西岡壱誠 氏の素晴らしい著作の恩恵にあずかる

☆☆ 東大式習慣 ゲーム式暗記術 西岡壱誠

これらの本は、僕には思いつかないようなことが書いてある。僕にはない能力は他人から借りればいいなと思う。カウンセリングの先生、弁護士先生、作業所、皆僕にはない能力が出かけることで拡張されて、他者の能力を借りて僕を存在させている。

 西岡さんの本は、とてもわかりやすく、読んでいてインスピレーションを与えられる。

 仕事でゲーム感覚でやったらいいと言うアイデアはたくさんの本に出ている。時間を計ったりして。僕も初めて仕事で導入した。この部分は5分でやろうとか。目標ができて時間制限もできて、効率が上がり、集中力が出て、作業に対する姿勢が変わった。仕事というよりゲームっぽい取り組み。

 人間は目標や目的がないとモチベーションが下がり、集中しない動物なんだなと感じた。昨日からやっている上の方法は役に立った。ただ、今日の作業所最後は手がのろのろになっていた。帰りの交通機関もこちらを窺う輩が多かった。母の顔のイメージを思い浮かべ、逃げている何かに向き合おうとした。

 西岡さんの本は図抜けていると思う。こういう本が出てくることを願っていた人は多いと思う。僕も恩恵にあずかっている。著者はお金もたまると思われる。うらやましい。書き方が素晴らしい。なかなかこういう書き方ができる人は多くないと思われる。欲しかった本で、出てきて欲しかった、世の中のためになる、人助けの本だ。素晴らしい。

 僕は英検5級を受けたいと思う。そのための勉強をしたい。スカパー、ディズニージュニア チャンネルは、英語放送で、単語が僕でもわかり、速度が速いので聞き取りできないと言う難点のみで、ここをクリアするために使える放送だと思う。
 ダンスチャンネルは、家には取り付けられなくて、5万くらいかかると言われた。インターネット動画見放題、yoga box と言うのをいつか契約してみたい。今は ずぼらヨガを読み終えるのが目標だと思う。

 ちょっと前まで絶不調だったけれど、今は楽しい。

雑記:11/2(Fri) / 練習の練習。

11/2 Fri


・ 織りが終わりました。最後の2枚はやり直しが多く、デザイン的にあまり良くなかったと感じた。今日はタオルを持っていき、端を結んで処理した右側のふくらみに対抗するべく、左側にタオルを巻いて、両方膨らませて織りこんでいくラインを平行にしようと作戦を立てた。うまくいった。あと、ボスが織りあがりを見てミスなしと判断されるとスタッフの反応が良くなるが、もしミスがあったら皆そっぽを向くと思う。
 調子が悪い時期と重なり、ちょっと苦しく、思うようにならなかった。でも、今日の調子は持ち直して、何とか作業が成立した。ありがたかった。

・ スーパーにレジでミスがあり、サービスカウンターで全部打ち直してもらった。対応したレジ打ちの人は不誠実だった。ワンストップの考えがなく、たらいまわしっぽい対応を受けた。顔もあまりぱっとしない人だと感じた。

・ 明日はカウンセリング対面を受けに行きます。

・ 昨日は父の病院に行った。父は苦しそうだった。風邪を引いていた。水曜に行った時は酸素マスクをしていてちょっとギョッとした。昨日は父のレントゲンをベッドに寝ながらにして撮れるので行っていた。僕は遠くにいくようにいわれた。X線の問題らしかった。

・ 今朝の夢は、最後には捕まり電気ショックを受けさせられる夢だった。嫌な夢だったと思って目が覚めたら、両腕が痺れて、そのせいで電気ショックの夢だったかと納得した。

・ 作業所では若い女性が気になり、母を抱きたいと言う、本当か嘘かの自分との気持ちと向き合わなければならなくなった羽目に陥った。僕は何かから逃げていて、それが母を抱きたいなのかとめどを立てている。僕は何から逃げてきたのか。逃げ続けてきた過去がある。それは母なのは確かだ。その気持ちはどうなんだ。母を自分の女にしたかったのではないのか。

 

・ 今日は作業所での僕は割と調子が良かった。普通に過ごせた。ただ、皿洗い係りの人が休みで(僕は週1に降板した)、皿洗い、ゴミ集め、トイレ掃除、掃除機かけと雑用が立て込んでしまった。午後はそれでほぼ終わった。主婦的な作業だった。house husband もできそう。

 今日も面白おかしく一日を過ごせた。実際は少し苦しかったが。雑用では汗が出て、額から滴り落ちた。健康な汗だなあと感じた。
 

 本は読んでいない。不調時には交通機関で読む気にならない。
 最近、女性の身体が好きだとか、女性が好きだとか、ストレートに思えるようになった。この辺は健康的になりつつある。牧歌的とか言ってみたいが、意味を分かって使っていないので怪しい。素直に女が欲しいと言える。






 一週間くらい前、部屋の散らかっているのを見て、あとでやろうと考える壁をつくるやり方はまずいと思った。

 僕は、あとでやるというのは、その時やるのは面倒だ・後回しにしよう、と言う考え方からだった。これは、自分でこれは無理とか後でとか壁をつくっていると思った。

 この壁づくりが僕のすべてだと思った。そこから、他の人の壁も見えてきた。僕に対して咳をするのは、その人自身の僕を見る目がその人自身にとっての僕であるから・自己否定しているなと思った。その人の僕と言う部分を否定している。自己疎外と、自己の硬直化の表れだなと。



 作業所で、5センチやり直して、最後の5枚目に進んだ。緯糸・よこいと は、一往復織って右側で切っているので、右側が膨らんだ。左がだんだんたるんで緊張の張りがなくなった。左から織ればよいのを右側ばかりでこうなった。対策を講じなかったので斜めになった。僕の怠慢だった。やり直すことにした。

 

 NHK Eテレ こころの時代
 を見るのを楽しみにしている。タイの仏教を学んだプラユキ・ナラテボーさんがマインドフルネスのやり方を仏教で学ばれて、僕たちにわかりやすく話してくれた。手動瞑想という手を動かす一連動作の瞑想で、集中や深い意識を取り立てて目指すわけではなさそうだった。かえってそちらが間違いらしかった。手の位置、動き、そこにある、を分かる ということで合格らしかった。それでよいらしい。何も深い意識を目指さない。

www.nhk-ondemand.jp

 僕はこれを見て、ずいぶん学んだ。何となくイメージできそうに思えた。

 作業所に行く前の公園でのゆっくり歩くというマインドフルネスも、足や手をその位置にある、その動きを自分で分かるというのでよさそうだった。そして、この練習も、練習としてより、すでに実践だと思えた。終わって歩きだしても、手の動き足の動きに意識した。本番として。練習としてのゆっくり歩く自体も、練習と言うよりすぐ使うためのものだと。

 今日の作業所で僕は失敗をやらかした。上に書いた斜めに織りが成ってしまったというミス。この辺の集中加減も練習という、内に籠り・自己内での行為というやり方と密接で僕の弱点になっている。作業所では皆に嫌われた。僕のノロノロ作業に皆愛想を尽かしている。
 
 日本シリーズも、集団として戦い、集団の利益のために身を粉にして野球をやっている。このへんは仕事とも通じている。練習など存在しないのかもしれない。実践に直結している。僕の作業はマスターベーションだ。女体にウハウハしているバカヤローが僕だ。この構図と野球と作業所は同じだ。この打ち込み自体がマスターベーションになっている。実践に直結させないと僕は腐って終わりになってしまう。そのためには、家に籠るではなく、指示さない・さししめさない と。bookなら、本の自己イメージで終わりではなく、流通している本自体を直接イメージし関わり指示す必要がある。何とかマスターベーションを終わらせないと。集団の一員としての作業所も、自ら集団の構成員になり、構成員として見合うものを作り、作ることを通して社会と関わり続ける必要がある。

 最後のあたりはまだよくイメージできない。自己内引きこもりを引きずっている。でも日本シリーズを見てテレビでダイレクトに関わる雰囲気は感じた。何とか脱しないといけない。まだよくイメージできないしわかってもいない。書きながら、背伸びして、前のほうを見ようとし過ぎている。不完全燃焼。何とかつかもうと思ったが。男としてぶつかっていかないと。男としてぶつかっていけないか。なんとかしたい。

dead end→back

・作業で、織りをやらせて頂いているが、目を飛ばし、やり直すことにし1日がかりとなるが、今日の終わり最後の5センチくらいもまたも目を飛ばしていた。

 今は絶不調、今年の7月以来の不調となっている。周りから攻めてこられそうだし、今日は作業所でも皆もなんだこいつだったが気がする。

・・その作業所で、女性が気になり、とても気になり、母を抱きたかったのかと、なんと活路を見出そうとしたができず、帰ってきてから、結局は死んでいるなと思った。僕は男として死んでいる。妙に活路を見出そうとか生きようとしているが、死んでいる。そこは誤魔化さないほうがよさそうだ。

・・・歩いて車の多いところに侵入し、僕が原因で事故が起きなくてよかった。僕が原因だったら責任とれないと、こういうことはやらないほうがいいことに気が付いた。


・・・・この自分が死んでいることと、女性が気になることは、この不調の間ついて回ると思う。何とか向き合わないと、滅びる。滅びているが、逃げ道もなく、逃げないで向き合えるようにしたい


・・・・・男として死んでいる、母の前で幼稚園の時に死んだ、供養してくれ、
                             
 
                                 ・・・・・・
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                                     ・・
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 今日は展望は見えない ネガティブなことだけ載った
                                     

女性的なもの。

・父の入院している病院が変わった。転院しました。

 僕にとっては一大イベントだった。疲れたし、昼食の時間が遅くなった。

 電気、水道、テレビ、新聞の名義変更をした。支払い変更と。

 僕の支出は増える一方になった。だんだん自由は利かない。


・ 作業所では、織りで作る動物の生地づくりをやらせてもらっている。5枚のうち2枚はボスの指定の柄で、3枚目が糸をボスが選んで、織りはその中の色を使って自由にやらせてもらっている。

 それを織っていたら、先輩女性に〇〇さんて、かわいいの作るね、と言われた。私だとそうはいかないと。
 僕は一応男なので、かわいいのをつくると褒められてもあまりうれしくないなあと、直接は思った。

 けれど振り返ってみて、僕はかわいい柄をつくろうとしていたし、女性の服を縫ってみたいと言う野望もあるし、かわいいのをつくるのは僕にとって欲求の中にある。だから褒め言葉として有難く受け取ったらいいなと思った。女性的なものを作りたいと言う欲求はある。ねじれている気もするが、僕にとってはそういうことだ。
 ボスからこれからも女性的なものをつくるのを任されるといいな。アフーン、イヤーン。気持ち悪いか???!!! 。



・ 織りの教室からマフラー展開催のお誘いの手紙が来た。やめたけれど、マフラー展には来てね、と言うニュアンスらしかった。全く来ないのかと思っていたので、意外だった。僕には織り教室に通う余力は今はない。父の病院が交通機関の不便なところにあるのでなおさら余裕がない。マフラー展には出かけるだろう。一応糸はつないでおきたい。

雑記:2018/10/20(Sat)

・ カウンセリング対面を受けてきました。先生は、僕の目標が低くなったから、いろいろできるようになってきていると言われました。

 昨日一昨日は、部屋の整理を、心地よい家での暮らしのためにちょこっとずつやりました。確かにこう言うところは成長したのかなと思います。それには、先生のカウンセリングで父の問題をけっうやってもらった事が効いていると思います。

 まだ母に執着があることが僕がいまいち抜け切れない要因のように先生との会話で読み取れました。スキンシップのない父母のもとで育てられたのも僕を形作っているようでした。それで、動物との触れ合いもやっていこうと思いました。

 最近洋服を買ったりしておしゃれするようになりました。
 身の丈です。

・ 精神科のお医者さんには、作業所で大事にしようとやろうとしだした、と言うと、大事に表現しようとしなくても、大事に思っていればにじみ出てくるものだからね、と言うようなアドヴァイスを頂きました。
 
 今日タリーズコーヒーでトーストを食べたけれど、僕にも作れそうだなと思った。パン自体はおもくて、僕がいつも食べているものとは違うなとは思った。コーヒーは酸味が効いていてうまかった。サラダは鼻くそみたいにちょこっとしかついてこなかった。別注すればいいのか? 一人でタリーズに入ったのは初めてで珍しかった。カップとか皿とかジロジロ眺めてきた。


後半::

 ベッドに両手を縛られている父と僕のために、田端義夫・バタヤンの音楽を聞いてきた。
 CDラジヲを持ち込んで、100円ショップのイヤホンジャックから2本接続できる中間コネクタというのかジャックを買って、父と聞きながら時間を過ごした。僕は歌詞カードを持ち込んで読みながら聞いた。後援会長のメッセージと言うか解説がついていて、一曲ずつ会長の説も読めるようになっていておもしろかった。
 
 曲が聞き慣れない古いタイプなので最後までよくわからなかったけれど、嘆きのピエロ、肩で風切るマドロスさん、十九の春、などはよかった。二回聞いたりした。
 父の世代の歌を共有できたのは良い時間を過ごせて楽しかった。散歩で知らない街を歩くような面白さがあった。戦争世代の歌なんだなあ。
 父と僕のために裕次郎も買っておこうと思う。あたりをつけておこう。
 僕の持っているのは、田端義夫大全集 テイチク 二枚組です。中古だけれど高かった。歌詞カードは新品みたいにきれいだったけれど、僕がよれよれに使い倒してやるぜ。
 昔バービーボーイズのデビューレコードの歌詞を林に持っていったりして三日くらいでヨレヨレにしたことがあった。レンタルだったので店には失礼なことをしたが、主観的には使い倒してやったぜ、と言う気分だった。

 東大式習慣 西岡壱誠 ダウンロードは僕のように普通の人間にもわかりやすく書かれていて、目標のつくり方を懇切丁寧に解説されている、今のところ僕のための本になっている。まださわりなのでこれからどうなるかわからないけれど。
 僕もこのまま人生が終わりではなく、自分を生き切ったと思えるようにチャレンジできるようになりたい。
 でも、まだいきがって目標つくってやるぜ、ではなく、僕自身も目標を持つための導入部分だと思うので、成功体験を持てるようになるための目標をつくることから始めたい。目標:というもの自体のさわり部分が僕の立ち位置だと思う。いきなり目標をぶち上げるべきではないので、目標づくりの初心者としてやりたい。本にも全面的に賛成ではなく、使える部分を吸収したい。
 ジャネットジャクソンを聞きながら。打ち込んで。います。・・・。。。、、、

若い母を抱きたい(どれだけこの言葉に真実があるか、日々の生活で耐える試言にも持ちこたえられるか)


 今日も若い女性が気になった。なぜこの女性に若い女性に固執するのかと思った。しばらく気にしていた。

 若い女性が抱きたいのだなと思った。若い女性が抱きたい、と心で唱えた。これだけ執着するのも変だなと思った。それで、小学校、中学校、高校、大学で好きだったそれぞれの女性を抱きたいと、心で唱えた。抱きたい、抱きたいと。

 それでも固執は消えず、なぜだろうと思った。それで、オイディプスのことを思い、母を抱きたいと思った。若い母を抱きたいと。この線がどこまで本当かわからないけれど、これしき思い浮かばない。



 幼稚園の時に、母に「人のせいにしないで」と言われ何かをやめた。この時まで僕はポケットに両手を突っ込んでいっぱしの男気分だった。幼稚園だから母を抱きたいは変だと思う。母を恋人だと思い、若い母を自分の女だと思い込んでいた可能性はある。その時に突っぱねられ、抑圧したか。この僕の今の齢から見ると、「若い母を抱きたい」というフレーズは案外間違いではないと思う。これがこれからどれだけ僕の状況にあっているか、時間がたてばわかる。違えば、何も問題解決にならないし、正しければ進展していくものと思う。一つの案として浮上した。これからテストされていく。試験に耐えられるか。



・東大式習慣 西岡壱誠
 をダウンロードしたけれど、(kindle
 東大生は到達点まで最短を使うという話が最初にあった。そこまでしか目を通していないけれど、その方法が僕から見ると汚いやり方だった。カンニングではなく、先輩に過去問と答えを聞くとか、そのような内容だった。(僕は物覚えが悪く正確に覚えていない) 僕の中ではありえない方法だった。


 話は変わって、スカパーの2週間無料をやっているけれど、ガイド本を買って見ている、そこでダンスチャンネルが目に留まった。自転車も見たかった。とりあえずダンスチャンネルだけ契約すればいいのに、自転車とかも見たいと考え、高い組み合わせでああでもないこうでもないと時間をたくさん使った。

 これ、単品でダンスチャンネルだけ契約すればいいじゃん、という結果なのだけれど、ぼくはそうせず、まわりくどい面倒な方法をとろうとした。これは東大式習慣ではない。僕は要領が悪く時間の無駄遣いで、下手くそらしい。東大式を導入するように日々の生活で気を付けたほうがいいなと思った。僕は回りくどく考え、要らない手間に時間と頭を使い、グルグルぐるぐるグルグルぐるぐる するという、バカ式習慣なのだった。 

首の山登り のようだ。(前半後半の2段階に分けて書いた)

 
前半:::
 最近低迷していました。お察しの通り。

 思ったことがあった。最近の流れ、表現するというもの。仕事が大事だというのを表現する方向がいいのではと。

 それを拡大するなら、家事でも、勉強でも、リコーダーでもできそうだ。家事なら、台所がきれいにすることで、台所仕事が大事なのを表現している。勉強・読書なら、読んで感じていることをいろいろああでもないこうでもないと広げる思考を持つとか。リコーダーは、こういう風に吹かなきゃではなく、こうしたいこう表現したいこうだったらどうだろうどうなのだろうと試したり。

 そう、こうしなければ、やらなければならないというのはないのではないのか。世界は表現することでできているのではないのか。自分が取り組み、自分としてはこう表現するという関わりで成り立っているのではないのか。

・ 父母という抑圧的な存在と関わりではなく、自分の側から環境・世界・集団の中へ自分というフィルターを通した表現活動を行うのが人間なのではないのか。




・ 僕は作業所で今日も寂しくなった。どうしてこう扱ってくれないのだろうと。これってひどく小さく後ろ向きで受け身的。
 そうではなく、自分の表現として、自分ならこの人にはこう関わろうという自分の理解を通しての表現をその人に向ければいいだけの話の気がする。


 先週の土曜日は、EMDRの1時間半の枠を使いました。実際EMDRは行われなかった。自分の傷ついた男・ペニスに向き合おうと地下室に降りて行きましたが(治療イメージ・意識下に降りる大道具)、骸骨男は鮮明に見え、いつもと部屋の雰囲気は違い、骸骨男の地下室に窓を切り開けて外へ出たが、そこは瀬戸内海のようなところでお花畑で寝転がって太陽を日差しを浴びました。骸骨男の奴、妙に元気そうでした。僕のイメージしたどろどろではなく、健康的な雰囲気で終わった。部屋の床はびちょびちょでぐにゃぐにゃだったが。

 何も僕の側の治療する傷は見当たらなかった。先生の人生を少し拝聴した。僕も少し喋った。人間、他人事の話はあり得ない。みな自分にも降りかかるし、自分と関係がある。どんなに遠く、離れているように思えても。そんなものだ。この辺はお察しの通りボカシテいます。




後半::::::

 首の山登り、始まったようだ。21年間、服務し、負け続け、地下に下りたままだったが、また世間に出られそうだ。首が伸びてきた。これは明らかだ。首が伸びることは、その反動で、不調も経験し、周りから突き上げられそうになったりもする。危機がすり寄ってくる。

 首の山登りは、21年前、札幌市真駒内で小高い公園で自転車を押しながら林の中を歩き回って、負荷をかけ、首を伸ばそうとした行為だ。山を登るから首の山登りなのではなく、短期間で延髄が伸び、それに伴いまわりから突き上げのプレッシャーがかかり、その延髄を伸ばそうとする行為が、最初が少し伸び、基礎部分が伸び、最後の段階に来ると、延髄周りを伸ばし、核を伸ばし、さらに核を伸ばし、核が一度持ち上がって落っこちたのが21年前だった。僕は登ったと書いたが、実際、終わったら統合失調症になったし、不調になった。今回はこの時の落っこちたのが修正されて、社会復帰できると目論んでいる。

 もし首の山登りで社会復帰できたら、歌で自己表現したい。まあこの齢だから、大した成果は出ず、やはり手芸をやるかもしれんが。延髄が登って、歌がどの程度使えるか、量る作業が楽しみだ。上手く行ったらラッキー、ダメでも人生経験を積んできたのでさっさと見切りをつけ、得意分野を見つけてそちらに注力するよ。柔軟に。ダニの日本脳炎が怖かったけれど、そろそろ虫の活動も終わるだろうし、山で歌ってみたい。sketch show を youtube で聞いている。hosono haruomi さんを追いかけている。

雑記 12 Friday ・追記あり

 ::追記::

 僕が母の首を開ける(⇔)のイメージで自分を前進させようとしていたのは、自分の問題と向き合わない「すり替え」と先生に指摘された。
 それから、自分と向き合おうとし、
☆男としてダメな自分、ペニスを持つ存在としてダメな自分を意識した。
 これが現状認識として強力だった。

そこからはじまっている流れで最近、今日がある。

 直属スタッフ不在の時に、ダラダラになってしまうか、きちんとやるか迫れた。(自己内)
 僕にとっての作業が意味するのは、この手芸作業はものすごく自分にとって大事だと。
 ずぼらヨガ、ゆっくり歩く、ストレッチをやっていて、変化する素地はあった。
※ だから、大事な作業を大事に表現しようとした。今までの頭の中だけでなく肉体表現として。ここが革新的だった。
 手芸を通して自分にとっての大事なものとしての作業を、大切さという表現で肉体を動かせた。頭の中だけに 留まらず・とどまらず、肉体という演技で表現できた。
 仕事なのに、大切さという肉体表現として表現できる可能性をひらいた。歌では表現してきたし、文章でも表現してきた。でも、外圧のかかる作業でスタッフの監視の目が気になり、それに対して負けまいとしてきたのが、自分の大切さという肉体表現の演技として外へ社会へ集団へとエネルギーを放出できた。

 これは僕にとってすごいことだった。




 
 大切な作業を大事に行おうとするというは、昨日よりは調子は落ちた。でも、昨日からの

☆身体で大切さを表現しようとする流れは大きくなった気がする。

 今までスタッフに後ろ指刺されないようにと、皆にまけないようにとやってきたけれど、それよりは、大切さをリッパーを握りしめ着物の糸除去に表現を込めようとした。肉体表現として。

 
・ 昨日は朝から、公園でゆっくり歩くの時の足の伸びがよく、調子の良さが期待され、実際よかった。

 今朝は朝からコップの水をこぼし、足も伸びなかった。けれど、体重の乗りはよく、昨日より安定していた気がする。(上手くなったということか?)



・ ずぼらヨガは、2日行った。身体の代謝がよくなったのか、あまり寒さを感じず、血流がいい気がする。
 今日もやろうと思う。やる気が出る、というのが特にいい気がする。
 ヨガというのは、精神的なものかと思ったけれど、肉体的に身体をよくし、結果精神も良くなるという好循環のものだというのを肌で感じている。
 ヨガという、その中でも簡単なものでこんなに効果が出るなんて夢みたいだし不思議だ。期待していなかった。


・ 自分を振り返って、中一くらいから、自分の心と身体というか、自分の状態というか、自分の思い描く自分像と社会的に置かれている自分像が食い違い、どうにもならないところに自分の立場があった。それで、自分を変えていくしかない状況に追い込められて存在していた。
 その食い違いがだいぶ解消されつつある。理想像は壊れたし、自分のイメージも低くなったし、夢も希望もないが、自分のグレーな状態を愛することができそうな立場に立ちつつある。曖昧で不鮮明な状態に満足を見出し、自分を愛することができそうな気がしてきている。
 もちろんカウンセリングの先生の治療、毎日を回すインフラ整備としての基礎部分であるお医者様からのお薬の処方があってのことです。
 グレーな能力を愛することができれば、よりハッピーに近くなる気がする。

大事な作業を大事に扱おうとした。(結果:主体的)

 昨日、kindle本を4冊も同時に買った。いっぺんに自分を良くしようとした。これは、デビッド・バーンズ先生の鬱の考え方の全部か無か? のようなものだと感じた。後で振り返って。
 
 僕に必要なのは、グレーの考え方だと感じた。全部素晴らしくもなく、全部ダメでもない、ちょうど中間のグレーな部分が大事なのではないかと思った。

 家事も、勉強も、作業所もグレーが大事ではないかと。良くも悪くもなく、平凡だけれど自分では一生懸命やっている、頑張りも中間くらいがいいかもしれないと思う。


☆ 火曜日、木曜日と、作業がすごくよくできている。これは、最初は、直属のスタッフの休みの日の手抜きをしたくなる日だった(火曜日)。いつもと変わらずやろうとし、僕にとって作業とはなんだろうと思った。考えた。僕にとって手芸の作業はすごく大事だと。
☆大事な作業なら、大事に作業をやろうと、主体的に取り組もうとし、実際主体的に取り組めた。

 僕は、周りにどう評価されるか、スタッフにどう評価されるかビクビクしながら今までやってきた。顔色を窺うというか。それが、自分にとっての作業を振り返り、作業の大事さから、大事に作業を扱おうとした。大事な作業の、大事な商品である着物の解体をやろうとした。そしてこの大事に作業を扱おうとしたやり方が成功をおさめた。

 なんかこれは画期的な展開のような気がする。主体的に取り組めたというのが、ぼくにとって初めての経験のような気がする。大事に作業を扱おうとしたのを含めて。顔も態度も良かったと思う。



・ヤフーで、別の会社から3万円で買ったものをオークションで3万円で売り抜けた。ヤフーページのオークション代行会社に頼んだ。5千円損くらいの損失で済んだ。すごい助かった。中古屋に売ってもこうはならなかったと思う。ラッキーだった。助かった。ありがたかった。何が言いたいかというと、ただこのことだった。

・作業所の若い女性を変に気にするのが、この女性の作業に取り組む姿の作業自体を評価できた。この女性も上達しようとし、一生懸命取り組んでいるのだなと、スタッフとのやり取りを聞いていて感じた。これを機にこの女性とも和解したいと望んでいる。これも軌道に乗れば、僕はかなり状態はよく、成長できているのかなと思う。

雑記 風邪っぽい

追記:ずぼらヨガ について:::
amazonのページ 中身検索あり
https://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E5%BE%8B%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%A7%E3%82%82%E3%83%AA%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88-%E3%81%9A%E3%81%BC%E3%82%89%E3%83%A8%E3%82%AC-%E5%B4%8E%E7%94%B0%E3%83%9F%E3%83%8A/dp/4864105286/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1538992973&sr=1-1&keywords=%E3%81%9A%E3%81%BC%E3%82%89%E3%83%A8%E3%82%AC

 体験して、ものすごいいいぞ、さっぱりした。呼吸も深くなり、著者のように明るくなった。鬱鬱しなくてよくなった。身体もポッポッしてくるぞ。バックミュージックはバタヤン。焼きました。
 著者の半年以上のヨガ教室通いを、900円くらいで習えるのだから安いものだ。このコンテンツは世のためになっている。僕のためになった。ありがとう。
 アマゾンの中身検索のように、暗い毎日も明るくなるぞ。著者の社会貢献を受け取りました。この輪は広げたいなあ。





ずぼらヨガ もkindleダウンロードした。

 ヨガ教室に通う余裕がないので、先生代わりにちょうど良さそうだと思った。
立ち読みあり:
www.e-hon.ne.jp

 よいとなったら、もっと ずぼらヨガ もするかもしれない。

 
 最近の流れ

9月29日にカウンセリング対面を受ける。
この中で、僕は母の首を開ける(⇔)で、自分の問題と向き合わず、すり替えをやっていると指摘された。
図星だった。それで、家に帰って、自分と向き合うとはどういうことか、を思い巡らした。交通機関でも思い出したりした。

最近の流れでは、ペニスを避けているは確かだと思った。すり替えなら、僕はペニスだ、というより、


☆ペニス、男の否定された状態にあるという捉え方が正しく思えた。

すぐ交通機関で実践した。

すると、僕自身はペニス・男の否定 が核だと。周りの否定はその人の否定だと。今まで周りの否定を恐れてきたが、それは周りの人に預け返して僕は受け取らず、 自分のペニス・男の否定 だけ持とうとしようとした。きれいに分離された。


ならばと、自分の肉体のペニスに意識を集中させると、集団・人間の中で、交通機関で自分のペニスに意識を持ちながら、集団参加できた。今はまたちょっと戻った気もするが。
肉体のペニスに意識が向かった。イメージではなく

伏線として:公園で、ゆっくり歩くや ・すごいストレッチ のポーズをやっている。 あと腕ブルンブルン巻き付け振り回し80回くらいや。だんだん回を重ねるごとに腕の振りの・首の周りの視界の範囲が・可動域がひろがる楽しさがある。
 すごいストレッチとかの椅子のポーズが一番好きな奴。少し恥ずかしい形で外でやると格好悪いところが気に入っている。矛盾しているが。


それで
・ずぼらヨガ もやってみることにした。もともとヨガは気持ちの良いポーズだけをやるもので、できないものを無理にするものではないし、そういうものらしい、僕にも向いていて、著者のスタンスは大いに感情移入できる。この人の本が与える影響力は受けた人は星の数だろう。たしかにものすごい。

 今日はゆっくり歩くに身が入らず、風邪を引いていたが、徐々に集中した。最後は大きい木の周りをゆっくり反時計回りにグルグルした。これで一気に盛り上がり、止めようと引き上げた。楽しかったな。あの時の木の周りをゆっく歩く感触は至福だった。ゆっくり歩くで、今までで一番楽しい感じ、集中する感じがあった。

 今日は風邪で、仕事も最後はしたくなくなった。ずっと続くなら、辞めるべきか? 今日のこの感触は黄色信号。

 ドリンク剤を飲んだからか、身体の表面が赤い。熱っぽいのか?

 ずぼらヨガ をちょっとやって寝よう!

 Good night, bye bye.

 そういえば父のために、バタヤン田端義夫 を買った:CD。焼いて病院に持っていく。

フィリップス 電気シェーバー s9000 プレステージ ウェット&ドライ 最高の深剃り

 フィリップスからモニターの募集のメールがあり、

 この最上位機種がこれまでにない深剃りに対応しているとのこと。フィリップスは肌にやさしいという評判があり、それに加えて深剃りなら申し分ない。

 ぼくが電動シェーバーに期待するのは、深剃り。手でいつも剃っていて深剃りにできる。でも、手で剃ると、血が出ることもあるし、時間がかかり手間もかかる。これが最近億劫になってきて電動シェーバーを探していた。このタイミングでフィリップスから最新の深剃りできる電気シェーバーが出るという。

 フィリップスの3個の刃が同時に回る形は唯一無二、独自性を誇っていると思う。見ていてワクワクする。そしてこのシェーバーの紹介ページで360度シェーバーを回せる画像が商品紹介写真になっている。
 これを回してみると、手の所が深くえぐれている。このえぐれがセクシーで独自性を喚起する。見ているだけで所有してくなる商品がこの最新機種だ。

 僕が期待するのは2万円台前半だが、たぶんこれを所有するにはもう少し出さないと無理だろう。いくらなのか。
 発表される金額でも欲しくなるのか。それはフォルムが物語っている。これを見てほしくならない人はいないだろう。
 メタリックな外観、3つの独創的な刃、えぐれた本体のセクシーさ。
 んーんっ。欲しい。使ってみたい。どのくらい深剃りできるのか。

 発売日を心待ちにしている。僕らに革新的なメタリックフィットを与えるフォルムを湛えたシェービングを提供するフィリップの新製品の一日も早い登場を待ち望んでいる。

 速く来てくれ俺たちのシェーバー。

www.philips.co.jp


追伸:
 もう発売されていた。新しい世界を切り開くこの製品はアマゾンで5万円台前半だった。ビジネスマンではない俺には高いが、所有したいという欲求は高まるばかりだ。

雑記 10/05 Fri

 ご無沙汰しています。
 父の胃ろうをキャンセルしました。病院にはドタキャンなので睨まれたと思う。でも、父が胃ろうを引っこ抜く危険があるので、設置するのは危険すぎると思われた。いま、両手両足を拘束されているので、それを取るための原因と理由を教えて(拘束されているのは鼻のチューブを引っこ抜くため、鼻のチューブは栄養、薬を入れるために必要だと。鼻のチューブを引っこ抜かなければ拘束されないよと教えたい。でも耳が悪く、意思の疎通が困難。父の理解力にも問題がある)、抜かないことの理由づけも必要だと思う。
 病院側が、早期退院を要求してくるかもしれない。

 作業所ではサボっていると思われたようで、一人のスタッフが冷たくなった。僕は調子が悪いらしい。自分ではだんだん良くなっているという実感があったが。周りの見る目は違うようだ。

 織りは今日おえた。織った生地で動物のキャラクターをつくるらしい。目を詰めて織れなかった点が気がかり。糸が細くて、目を詰めて織るのは困難。30センチ5枚を織った。ボスの機嫌が悪くなければ、織りはまあよかったと思っていいとおもう(ボスは今日休みだった)。

 紺のスウェットパーカーをずっと着てきたが、明るい青に切り替えた。今日は父の胃ろうの説明日だったので、紺を着た。(あまり浮かれたくなかった)
 ユニクロで千円で買ったもの。

 この間の、9月29土曜日のカウンセリング対面では無印のスウェットを着て行った。これは半額で買ったやつで、デザインもよく、色もユニクロの新しい、明るい青と同じだけれど、こちらの方が生地がよく(むら糸)、デザインも格好いい。着ていて様になる。気に入っている。無印は品もいいし、製品にポリシーを感じ、休みの日には無印を着たい。無印がこんなにいいとは思っていなかった。ただ、ユニクロの倍くらいの値段なだけなのだろうと思っていた。品の良さに気付いたのは、着てみてから。



・ことばの発達の謎を解く、ちくまプリマ―新書、今井むつみ



 を読んでいるが、赤ちゃんの言語習得が分かれば、英語の勉強に即使えるという下心を持って読み始めた。でも実際、読み進めると結構赤ちゃんは複雑なことをしていて、この本のまとめをしないと英語の勉強にすぐには使えないと感じた。僕にとっては内容も結構難しい。1章を2回読んで、2章も2回目を読んでいるところ、これでわからなければ、まとめられなければ、また2章を読んで3回目に突入させたい。

 赤ちゃんがリズムとイントネーション、発音を聞き分けているというのは参考になった。僕がこれらを行い単語を覚える時のモチベーションになりそうだった。僕にとって、赤ちゃんが母国語を使えるようになる方法を知ることは、英語を習得することの即勉強の応用になるので大事だと思っている。

 2章の単語を覚える赤ちゃんのやり方は結構難しい。カテゴリーとかを使って、バナナの範囲を理解する。バナナ頂戴。バナナおいしいね。食べやすくて甘くていいね。など、バナナについて大人が喋っても、どれがバナナについて大人が喋ってるか範囲決めが赤ちゃんにとって難しい。甘いねと、大人が言えば、バナナを甘いねだと思うかもしれない。

 また、バナナは果物で、デザートで、食べやすく、黄色く、細くて長く、カーブしている。これらのカテゴリーに属し、バナナをどうやって他の物から切り分けるかが難しい。バナナの範囲決め。お月様と似ているし、リンゴとどう違うかとか、ご飯とどう違うデザートなのかとか、数えられる名詞で、水なんかとは違っている(英語でバナナを覚える場合は可算名詞扱いになる)、という理解も必要になる。



 結局英語の普通の勉強と同じような理解がないと、赤ちゃん式の覚え方もできないみたいだ。ただ、赤ちゃん式英語勉強法は、どこが英語を勉強するポイントなのかをはっきりさせてくれると思う。

 僕の理解力が曖昧なので、上手く伝えられなかったが、英語の勉強に役立つ情報だと思っている。だから読んでいる。今は英語の勉強に力が入っている。英語のパワー基本語 基本動詞編 田中茂範 先生の本を交通機関でい読むのが楽しい。そう、英語の勉強が楽しい。

 ブルーレイレコーダーを設置した。パッチアダムスをちょっと見た。いきなり精神病院に入所の話だった。僕は閉鎖病棟に、疾走して入院したことがある。1か月くらい。だからちょっと見ていて気分が沈む。ゴダールを買うというのは、延期している。攻撃的で暴力的なのは、今は必要ないかなと。今日みたいにそういう感じに周りが成りそうな雰囲気で、ゴダールを見ることが緊張に結びつく、攻撃的な映画を見る理由がない。

 主演の方が自殺されたのは寂しい。こういう映画をやったのがから、生きていて欲しかった。ヒューマン系の映画に出演されていた俳優の方だっと理解している。今を生きるとか。この人の出ている映画を見るのは初めて。

追追記・カウンセリング・対面 29 Sat

追追記:
 論点すり替えというのは、母の首を開けるをやって、自分の問題と向き合うのを誤魔化しているという意味です。自分の問題は、自分を狭く設定していて、窮屈になっているのに、そのまま窮屈なまま自分を運営しているという意味です。


追記:
大事なことを忘れていました。僕は自分自身をゆがめてこうしなくてはと思いこもうとしているという指摘。
www.seiwa-pb.co.jp
この本のように、僕は歪めていなかと。自分を狭く設定して、狭いところに無理やり押し込めてこうしなくてはとやっている。
ここまで開いて頂いたので、今日は画期的でした。



 カウンセリングの先生のEMDRの日でしたが、EMDRになりませんでした。

 僕が幼稚園の時に人のせいにしないでと母から言われ傷ついたのではないか、という話。先生に色々突っついてもらいましたが何も出てきませんでした。
 そうではなく、僕が自分の問題を論点すり替えで誤魔化しているという先生の指摘を頂きました。最初はバカな、と思いましたが、聞いているうちに僕の目は節穴で、誤魔化していることを納得しました。まだ、深く掘り下げて頂いていません。
 母の首を開ける(⇔)をやっていて、ぼくが感情として乗り気だったのではなく方便のようにやっていて、抑圧のお腹の塊が活性化したというはなしから、展開したような気がします。僕の理解力が悪く経過をよく覚えていません。ここを馬鹿かと思わないで読んで頂けると嬉しいです。いつものことだろう、と聞こえる気もしますが。

 そして父の問題について、静脈注射で長生きするのはそんなに大事かと、確かに枯れ木のように死ぬのは酷・むご いかもしれない。そこまで考えていなかった。僕が長生きを重要視するのはわかっていたけれど。胃ろうで死んでも、デイサービス先の人たちに囲まれて、楽しく死ねればそれは本望かもしれません。デイサービスの方が、父の入院先に来て頂いて、父と握手をして、父も満足そうでした。ありがたかったです。
 先生に色々アドヴァイスを頂きましたが、僕自身の思っていることに拘泥してしまい最後のほうはよく聞いていませんでした。すいません。ただ、僕の考える父を活かす道を僕が選らんからには、たとえ死んでも自分を責めず、良かれと思ってやったことだと思った方がいい、父のためにもそれで良かったと思うように切り替えるというような、ちょっと違いますが、ことも言って頂きました。

 この上記2つは、自分だけでは堂々巡りだったのを解きほぐして頂きました。ありがとうございます。次回のカウンセリングもよろしくお願いします。きょうはありがとうございました。

9月29日土曜日の深夜 01:14

   先生、よろしくお願いします。

 父のことが最近の重要な話題です。
 父は、肺炎で入院し、その後寝たきりになったせいか全介助になってしまいました。お医者様は、薬の投与もやめるし、ずっと寝たきりが続くということを前提としていました。父が管を抜いてしまうので身体拘束になってしまい僕はびっくりしました。
 胃ろうはできないのかと僕が言ったのをお医者様が受け、成功の保証はないけれど可能だみたいな話になりました。僕は静脈栄養間で細々と生きるか、危険を冒して胃ろうをつくるかの2者選択を迫られています。

 この問題で、父らしい生き方とはどういうものか僕が決断しなければならなくなりました。カウンセリングの後半で取り上げて頂きたいです。
 
 もう一つ、最初にやって頂きたいのは幼稚園の時の母から言われた、人のせいにしないで、で僕は何かをやめましたが、それが男とかペニスを引っ込める僕の心理的行動になったと思っています。その時の傷つきを取り上げて頂きたいです。

 作業所では織りと着物の糸除去をやらせて頂いています。木曜日は絶好調でした。その帰り道首が伸びました。また、朝の作業所に行く前には公園で、ゆっくり歩くをやっています。マインドフルネスのつもりです。ヨガのポーズとして好きなのは、立って身体を前後左右に揺することと、ラグビーの五郎丸選手や椅子のポーズに似ている「すごいストレッチ」のものが好きです。

追記あり:25 Tue

追記:

・ 公園で作業所に出かける前にストレッチをしているけれど、ゆっくり歩くも最近はしている。これでわかったことがある。歩く時に腰を入れていなかった。僕は腰が引けている状態で何もかもしていた。だから周りの人が気になっていた。腰を入れて歩けばいいことに気が付いた。

・ 作業所で僕が母の首を開ける(⇔)をやって、目つきが悪くなり、変な気を出していた時から、作業がのろのろだったので打開したいとも思った、周りの僕とのかかわりも変化したと思う。変な奴と扱いも変わった気がする。
 僕の側が開けばいいのかなとも感じている。周りが閉じた気がするけれど、僕の側は開いていけばいいのではないのかと。
 カウンセリングの先生との地下室で母の呪いのようなとの対面で、僕の側は水を飲ませた。この時の体験で、僕の側は開けばいいというのを体感した。その時のように、周りは閉じていても僕としては開けばいいというのを学んだのだろうか、よくわからないけれど、僕の側だけでも開いていこうというのは、カウンセリングで学ばせてもらった気もする、大袈裟か。?




  昨日一昨日の父の顔は苦しそうで、見ていてもこちらが苦しくなる感じだった。痰の吸引をして頂いた。

・  今日の父の顔は安らかで安心した。ホッと。

   父は金曜日に退院になり、介護施設に移ることになった。

・  ヨシケイは父がいなくなったので、Yデリを1週おきに頼んだ。いずれ止めることになると思う。前はプチママだった。

・  地元のスーパーで、灰色のトレーナーのような、ポリエステル生地の今っぽい素材のを買った。すごく地味。でも買うか迷って、迷うなら買おうと思い決めた。できれば緑の濃いのが良かったのだけれど、Lなし。3割引き。

・  作業所は、ボスのランダムで自由にやっていいとのことで(4枚目に限ってのこと。最初の1枚はちょっと指定があり、2・3枚目はボスの完全な指定で織った。)、勝手をさせてもらって人形生地を織っている。幅35、長さ30のを5枚。今四枚目。糸が細いので進まない、糸も取り替えてばかりだし(色数が多い、12色くらい)。

   作業最初、必ず目を飛ばしてやり直している。気持ちが緩んでいるので、失敗に付け込まれる。手芸は厳しさを要求される。僕が言うと嘘臭い。僕はど素人なので。頑張ってやっています。でも今日は集中しきれななかった。気合が不足していた。ダラダラっぽかったのか? 僕は仕事に対する姿勢に問題がある。テーラーSG氏みたいに、男をぶつけないと。モタモタすることをやっていると、モタモタになる。モタモタすることをやっていても男をぶつけられればなあ、願望。

 僕は地味に生活しています。僕なりに頑張っているつもりだけれど、テーラーSG氏とかの活躍を見ると、見劣りする。言い訳になった。余地はある、と思う。