雑記1/2/3;下段記入 + 本:自分を育てる方法 / マネージャーの最も大切な仕事ー95%の人が見過ごす「小さな進捗」の力」

+雑記は下段の方に記入しました。

・自分を育てる方法、中竹竜二(kindle unlimitedで読書)

  21 自分で自分にマルをつける

 で紹介されている、「マネージャーの最も大切な仕事ー95%の人が見過ごす「小さな進捗」の力」(英治出版
をメルカリで安い本を購入しました。

以下:自分を育てる方法 から引用
引用:
「全部やり遂げないと意味がない」とこだわる完遂主義は、自分自身を苦しめます。
昨日よりちゃんと進められているのにもかかわらず、「まだこれだけできていない」とマイナス部分に目が行き、自分を認めてあげられない。「今日もできなかった」と自信を失い、無意識に自分自身を傷つけてしまうのです。
 完遂主義から解放されて、”小分けした成果”で自分を認められるようになると、とても気持ちがラクになります。だから、ぜひこの小分けのスキルを身につけてほしいのです。

 昨日はできなかったことが今日はできた。一歩進んだ。確実に一歩は進んだ。その確認を一つひとつすることが大事なのです。
 なぜ一歩進めたかというと、昨日には使わなかったスキル、あるいは勇気を、今日は使えたからです。進捗を積み重ねた結果として、まとまった成果になる。
 どうですか? ”小分けした成果”は十分に価値があるのだと自信をもって、あなたを褒めてほしいと思います。
 そして、それができるのは、ほかでもないあなた自身だけなのです。


 どうですか?「成果は小分けにしてもいい」「最後までやり遂げなくても、進捗だけで立派な成果」と定義を変えてみるだけで、ずいぶん成果がたくさん見つかったのではないでしょうか?

(←引用終わり)

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 自分を育てる方法に出ているこの小分けの進捗は、すごくいいやり方だと思う。
 トイレ掃除をしていても、6個やるとするとまだ2個しかできていない、と心で言っている。これを、2個もできた。だいぶ進んだな。大した成果だ。と自分を承認出来たら僕は自信を持てると思う。
 親に勉強させられたときに強制された完遂主義だけれど、害しかない。この本にもあるように、完遂主義だと自分を傷つけ否定しかもたらさない。取り掛かりも少なくなる。
 皿を3枚洗った。ここでだいぶ進んだなと思えばやる気も出る。完遂主義だと、全部終わらないやと否定してしまうことになる。
 リコーダーも。今日は一曲進んだ。一曲も吹けたなんて最高だ。今日はだいぶ進んだぞ。と思えればハッピーにもなる。それをまだ下手だとか、うまく吹けない。簡単な曲だし、たった一曲、と否定していてはやる気も失せる。僕は完遂主義者で、進捗に移行したほうが断然ハッピーになれる。
 僕の心には、否定の親がまだ住んでいて、自分を否定ばかりしている。これを小分け承認は乗り越えさせることができると思う。親を越えるのは、小分け承認だと思う。完遂主義は親の方法だ。

 進捗の効果はマネージャー~の本を買ったので、こちらを読んで、理解を深めたい。







☆雑記1:コロナ
 僕の作業施設がコロナでダウンしています。3F、1F以外封鎖状況です。それに伴い仕事も減り、労働時間も減りました。

 今日は上司に仕事を回してもらい、労働時間も多くもらいました。しかし、上司にもう30分つけるか、1時間多くつけるかと聞かれました。
 それは、僕が労働時間が減り、上司に多く時間をつけてくれ、と要求したのが仇となり・あだとなり、上司に凄まれて・すごまれて しまいました。この日、僕は始業時間の1時間前に作業をはじめ、始業時間にはトイレ掃除を終えていました。なので、正規で計算すると労働時間はゼロなのでした。
 労働時間を多くつけるかと凄まれた今日、僕は1時間短かったですが3時間働かせて頂きました。それで、3時間いっぱいいっぱいまで働きました。それで、働いていないのに給料をくれと要求した僕の浅はかさに至りました。襟を正すべきだなと。
 それで、この前の分、多くつけないでカットしてくれと上司に頼みました。今日は、仕事を回して頂いてありがとうございます。おかげでお金になりましたと。上司はコロナだからねえと仰い・おっしゃい ました。

〇いま、youtubeでCyndi Lauperのライブを見ています。このかた、見た目は撥ねっ返り姉さんですが、映像の動きと歌に心がこもって、魂の動き・歌声という気がします。朝4時からのBS3チャンネルNHKの洋楽番組で見ました。僕は凄くいいなあと感じました。

 人間、給料が減って、金回りが悪くなっても耐え、金回りが良い時も節制し、どんな時も平常心で不測の事態にも踏ん張らなくてはいけない存在なのですね。僕は給料が減ってビビってしまい、上司に不正をしよと要求してしまったのでした。僕の至らなさのせいでした。世の中は厳しいなあ。
 コロナで大変な思いをしている方たちのことを軽く見ていた自分なのでした。ちょっと減ったくらいでバタバタしました。世間の人はもっと困っているでしょう。ニュースでやっていても他人ごとと捉えていたツケが回りました。お粗末でした。自分の弱腰が露呈した。

☆☆雑記2:NARMカウンセリング

〇 僕が父母を引きずっているのは、幼少期トラウマだとNARMカウンセリングで指摘されました。
 それは、親の不和の影響だと。
 父母は仲が良くなかったです。それは父が横暴で、母がそれに付き合わざるを得ないという状況から来ると思われました。
 僕は父母の喧嘩を見るのが嫌でした。大きなのは3回くらい体験しました。父が湯飲みを投げつけたりした。僕は部屋で自室で父母の喧嘩を聞いていて、終わりころ止めに行ったら終わっていました。
 これからカウンセリングで、親の不和の治療をやって頂きたいなあ、どうやったら越えられるのだろうと思います。

〇心に聞いてみよう、というのをやりました。こころで感じているのを。
・一日を回すのは大変だなあ、苦しいなあ。
・他の人とバランスを取るのは大変だなあ:攻め込まれずに済まそう、他人に負けまいと。
・リコーダーとか能力はあるのか、上手く吹けるのか、引けを取らず渡り合えるのか、力はあるか、絶えず緊張している。

 これを心と体で感じているのを言葉にしようという、取り組みをやって頂きました。

☆☆☆雑記3::
 EMDRカウンセリングんの先生に自分史を書くのを勧めて頂いているので、それについて。今回は、父との良かった思い出::

父とのキャッチボール:良かった編
・前回、父とのキャッチボールの嫌な面を書きました。今回は良かったことを。
 地元のバスに乗り、家路につく予定でしたが、乗ったのがちょっと違う路線で、そこのバス停で降りると歩く羽目になるという、バス停で降りました。10分強歩いたと思う。夜7時ころ、真っ暗な中、普段は歩かない道を歩いているなあ、間違ったのに乗ったけれど、違う行動をするのもいいかもなあ、と歩いていました。途中、父とキャッチボールしたグラウンドを突っ切りました。真っ暗い中歩きながら、父とキャッチボールをして、辞めて帰ってきてからまともにグラウンドに来ていないなあと思いながら暗い空を見ながら、闇夜に包まれて歩いていた。
 あの時、父とキャッチボールして、空に向かってボールを投げ、僕は力いっぱい遠投し・えんとうし 描いていたのだなあ。ボールを使って、父と空に心を描いていたのだなあと、感じた。この部分は懐かしく、良い思い出だった。父とのキャッチボールが100%悪かったわけではない。良いところもあったなあと。思い出した。懐かしく、寂しく、もう戻ることのない思い出を心に抱いていた。

父との山登り:
 父と山登り、近場の山登りをいくつかした。空沼岳、札幌岳、風不死岳、定山渓の小さい山2つ、樽前山、など。
 樽前は父が気にいって、何回か行った。僕は父と行くのが嫌になっていて、断ったりした。
 父と山登りに行った、僕の笑顔の写真がある。そのころ、僕は今より格段の調子が悪く、人と山道をすれ違うのが嫌だった。けれど、もともと、20歳ころ、近場の山登り(:手稲山、円山、藻岩山というのもあった)、を一人で登っていたので好きだった。だから、父との山登りが100%嫌だったわけではない。山登りの楽しさがあった。父との山登りも幾分楽しんでいたと思う。だから、父に写真を撮られて、僕は笑顔を向けていたのだと思う。気が晴れるというべきか。そう、父とのキャッチボールもボールを高く投げ上げて、気が晴れる、という部分があった。登山にもカタルシスがある。深い森に抱かれて。独特の雰囲気のある山登り。分け入れば分け入っただけ世間とは別の時間が流れ、特別な時を体験できる。

 父とのキャッチボールや山登りも僕の調子の悪かった時期の一服の清涼剤というべきか、特別な体験だったと思う。父には嫌な面がたくさんあり、嫌な思い出も伴うけれど、良い部分もあった。50%、50%で、良い面・悪い面を体験していたと思う。お父さん、思い出をありがとう。