椎名林檎と自己観察





21:50


 草取りをした。久しぶりで気持ちがよかった。いつも室内芸のようなことをしているので、草と土にさわれてよかった。

 草は地面に根を伸ばし、仲間を増やそうとする。根を掘らないと雑草は駆逐できない。けれど、雑草と残したい草の差は、草取りをする人の主観にあるだけの話になっている。雑草でも花でも、同じ草だ。

 草は値を伸ばし、同じ仲間を増やそうと必死になっている。僕は草を排除しようとしてる。主張が異なる。相容れない。



 調子は一巡し、また、劣っている男と主張しないと始まらない段階になった。
昨日から女の体が欲しくて、そちらに傾いた。引きずったけれど、引きずっても作業所ではいいことはないので、対策をとった。

結局振り出しのキーワード劣っている男で、自分の逃げ腰の気持ちに向き合おうとした。女の体が欲しいというのも、実は負けた下心から来ている気がする。自分の弱い状態から始まっている。ストレートな真っ直ぐな正面の気持ちではなかった。









2014/5/15(Thu)

「 椎名林檎と自己観察 」


・ 椎名林檎には、音楽や自我の破綻がない。自我はいつも安定している。

・ 音楽の作曲能力やアレンジ能力(?)が過剰になっている。

・ 現代女性として、消費社会の中で適応している。




・ ここまでは椎名林檎に対してだけれど、自分のことについて言えば、僕は自我は不安定でいつも脅かされてきた。

・ 音楽能力は皆無で、作曲編曲は無理だ。

・ 現代を生きているとは言えず、自己の中にこもって内向し、外の世界に目が行くことはなかった。



 僕は椎名林檎の曲が好きで、声が好きで、攻撃的なところが好きだ。詩はきちんと読んでいないので保留。

 椎名林檎に対して苦手なところは、現代女性として現在に立脚して生きているところ。現実対応している。

 椎名林檎は音楽の才能に溢れているので、憧れている。