織り教室、布を愛でる

 昨日の作業所は、作業の終わりころ辞めようかとか考えた。掃除はどうだろうかと。手芸ではめぼしいことはないしと。

 稲森和夫先生もおっしゃっていたような気がするが、辞めたくなった時からが勝負で、打ち込むべきだと。

 辞めるにしろ、徹底的にやってもみずに逃げ出すのはよくないと思えた。



・現代の裂織敷物、ヘザー・L・アレン、染織と生活社、2005 (ヤフーオークションで購入)



 読んでいなかったのを、織り教室の後、図書館で1時間読書した。やりたくないけれど、何もせず逃げ出すわけにもいかず、無理やり読んだ。

 内容自体は面白かった。外国では、裂き織りの敷物が発達していて、それの文化があるらしい。日本では着物だけれど、向こうは洋服とかでやるらしい。あたりまえだが。 


 技術以前のはなしの、外国の裂き織りの歴史から始まった。次読むところは道具になり、次がデザインらしい。今はウォーミングアップ。もう勝負は始まっているが。




・ 昨日の裂き織りでは、辞めたいと思う前、裂き織りって、布を愛(め)でる行為だと思った。布を慈(いつく)しむ。

 布自体を大事に思い、愛情をかけた行為と眼差しで関わる、そういうものだと一瞬思った。



☆☆・ 今日の裂き織り教室、(作業所は休みをもらっている) は、ゆっくりやった。端の処理にも時間をかけた。織ることを大事にしようとしたのか、やたらとのんびり織った。

 
 緯糸(よこいと)の微妙な上下へのうねり、5ミリ間隔くらいの経糸(たていと)、経糸(緑色)の幅が狭いので横に渡す織る着物を裂いた布・白色が経糸の色で映(は)える。
 そして先生に習った、裂いた時の布の折り返しで方向転換する布の出っ張りを、織りあがる布の表面にあえて出す、その等間隔と立体感でとても面白いことになっている。

 これらをゆっくり味わった。気分転換になり、端の処理をやたらとゆっくりやった。織る基本を時間をかけて自分のために、自分の時間のために、確認のため、織る行為の基本のためぜいたくに使った。とても有意義だった。



 先生には、こいつ辞めそうだなと、マークされていたようで、注意されて見られていた模様の気がした。(悪い意味ではなく、よいきっかけを与えたいと思っておられるようだった)
 僕が気分良く帰ったので、一安心してもらったと思う。僕自身が本当は一安心だった。逃げ出そうとしていたので。エネルギーをどんどこかけないと、今はいけない時期らしい。そうしないと、作業所へ通うモチベーションが上がらないし、折れてしまうし、負けてしまうと思う。表現が消極的です。ここは稲森和夫先生の、働き方 にも登場してもらって、乗り切りたい。