付録:精神科のお医者様への文章


 最近、施設の分量が多く大変でした。朝早く出かけたり。今日は帰りに、フレッシュな糞を歯ブラシで落としてから帰りました。古いこびりついた糞は落としづらく時間がかかってしまいます。

 この間のカウンセリングの先生への文章を読んで頂き、受けました。父にいつも迷惑を受けて大変だった、いい加減にしてくれ、みたいはことを地下室という療法の中で受けました。また、先生が💀骸骨男はどうだと水を向けて頂いたので、骸骨男について取り上げました。僕の分身である骸骨男にマイクを持たせ、熱唱してもらいました。聞かせるのは父母です。いつも否定し、認めてもらえなかった父母に向かって歌いました。また、骸骨男の体温も上がっていて、僕の分身も、少しはましになってきました。

 最近、部屋で歌っています。エレファントカシマシだけではなく、ビートルズも歌ってみました。メロディーと歌詞の優しいのを歌いました、有名曲、例えばイエスタデーとか、let it be とか。

 施設の作業がきつく、晩飯を食ってすぐ寝る生活をしています。

精神科の先生への文章::

○○先生、よろしくお願いします。

 〇セルフ・コンパッションのやさしい実践ワークブック、ティムデズモンド、星和書店
 〇悩み・不安・怒りを小さくするレッスン「認知行動療法」入門、中島美鈴、光文社新書

を読んだりしました。

 調子の悪い時、自分のペニスを含む身体を意識して抱きしめるような感覚が有効だなと思いました。また、自分褒めを使っていった方が、消耗する毎日に電池切れになるようなことがないよう、自分を大事にすることにつながるようだとやっていきたいです。
 自分自身に、昨日の作業はよくやった、とか、一年ぶりにお風呂に浸かったりと、少しずつ実践しています。(カウンセリングでも取り上げてもらいました。)

 織りはやった方が良いと思っていますが、やっていません。

 歌って、父に、自分の男としてダメだとかを、それは、父さんが男としてダメなんだろうと、自分で抱えるのではなく父に持ってもらうよう攻撃する歌を歌っています。
 最近は、レパートリーにビートルズを混ぜたりしています。(カウンセリングで地下室のワーク、僕の分身骸骨男にマイクを渡し熱唱してもらったりしました。この骸骨男は、一年くらい前は生気がなかったのですが、徐々に命の灯が灯ってきています。)


 この2つ、自分のペニスを含む身体抱きしめと、父に僕は男としてダメだというのを返す攻撃の気持ち、2本立てで毎日を過ごしバランスを取っています。正しいかはわかりませんが、いまは有効だと感じています。

::: 読んで頂きありがとうございました :::

 

カウンセリング向け作った文章

〇〇先生、よろしくお願いします。
 今日も地下室で、父に会いたいです。
 ザっと読んで頂きたいです。

悩み・不安・怒りを小さくするレッスン―「認知行動療法」入門、中島美鈴、光文社新書

 を読み終わりました。

第10章 怒りとどう向き合うか(分析編)―「アンガーマネジメント」の考え方

p206引用

 「自分が惨めな思いをしてでも、相手を喜ばせなければならない」
 「私の人間関係にまつわる問題は、すべて私に責任がある」
 といった自己犠牲的な思い込みを持っているために、いつもストレスが蓄積されている。そのために、ふとしたきっかけで爆発してしまう、ということが起こりやすいのです。
 このように、怒りは「自己犠牲しすぎているシグナル」でもあると考えられます。

p200
引用するにあたったの、私の説明―彼女がスマホをいじって男にかまわないとき、男が彼女に怒ってしまう場合。

引用:「 
 このときに、本当は「こっちを向いてほしいのに」といった寂しさや「スマホで誰とやりとりしているんだろう?」といった嫉妬の感情が湧いてしまったとします。



p201引用「
そして、二次感情である怒りにとらわれることなく、一次感情を解消することを目指していきます。」

第11章 怒りとどう向き合うか(解決編)―「アサーティブ・コミュニケーション」の効果

引用:p218

 この場面では、「ちょっと寂しい」「正直、少し嫉妬している」「好きだから、誰とやりとりしているのか気になっている」など、感じている気持ちを率直に打ち明けるのが理想的なアサーティブ・コミュニケーションです(怒りをぶつけるよりも、はるかに良い結果が得られると思います)~

星和書店から4月20に発売
コンパッション・フォーカス・セラピーに基づいたアンガーマネジメント:真の強さを育てるために、ラッセル・コルツ、訳:石村邦夫/山藤(?読めない字で書いた)奈穂子


中島美鈴さんの 「悩み・不安・怒りを小さくするレッスン「認知行動療法」入門、光文社新書

本の最初のほうで(これから書く内容は、本の最初のほうに出てくる信念についてです)、時間が無くなったので引用省略
 信念として僕が持っているのは、男としてダメだ、無価値だと言ったものだと思われる。
 これを抱え過ぎてもしょうがないので、父に向って、父さんが男としてダメで無価値だろうと、エネルギーを向けようとして歌ってみた。調子の良い時は3日のうち2日間上手く歌えた。真ん中の1日は全く歌えなかった。調子が悪すぎて。これで父に全部押し付け被せようとしたけれど、次の日の作業所でペーパータオル入れを壊してしまった。粗雑に鏡を磨いていて。それで上司に謝った。
 それで、父に攻撃を向けるだけではだめで、まえにやったセルフ・コンパッションの自分抱きしめが大事だなと思い直した。
 心で、父に、父さんが男して無価値だろう、と言いつつ、自分の抑圧している身体を意識で抱きしめようとして、バランスの取れた、いい状態になっています。

今日は調子が悪く、帰りの交通機関でも、周りは攻撃したそうだったけれど、自分抱きしめも行った。攻撃できるように身構えたけれど。

写真+BSNHK クラシック倶楽部

朝撮った。春の道路。
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青木尚佳&ウェン・シン・ヤン バイオリン&チェロ デュオ・リサイタル  NHKBS クラシック倶楽部 で覚えた。 そのままのビデオ
ヴァイオリンの音色が美しい。豊潤というのでしょうか、そう感じました。このコンビが良いからでしょうが、引き込まれました。

ベルチャ四重奏団 これも上の番組で見た。一糸乱れぬハーモニー。なぜこんなにそろうんだ。

屈折:父との綱引き

ご無沙汰しています。

 中島美鈴氏の認知行動療法光文社新書を読んだりしていました。そして、中核信念が、僕は男としてダメだ、というものです。(性的な意味ではありません) 父との関係で下を向いていると思われる。

 カウンセラーの先生と、前に書いた内容、父を恐れているという内容でやって頂いて、怖いと思うから怖いという面がある・父を乗り越えるのに、パンチでもいいし、抱きしめでもいい と言われて、僕は抱きしめでどうだと言ったら、僕は優しいからねえ、と言われた。どうも僕は甘いらしい。

 そういうこともあって、昨日調子が悪く、施設で作業するにあたってわき道にそれそうだったので、中核信念、僕はダメだというのは、本当は父がダメで、僕に押っ付けて被せて背負わせたのじゃないのか。父が背負うのを嫌だから僕を否定することによって僕に押し付けたのじゃないのか。父のものではないのか? お前が男としてダメなんだろうと、父に押し返そうとした。

 父に背負ってもらおうとした。お前が背負えと。エレファントカシマシの曲を主に歌った。怒鳴りに切れがなかった。抜けていなかった。どうも曇っていた。精彩を欠いている部分があったけれど、普通の出来だった。80点くらい。あとの20点は、父にストレートにぶつかっていなかった。そこが減点された。怒鳴りの、爆発もなかった。

 父に押し付けられ、屈折した自己感をもっているけれど、それを父に押し返す作業が必要になった。歌がちょうどいい。今のところ押され気味。父との綱引きは続いていく。糞野郎、糞っ垂れ。このまま屈折して、背負わされたまま終わってたまるか。お前のものは、お前に返すからな。

本引用:今日から始まるナラティブ・セラピー(坂本真佐哉) と 雑記

今日から始まるナラティブ・セラピー、坂本真佐哉、日本評論社、2019年8月

エピローグ 社会構成主義は世界を救う、のか!?

位置No.2167

引用:


 つまり、自己の文化を主張するというよりも、相手の文化を受け入れることが、新たな文化の創造につながっていくことになります。その際、関係性が対等でないと、コミュニケーションが膠着したり、さらに複雑になったりするのではないでしょうか。
 そうして考えてみると、対人援助の仕事は異文化体験に他なりません。もっと広げて考えるならば、そもそも対人関係とは異文化体験そのものです。「正しい」とか「間違い」とかではなく、ただ「違う」ということを受け入れる必要があるわけです。
 すべての対人関係に対して、異文化体験であるという感覚で臨むことができれば、世の中はまた違った見え方になってくるのではないでしょうか。多くの対立は、相手に対する期待から生じるものであり、その期待は、相手も自分と同じ価値観をもっているということが前提となっているからです。~~~

kurage0147130:「確かに、異文化体験として他者と関われば、腹も立たないし、一人一人全く違うし関わり方は違ってくる。この部分はわかりやすく刺激的でおもしろいとおもったところ。」



 昨日は、五嶋みどりの midori aydin violin sonatas を聞いた。現代音楽はわからないので、五嶋みどりのヴァイオリンに自分を仮託してなぞるように聞いた。頭の中のごみが吸着されるように聞いたという感覚だった。すっきりはしないけれど、いつもと違う部分を使っている感覚。

 妻屋秀和 bass のCD  hakuju hall 2013 を途中まで聞いた。男の声で、男性という部分がはっきり出てくる歌声で、心地よかった。男に興味はないが声には惹かれる。男らしさと言うべきか、包容力と言うべきか。CDは音が俄然良く、仮託できる。


 施設で眼鏡をかけた。作業で眼鏡をかけるのは初めてだった。(自宅以外で眼鏡をかけた。
 上司はそれを見て研究員みたいだ、といった。僕は普通の人の典型的なメガネのつもりだったので、普通の人のつもりだ、みたいに答えた。どうも自分の狙っている線と他の人の受け取る線が違っているらしい。上司以外の人はどう受け取るのか。
 介護の人は僕の眼鏡をかけた顔をまじまじと見て去って行った。どう受け取ったのか。自分にとっての大変化で、他の人にとっても変化がよくわかる眼鏡らしかった。
 書くのを忘れていたが、間違ったレンズの入ったこの眼鏡、眼鏡屋さんは交通費として700円くれた。実際にそれくらいかかった。そして、割引だが、HOYAのレンズを入れてくれた。安い眼鏡なのだけれど、レンズはいいのにしてくれた。それが割引らしかった。なんかよくわからんが、眼鏡屋の間違いは清算された。また今度もこの眼鏡屋で眼鏡を作るだろう。それは、この眼鏡屋夫婦に儲けさせようと考えている部分もあるからだ。(地元の小さい眼鏡屋)

暫定:名前が付いた 恐怖

今日はヨガの集まりに出かけてきました。メンバーは大人ばかりで今までと違っていました。同年代もいて、若い人もいてと、いつもと違っていました。
 それで帰る段になって、どうも雰囲気が変だなと思って、やはり今日は調子が悪かったんだなと遅ればせながら気づいた。それで帰りの道、交通機関は、父のペニス/自分のペニスに向き合おうとした。

 到着間近で閃いた。もしかして父のペニスが怖いのではないのかと。今まで切断とか悪あがきをしてきたけれど、逆で恐怖に怯える子羊のようなものかなと、逆向きの発想が出た。大抵逆向きで、今までと違うアイデアは正解率が高いと踏んでいる。今回もそう願いたい。

 負けまい、克服するんだと力が入っていたけれど、逆で、怖かったと。しばらくこれで行く。どこまで持って、使えるか、楽しみだ。茨・いばら の道になること請け合いだけれど。今日も昨日に続き歌ってみて、ちょっと詰まるかやってみたい。

自分で自分褒めを実装してやると、油が差さると思う。(余裕が生まれ自信ができる)

父は、勉強しろと言った。僕は勉強しなかった。父は、勉強以外の行為を認めていなかった。裏面交流で、勉強以外ダメだと言うメッセージを受け取ったと思う。勉強のできないやつはダメだと。僕のその時には、その時にできること、すべきことなど、僕の成長にとって勉強以外で大切なことはたくさんあったと思う。それらは無視され砂のように両手からこぼれて落ちて行ったと思う。
 勉強しなくちゃいけない、という強制力があった。

 今僕は、織りをしなくちゃいかないと思っている。定年後も仕事があるように。織りをしないと定年後はない、というメッセージを裏に嗅ぎ取っている。しないと大変だ。
 織りを自分のものと言うより、親に強制された勉強のように見ていると思う。
 
 織りを自分のために、本当の意味での自分の手に取り戻すには、ダメだという視点ではなく、今日は織り機をセットした―よかったね、デザインを書いてみた―よかったね、という自分のすることに、自分で肯定的な声かけをしてやることが必要だと思う。自分のやることに肯定的な回路を築くために。親の作った回路―ダメだ・大変なことになるよ、ではなく、織りをして―よかったね・回路を作ってやる。肯定的声かけを自分に対して投げかける訓練が必要だ。ここはどうしてもやる必要がある。大変だけどよくやったね、織りの糸張りができるね、デザインは初歩的だけれどなかなかいいじゃん・春らしいじゃん、というように、やっていてしなくちゃ・できなくちゃで一杯いっぱいになっていたのを、一つずつ、自分で自分を褒める、という作業をやる必要があると思う。それも、こまめに、逐一褒めるといいと思う。
 織機をセットした、デザインした、糸を少し張った・真ん中まで来た・3分の2できた・終わった、捨て織りした、糸を杼に巻いた、ちょっと織ってみて柄が出た、端の処理も良し、10センチ織った・20・30・40・・・・と逐一褒めが僕には必要だと思う。ということは、部屋の整理でも・掃除でも少し片付くと褒める、歌でも一曲歌うごとに褒める、という作業・自分に対する声かけが必要になる。晩御飯用意できた・すごいね、とか。僕はしなくちゃ、できてあたりまえばかりになっている。それに追われて、あたふた、余裕がない、油が切れている、急がなくちゃ、も脅迫的に入っている。
だからシステムとして、自分をこまめに褒めるというのを実装してやったほうがいい。そうしたら、自分も世界も回りだすかもしれない。

写真とマツダ キャロル 旧式(クラシックカー)

皆で踏みしめた 質感とアスファルトの出ている所のまだらが丸くて面白かった。
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アマゾンのおすすめで、ミニカーのキャロルを買った。この古いキャロルという車、マツダ キャロル の、座席のあるところの後部のボディの切り方、丸みで後ろをまとめるのではなく、ザクっと切ったところが惹かれた。免許もないけれど、乗りたいし、所有したいなあと思った。

2021/02/23 Tue

追記:ユーチューブで五嶋みどりを見たけれど、動きが危ない人だった。危ないヴァイオリン弾きなのだろう。人形みたいに物凄い動きでびっくりした。



 
 2週間、小走りことランニングをしていなかったのですが、体育館に走りに行きました。その体育館で走るという行為は初めてでした。160m×40周してきました。
 ウォーキングの人4人くらい、ランニングの人4人くらいでした。僕は走る部門では遅いので抜かれます。歩く人よりは早かったけれど。最後の10周は結構疲れました。平地だけだったのにヘロヘロになりました。15+15+10で分けて、区切りでトイレに行きました。走る前にBCAAの飲料を飲んで疲れないように筋肉になるようにして、終わってザバスを飲みカロリーメイト一箱とバナナ1本を食べて明日の仕事のための回復に努めた。

 いつもと違うことをするのはいいものだ。体育館で走ったのも楽しかった。ただモルモットみたいにグルグルしていただけだけれど。


 僕が何もしないで無為に時間をつぶしてしまっている原因として、面倒だ、大変だ、疲れるがある。これらの言葉を自分で言わないで言い訳しなければ、僕はかなりのことができそうな気がする。

 朝5時のBSNHK、クラシック倶楽部 小林美樹・ヴァイオリン、福井敬・テノール、妻屋秀和・バス を見た。どれも僕は好きだなあという人を名前を出しています。

小林美樹 ヴァイオリンの音が良いし、惹かれる

福井敬 堂々たる歌声だなあ

妻屋秀和 心地よい歌声だと感じる 

雑記 2021/02/21 Sun

施設では、父のペニス切断ではうまくいかなくなり、今度は自分のペニスを抱きしめるイメージと父のペニスを抱きしめるイメージが効くようだというのを見つけた。逆向きみたいだけれど、素材は同じだし、関りも同じだからそんなに違っていない気がする。
 これによって、調子の悪い時は切断、良い時は抱きしめるという2つのパターンを手にした。

 フィリップスの電動シェーバーのモニターですが、昨日夜、2回目の素案を書いた。その時上書きで消してしまい、2度書いた。2度目は骨格は同じだけれどまったく同じにはしなかった。あと1回修正して、書き込み指示が来たら投稿しようと思う。
 今回は気合が入っている。もらったからというより、やりたいから、きちんとしたものを載せて売り上げ増に貢献したい。
 シェーバー自体、良い製品で格好がよく、深剃りもできるし文句なし。父のお下がりではなく、自分専用の製品だというのがまた嬉しい。

 
 オンラインヨガの先生に、直接会ってきました。仲間は、行ってみたら小学生高学年くらいの人が多く、というかその人たちだけで、ちょっと期待が外れた。20代から40代くらいまで男女参加しているのかと思った。5人くらいしかいなかった、あとお母さんたち。
 小学生の仲間たちは結構うまかった。思ったより動けてきちんと先生の指示通りやっていた。
 どういう人たちが来ているかわからなかったので、ジャージは20年位前の古いのを持って行った。(新しいのあるけれど) 
 恥ずかしいとか関係なく動いてきた。おならが出なかったのはラッキーだった。僕はよく放屁・ほうひ(太宰治の富士には月見草がよく似合う??? だったかの井伏鱒二の話?? で放屁が使われていた。井伏先生?? は登山で放屁された)する。施設はトイレで掃除をするので楽園だ。全く違和がない。

 先生を女として見たりして、僕はちょっと厭らしかった。先生が僕のことを背が思ったより高いんだねと言われて、そうでもない、みたいに返して。僕は、先生はおきれいですね、と振ったけれど、先生は背の話だと思ったようでピントがずれていた。そこは正さなかった。

 TVのバレーボールの試合は、女性たちのお尻、太腿、胸ばかり見ていた。試合内容よりそっちを観察していた。どこみてるんだ、助平ロエ爺と言われそうだが、全くその通りなので返す言葉はございません、反省もないです。

 
 岡村靖幸みんなのうたの曲、ものすごくいい曲だ。岡村氏は昔からいい曲を書いてきた。僕はレコードレンタル店で、デビュー盤を借りてきて、林で歌って、岡村氏はうまいなあと凄く感じた。今から30年くらい前です。現役でやっているくらい才能がある人だ。

 岡村靖幸:ぐーぐーちょきちょき


するので。

カウンセラーの先生との、セルフ・コンパッションのイメージ

カウンセリングとセルフ・コンパッション

 先生に、今日も働くことができて、ありがたいです、キリスト様/キリスト様もお忙しいと思いますが頑張ってください、とコンパッションの使用例を2つくらい言った。もう一つは、今日もご飯が食べれて助かります、キリスト様もパンくずを使ったり、みんなに食事をあげることに腐心したり、ご自分の食べる分をひねり出すのに大変だと思いますが楽しくやってください、みたいな例を言った。

 カウンセラーの先生は相手への共感があるし、思いやりもあっていいのではないのか、みたいなことを言われた。

 いくつか会話を交わし、別の場面で、僕の会話は教室の正面のスピーカーの上の磔刑のキリスト様に、暗い閉じ込められている独房の中からこのキリスト様に話すような感じて話していて、孤立感の中で上の2つの例みたいなことを言ったのだと答えた。僕の段階は最初の一歩くらいのものらしい。

 先生によると、キリスト様という抽象的な僕の思い描くキリスト様ではなく、血の通った生身に近い人間に上のような言葉かけをできればいいらしい。そしてそれは、キリスト様から、職場の上司や仲間などの具体的な人に言葉かけと、言葉貰いをするような親和的な会話ができるようなのを目指すといいらしい。

 首にかけるキリスト様と12聖人?とかの、その玉を触りながら会話するというをクリスチャンはするらしい。願い事のような、キリスト様との会話をするのは先生もいいなあと感じたらしい。外国の方たちらしいが。

 僕の到達点は遥か彼方らしいけれど、方向は違っていないようだ。ただ本当に最初の一歩の段階みたいだった。現実感が薄いから。


 今日も、ミズノのヨガに参加させて頂いた。楽しかった。苦しくもあるけれど。

フィリップスの電気シェーバーのモニターに当選して、無償で提供を受けました。

施設では、指さし確認をして作業しました。これはいいです。鉄道の車掌さんみたいですがミスなくできそうです。洗面台でも、排水溝OK、ハンドソープOKとやった方がよさそうだと思いました。

 眼鏡を前に作ったのと同じレンズで作ったはずなのに見え方が変でした。店内では見え方が変だなあと言っていたのですが、持ち帰って前に作ったのと見比べても明らかにレンズが変でした。これは、レンズを作った人が他のものと入れ間違ったとしか思えませんでした。土曜日に古いのと新しいのをもって出直さなければならなくなりました。
 まず、納期に出来上がっていない、交通費がかかってしまったと2つのミスがあるので、保障してもらいたいです。そのくらいは主張したいと思っています。

 父のペニス切断とかして、不調に抗いましたが、今日の後半は復調しました。少し安心しました。周りがうるさいし、自分でも調子が悪いと対抗しないといけないので大変です。



 電気シェーバーのモニターに当選し、製品が送られてきました。電動歯ブラシに続いて2回目です。頑張ってモニターをやって売り上げに貢献したいと思っています。すごく格好いい製品です。深剃りもできますし、使い勝手がいいです。

フィリップスの製品で、所有しているものとしては4つ目です、電動歯ブラシ(モニターでもらったのは寿命が尽きて、買い替えた)、髪の毛を切るヘアーカッター、歯間を水流で洗うやつ(これはあまり効果を感じられず眠っている、もったいないのでまた使いたいと思っている)、そして今度の電動シェーバー。みなフィリップスの製品。

 フィリップスの製品でいいのは、デザインがいいので所有している満足感がある。プロダクトとしてもよい製品だと感じています。ヘアーカッターが買ってすぐに不調だった時には、すぐに修理して頂きました。

(この文章は、モニターの責務を果たしている所もあります)

歌って空間を捻じ曲げ、4次元への扉を開いた(※誇張表現含む)

白日 prayer x  リバーサイドホテル 冬の花 there there と歌った。

らじおあたまさんの曲では、今日の歌の最後なので、十八番なので空間を捻じ曲げて歌った。4次元空間が隙間から垣間見れた。穴からはトム・ヨークがこんにちはと挨拶をしてくれたので、こちらも挨拶を返した。


 今日の施設は、調子が悪くゴチャゴチャと周りがうるさく、自分でもよくわからなくなった。終わって、今日は調子の悪い日だった、そしていつでも調子が悪い=父のペニス切断イメージでぶつかっていかないと周りの毒にやられると思った。 交通機関ではうるさくされるのはまっぴらだったので、ひたすら父のペニス切断のイメージで生きたままの父のペニスを切り落とすイメージ、皮を剝ぐような 想像で周りに対抗した。そうすると周りはなぜかしゅんとなり、静かだった。

 それで家に帰って、今までの時間で歌で、父のペニス切断をやった。歌は十全に表現された。僕も大満足というような形で終えることができた。

 やはり僕は父のペニス見せびらかしを卒業していない。憎しみを向けなれば僕が毒気にやられてしまう。施設でも、交通機関でもずっとペニス切断をしないといけない。周りの連中は僕の調子の悪さに乗っかっている野次馬なだけだ。僕は当事者で、僕が決着をつけなければならない。僕にこの面倒な嫌な逃げ出したい負け続けた状態から抜け出す主導権があり、手綱を握っている。



 道新ではペコロスの陽だまりの時間、岡野雄一 さんの漫画連載がある。僕は最初絵が下手だし話も凡庸だしと思ったけれど、それは大きな間違いだった。僕の目は節穴だった。良いところのたくさんあるマンガだ。僕は定価で新品本を購入した、著者へ献金のため。僕は第一作、ペコロス何とかを買った。一番有名な売れた本。

謳って喉が荒れた。あ^-.-^   と声を出して確認した。


 生き物の死にざま 稲垣栄洋 ベストセラーらしい、サケを読んだ。知っているから飛ばそうかと思ったけれど、思い直して初心に戻って読んだ。鮭の産卵後の死に殻がプランクトンの栄養になりプランクトンを多くし、稚魚が孵った後の餌になるとか。死んでも子供のためになって、命の循環がなされるように活かそうとしている。というか、なっている。この部分は全く知らなかったので面白かった。



☆☆☆ 施設の便器磨きでタンクの上に生理箱、ブラシ、液体を乗せて掃除するが、終わった後も降ろさないで残っていることが多く、たびたび上司の指導を受けている。それで思いついたが、
 M 生理箱   B ブラシ  L 液体 と名前を付けて、指さし確認をしようと思いついた。

M 0ゼロ  B 1イチ  L 0ゼロ と、腕を動かして指さし確認し、声に出そうと思う。 ADHDなので、注意散漫でミスが多発してしまう。そこをカヴァーしたい。

無為を否定しないで抱きしめる。

セルフ・コンパッションのやさしい実践ワークブックですが、実践6 コンパッションがむずかしいとき を読みました。

 思ったのは、僕は積極的に何かをやらないで、ダラダラ過ごすことが多いのですが、僕の小さいころから今までも同じように過ごしてきたこと。それは、親に勉強しろとか言われて反抗はしなかったけれど、何もしないで過ごしてきたこと。無為に過ごすというのが抵抗に近い感触であったこと。何もしないが自分を守る行為でもあったことです。

 自分の中で相反する態度として、この何もしないが積極的意味であったことを思うと、これを抱きしめることが本で推奨されています。僕も無為を否定して頑張ろうとするより、無為を自分の昔から今へと続く態度として積極的に抱きしめるのが良いように思われる。否定したり焦ったりしないで。


写真とゴチャゴチャ。

道端に、アスファルトに去年のものと思われるアジサイの枯れたのが落ちていて、心惹かれたので一枚撮らせて貰った。

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 メルカリで、写真集を出品して、まだ売れていないが、永遠の関根恵子写真集を買った。僕が高橋恵子と接点を持てるとしたら、舞台挨拶かメディアかくらいしかないだろう。あんなに美人で格好のいい人はそこらに転がっていない。その他大勢が手にできる永遠の関根恵子写真集を買った。ヌードは少なく服を着ているのが多いらしい。それでもほしかった。僕から見ると強者に見える高橋恵子だけれど、若いころからヌードをたくさん撮られて、あんな美人とは接点がない僕みたいなやつらに映画や写真で拝む機会を多くもらえるようにしてくれた。単なる集団の一人である僕にも美人の断片・写真集を買うという接点をくれている。スターはばら撒く側で、僕は大衆のそれを貰う側だ。スターになれるのは一握りで、選ばれた人、他の人と差異があって著しく優れたものを持つ人だ。

 大衆にバラ撒かれた写真集を買っても何も変わることはない。ただ単にスターの側に出金するだけだ。スターは大衆にサービスをしてくれる、それが高橋恵子のヌード写真。普通はあれだけの美人は脱がない。大衆に出金させるため脱いだ。いくら写真集を見ても何も変わらない。接点がないもの。スターと大衆の溝は大きい。高橋恵子を小さくして本にまとめた写真集を手に握りわかった気分になるのか。

 男たるもの美人でかわいい人を見たいと思う。接点があったらなあと妄想する。越えられない壁だ。マスに配られた服を着て、流行っている髪形にし、労働を提供し賃金を得、どこまでも叩かれる一般大衆の個人は、許される個人に与えられている妄想に耽る・ふけるだけなのか。個人的に作る創作行為は許されている。ここは活路だ。

**写真集を売って、高橋恵子の写真集の軍資金の一部にした。買ってもらった人には悪いが、僕にはつまらなかった。他の人がどう感じるかまではわからない。宮沢りえサンタフェは気持ちのいい写真集で気に入っている。

 家事活動の大事さを痛感している。ごみ溜めたる我が家だが、家事活動を毎日行えばきれいになる。僕は家事活動が必要だと思ってこなかったし、してこなかった、だから汚い。僕の中での家事活動のランクを上にあげれば、必要さ、大事さ、大切さを感じて毎日に組み込む。家事活動は不可欠だ。僕にも必要だ。


 自分で思い描き、実行する力が僕は弱い。実行力と呼ぶべきなのか。ADHDでの主要問題みたい。この辺をなんとかしないと、未来を切り開けないし、自信がないし、充実感がないと思う。(プライベート)