追加 5/12 Sun:: カウンセリング:::プール日誌他

追加:カウンセリング

 で、先生は地下室の母(僕のパーツの母で、実際の母ではない、内面の母というべきか)に、言いたいことはないかと促された。感情でぶつけるものはないかと。それで、下にも書いたけれど、母はずるい、汚いとパーツの母に言葉をぶつけてみた。

 この感情をぶつけるという関わり方が男なのかも。そして、感情をぶつけるという作業が一番大事かもしれないと今日になって気づいた。幼稚園の時、母に何か言うのをやめて抑圧したけれど、それは「お母さんが悪い」というものだった。そして、それは感情を閉じ込めたというものかもしれない。今回の治療で母のパーツに感情をぶつけることを先生に誘導されたとき、新しい感じがしたのはそのせいなのかもしれない。母に、ずるいとか汚いとぶつける治療が王道なのかもしれない。

 今日の作業所では、着物の解体をやったけれど、着物にリッパーを握りながら、時間がかかりすぎる いい加減にしろよ しつこいぞ と心の中で悪態をつき、着物にその言葉をぶつけてみた。感情をぶつけるのを着ものにやってみました。そうすると、自分が普通の人に近く、がむしゃらに静的にその動きのなさでいつもの作業を繰り広げるのが止まっていたように感じた。自分が少し生き生き・人間っぽくなったのかもしれないと感じました。

 今回と前回のカウンセリングの治療は僕にとっての転換点で、母のパーツに僕が積極的に関われ、母イメージに僕が感情を持って関われるそういう方向性を先生に与えてもらったと言っていいと思う。自分の中の母パーツが直接会っていないときの僕にとっての母なので、この関係性が動くと僕は治療されるという手ごたえを得たと言っていいと思う。先生に大展開だよ、と言われるかもしれない。やっと止まっていたのが動き始めたのかもしれない。これは感謝しなければならないことだと思う。





 カウンセリングを受けました。先生に診てもらった。
 最初にこの一週間を振り返って目玉だと思わるのをプリントした紙を先生に読んでもらう。それからカウンセリングは始まる。

 目をつぶって先生の誘導のもと地下室への階段を降り、ドアを開ける。真っ暗い部屋だった。ローソクがあって母の顔が向こう側にあった。睨んでいる感じだった。最初手に負えなくて、いつも僕が母に通っている本物の母のようでびくともしないようだった。何で睨んでいるんだと聞いても反応がない。お前が憎いというような反応だった。鬼のようになっていた。

 先生の誘導のもと、小突いてみたり平手打ちみたいなことをしたくなったのでやらせてもらった。少し母が緩んだので、睨んでいるなんてずるいじゃないか、一方的に怒るのはずるいみたいに言ったら、また少し緩んだようだった。
 お母さんは、父が子育てを手伝うわけでもなく、家のことを全部やり、料理も毎日作り、大黒柱だったね、そういう中でそういう態度で自分を守ろうとしたのだろうけれど、今は自分の首を絞めるばっかりで何にもいいことないよ。みたいなことを僕は言った。
 
 そしたら先生が、お母さんは大変だったよね、全部背負って、みたいに母にぶつかっていくことは、いつか必要だろうみたいに言われた。母が今の態度を作っているのは、父との関係が原因でもあると思う。先生に言われたように、いつか母とぶつかったほうがいいかもしれない。でも今は距離感がわからない。


 このような内容だったのは、母に、性を持つ男としてぶつかるみたいな内容でやってみたいという要望のもと、それを目指してカウンセリングが動いたからだった。


 書いてみると、そんなに動いていないように思われるけれど、実際はこれだけ動いてきたのは最近だからだろと思う。先生にEMDRをやって頂いていたころは母のイメージに飲まれおぼれそうになった。そのことも先生に、前はそうだったよねと、確認された、同意を求められた。実際そうだった。そういう意味ではだいぶ進歩した。



 





 こんにちは。今週作業所で裂織の布30×50センチを織りました。平凡には良かったと思います。ボスの布選びがよかったから、出来もよかったと思う。4色の布で織った。
 織りあがるとほっとする。失敗しないようにやるので緊張する。

 最近の作業、着物の糸除去をやっています。テーラーSG氏や布草履の達人、服作り女氏など、ある一定以上の能力を持ち大黒柱であるこれらの人には及ばない。
 そこを思って、丁稚 でっち マインドを思い出した。僕は作業所では初心者で何もわからないので、大黒柱の人たちに追いつこうと努力する立場にある。見習いの身分です。

 

・ プールに行きました。今までは遊びで楽しかったけれど、今日はそんなわけにはいかなかった。自分を稼働させることが頭に浮かび、実際、運動するのは楽しみではなく義務に近い、労力に近くなった。

 平泳ぎをうまくなろうと足の形を試行した。きのうDVDを見ていたので、本よりはイメージしやすかった。今まででは一番うまくできたので、自己ベストにはなった。プールが労働に近くなったので背泳ぎをやってみた。前にやった時は、ビート板を頭の上に持っていき、やろうとしたので沈没した。今回は写真で見ていたビート板をラッコのように腹に抱えるやり方にしたところうまくいった。一往復した。これは遊びなのであまりやらないで、平泳ぎの足の形を作ろうと試行した。

 水中ウォーキングを泳ぐ前後にやった。

 もうプールはそんなに楽しくない。男としてぶつかって、労働に近いエネルギーを捧げる ささげる ワークになってきた。これからいつまで続いて、どれだけできるかが僕という人間の実力を示している。

 プールに行く前に、人間は拡張でできているのかなと思った。英語で単語を覚えれば、スイカだったら、スイカという語の拡張を得られ、自分で扱えることができるようになる。

 今考えながら打ち込んでいるけれど、プールなら、陸を歩いて普段は生活している人間が、水の中を魚のように泳ぐという拡張を得ている。平泳ぎができれば、人間世界で平泳ぎと呼ばれる型を身に着けることになり、平泳ぎをできる人という拡張がなされる。早く泳げれば珍重され、キレイに泳いでも珍重される。人間世界の平泳ぎという拡張がなされるので自分の能力が平泳ぎまで拡張される。
 そういう考え方でもいいような気がする。


・ 自転車のトライアルという競技をやりたいけれど、自転車は高いし、いきなりやるのは敷居が高い。
 その前段階として、一輪車をやりたい。前からやりたかった。買ってもらうというのを考え付かない若き日だった。
 今なら安いのを買って練習できる。ヘルメットと、膝肘パッドを買って乗ればいいだろう。
 そういう時間を捻出し、行えるか? それができなければ、トライアルも無理だろう。
 いままでみたいに、検索を無制限にやるのではなく、一日15分とかに決めて分割して検索する必要がある。
 小学生がやる一輪車をやりたい。入門的にもいいと思う。

☆ 着物の糸除去みたいに、男としてぶつかっていく必要がある。僕は野球でいうところの球を置く投げ方のように静かで止まって作業してきた。そうではなく、ぶつかっていかないと。打者や野球にぶつかっていく。置きに行った球は打ちやすく、叩かれて運ばれるだろう。作業でも置いていくような作業は仕事ではないと思う。ぶつかっていくのが仕事だと思う。男だと思う。男なら作業にぶつかっていく必要がある。


・ 僕は下を向いて歩いてきたけれど、カウンセリングの先生の言われたように上を向いて歩けれど視野も広がり、いろいろ広がるだろう。この広がるだけれど、拡張に通じて、上を向いて歩ければ自分の陣地を少し広げることになると思う。僕は狭く小さい部分を自分だと思ってきたけれど、自分という枠をもう少し広く設定することができる気がする。今は徐々にやっていく時期だと思う。徐々に広がる気がする。もう少し自分という枠が広がると思う。

 里親で人間として広げたり、彼女で男として広げたりできたらいいなあ。52歳にそういう希望は持てるのか。現実にできるのか。給料ももう少し高い給料を得ることができるように広げられないか。これら全部拡張だ。56歳でお爺さんで、60歳になったら高齢者サービス付き住宅に入居できるようにならないかなあと思っている。願望。



・ 父母のところにも行ったけれど、父には徳目がある。交通事故を起こさなかったこと。父の介護を僕がしなくてもいいくらいの稼ぎがあったこと。母も、母の介護をしなくてもいいくらいの父との結婚があったので僕は介護を免れている。
 父は家に帰るという。父の徳目の文くらいは僕もサービスしてお返しをしないと。父の施設に行き音楽を共有することしか僕にできることはない。
 母は、自分の不遇を呪って誰かのせいみたいに言う。僕の選んだ業者は駄目だみたいに言う。母の、父僕嫌いという呪いはかけられるが、施設にお世話になってもらっていて、僕が介護する手間を免れさせてもらっているので、その分くらいは、僕もサービス・母のところに通ってわずかの時間を共有する、くらいはしてもいい。

 僕は介護を免れる贅沢をしている。その分サービスする必要はある。

 父の施設の介護士さんたちは、一生懸命働いている。僕のやる分を彼女らに背負ってもらっている。恩はある。院長先生に受け入れてもらった恩もある。

おわり。End.