母・父・プール

 母は、実家の墓に入りたいか、と聞くと、父の墓でいいという。実家の墓に入ったら離婚した人みたいだ、という。
 僕が母だったら、実家の墓に入る。母は、父との結婚を壊さないということに執着しているのが分かった。それが母のプライドらしい。そこを曲げないために、他がかなりひん曲がっている。母の性格、父と別の施設にいること、僕に対して。


 父に野球ボールを握らせようとしたが、関節拘縮(こうしゅく)で曲がったまま開かなかった。理学療法士の方が隣のベッドに来ていたので父の手を見てもらった。2,3ミリしか動くというか開くようにはならないといった。父ももう望んでいなかった。僕はもっと前から、右手の握りだけでも拘縮しないように理学療法士のやってもらうよう頼めばがよかったと少し後悔した。

 父は音楽を先週から拒否するようになった。

 今日は父の顔を見て、ボケてしまったのかと思った。音楽は拒否するし、スピーカから聞かせたら、いらないと顔を動かし指示した。顔も硬直してもうだめなのかと思い、院長先生や、婦長さんに聞いたら、いつもと同じだという。

 父としばらくベッドにいて、意思疎通はできるので確かに変わったというほどでもないかなとは思った。

 父とベッドそばにいて、父が死んでいくのを見ていくのだなと、この病院の本来の意味と父の行く末が分かってしまった。
 僕は父と少しでも楽しくしていきたいと思っていたけれど。

 父が家に帰りたいという、僕が面倒見れないから無理だと答えた。院長先生にも在宅は無理ですよね、と聞くと、痰の吸引とかある、と言われた。お世話になっていても在宅ができるのだったらなあと思った。僕が作業所をやめ、専念するなら可能かもしれない。でもさいころは振ったし、作業所もやめたくないので、この父の消えゆく命を、衰えていくのを見続けるのが義務になりそうだ。僕が選んだといえる。背けることはできないというものらしい。

 父はベッドから逃げられないので、そのことでトラウマになるかなとも思ったが、僕が帰るというと、気を付けて帰れ、と僕におぶれとか言わなかった。帰るという前に、危ないぞ、危ないぞと2回父は僕に言った。体を動かそうとしているらしかったが、動かなかった。そのことで落ち込んでいなかったので、心はまだ何とか持っているようだ。




 プールでは、足の動きを重点的にやった。ビート板につかまり、平泳ぎのカエル脚運動をこなした。今日は画期的だった。
 足を開いて蹴り、閉じてまっすぐになりその時呼吸して、足が沈んだ時に足をお腹のほうに引き寄せ、頭を水に浸け開きながら蹴る。こうすると呼吸して足が沈ん時に足を抱え込んで、顔を戻したら蹴ることができる。非常にいい流れになった。本に書いてある通りだったか、正しいか確認をとっていないけれど、自分では進歩した気分になり楽しかった。気晴らしになった。
 始めと終わりは水中ウォーキングをした。

 今日は浮いてるのを感じたし、手も伸ばしてビート板をつかんでいた。