mother は僕を嫌っている、憎んでさえいるかもしれない。


 カウンセリングの先生に診てもらっていて、最後に、幼稚園の時の僕が母に食って掛かって、母に「人のせいにしないで」と言われ突っぱねられた時の僕の言葉は、「お母さんが悪い」というニュアンスで母に絡んでいたことが分かった。身体はすべて覚えていて、その時のことを思い出せて言語化できた。


 カウンセリングでは、外階段のような空気感の黒い階段を下りていき、地下室のドアに着いた。ドアも黒っぽかった。開けると外のような空気感だった。部屋は真っ暗で、正面から懐中電灯で僕を照らす母の顔があった。母は冷たいよそよそしい雰囲気で、僕が小学生の頃の母の顔だった。ぶっきらぼうな感じで僕を照らす母、途中経過は忘れたが、母の言葉、実際に母が言ったのではなく、母の態度、顔から感じた母の言葉は、「お前ら嫌いだ」というものだった。僕の身体がきちんと覚えていた。父と僕、両方を母は嫌いで、憎んでさえいるかもしれない。

 そしてカウンセリングは終わろうとしていたけれど、僕だけ心の中で当時の状況にしつこく居残った。それで、僕が「お母さんが悪い」というニュアンスで食って掛かっていたことを思い出した.これは身体で思い出した。


( そして、交通機関で振り返ってみて、頭で考えて、「お母さんが悪い」という言葉は、「俺のことを愛してくれ」というものの裏返ったものだと気が付いた。俺のことを愛してくれ、が僕の本心で、僕が母に言えなかった言葉だと気が付いた。 )ここは推論。

 また、僕は母の本心を見ないで、お前ら嫌いだ、から目を背けて、僕は母に愛されてきたとずっと思ってきた。僕は、嫌われ憎まれた子供という現実を受け入れないで、愛された子供だと自分に嘘をついて自分を騙してきたことになる。繰り返しになるが、母の本心を見ていなかった。自分に都合のいいものを見ていた。僕は大ウソつきだった。

 正確に言うと、母に愛されるべきだと、僕は母にラベリングしたのかもしれない。母は絶対僕を愛してくれていると。母に愛されるべき僕が冷たくされるので、「お母さんが悪い」と食って掛かったというのが本当っぽいなあ。だから、この52歳になるまで僕は母に愛されていると、自分自身に嘘をついて母の本当の姿から目を背けた。

 母に、僕に対する愛など、これっぽっちもなかった、というのが正解。


 僕は自分で嘘をついてきたので、52歳まで目が曇ってしまった。その罪は、無駄な年月で支払った。僕は人生を捨ててきたので、それが嘘をついたものが支払う対価だった。僕の人生は無駄だった。大正解。




 僕には母の愛がないという、世間でよくあるパターンで珍しくもない、普通の状態だった。僕は不幸な子供で、母の愛がないので苦労してきた。これからも苦労することになるかもしれない。父母も親に愛されてきた子供ではないだろう、そんな気がする。父母共に暗いしね。

 僕はライフワークとして、愛を捕まえないといけない。ないかもしれないけれど、つかめないかもしれないけれど。それが愛のない子供に育ったものの親への反抗だ。愛のある人生をつかむ必要がある。

 まだトラウマがあるような気がするが、気のせいか。よくわからない。