どうやったらできるか考える:普段の僕はできない、と環境を見ている・自動思考

 施設での自分の話です。朝1時間作業開始が遅くなりました。それで、起きるのも1時間遅くなりました。身体の負担が減り、だいぶ楽になりました。
 ゴミ回収も、新しく入ったスポーツのマネージャーさんと上司がやることになり、僕は外れました。これも楽になりました。それで終わるのが早くなり、別の作業をしています。
 その別の作業の一つが階段掃除で、今まで箒と塵取りで掃除をしていました。でも、きれいになっている気がしなかった。それで思いついたのがモップで拭くという事。上司に許可を求めると、硬く絞って拭けと。僕は水が残って危ないと思い、雑巾がけをすることを思いついた。これが階段の踊り場も雑巾がけするとなると結構負担が大きかった。負荷がかかり、結構な掃除になる。この雑巾がけも3回目をこなしました。だんだん雑巾がけの量を増やしていっていて、階段の踊り場や、防火扉の結構な床も拭くことにした。
 そうすると、僕への負荷がかかり、エネルギー発散になった。すると掃除機先輩が僕のエネルギー発散が気に食わないらしく、モップの洗濯袋への詰め替え、ブリーチに浸けてモップ掃除は終えます、の時に洗面台を使って邪魔をされたりした。僕のモップ袋詰めの時間の時にできなくされた。でも、この掃除機先輩は最後には挨拶してきて変なしこりは取り除いて帰って行った。ここのところが掃除機先輩のすごいところです。嫌な関係性を次の日まで残さないで手打ちとするところ。
 
 あと、一時間早く出かけて行っているので時間が増え、ゴミ回収の玄関の落ち葉拾いをやったりしている。春先で去年の落ち葉が吹きだまっているのでそれを取り除いたりしている。


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☆☆の本で、できないではなく、どうやったらできるか方法を考えるというのがあった。これは自己啓発の本でよく出てくる言葉だと思う。でも今回は頭で理解ではなく実際に必要なものとして意識されたので、違った印象を持った。

 僕は親に否定され、僕の意見も却下され続けたので普通に過ごしていると、できないという見方で環境に接している。例えば休みの日に部屋にいて時間はたっぷりあるのに何もしないで過ごす、という事が起こることが多い。僕はなぜやらないんだと思ってきたけれど、どうやったらできるか方法を考えるで、周りのことに却下を与えず、やろうとしてみた。すると結構行動できた。皿を洗ったり部屋を掃除したり、その日の新聞を読んだり。いつもは何もしないので自分でも動けて嬉しかった。
 この方法は僕にとって新しいものになった。部屋が汚いのもできないではなく、どうやったらできるかと思い、とりあえず散らかった新聞をまとめるとか行動できる。皿洗いもできないではなく、とりあえず5分でいいから途中までやってみるとかできる。
 でも、どうやってできるか考えないと、だらだらと何もしないで終わってしまう、普通の状態はできない、何もしないになる。この部分は自動思考で固定化されている。

 施設の階段の拭き掃除ですが、上司が4日目に僕を階段担当にするという。たぶんものすごく階段がきれいなのと、僕に負荷をかけさせるためと思われる。上司は僕のことが嫌いみたいだし。
 階段の雑巾がけは負荷がかかるが、やるとものすごくプラスのエネルギーが発散される。多幸感を得て自己肯定感を得られる。だからハッピーになれる。たぶん、手を思い切り使い、脚で踏ん張るからだと思う。最初やった時からそうだ。昨日もそうだった。だから階段掃除担当を打診されても受け入れた。いつまで続けられるかわからないけれど、ハッピーになれるし、とりあえずやってみたい。あまりに大変だったら、一日おきにしてもらう。箒と雑巾がけを交互にするとか。


自分史:
 父にはいくつか買ってもらったものがある。大きなものとして、トランペット・パソコン・自転車。
 トランペットはヤマハが欲しかったけれど、父はカタログの全音のを買ってくれた。ケースが木製で重たく、移動に難儀した。中学と大学の部活動で活躍してくれた。腕前は全く上達しなかった。僕には難しい楽器だったと思っている。小学校の鼓笛隊に入ってトランペットを覚えた。
 パソコンはwindows98とキャノンのプリンターを買ってもらった。これはとても欲しかった。高くて欲しいと言えなかった。父は30万も出費して揃えてくれた。とてもありがたく、キーボード、本体操作を本でおぼえた。necの液晶で出始めの製品だった。僕はパソコン依存症のように関わったけれど、これも上達はしないし向上もしなかった。
パソコン作業所への足がかりになり、作業所で色々覚え、僕のレベルが低いことを知った。上のレベルの人はゴロゴロいた。
 自転車はホーマックでママチャリを買ってもらった。ステンレスのリムでシマノの外装6段で僕には十分すぎる製品だった。いまだに乗っている、10年以上乗り続けている。途中、タイヤ交換、ブレーキ・変速機のケーブルの交換、サドル・前かごの交換をした。本当はFujiのマウンテンバイクが欲しいのだけれど、買わないで終わるかもしれない。一番欲しいのはトライアル競技用の自転車。でも、その前段階の一輪車の練習をしていないのでこれもどうなるか。

 父には僕にとって大切な高い買い物をしてもらった。僕の夢は父の夢だった部分もあったのかなと思う。父は渋ることなく買ってくれた。父がどういう気持ちで買ってくれたかを思うと、やはり僕のことを思ってくれたと思う。父はとんでもない奴だったけれど、僕をやさしい目で見ていた部分もあったと思える。音楽やパソコンの苦手な父だったけれど、僕に夢を託してくれる優しさはあったと思う。

お父さんありがとう。僕に大事なものを買ってくれ、おかげで僕はその部分では素直に成長できたと思う。