ひきこもり読書!!! vs 構成員読書 ???

 地元の図書館にアイヌの本とか、西洋美術館のほんとか取りおいてもらって見てきた。

 そして100de名著スピノザを読み終わった。

 ・チーズはどこへ消えた。 も読み終わった。

 この図書館での読書を振り返り、少し変なのではないかと今感じた。今狙っているのは・最高のコートは教えない 吉井理人


 僕は振り返って、図書館の読書でも、交通機関の読書でも、頭の中に引きこもって読んでいる。引きこもり読書。

 そうではなく、集団の中の一人として、構成員として自分の頭の中で考えることを、集団の一つの回答・考えとして発表するような、読書を集団に投げかけるような方法で、皆は読んでいるのではないかと疑問を持った。構成員読書。

この方法が本当なら、僕は頭がよくなるかもしれない。今のところバカだが。馬鹿禿早漏極小猥雑間抜け薄のろ より愛を込めて。


:::追記:::ということは家にいるときも引きこもっている。町内の一人として動いて。市民として動いて。作業所の一人として動いて。自分が構成していると自覚がないのは:

 たぶん父母がろくでもなかったからだ。僕を一段下に見て、構成員として扱わず、圏外として構成員から外して接していたのが原因だ。糞馬鹿父母。本当かあ? というのこ残ってしまうが、頭がよくなったら、僕のこの考えも間違っていないだろう。

 いや違う。父母は構成員はしたことがない。引きこもり読書の人だったと思う。でなければ、家の中であんなにだらしなかったわけがない。父母ともに構成員になったことがなかったのでは。父母はたぶんボーダーな人だった。境界線上の人だったと思う。