追追記・カウンセリング・対面 29 Sat

追追記:
 論点すり替えというのは、母の首を開けるをやって、自分の問題と向き合うのを誤魔化しているという意味です。自分の問題は、自分を狭く設定していて、窮屈になっているのに、そのまま窮屈なまま自分を運営しているという意味です。


追記:
大事なことを忘れていました。僕は自分自身をゆがめてこうしなくてはと思いこもうとしているという指摘。
www.seiwa-pb.co.jp
この本のように、僕は歪めていなかと。自分を狭く設定して、狭いところに無理やり押し込めてこうしなくてはとやっている。
ここまで開いて頂いたので、今日は画期的でした。



 カウンセリングの先生のEMDRの日でしたが、EMDRになりませんでした。

 僕が幼稚園の時に人のせいにしないでと母から言われ傷ついたのではないか、という話。先生に色々突っついてもらいましたが何も出てきませんでした。
 そうではなく、僕が自分の問題を論点すり替えで誤魔化しているという先生の指摘を頂きました。最初はバカな、と思いましたが、聞いているうちに僕の目は節穴で、誤魔化していることを納得しました。まだ、深く掘り下げて頂いていません。
 母の首を開ける(⇔)をやっていて、ぼくが感情として乗り気だったのではなく方便のようにやっていて、抑圧のお腹の塊が活性化したというはなしから、展開したような気がします。僕の理解力が悪く経過をよく覚えていません。ここを馬鹿かと思わないで読んで頂けると嬉しいです。いつものことだろう、と聞こえる気もしますが。

 そして父の問題について、静脈注射で長生きするのはそんなに大事かと、確かに枯れ木のように死ぬのは酷・むご いかもしれない。そこまで考えていなかった。僕が長生きを重要視するのはわかっていたけれど。胃ろうで死んでも、デイサービス先の人たちに囲まれて、楽しく死ねればそれは本望かもしれません。デイサービスの方が、父の入院先に来て頂いて、父と握手をして、父も満足そうでした。ありがたかったです。
 先生に色々アドヴァイスを頂きましたが、僕自身の思っていることに拘泥してしまい最後のほうはよく聞いていませんでした。すいません。ただ、僕の考える父を活かす道を僕が選らんからには、たとえ死んでも自分を責めず、良かれと思ってやったことだと思った方がいい、父のためにもそれで良かったと思うように切り替えるというような、ちょっと違いますが、ことも言って頂きました。

 この上記2つは、自分だけでは堂々巡りだったのを解きほぐして頂きました。ありがとうございます。次回のカウンセリングもよろしくお願いします。きょうはありがとうございました。