カウンセリング先生向け文章

 心臓の結果は、お医者様が一年後に検診を受けてください、としか言われなかった。問題ないようだった。今度は近くの近所当たりの病院で脂肪肝の検査を受けようと思います。

 ・天幕のジャドゥーガル というイスラムの奴隷少女の頭を使っての生き残りを描いた漫画作品が10月の新聞に出ていたので(今頃読んだ)、読みたい。続きもの。

 ・人生を変える! 50歳からのライター入門、しげぞう と言うのを読みたいです。キンドルで読みます。これも10月の新聞。

 相続ですが、不動産手続きは、父母が立て続けに亡くなったので、僕の書類は使えないそうです。結局出向きます。オンラインをできたことは良かったです。
 連続して亡くなった僕のケースは数次相続と名前がありました。

 暖房代が万円と請求がきました。一人なのに高すぎます。先生に勧められたアルミフリースで節約したのに万円でした。今度は、初期投資2万円の上下電気バッテリーで温めるワークマンの服を買おうか検討中です。
 僕一人でこの部屋を暖めるメリットがなく、シャワーの前後だけ暖かければよいので、暖房は必要ありません。
 今年度は、物価高暖房代として政府から万円受給したのに 1か月で底を尽きます。
 障がい者手当も、円受給しています。(一回だけ)

 
NARM先生のところの英会話は、
 ・絵でおぼえる英会話 という本とkindle無料で先生と僕の分がそろい、授業で使ってもらいましたが、精神衛生上大変よく、楽しく進みました。かなり疲れましたが、だいぶ進みました。復習しなかったらもったいないです。しない公算大。
 英語の発音も、発音だけだと煮詰まるし、単語をやっても無味乾燥となるし、この教材は当たりました。先生にも僕のもっているのを見せます。

 今週は調子が悪く、月曜火曜日最悪でした。全部敵になり、かなり頑張って対抗しました。エネルギーは最大出力でした。
 木曜日のオンライン障がい者ヨガは調子が良く、ポーズもできたりしました。僕自体も人間らしかったです。いつもは虫とか変な生き物です。

自分史:番外編+自分史

 2023/01/27 Fri 家に帰ってきて、父のレコードをかけてみた。父は、レコードをCDに焼ける機械を買ったけれど、自分では使えず僕が焼いた。
 父はレコードを大事にしており、10枚くらい手元にあります。
 昨日かけたのは、アメリカ大学マーチ曲、アメリカ軍隊マーチ曲、西部劇映画曲、日本海軍の声で歌っただけのもの(同期の桜、軍艦マーチ)、などです。
 レコードを通して父と交流できました。あと、CDとしてブラバン甲子園、民謡も聞きました。
 
 レコードは、アナログな行為で、針をレコード盤に落とし、カビやほこりのブチブチというノイズ交じりの音を神妙に聞くという古い行為で、今の若者に人気というのも頷けました。僕も新鮮だった。レコードはみんなCDが出た時に売ってしまった。もう終わったと思っていたけれど、今回レコードを聞いて、良い行為だなと感じた。素敵な経験になった。
 父はレコードを聞きながら、上昇志向に浸り、自分の気持ちを高めていたのだと思う。自分に勢いをつけようとした。幼稚な父だったけれど、レコードを通して父に触れ・ふれ られるように感じた。父も一人の人として頑張ってはいたんだ。必死だったろうと思う。父のレコードは捨てないで良かった。聞く機会を持てたことは良かった。

 今度は母のレコード、マイフェアレディ、ウエストサイドストーリー、サウンドオブミュージックを聞いてみたい。父のレコード機械だったので、母のレコードは聞かれる機会が極端に少なかったと思うけれど、母の魂も入っていると思う。

 
 小学生の時、およげタイ焼きくんのシングルレコードを買ってくれと言うと、すんなり買ってくれた。あの時はなぜいつも渋る父母が買ってくれるのだろうと訝しがる・いぶかしがる 気持ちが大きかった。
 小学校でコンドルは飛んでいく、と言う曲を皆でリコーダーで吹いて発表した。授業で習って、発表した。父母が聞きに来てくれて、いたく気に入って、レコード店でレーモン・ル・フェーブルオーケストラのレコードを買って、家族で何回も聞いた。父母は僕の音楽を温かく見守ってくれているのを感じられた、その最初のことだった。
母はオルガンを買って、近所の人に習ったりしたくらいだから全くダメだったわけではないけれど、あまり音楽を演奏する方向にはいかなかった。
 父母は表立っては僕の音楽を応援していたわけではないけれど、中学のブラバンの演奏会、大学のブラバンの演奏会と足を運んで喜んでくれていた。ここは温まる話だと思うし、僕が軽く見て、見過ごしてきた部分だと思う。父母はすべてにおいて僕に敵対していたわけではない。
大学進学の時、音楽に進みたいと子供じみたことを言った僕で、母に大反対されたけれど、僕も音楽であの時うまくいくとは思っていなかった、感じられていなかった。あの時のことで、父母に音楽を反対されたと思い込んだが、僕の人生をトータルして見ると、父母は僕の音楽を応援してくれていた、とも言えるような気もする。社会人になってからのリコーダーを褒めてくれたり、大学のブラバンを聞きに来てくれたり。
<おわり>