日やることをやっていない。


 リコーダー、シャツ作り、英会話、フランス語。これらをやっていない。やらないと困るか。自分の制限時間は減るが、先へ進んでいないが、減るものは何一つない。そんなに罪悪感を持つほどでもない。やってもやらなくても何も変わらない。

将来を作る、これらがないと、未来は見えてこない。未来を作るためにこれらをやる。できるためという目標というより、その日の小さな目標を立て、その日のできることをやる。やらないと未来はない。やらないと未来は見えてこないけれど、どうということもない。

未来への夢というプレッシャーを自分で作り、それに追われるという形。それが僕の目標のプレッシャー。
未来は凍結しておいて、いつでも再開できるという設定にすればいいだけではないのか。
やりたいことはなんでもやればいい。今の人生、今のために使おう。コンサートや演劇に行けばいい。美術館にもいけばいい。


・ 女性服の基礎の洋裁教室に通うのが延び延びになっている。

 いつでも辞められるのだからやればいいじゃないか。デメリットは、7時ごろまで時間をつぶさなきゃいけない程度。調子の悪いは別の日に振り替えてもらえばいいさ。何を怖がっている。人が恐い?新しい環境が恐い? 恐がるよりやった方が勝ちだろう?



 今日、第4回の放送を聞いたけれど、その中で、自分の力で何でもできると思わない、というのがあった。できないと、放っておくのも大事だと。
僕の調子の悪い日の無力感に打ちのめされるのも、何もしないでその日は終わっても、放っておいていいのかも。病気に負けるのもいいかもしれない。

そこから自信を無くしたり、全否定に向かうより、負ける日というのを設定してフラグ(旗・フラッグ?)を立てていけばいいだけかもしれない。そういう日は、前にも書いたけれど、目標凍結の日として別枠に分類すればいい。