若い女の尻を追い掛け回す53歳の醜い自分を大事にしたい:叶えようというのではなく、心持。醜い純情。

 作業所で、ごみを集めていた時、若い女のところでポコに意識が向かった。

 前にも尻を追い掛け回した女性だった。変に意識するのも困るので、何とかしようとした。
 自分の頭を起勃ポコにして、集団の中に置こうとした。それで変に意識せずに済むようになった。自分の助平な気持ちはきちんと向き合い、表現して出してやらないと変なところで暴発するので普段からこのように取り組む必要を感じた。

 結果、今日も若い女の尻を追い掛け回しそうになったけれど、その53歳が22歳の女の尻を追い掛け回す醜さに、自分の醜さと向き合い、欲望の醜さ自分の格好悪さに打ちのめされそうになった。すごく格好悪く感じた。でも、僕は醜い男の気持ち、これを大事にしたいと思う。若い女に未練ではなく、その路線に期待するのではなく、若い女の尻が欲しいというその醜い自分の心持を大事にしたい。アホ男の自分を大事にしたい。

 もう、チューリップ組の確実な動作・製品 以外に作業所で求めるものもない。あとは全部切り捨てる。それでいい。


 マスクをして帰ってきたら、顔が臭かった。食事してから顔を洗った。蒸れたらしい。

 交通機関でも、札幌市民の男 というアイデンティティが欲しい。これは、暴力が来たら暴力でやり返す、というのではない道を作れないか、そういうものを排除して市民の男として責任を作る道をとれないかという、今日から頭に浮かんだアイデア

 もうひとつ、この 馬鹿だ家(ばかだけ)の一族に生まれたものとして、父母の流れを次代につなげたい、バトンを渡したい、父母や僕を無駄にしない、女と家庭を持つような、養子でもいい、そのようなまだ漠然としたものを死ぬまでに実現できないかという願望も頭に浮かんだ。




・ 英語を少しでもいいからやろう。

 コービー・ブライアントが死んだが、当たり前というのはないんだなと思った。当たり前というのは、ありがたい状態で、全部バランスの上に成り立っている。当たり前というのは存在しない、そういう厳しいものを突き付けられるような気がする。

 この世は、自分で取り組むものばかりで、当たり前にあるものはなく、自分で取り組む気があればそれなりに実現できると思う。結果が出るという意味ではなく、自分の取り組む度合い、才能、能力に応じて得るものはつかめると思う。だから、やりたいことうは自分で取り組むべきだ。