僕にも愛があるらしい。欠点だらけの母に思えるが。

 今日はまず、ありがとうございました。と言わなくてはなりません。収穫の多い、大転換の日でした。


 まず、野球ボールが終わり、着物の糸除去をしていました。穴の開いた着物をやったりして、完品をやるという感じではなかった。それが、状態のいいものを2枚やるように仰・おお せつかった。

 穴の開いた着物に穴を開けても目立たないが、完品だと目立つ。それに、力も入る。ノーミスでやろうと意気込んだ。穴の開いた着物をやっていたころは、着物を商品だと思おう、そうすれば穴を開けずに済むのでは。もしくは、糸除去は仕立ての逆なので引き算で、生地を作ろうと考えれば穴は開かないのではないか、と思った。

 今回完品。ぜひノーミスで終えたい。丁寧にやろうとした。少しペースが落ちた。

☆☆ 丁寧に扱っていた。ここで閃・ひらめ いた。僕は着物の糸除去を愛そうとしてやろうとした。これは稲盛和夫の影響だと思う。そして普遍的に言われている、仕事を愛するという価値観と通じる。それでまた、着物ほぐし(ここの作業所では着物の糸除去を ほぐし という)を僕は憎んでいたのではないかと頭に浮かんだ。それは今年の春ぐらいからずっとだった。
 着物の糸除去 ほぐし を僕は穴を開けちゃ怒られる、皆に嫌われる というようなネガティブな発想でずっと来ていたので、そのタガが外れて、それだけ僕の自由が利くようになると恐怖でやるやり方は遠ざけられていた。小さくなってやらなくていいようになると、憎んでいたのだと思う。僕は春ころ、ずいぶん穴を開けた。

 だから、着物ほぐしを愛そうとすることは、僕にとって初めての経験だった。大体愛したことのない人間が、生物ではなく、作業を愛するなんてナンセンスのように感じられた。

 こういう転換のある日は調子の悪い日でもあるらしい。帰りの交通機関では攻められそうだった。朝からやっていた。母のイメージと向き合う、目を覗き込む、ペニスを、性を見つめる、というのをイメージ戦略としてやっていた。

☆☆ それで、母の顔を除き込み、ペニスを見つめるというのを頭の中で操作していた。これをしていて気づいたが、母も着物ほぐしと同様に憎んでいたのではないかと。母の顔イメージに対して、愛そうとしたらどうだろうと思った。母を愛する。僕を退けた、抑圧の発端になっている、ひとのせいにしないでと言った母を、愛されていないのに愛そうとする。これも鶏が先か雛が先か、みたいに、僕とは無縁のはずだった。母を憎むという、僕のこれまでと逆の、母を愛そうとしたらどうだろうと、交通機関の帰りに思った。そんなことをしたら、交通機関で攻め込まれそうだったのが気にならなくなってきた。もちろん厳戒態勢だったが。


 憎んできた母を愛そうとする、作業を愛そうとする、これまでと反対方向へこれから進むことになると思う。

★★・母さんがどんなに僕を嫌いでも 歌川たいじ

の漫画の影響を多大に受けました。2回読みました。この漫画が発酵して今日の僕があるのかもしれません。
 歌川さんに感謝します。

End.

映像が素晴らしい。
https://youtu.be/Eq2VStLSYW0