カウンセリング、先生の期待を取り違えていた。

 先生と、親との思い出を書いたり絵にかいたりする予定ですが、
「発達性トラウマ:その癒しのプロセス」、ローレンス・ヘラー、アリーン・ラピエール、星和書店、2021/09 , Healing Developmental Trauma, 2012

これを読んでいまして、パートA:適応のための5つのサバイバル・スタイル
コア・ニーズとして、 つながり、同調、信頼、自立性、愛‐セクシャリティ があり、
信頼の途中まで読んでいます。

 そして、同調の親への依存が叶えられ・かなえられ なくて、親の要求にこたえようとする、自分の望みは後回しにして親を優先する、そのやり方を読んで、親に腹が立ってくる。親自身も自分自身の子供の欲求が叶えられなかった(親の父母に対しての気持ち・僕から見て祖父)のはわかります。でも、これがわかっていながら、親との関係は良いものでしたと言うのは後回しにしたいです。自分の親の部分の自我が汚染されているのはわかります。でも、親子関係の良い部分の見るより、いまは自分の欲求をかなえるのをやりたいです。いま親子関係の良い部分を見るのは腹立たしいです。
 この本の、信頼、は父のことだと思いました。権力志向で親の描くレールを走り、出し抜いたり要領よく立ち回ろうとする。そして父は、同調の不満タイプであることが分かります。僕は抑制タイプです。父と僕は表現スタイルが真逆だった。父が不満タイプなので僕に過酷な要求をしたりする。

 僕が読みたかったことがこの本に書いてあります。僕は抑制しないで自分の要求を表に出したり、育むようにしたりしたい。どうしたらよいのかわからないけれど。この本の最後までには戦略が少しは書かれていると思う。他人Firstだから疲れるし、抑え込んでいるから疲れる。

:::これをEMDRのカウンセリングの先生に読んでもらった:::

そしたら、僕が先生との間で親との思い出に自分の気持ちを書くということについて誤解があった。僕は親のいい面を書くのだと思ったけれど、そういう気持ちは僕が抑制者だからカウンセリングの先生の言葉を聞いてそう理解したけれど、実際のカウンセリングの先生の僕に対する求めは、親との間でこういうことがあった、それに対して書き換えを行う。例えば牡蠣鍋の話なら、前回いい話を書いた。そうではなく、父がテレビをずっと見ていて食事はしているけれどテレビの世界に没入していて参加していない、そういう父にテレビを消してくれと言う。実際ここは現実にあった。父は、この家はニュースも見られないのか! と言った。ここも現実。ここからが気持ちを入れるという先生の仰っていた中身だった。
 例えば、お父さんだけテレビの世界に入り込んで、食事という場に参加しないのは変だよね、みたいなことを言う文章を作る。これは実際には言っていない。どこが変なんだよ。お父さんって、集団活動に参加しないで周りをコントロールしようとするよね。チャンネル権もそうだし。お父さんばかり自分のテレビ見てるじゃない。じゃあ見ていいよ。僕が回す。父は怒った眼をしている。これもそう言えば実際にあった会話。

 お父さんて自由にしていいって言いながら、怒ったり、ネチネチやったりしてどうしようもないよね。お父さんの父、おじいちゃんが変な人だったのはわかる。そういう方法しかお父さんが表現方法を持っていないのも分かる。でも、僕は息苦しいし、圧力を感じて屈折するし、お父さんって力でモノを進めようとするよね、権力志向っていうのか。僕はそのやり方嫌なんだ。僕の求めるのの全く逆だよ。僕はお父さんが自分の父親だったっていうことに不満なんだ。僕は常にビクビク顔色を窺い小さくなって、お父さんの奴隷みたい。お父さんって言わなくても圧力かけるよね。それも大嫌いだ。言葉の裏側にも意味を込めるし、言葉とは裏腹な気持ちを持っているし。僕はお父さんのせいで病気だよ。嫌になっちまう。迷惑だよ。お父さんがお父さんでいることにとても迷惑している。お父さんがそれしかできないのはわかる。でも腹立たしいよ、そういうお父さんを持つというのは。
 最近、親ガチャという言葉があるんだ。スーパーとかにある、百円を入れると玩具が落ちてくるやつ。これ、玩具が何になるか選べない。一方通行の買い物なんだ。お父さんも親ガチャだよね。お父さんにやさしい気持ちがあり、おじいちゃんからひどい扱いを受けてそうなったのはわかる。お父さんも被害者なんだ。
この、○○家の怨念は僕の代でぶち切りたい。
 僕が今困っているのは、自分のやりたいこととか抑え込む習慣なんだ。自分の要求をもっと表に出したいんだ。行動したいんだ。

みたいのが、先生が僕に期待していた部分だったんだと思う。この内容にもう少し足して、今度のカウンセリングで読んでもらおうと思う。添削してもらって。