無能ぶりに向き合うのが怖い。手芸からも人間関係からも逃げている

 今日は、顔に心を込めようとした。作業に心を込めようとちょっとしてみた。



2015/1/30(Fri)


「無能ぶりに向き合うのが怖い。手芸からも人間関係からも逃げている」


 今日はA型に通っているために発生する計画を立てる人が作業所に来て面談する日だった。

 僕は住所が変わっていてそれを相手に伝えなければならないのに言わないで、誰もいないところに担当者を送り込んだ。僕は気づいていながら改善しなければならない義務を履行しなかった。



 お気づきのことと思いますが、僕は手芸をすることが自分に向き合うことで、やるべきことです。語学もそうです。

 けれどやっていません。これは、嫌われる勇気、アドラー心理学で言うところの神経症の症状です。避けています。

 目的は、やらないことで、自分の手芸はできるんだ、やればできるけれどやらないんだということで可能性を残しておきたいためです。やらないけれど、やればものすごくできるんだという可能性にすがるために、寝てしまっている。

 自分の無能ぶりに向き合うのが恐い。これは作業所でも同じことです。人間関係での無能に向き合うのを避けている。今日の担当者との面談でも、人間関係ができないことを内向しているということで言って、自分をごまかした。人間関係だって、できるんだけれど、内向しているから出来ないんだ、と自分をごまかした。もしくは本にあるように、人間関係をできる人を見て怖気(おじけ)づいて、避けるために内向という言葉を使っている。




 帰ってきて、リコーダーを吹いた。音を出して音に触れることで自分の心に触れようとした。昨日みたいな感触ではなかった。

 メダカが、確認できたものだけで7匹の稚魚に増えた。卵から孵(かえ)ったみたい。無事に孵化してうれしい。

 自動車教習ゲームをやって、少し雑っぽかった。昨日よりは手が動かなかった。日によってだいぶ開きがある。それだけ調子の変動幅が大きいみたいだ。自分の調子をチェックするのにいい道具のように思える。