1/17(Tue) / 『男心』

1/17(Tue)

 ゴチャゴチャ偉そうなことを書いていますが、昨日今日リコーダーを吹いた。一番手っ取り早く、やるのにちょうどよさそうだ。歌ったりしたけれど、今日のほうが部屋でやっても昨日よりは良かった。

 今日も調子がよい感じがしなくて、男心というなら、母に対して怒りと攻撃が自分の側にありそうだと目星をつけて、掘り出そうとした。成功しているのかどう何だかよくわからない。

 リコーダーは息の量を減らして低音を吹いて鳴らそうとしたりして、結構楽しんでいる。ゆっくりも吹いたりしている。

 何とかしたいと思いつつ、なんとかなっていないような宙ぶらりんの気もする。もがいている。歯切れが悪く。







hundred reasons を歌いたいけれど、今は無理。リハビリとして、ベン・ハーパーを歌いたい。カントリーみたいなの。







・快楽の館 p33-34

 見開き別の写真。2枚のヌード写真。ついに真打登場といったところで、アンダーヘアーが写っている。

 これだけ女のフルヌードがアップになって見せているわけだけれど、何をそこに見るか。

 若い綺麗なプロポーションの女のヌードは素晴らしい。女のヌード、裸の肉体は何か? 女という女性を担い(男性と対)、子を孕(はら)む性である若さを持ち生物として開かれ、

 女は自分の肉体を持て余していないか? 女の立つ地点はどこか? 女はなにを掴(つか)もうとしているか? よく聞く、受容する存在なのか? 男の楽園は自分勝手だと思うけれど、女は楽園を求めるのか? 命の循環につながることを良しとする存在なのか? 手にとれる身近なところに幸せを見るのか? 女の生物運動=生きもととしてどこを目指して活動するのか、は宇宙の根源=生き物の根源か?、は生まれ、成長し、命を孕み、子を産み、子が育つ、その循環につながることを望むのか、

 女とはなにか? 男と同じ命の橋渡し役の部品か? たぶん男のようには考えないはずだ。人間として生まれ、人間として死んでいく、その過程に自分の命を見て行く、そういう存在なのか? 大きいスパンに重ね合わせ、大きな存在かもしれない。

 僕の妄想でした。


・着物外注、4枚終わった(糸ほどき)。内一枚は、生地の繊維一本を切断した模様、失敗した。その他ミスなし。今日は織りだけやった。平織、普通のストール、明日終わるだろう。4時間織った。背中が疲れた。  


・『能力を伸ばす四つのポイント』、立花均

 読み終わった。最後にこの本を5回読め、とあるので、やさしい本だけれど5回読むことにした。前よりは頭に入る、一度読んでいるから。



☆・作業所で、立場が悪い気がして、どうしようもなく、男として出ていけないかふと思っていた。それで思いついたのが、男心。カウンセリングや自分のブログで書いた話の地下室の男は、ガイコツ男は、僕の男心の部屋の住人ではないのかと。男心を殺してしまったので地下室にいるのではないかと。

 だから、男心を歌えばいいのではないかと。男心を生活で表現すればいいのではないかと。男心を出せばいいのではないかと想像した。僕の中の次の方法を担っていくのは、エンジンにしたいのは、男心。これを育てたい。

 作業所で、男心を思った時、少し開かれる気がして、自分の場所がある気がして、やっていけるのではと楽観した。帰りの送迎車も、安心して乗れた。すごいじゃん。安心できたのだから。外で安心できるのはすごいでしょ。