親と子供の部分

NARMのカウンセリングの先生は、仕事をしたくないとか、寝ていたいとか、家へ帰って休みたいとかの後ろ向きの言葉は大事だという。

 それは子供の部分で、したくないとかのことをよく聞いてやる必要があるという。

 僕がなぜ、NARM の先生のところへ行くかは、他の人と普通にコミュニケーションをとれていなっからだという事にフォーカスされた。

 やりたくないとかの駄々をこねるような部分は、先生は子供の部分の親に認めてもらっていない部分だという。僕は昨日仕事をしたくないなあと思ったけれど、その声は置き去りにして仕事に集中しようと無理やり頑張った。それは、子供の部分をないがしろにしているという。だから疲れやすかったりするのかも。
 親が子供の駄々をこねるなどの声を大事にしてこなかった。そういうのもあって、今の僕は他の人とうまくコミュニケーションをとれていない。それは、子供の部分を僕自身がないがしろにしている。子どもの言い分を聞かなかった親と同じことをしていることになるという。
 僕が子供の言い分を聞いてやって、なだめながら仕事をするとかの、親と違う、子供の部分を大事にする必要があるらしい。そういう事のくり返しで、自分の主張もしたりして、普通の人のようにふるまえるに近づけるらしいみたいだと感じた。僕は親に抑え込まれて自己主張もあまりしてこなかった。

::すいませんが眠くてうまく打ち込めていません。悪いですがご勘弁ください。:::

 せめて大人になった僕は、自分の子供の言い分を置き去りにするなどという事の無い様、子供の仕事したくないなあという声を大事にしてやる必要はあるらしい。


 ・ 先生に、中学生の時の、母親とスポーツ屋に行き冬用のジャンパーを買ってもらうというのをやってもらった。それは、僕はてっきり好きなのを買ってくれると思って、水色のを選んだ。しかし母が言うには、母と同じく、くすんだグレーを買えと言う。詐欺だと思った。せっかく好きなジャンパーを買ってくれるはずなのに、母の言うとおりにさせられてしまうなんて。
 それを先生は、水色のジャンパーを買ってくれと先生に向かって感情を込めて言えという。僕は買ってほしいと言った。そしたら母親役の先生は、そんなに欲しいなら買ってやるみたいに言った。本当に買ってくれるのかと聞いたら、買ってやると言ってくれた。僕は胸が明るくなった。肩も軽くなり、歩けるような気がした。先生が足踏みをやってみろと言う。その場でやってみたりした。よく胸が軽くなる感覚を味わおうとした、先生のナビゲートで。この件も先生が母親役をやってくれ、僕が水色が欲しいと言うことによって治療された。

 先生関連で、レッドツェッペリンの天国への階段の発音を習うことができるかもしれない。
 僕は昨日、この曲の発音を英語耳を使ってやろうとしてみた。やってはみたが一人でやっているのでいまいちはっきりしない。それで習いたいなあと思った。先生関連で安く教えてもらえることになるかもしれないです。
 なぜこれにしたかというと、レッドツェッペリンなら歌えるとファンが多いからいろいろな人と関係性を結べる可能性が高くなるかもと踏んだからです。勝手な思惑で選んだ曲。この曲ができるようになったら、他のもやりたい。先生関連も生徒募集中らしいです。<おわり>