2019-07-04 Thu 新津春子/マルクス・アウレリウス

ご無沙汰です。

 日曜日は全くの調子の悪い日でした。月火水は自分ではいいと思っていたのに、周りは殴ってやると交通機関とか帰り道で見られて嫌な気分だったが、いつものことなのでバランスをとろうとした。

 今日は割と普通に過ごせて助かった。新しいことも始めた。新津春子・空港清掃人/プロフェッショナルNHKの影響もあった。テレビの中で心を込めて清掃する、という言葉に強烈に印象付けられた。




最初に、マルクス・アウレリウス、自省録、NHK100de名著 岸見一郎
からの引用が多くなります。


手帳に、
引用:「すべての人間は協力して生きる同胞だ、という視点を持つこと」:p65

という前回の引用を貼っています。
 この言葉には強力に影響を受けました。


 この本の引用として、

引用:p91 「お前がこんな目に遭うのは当然だ。今日善くなるよりも、明日善くなろうとしているからだ。(八・二二)」

引用:p96:「ここではない別のどこかに自分の人生があると思わないで、ここで生きるという現実しかないことをアウレリウスは自分に言い聞かせています。」

引用者:kurage0147130:
「よく言われている内容と同じで目新しいことはない。でも、僕は夢見がちな少女のように、どこかに素晴らしい別天地があると、そこへ切り替わるんだとやってきた面がある。
 作業所暮らしの今の人生をここでやっていくという、あちこちへ意識が飛ぶのをやめて、ここにフォーカスして安住する絞り込みはすごく大事な気がした。」




この冊子は読み終わった。理解できて消化できたかというと怪しいが、とりあえず終わった。
 NHKで新津春子の心を込めて清掃するという師匠からのアドヴァイスを実行して、コンテストに出場する、その1位になる肝の言葉が、これだった。



・僕の始めた新しいことも、作業所で心を込めて作業するだった。座っていても歩いていても、心を込める。僕は心ここにあらずの、あちこちへ飛んで行ってしまう、不安定さだったので大事な言葉になった。

 そして、心を込めるというのは、アウレリウスの皆のためではないかと思った。 皆というのは作業所の皆さんのこと。心をなぜ込めるかというと、皿洗いをしていて皆の食事の後片付けのため、みなが気持ちよく食事をして快適にするため、作業所の皆のため。僕自身のためではあるけれど、皆のためにある。これは、新津春子が掃除をして、空港が気持ちよくなれば、この空港きれいだねとなればうれしい、みたいなことを言ったことば、自分が褒められるより、空港がきれいだね、となることを望む、というアイデアを僕が借用した。




 交通機関を降りて、心を込めるという生活が板についたら、僕はどうなるのだろうと思った。いままで、攻められる、攻めるの攻防だったけれど、僕の側が、やっていること、見ていること、聞いていること、に自分を拡張して心を込めるのであれば、この構図はいらなくなるのではないかと思った。皿洗いなら、キッチンの干してある布巾にも心を込めるはずだ。(落として洗った) 

 洗剤やコンロにも心を込める、拡張すると思う。

 心を込めるを生活でやっていきたいと思って、続くかわからないけれど初日だった。



・ケースワークの原則、バイステック、誠信書房 
黄色い本を読んでいる、途中まで読んで、難しいなと思って投げ出して、前の部分を関係なく、続きから読んでいる。実例は、ケースワーカーとクライエントの気持ちを理解するようになっている。
 難しくなったら、また投げ出そう。
 母とコミュニケーションをとろうと思って、読みだした。

 新津春子のコンテスト一位は彼女のためというより、子弟の努力の記念のためなのかもしれない。
 新津春子は、気持ちの良い笑顔を見せる。かわいい人だ。